傷ついた自分
アレスから王城であったことを聞いたアイシャは、数日そのことを考えながら過ごしていた。
話を聞いてもアイシャの記憶は戻っていない。王城での辛かった記憶なので思い出さないほうがいいような気もするが、それでは駄目だとも思っている。
ただ、アレスがなぜ助けてくれなかったのかという疑問は解決できた。女神の代理人と王族が接触しすぎていると、周囲が委縮してしまう可能性があった。王族の保護下でありながら王族との接触を避けて、代理人は自分の意思で周囲を見聞きして、いろいろなことを感じ取って最終判断をしなければいけない。
そんな女神の代理人は大切に扱わなければいけないというのが、貴族だけではなく平民でも知っていることだった。
そんな代理人を平民という理由だけで虐げていた貴族がいたことに、怒りや憤りよりも残念な気持ちの方が今のアイシャは強かった。
「常識になっているはずなのに、貴族っていうのはプライドが高いものなのね」
エリストン侯爵家では誰もアイシャを平民だからという理由で拒否することはなかった。皆が優しくアイシャに接してくれていたので、王城の貴族たちも同じだと思っていたことだろう。それが見下すような態度を取られたことに、きっと過去のアイシャは傷ついたのではないだろうか。
傷つき落ち込み、最終的には絶望に近い感情を持っていたような気がする。だからこそ女神の祝福を拒否して、国の安定を願うことをしなかった。
記憶がなくてもアイシャは過去の自分がそう結論付けたのだと確信していた。
「アイシャ」
庭を散歩しながら考え事をしていたアイシャに女性の声が聞こえた。
振り返るとエレナが穏やかな笑顔を見せながら近づいてくるところだった。
「今日はいい天気なのだから、日傘くらい持っていないと」
そう言いながらエレナが持っていた日傘を傾けてアイシャを日差しから遮った。
「誰か気を利かせればよかったのに」
「あ、一人で考え事をしたくて庭に出てきてしまったから」
アイシャは数日考え事をすることが多かった。自分の部屋にいることもあれば、どこか別の部屋でお茶を飲みながらということもあった。今日は庭を歩きたい気分で出てきてしまったが、この数日アイシャが一人になりたいことを察知してくれていた使用人たちは声をかけることを控えていたのだ。庭に出るなら日傘をという概念は平民のアイシャにはない。そのため何も持たずに散歩をしてしまっていた。
「これからは気を付けないと」
貴族としていろいろと教えられていたはずだが、今のアイシャは何も覚えていない。そのことを理解しているエレナはしかりつけるようなことをしなかった。これからまた覚えていけばいいと思っているようで、アイシャにとっては安心するものだった。
これくらいできて当然だと決めつけるようなことをしないでくれている。
「はい。気を付けます」
だからこそアイシャも素直に受け入れられていた。
「それで、なんの考え事かしら?」
アイシャがなぜここにいるのかエレナはわかっていたはずだが、あえて尋ねてくれていた。一人で抱え込んで考えているアイシャに自ら話させるためなのだ。そのことに気が付くよりも先にアイシャはエレナの穏やかな促しに自然と口を開いていた。
「これからどうしていけばいいのかと思ってしまって」
アレスから話を聞いた後、これから先どうするべきなのか考えていた。記憶がないため話だけで判断しなければいけないが、ずっとここにいるわけにはいかないことをアイシャもわかっていた。
アレスは何も言ってこなかったが、王都に行かなければいけない。そうなると王都で起こったアイシャに対するいろいろなことが再び繰り返されるのではないかという不安があった。そして、同時に記憶が戻ったときにどんな気持ちになるのかという恐怖もあった。
王族は再びアイシャと接触することを控えてしまい、貴族たちがアイシャをどう扱っていくのか想像できないのだ。
エリストン侯爵家では誰もアイシャを虐げるようなことをしなかった。これが当たり前だと思ってはいけない。そんなことを考えると王都に行きたくないという気持ちが芽生えてしまう。
だが、女神の代理人となっているアイシャはずっとここにいるわけにもいかないはずだ。
「そうね。どうしたいかはアイシャが決めるしかないけれど」
エレナは何に悩んでいるのか見当がついているのだろう。詳しいことを何も言わなくてもアイシャの迷いに答えを出そうとしてくれていた。
「アイシャの好きなようにしていいと私は思うのよ」
「私の好きなように?」
王都に行けとは言わないエレナに首を傾げてしまった。どこかで必ず行かなければいけないと思っていたアイシャに対して、行かなくてもいいという選択肢を与えているように思えた。
それでいいのだろうかと思っていると、エレナは少し考えてから大きく頷いた。
「アイシャが女神の代理人に選ばれたことは覆すことのできない事実よ。代理人としての役目を果たさなければいけないけれど、周囲が無理強いすることでもないでしょう。代理人が見たこと聞いたこと、感じたことはすべて女神とつながっていると言われているわ」
「女神とつながっている?」
女神の代理人に選ばれた人間はピンクブロンドの髪に金色の瞳になることは知られている。そして、女神の祝福を受け取り国の繁栄を願うことが役目だ。
だが、代理人が見聞きしたことや感じたことが女神に伝わっているという話は初めて聞くことだった。
「貴族社会では知られていることよ。ただ、それを立証する術がないから、都市伝説的な意味合いで伝えられているだけなの」
平民の間では知られていない貴族だけが知ることもあることに驚く。ただ、すべては噂程度のものなので、はっきりと信じている者はそれほどいないらしい。
「アイシャが嫌な思いをしていたら、その気持ちは女神オリビアにも伝わるの。だから、嫌だと思う気持ちを持ったまま王都に行くことは、女神さまも気分を害する可能性があるわ」
「そう、でしょうか?」
アイシャと女神がつながっていると言われても実感がないのでよくわからなかった。
「女神の代理人を大切に扱うという意味にも繋がることなのよ。代理人が嬉しかったり楽しかったりすれば、女神も気持ちよく祝福を授けてくださるでしょう。それに、代理人が女神と繋がっているということは、逆に女神の意思を代理人を通して伝えられるということになるのよ」
女神の意思を受け取り人々に知らせることも代理人の役目になっている。意思を汲み取ることができるから、代理人が感じたことを女神が察知できるだろうということで貴族たちに認識されていたのだ。
「アイシャの意思は、ある意味女神の意思でもあるのよ。アイシャが行きたくないと思っているのなら、女神も行かせたくないと思っている可能性があるわ」
アイシャは自分の胸に手を当てた。この不安な気持ちは女神が与えているものなのかもしれない。
そう考えても実感が湧かなくて首を傾げるしかなかった。
「焦ることはないのよ。感謝祭までまだ時間はあるのだし、行きたいと思えるか、行く決意ができたら行動すればいいと私は思うわ」
「エレナ様」
迷っていることを否定することなくエレナは笑顔を見せてくれた。
そのことに安心していると、急にエレナが困った顔をした。
「アイシャはもうエリストン侯爵令嬢になったのよ。義理ではあるけれど、私たちの娘になったのだから、もうそろそろお義母様と呼んでほしいのだけれど」
その言葉にきょとんとしてしまった。アイシャは平民出身の女神の代理人。記憶を無くしたことで貴族としての認識も無くなってしまった。それと同時にエリストン侯爵家の養女になったことも忘れていた。
「努力します」
エリストン侯爵夫妻は義理の両親となり、ロイナーは義兄になる。そう考えると違和感しかない。
「そちらもゆっくり慣れていきましょう」
それだけ言うと、エレナは日傘をアイシャに預けて庭を引き返して行った。その後ろ姿が頼もしく感じたのはアイシャの中での秘密にすることになった。




