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女神の采配

アイシャがどうして女神に選ばれ、どんな生活をしてきたのか詳しいことはわからないまま、ロイナーとアレスとの話が終わった。

ただ、いろいろと大変なことがあったことだけは理解した。

「淑女教育に、王都での生活。しかも楽しい思い出がない生活だった」

その夜アイシャはベッドに入ったはいいがなかなか眠ることができず、結局ベランダに出て夜風を感じながら昼間の話を思い返していた。

詳しい内容は話してくれなかったが、何も思い出せないアイシャが聞いて楽しい話ではなく、辛い思いをすることになる。それほどまでに王都の生活は苦しかったのだろう。

「でも、どうして誰も助けてくれなかったんだろう」

女神の代理人という存在の重要性を誰もが知っていたはずなのに、アイシャはつらい生活をしていた。アレスたちの話だと、それを助けてくれる人がいなかったような気がした。王家の保護下にあったのなら、王族が守ってくれてもいいはずなのに。

疑問に思いつつ昼間のアレスの態度から、平民出身の女神の代理人であるアイシャを嫌っているようには見えなかった。嫌われていて放置されたのかと考えたのだが、それも違うような気がしている。

「ちゃんと話を聞いてみないとわからないことだらけね」

しばらくアレスはここに滞在する。ロイナーも一緒なので、少しずつアイシャに何が起こったのか聞くことになるだろう。話を聞いて思い出せることもあるかもしれない。

「楽しい思い出とかあればいいんだけど」

アレスたちはつらい過去だから話すことに躊躇いがあった。アイシャにとって楽しい話も聞かせてくれればいいのだが、そんな内容はないのかもしれない。そう考えると悲しくなってくる。

「どうして私だったんだろう」

女神が何を基準に代理人を選んでいるのかわからない。なぜアイシャだったのかそれは女神しか知らないことだ。

考えることがありすぎて余計に眠れなさそうだと思っていると、ベランダの近くを誰かが歩く足音が聞こえた。

「アイシャ?」

足音が止まると下から聞き覚えのある声がする。

昼間に聞いたアレスの声に驚いて下をのぞくと、下はちょうど庭になっていて、アレスがベランダを見上げるように立っていた。不思議そうに見上げてくる視線に、アイシャは反射的に身をかがめてしまう。

王族と目が合ったからというより、アレスに見つかったことに考えるよりも体が先に動いていた。

だが、ベランダは鉄の格子状になっていて、アイシャが身をかがめても隠してくれるものではなかった。

身を隠したつもりだが隠せていなかったことに、失敗した無念と恥ずかしさがこみ上げてくる。

「眠れないのか?」

アイシャの行動を不思議に思っているはずなのに、アレスは気にすることなく声をかけてきた。

「いろいろ考えていたら目が冴えてしまって」

仕方なく立ち上がったアイシャは、見上げてくるアレスと会話をすることを選んだ。

「そうか。俺も考えることがありすぎてなかなか眠れない」

アイシャはベランダに出たが、アレスは庭を散歩することにしたようだった。静かな庭に出たはずだったが、声が聞こえて気になってここまで来たのだと話してくれた。

アイシャの独り言を聞かれていたのだとわかると、再び恥ずかしさがこみ上げる。

「すみません。うるさかったですよね」

「そんなことはない。それに、こうやってアイシャと話をする機会が持てた」

アレスの前向きな発言に、王族とはこういうものなのかと心の中で思った。

「何か聞きたいことは思い浮かんだだろうか?」

その質問にアイシャは先ほど考えていたことを思い出す。どうして王族はアイシャを助けてくれなかったのか。

だが、そんなことを聞いたら不敬だと言われてしまいそうな気がして口にすることができない。

「今は特に・・・」

「本当に?」

視線が泳いだのがわかったのか、アレスは首を傾げてアイシャを見上げていた。

「殿下に質問することなんて何もありません」

聞きたいことは確かにあるが、王族に何でもかんでも聞くだけの勇気がアイシャにはまだなかった。

「・・・アレスだ」

「え?」

「君は女神の代理人だ。そして、俺の婚約者でもある。殿下などと他人行儀な言い方はしなくていい」

「・・・婚、約、者?」

「そこも覚えていないか」

そんな話を聞いた覚えがなかった。アイシャが女神の代理人であることは周りの説明でも聞いているので受け入れるしかない。だが、アレスの婚約者という話はまだ誰からも聞いていなかった。

