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記憶にない3年

アイシャが目を覚まして1週間が経過した。

ずっと眠っていたアイシャだが、体に大きな問題はなく3年も眠っていたとは思えないほど普通の生活ができていた。

筋肉が弱っていることもなくベッドから起き上がって歩くことに問題がない。体型も変わることがなかったようで、3年前にエリストン家の養子となったときにそろえたドレスがぴったりだった。

だが、エレナはもう流行が終わってしまったドレスを着せることに抵抗があったようで、アイシャの体調を見ながら仕立て屋に新しいドレス頼むつもりでいるようだった。

なんともないとはいえ、今のアイシャは様子見ということになっている。もうしばらくして医者から大丈夫だというお墨付きが出ることだろう。

「今日は特にいい天気ね」

「外でお茶ができてよかったです」

今日はエレナに誘われて庭でお茶をすることになった。用意してくれたお茶を飲みながらどこまでも広がる青空を見上げる。アイシャはこの1週間体調を見るということでどこにも出かけることもなく部屋で過ごす時間が多かった。その間に眠っていた3年間のことを侯爵夫妻から教えられていた。2人が空けている間はアイシャの専属の侍女がわかる範囲で教えてくれた。

アイシャはすでにエリストン侯爵令嬢ということで専属の侍女がいたのだ。3年前に養子となった時につけてもらった侍女は当時19歳のミリア=ステーレン。ステーレン男爵家の次女だという。だが、アイシャはミリアのこともステーレン男爵家のこともわからなかった。

今も後ろで控えてくれているが、ミリアはアイシャが眠っている間の世話もしてくれていたらしい。

身に覚えがないためアイシャにとっては初対面と言っていい。それに貴族令嬢になっていたことも覚えていないアイシャにとって令嬢として振舞うことに違和感しかなかった。

「私は、エレナ様からマナーも習っていたんですよね」

「そうよ。女神の代理人になったから、必ず王都に行って王族に会うことになるし、貴族社会に身を置くことになるから、あなたが困らないように教えておいたのよ。それと、エレナ様だなんて他人行儀な言い方は寂しいわ」

エレナから貴族マナーを教えてもらい、義理の親子として一時ではあるが生活していた。その記憶もアイシャにはないため、代理人になる前の感覚でエレナと接してしまう。

「マナーを教えるとは言っても、アイシャは最初からほとんどマナーが身についていたから教えることなんて何もなかったわね」

過去を振り返ってエレナは懐かしそうに空を見上げた。

アイシャは平民出身ではあったが、本当の母親であるセレーナがエレナと昔からの知り合いで仲が良かったため、アイシャ自身もエリストン侯爵家に預けられることがあり馴染んでいた。その中で自然と貴族のふるまいを身に着けていた部分もあったし、セレーナから教えてもらうこともあった。その記憶は代理人になる前なので覚えている。

「お母さんから教わっていたこともありますし、ロイ兄さまから遊びながら教わったこともありました」

ロイ兄さまとはエレナの息子で、ロイナー=エリストン侯爵令息のことだ。アイシャと2歳しか離れていなかったこともありアイシャが侯爵家に預けられたときは遊び相手になってくれていた。

アイシャが18歳の時に代理人に選ばれたが、そこから3年が過ぎていることを考えると、ロイナーは現在23歳になっているはずだ。いつの間には5歳差になってしまったことになるがその自覚がアイシャにはない。

「そういえばロイ兄さまはどこに?」

アイシャが目を覚ましてから一度も見ていなかった。昔の記憶があるとはいえ、まだ混乱していることもあるのかロイナーの話をするまで彼の存在をすっかり忘れていた。

「あの子は今王都にいるわ。王城で働いているのだけれど、3年前にアイシャと一緒に王都に行ったのよ。それからずっと向こうで仕事をしているの」

まだ爵位を譲られるまで時間があるということでいろいろと勉強もかねて残っているらしい。

そんな話を聞いていると、アイシャは疑問が浮かんでくる。

「どうして私は3年も眠っていたんでしょう?」

その疑問は目覚めてから自分が置かれている状況を理解して初めて思い浮かんだ疑問だった。最初は母親がすでに他界していたショックに落ち込んでいたが、それが落ち着いて周囲のアイシャを心配してくれている状況を理解し、とりあえず自分のことを知ろうとして浮かんだ素朴な疑問だった。

