王都への約束
「アイシャ」
夕食が終わり部屋に戻ろうとするアイシャにアレスはすぐに声をかけた。
最近一人で何かを考えているアイシャにアレスはあまり接触しすぎないようにしていた。アレスが何かを言って彼女を追いこむことになったらという気持ちがあったからだ。
王都でのことを話してから1人で抱え込むように考え事していたが、そのサポートをしてくれていたのはエリストン侯爵家だ。アレスは遠くから見守ることが今の自分の役目なのだと考えていた。
だが、いつまでも見守っているだけとはいかない。
しばらく様子を見ていたアレスだったが、今日は話をしてみようと声をかけたのだ。
「少し話をしないか?」
「・・・はい」
少し考える様子を見せてからアイシャは返事をした。まだ自分の中で整理できていないことがあるのだろう。アレスと話をすることに抵抗があったのかもしれない。それでも断れないと思ったのか頷いてくれた。
2人で話をしようと思い部屋を用意してもらうことにする。その様子を見ていたロイナーと目が合ったのだが、彼は何も言わずに自室に戻っていった。アレスを信頼してくれたのだと判断することにする。
2人で別室に移動すると、ソファに向かい合って座る。お茶を用意してくれた侍女はすぐにいなくなり、部屋に2人きりとなった。扉も閉められていて、結婚前の男女が2人きりになることがないように配慮するはずなのに、今回は大事な話とするのだとエリストン侯爵家が判断しての対応のようだった。
アイシャは婚約者なのだから2人きりでもいいのだが、記憶のない今のアイシャは婚約者という立場を今もはっきりと理解はしていないだろう。
「お話というのは」
部屋の状況を考えていたアレスに、アイシャが声をかけてきた。
「最近一人で考え事をしているようだったが、少しは整理がついただろうかと思って」
アイシャの様子を見ているとまだだとわかっていたが、話のきっかけにまずは状況確認をすることにした。
「・・・はっきり言ってよくわからない状態です」
「わからない?」
「殿下のお話を聞いても、記憶がないせいか実感が湧きません。でも事実なのでしょう。疑問に思っていたことを話してもらえたことはよかったと思っていますが、これから自分がどうしたいのかはっきりとした答えが出ません」
王族がアイシャと接触しなかったことで起きた貴族からの嫌がらせ。助けてもらえなかった疑問は解けても、すっきりしない気持ちがアイシャの中にはまだあるのだろう。
そして、この先自分がどうしていきたいのか何もわからない状態になっていた。
女神の代理人として相談できる相手もいないため、毎日1人で考え込んでいたのだ。
「俺としては一緒に王都に来てほしい」
迷っている相手にこんなことを言うと困らせてしまう気もしたが、アレスの気持ちを知ってもらっていた方がいいような気がした。
「感謝祭まで3か月を切った。できることなら王城に向かいたいところだ。記憶のあるなしに関わらず、アイシャが女神の代理人であることは変わりないから、女神の意思を聞くためにも王都に来てほしいと思っている」
感謝祭が迫ってきていた。もう城内では少しずつ感謝祭に向けての準備が始められていることだろう。アイシャが眠っている間は代理人不在で行ってきたが、今回はアイシャに立ち会ってもらわなければいけなかった。そのために目覚めたのだとアレスは思っている。
「とはいえ、無理強いしたいわけでもない。すべてはアイシャの気持ちが大切だから」
アイシャが拒否すれば無理やり連れて行くことはできない。代理人を傷つけるようなことをすれば女神の怒りを買うことになる。アイシャが見聞きしたことはすべて女神に伝わるのだから。
アイシャが自ら王都に行ってもいいと思えなければ意味がないのだ。
「私は・・・」
「王都に行くのが怖い?」
迷っている理由は、再び王城で貴族から嫌がらせを受けるかもしれないという不信感だろうか。
「それももちろんあります。それと王城で過ごした時の記憶がないので、きっとどう過ごしたらいいのかわからないと思います」