その事実を突きつけられたとき、アイシャンの中に先ほどの疑問がさらに大きくなった。王族の保護下にありながら女神の代理人を見下していた人間がいた。その人たちからアイシャを守ろうとしなかった王家。アイシャが婚約者だというアレスも助けてはくれなかったように思う。どうして女神の代理人であり婚約者のアイシャは放置されていたのだろう。

アレスにとってアイシャはどんな存在だったのか。彼にとっては望んだ相手ではなかった。形だけの婚約者。

そんな考えが浮かんできて胸の奥が重くなっていくのがわかった。

答えを聞いていないのに勝手に気持ちが沈んでも仕方がない。そう思うのだが、アレスに直接聞いてそうだと言われたらアイシャはそれでも女神の代理人として一緒に王都に行くことができるだろうか。

「アイシャ」

名前を呼ばれて庭を見ると、アレスはまっすぐな視線を向けてきていた。そこにアイシャへの嫌悪はない。仕方なく婚約者をしているという様子も見受けられなかった。

「何も思い出せないと思うが、俺たちが婚約していることは変わっていない」

そう言いながらアレスが手を伸ばしてきた。当然アイシャが手を伸ばしても触れ合える距離ではなかった。

「ここで俺たちは半年間一緒に過ごしてお互いのことを知っていった。俺の中ではアイシャはしっかりと女神の代理人であり婚約者だった。そのことを思い出せなくてもいい。それなら、もう一度お互いのことを知っていくチャンスをくれないだろうか?」

「もう一度知っていく?」

伸ばされた手がアレスの願いを乗せているように見えた。

「君にとっては初めて会う王族で会って、どう接したらいいのかもわからないのだろう。急に婚約していると言われても困るだけだと思う。でも、この関係が変わることがないのなら、もう一度俺を婚約者として見てもらえるように努力するチャンスをくれないか」

アレスは歩み寄ろうとしてくれている。それがはっきりとわかるまっすぐな視線に、アイシャは少し考えてから口を開いた。

「・・・わかりました」

王都に行くまで最長で3か月。その間にアレスのことを知っていく必要がある。もしかすると、失った記憶を取り戻すかもしれない。そうなれば、アイシャの中にある疑問もわかるかもしれなかった。直接聞くことを恐れたアイシャはそう結論付けた。

「ありがとう。それじゃ、デートの誘いをしてもいいかな」

「へ、デート?」

急な誘いに変な声が出た。

「街に行ってみよう。前にも一緒に行ったことがあるし、何か思い出すかもしれない。それに俺のことを知ってもらうこともできだろう」

にこやかな笑顔を向けられて、なんとなくアレスに上手く乗せられているような気がした。それでも、アイシャもわからないことだらけだったため、いろいろと知るために彼の誘いに乗ることにしたのだった。

「夜風が体に障るといけない。もう休みなさい」

デートの予約を取り付けたことにほっとしたのか、優しい声でアレスが言う。彼ももう部屋に戻るつもりのようだった。

会話をしていて眠気はなかったのだが、あまり長くベランダにいることは得策ではない。アレスに言われたとおりに部屋に戻ることにした。

「おやすみなさい」

そう言い残して部屋に戻った。ベッドに潜り込んで目を閉じたがすぐには眠ることができなかった。ただ、ベッドを出た時のそわそわとした気持ちが今はなかった。不思議と落ち着いていることに気が付いて息を整えたアイシャは、そのあとすぐに眠気に襲われて夢の中へといざなわれることになった。


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