だが、誰一人として詳しい説明をしてくれる人がいなかった。

カインでさえ眉間にしわを寄せて難しい顔をした後に曖昧なことしか言わなかった。

「すべて王都で起こったことだから、私たちはその当時あなたの側にいなかったの。詳しいことは何も話せないのよ」

エレナの説明はカインと同じものだった。ここでは誰もがアイシャに何が起こったのか詳細を知らない。知っていてもそれは他人から聞いただけの話。それをアイシャに話すことを躊躇っているようだった。

「ちゃんと説明ができる人間を手配しているから、それまでは待っていてちょうだい」

これもカインと同じ答えだった。

詳しい人間が誰なのかアイシャにはわからない。だが、3年前のことを知る人物であることは確かだ。女神の代理人となって王都で過ごした半年。そこで何が起きてアイシャが眠ることになったのか、その真実を知っている人間がもうすぐ来るのだろう。

何か思い出せないかと思っていたが、この1週間何も思い出すことがなかった。

「ロイ兄さまが一緒に王都に行ったのなら、兄さまが来て説明してくれるのかしら?」

今も王都にいるというロイナーは3年前のアイシャのことを知っている。王都で何が起こったのか彼が戻ってきて説明してくれるのかもしれないと考えた。それに、3年経ったロイナーに会ってみたという好奇心もあった。カインやエレナはそれほど変わった印象を受けなかった。少しやつれた雰囲気はあったが、それはずっと目を覚まさないアイシャの心配をしていたからだ。今はアイシャが覚えている2人の仲睦まじい侯爵夫妻に戻っていた。

「慌てる必要はないわ。無理に思い出そうとして体に負担がかかってもいけないし、無くした記憶がすべて良いこととは限らないでしょう」

お茶を飲んだエレナの顔に影が差したような気がした。

確かに彼女の言う通り失った記憶がどんなものなのかわからない。楽しいことだけじゃなく辛く苦しい記憶もあるだろう。それをわざわざ思い出す必要はないと言葉にはしなくてもエレナは思っているようだった。

「それよりも体調も安定していることだし、一度街に出てみるのはどうかしら?」

「街に出てもいいんですか?」

ずっと引きこもりのような生活になっていた。アイシャ自身は記憶がない以外問題がなかったので外に出たい気持ちがあった。

「でも、そのまま行くわけにはいかないわね」

エレナがアイシャの顔をじっと見る。

今のアイシャはピンクの髪に金の瞳だ。明らかに目立つ。そして、誰が見ても女神の代理人だとわかる姿だった。

「ウィッグと瞳の色をごまかせるメガネが必要ね」

街に行くにも準備が必要になる。外出の許可が下りてもすぐに街に行くことはできないようだった。

「準備ができたら一緒に行きましょう。アイシャは女神の代理人でもあるのだから、エリストン家が全力が守らないといけない存在よ。護衛は必ずつけるから」

平民として街に遊びに行くことはさすがにできない。アイシャはすでに侯爵令嬢になっている。貴族らしく外出する必要はあった。

「仕方ないですね」

そこは妥協するしかない。

「お話中失礼いたします」

街に行ったらどこに行きたいか問われて話をしようとしたところで、執事長のサムがやってきた。

「お嬢様に王都からのお客様がお見えです」

「あら、噂をすればやっと到着したようね」

先ほど話していたアイシャが眠りについた原因を説明できる人物がやってきたようだった。

だが、エレナは歓迎している様子がない。その雰囲気と、眠りについた真実を知れる期待と不安がアイシャの中に渦巻く。

「アイシャは会いたいかしら?」

すぐに立ち上がることなくエレナが聞いてきた。まるでアイシャの不安を見透かしているかのようだった。

「・・・会います」

確かに不安はあるが真実を知れるチャンスだ。すべてが悪い記憶とも限らない。思い出せることがあるのなら思い出したい。そう考えてアイシャは立ち上がりながら答えていた。

「それじゃ行きましょうか。案内してちょうだい」

エレナも一緒に来てくれるようでアイシャは不安を抱えながらもサムの案内で屋敷に戻ることになった。


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