王都
アレスの話を聞いたアイシャは侍女に付き添われながら部屋へと戻っていった。
その後ろ姿がとても弱々しく見えたアレスだが、なんと声を掛けたらいいのかわからず、静かに見送ることしかできなかった。
「これでよかったのかな」
話したことを後悔したくなる光景を目にして、アイシャに頼まれたからといって話すべきではなかったかもしれないと思い始めてしまう。
「それを判断するのはアイシャだ。殿下はアイシャに頼まれたのだから、向き合って話したことを後悔する必要はないです」
静かな東屋に声が聞こえた。
アイシャがいなくなるのと交代するようにどこからかロイナーが姿を見せた。そのままアレスの向かいに座って後悔することを否定してきた。
「どこかで見ていたのだろう」
「アイシャの様子が気になったので」
ロイナーもアイシャに起こったことを直接見たわけではないが、報告を受けて何があったのかは把握している。
記憶のないアイシャがアレスから話を聞いてどんな反応を示すのか心配だったのだろう。話の内容まではわからなくても遠くから様子を窺うことはできたようだった。
ロイナーも部屋に戻っていくアイシャの姿を見て、声をかけることができなかったためアレスのところに来たような気がした。
「これからどうするつもりです?」
ロイナーが尋ねてくる。アイシャに過去を話したことでアレスが何を考えているのか確認したかったようだ。
「できることなら、早いうちに王都に向かいたいと思っている」
「つらい過去がある王都にアイシャが行きたいと思いますか?」
友人としてではなく、アイシャの義兄でありアレスの部下としての立場で聞いているのがわかった。
「すべてはアイシャが決めること。女神の代理人に無理強いはできない。だが、3か月後には感謝祭が行われる。その時には必ず王都にいてもらわないといけない」
女神の代理人として女神の祝福を受けてもらわなければいけなかった。アイシャが目を覚ましたことには意味がある。もう一度祝福を受け取ってもらえるチャンスが与えられているのなら、感謝祭までにアイシャを王都へ連れて行きたかった。
「それに、このままこの領地にずっといては、国の状況をアイシャが目にすることができない。女神の祝福を受け取るべきかどうかを見極めるためにも、アイシャには国の様子を見てもらいたいと思っている」
そして、今度こそアイシャを女神の代理人として丁重に扱う状況にして、アイシャに評価してもらうことも必要だった。
「前回とは違うということをアイシャに見てもらわないと」
「今回も王族は関与できないというわけではないですか?」
女神の代理人が選ばれると初めての感謝祭を迎える前は、王族は接触を控えなければいけない。王族の後ろ盾があるとはいえ、代理人本人が周囲と接点を持ち、国の状況を把握していくことで国の安定を願い女神からの祝福を受け取るべきかどうかを決める。
「アイシャはすでに最初の判断を下している。次が2回目ということになるだろうから、王族が関与することは許されると思う」
最初の感謝祭が終われば代理人は王族と結婚することが主流となっていた。代理人が女性の場合は王子と結婚することが多く、男性の代理人の場合は爵位を与えられて、王女が降嫁することもあれば、独身のまま王家からの保護と支援を受けて生活することもあった。
特に女性は王族の仲間入りをしてしまうので、2回目以降の代理人としての仕事において王族と接触しないという条件を満たすことができなくなる。女神から何か言われるような天啓を受けたことがないため、問題ないと考えられていた。
「一度祝福を拒否しているし、まだ殿下と結婚したわけでもないので、まだアイシャ自身は王族ではありません。もう一度やり直すために目を覚ましたということなら、今回も王族が接触することは許されない可能性がありますよ」
嫌味で言っているわけではないのだろう。ロイナーは可能性を指摘している。だが、その答えを持っている者はここにはいなかった。アイシャが女神からなにかを示されでもしない限り、手探りでいくしかないのだ。
「何かあればアイシャが反応するだろう。女神の代理人であるアイシャを通して女神もこの国を見ているのだから」
代理人が目にしたこと、耳にしたことはすべて女神に伝わっているとされている。そして、代理人が口にしたことの中に女神の意思が含まれていることがあるとも言われている。そのため人々は女神の代理人を丁重に扱い、代理人の言葉に耳を傾ける必要があるのだ。
王族との接触を女神が否定するのなら、アイシャを通して何かの反応があるだろう。それまではアイシャの側にいるつもりだ。
ロイナーが肩を竦めた。指摘してみたが、彼も女神の意思がわかるわけではない。
「まぁ、今回は僕も一緒に王都に行くので、殿下が側にいないときは全面的に僕がアイシャを守るつもりでいます」
始めて王都に向かったアイシャに対して、ロイナーは領地に残った。
女神の代理人として何も問題ないと背中を押して送り出してくれたエリストン侯爵家。王都で穏やかに暮らしていると思っていた彼らがアイシャの実情を知った時どれだけの絶望を味わったのかアレスにはわからない。
アイシャが女神の祝福を拒否したことを知って、王城に駆け付けた時のロイナーとの再会をアレスは今でも覚えている。
何もできなかったロイナーは後悔していたのだろう。今度こそアイシャを守りたいと思っているはずだ。
「君は俺の側近だから一緒に王都についてくるのは当たり前だ。仕事もあることだし、いつも一緒とはいかないだろう」
「そこは殿下が上手く配慮してくださればいいだけです」
さらっと言い切るロイナーに苦笑するしかなかった。
「その前に、まずアイシャが一緒に王都に行くと決意してくれないと何も進まないけれど」
まだ王都に一緒に行こうと言える状況ではないと思っている。
「つらい記憶のある場所に行くことになる。今は何も思い出せないかもしれないが、思い出したときにこんな場所にはいたくないと思われたら・・・」
今どれだけアイシャに手を差し伸べてもすべてが無駄になる可能性があった。それに、アレスはアイシャと過ごした大切な思い出と気持ちまで否定されそうな気がして、それを恐れていることに気が付いていた。
女神からの祝福を拒否した時のアイシャと目があった時のことを覚えている。アレスに対して優しいまなざしを向けてくれたように感じた。だが、彼女はアレスも拒否するように眠りについてしまった。あの時何を考えてどんな思いを秘めていたのか、今のアイシャに聞いてもわからない。思い出したときに否定されることが怖いと思っている。
これで一国の王太子だとは情けない。
「少なくとも、アイシャが殿下に対して負の感情を持っているとは思えません」
アイシャの気持ちがわかるわけでもないのに、ロイナーはあっさりと答えていた。
「すべてはアイシャが記憶を取り戻さないとわからないことです。そのことに怯えて何もしないより、今のアイシャに全力で向き合っていた方がいいと思いますよ」
正論過ぎて何も言い返せなかった。
「そうだな」
同じ年のはずなのにロイナーに指摘されることが多いような気がするアレスだ。
「ここで考えていても仕方がない。時期を見てアイシャに王都に一緒に行ってほしいことを話すことにしよう」
それがアレスの答えだった。
ロイナーも満足したのか口元に笑みを浮かべて静かに頷いていた。