初めてアイシャを城に受け入れた時のことを思い出す。緊張と戸惑いで不安がっていた。いつもそばでアイシャに寄り添っていたエリストン侯爵家。不安なく過ごしていたが、城の中では知っている顔はアレスだけとなった。だが、そのアレスもすぐに他国に行くことになり、心細かったことだろう。誰もが代理人を大切に扱ってくれると思っていたアレスは、すぐに王城という環境にアイシャが慣れるだろうと思っていた。その考えが間違っていたことを知った時の絶望感も思い出すことになった。
「あの時は俺も側にいられなかった。だけど、今回はアイシャの側にいることが可能だと思っている」
今度は側で彼女を守りたいと思っていた。代理人に選ばれた者は、最初は王族との接触が少なくなる。だが、アイシャは一度目を経験した。祝福を拒否するという答えだったが、感謝祭をやり遂げたのは間違いない。本来ならアレスと結婚して王太子妃として次の感謝祭を行うはずだった。その時には王族との接触に制限はない。
そう考えると今回はアレスが側にいることを、女神はきっと許してくれるはずだ。
勝手な考えではあるが期待もしていた。
「困ったことがあればすぐに対応できるだろう」
アイシャを陥れるような態度をとる者がいれば、すぐにでも処罰することができる。
「今度こそ、アイシャを守らせてほしい」
「アレス殿下」
「だから・・・」
一緒に王都に来てほしい。そう言いたかったが言葉に詰まった。アレスの中にまだ少しだけ迷いがあったのだろう。守りたい気持ちは嘘ではない。ただ、アイシャが王都に行くことを拒否されたらと考えてしまったのだ。今はまだ早いのではないか。もう少し様子を見てから話をするべきかもしれない。そんな迷いが急に出てしまった。
アレスにも王太子としての役目がある。ずっとエリストン侯爵領にいるわけにもいかない。もうそろそろ戻らなければとも思う。
「殿下」
アレスが迷いを見せるとアイシャが静かに声をかけてきた。
まっすぐな視線に力強さよりも優しさが滲んでいるように思えた。
「私も一緒に王都に行くべきなのでしょう」
女神の代理人として王都に行かなければいけないことはアイシャもわかっていた。その時期が迫っていることを話していなくても気が付いていたのだろう。そして、アレスが言い出すのを待っていたのかもしれない。
「本当は、辛い記憶のある場所に行かせないほうがいいのかもしれない」
まっすぐ見つめられてアレスは自分の今の気持ちを言葉にしていた。
「記憶がいつ戻るのかわからないし、城に行けば思い出してしまうかもしれない。その時には側で支えたいと思っているけれど、アイシャが苦しむ姿を見たくないから、思い出さないでほしいとも思ってしまうんだ」
アレスの中の葛藤があっても、すべてはアイシャが抱えていることだった。不安を抱えたままアイシャを王都に連れて行くことに躊躇いがある。だが、そんなことを言っていられない状況にもなりつつあった。
「このまま静かに暮らしていた方が幸せだろうと思うけれど、それだと女神の代理人としての役目も果たせなくなる」
「そうですね。私もここにずっといられたら何も心配することなく過ごせると思います」
エリストン侯爵家の人々はアイシャを受け入れ大切にしてくれていた。
「でも、私には女神の代理人としても役目があります」
平民でも知っている女神の代理人。女神の祝福を受け取り国の繁栄を願うことが必要だった。
「女神オリビアも待っているでしょう」
アイシャが窓の外を見た。その横顔がもっと遠くに思いをはせているように見えた。ここにいるアレスのことなど忘れてしまって女神のことだけを考えているような、そんな気がした。
再びアレスに視線を向けたアイシャは穏やかな顔をしていた。
「一緒に王都に行きましょう」
諦めや覚悟があるような声ではなかった。行くことが当然で、その時が来たので行くという感じだった。
「ありがとう」
それでも、アレスは一緒に来てくれることに感謝した。アイシャがいなければすべてが動かない。今年の女神の感謝祭がどんなものになるのかわからないが、まずは代理人が王都に存在してくれることを心から安堵することになった。




