王太子
「今日、アイシャに会うために、王太子殿下が屋敷に来ることになった」
「え?」
「王太子と言えば、アレス=レイデント殿下ですね」
「ロイナーとは同じ年だし、学生時代に顔を合わせているだろう」
「同じ学年だから、顔は合わせているよ。ただ、それほど親しくしていたわけではないから、殿下のことを詳しく知っているわけでもないよ」
カインの急な話にアイシャは何もついていけず、ロイナーとカインの2人だけで会話が進んでいく。
「侯爵家としては交流を深めておくべき相手だと思うが、それほど接点がなかったのか?」
「殿下には必ず護衛騎士がついていたし、取り巻きのように他の貴族が数人いたからね。彼らが将来の側近になるだろうと思っていたけれど、僕は関係ないと思って、必要な時以外は話しかけることはなかったよ」
「確かに、エリストン家は殿下の側近に選ばれなかったからな」
学園に行くことのなかったアイシャには難しい話に思えた。
「あの、王太子殿下が私に会いに来るのですよね」
タイミングを見計らってアイシャが軽く手を挙げてカインに話しかけた。
「女神の代理人を見に来るということですか?」
「正確にはアイシャが本当に女神の代理人なのか確認することと、本物だと判断されたら王城へ招く準備をするはずだ」
「王城に?」
「女神の代理人は王家の保護下に入るからね。ずっとここにいることはできない」
カインの言葉にアイシャは戸惑った。
女神の代理人に選ばれてしまったことで、王城がある王都に行かなければいけなくなった。
それはエリストン領を離れるということになる。セレーナを亡くしてまだ日が浅いというのに、両親と暮らした地を離れるとわかると動揺してしまった。
「二度と戻ってこられないわけじゃない。アイシャの故郷はここだよ。王都に行くときは僕も一緒に行くから」
不安がるアイシャにロイナーが優しい言葉をかけてくれた。
「とはいえ、王城で一緒に暮らせるわけじゃない。最終的にはアイシャが王城での暮らしに慣れないといけない」
カインが口をはさむとアイシャは再び不安な気持ちになってしまった。
「父さん。アイシャを落ち込ませてどうするんだよ。前向きな気持ちにさせてあげないと」
「うむ。すまない」
「大丈夫だよアイシャ。君は女神の代理人だから、誰もがアイシャに親切で、大切に扱ってもらえるはずだから」
女神の代理人は国にとってとても重要な存在だ。女神の祝福を受け取れる唯一の存在となり、国の繁栄に欠かせない。
「とりあえず王太子殿下に会ってからだよ。僕たちも一緒にいるから大丈夫」
2人きりで会えと言われたらアイシャには無理だった。王族と会うことなど一生ないと思っていた相手と会わなければいけないのだ。会話をする前にまともに顔を見られるかわからなかった。
カインやロイナーに一緒にいてもらわなければ困る。
「会って何を話したらいいの?」
王太子と対面することになり、ロイナーがエスコートする形でアイシャは到着したばかりの王太子がいる部屋に向かいうことになった。
「殿下はアイシャが女神の代理人であることを確認しに来ただけだから、無理に会話をする必要はない。聞かれたことに答えればいいだけだよ」
緊張しているアイシャを落ち着かせるように優しくゆっくりとした口調で言われたが、下手なことを言って王太子の機嫌を損ねたらどうしようという考えの方が先に立ってしまっていた。
カインが前を歩いていたが、王太子が待っている部屋の前まで来ると躊躇いなく扉をノックする。
「失礼いたします。女神の代理人であるアイシャを連れてまいりました」
まだ心の準備ができていないのにと思っていたが、そんなことはお構いなしにカインが部屋へと入っていってしまった。ここで呼び止めることもできず、ロイナーも続いて部屋に入るため、エスコートされているアイシャはつられるように部屋へ足を踏み入れた。
「来たか」
静かな声が部屋に響いた。顔を上げるとソファには誰も座っていなかった。出されたカップはすでに空になっている。到着して間もないはずなのに、一気に飲み干してしまったのだろうかと、まったく関係のないことを考えてしまった。
「殿下。女神の代理人アイシャです」
カインが窓際に向かって声をかけた。
そこには庭を眺めていたのか、金髪の青年が立っていた。緑色の瞳が静かにアイシャを見つめる。
王族という認識があったせいなのか、アイシャには王太子が外の光を浴びてきらきらと輝いているように見えた。
綺麗な人だなと思ったのが最初に印象だった。
じっとアイシャを見つめていた王太子だが、不意に口元に笑みを浮かべた。
「レイデント王国の第1王子アレス=レイデントだ」
そこでアイシャはアレスに見とれて、挨拶をしていなかったことに気が付いた。ものすごく無礼なことをしたとアイシャでもわかる。だが、アレスはそれを咎めることをせず、静かにアイシャを見ている。
「だ、第1王子殿下にご挨拶申し上げます。アイシャです」
緊張で声が震えるのが自分でもわかったが、精いっぱいの挨拶をした。
「我々以外の貴族と会ったことがありませんし、王族と会うなど考えてもいなかったため、どうやら緊張しているようです」
アイシャがそれ以上どうしたらいいのかわからないでいるとカインが助けてくれる。
「構わない。彼女のことは報告を受けている」
アイシャが平民であること。エリストン侯爵家が養女にしたいと願い出ていることもアレスは把握していた。そのうえでアイシャがどんな人物なのか確かめに来たのだ。
「アイシャ」
「は、はい」
アレスに話しかけられて背筋が伸びる。
王太子殿下と会話をしているという緊張感がアイシャの体を固くさせていたが、そんなことを気にすることなくアレスが近づいてきた。
「女神の代理人となり、戸惑うことも多いだろう。だが、女神が選んだ以上覆ることはない。これから君を女神の代理人として王家で丁重に扱わせてもらう」
まっすぐな視線に、アレスが上辺だけの言葉を並べているのではないと思えた。
「よろしくお願いします」
「とはいえ、今すぐ王都に向かって城での生活は負担が大きすぎるだろう。そこで、次の女神の感謝祭まで時間があることだし、半年ほどはこちらで生活してから、残りの時間を城に移動しようと思う」
女神の感謝祭はつい先日終わったばかりだった。次の感謝祭にはアイシャが女神の言葉を聞かなければいけないが、それまで1年の猶予があった。半年という限定的ではあるが、まだエリストン領に残ることができると聞いてほっとしてしまった。
「そういうことだから、エリストン侯爵。半年間世話になる」
その言葉を聞いてアイシャはきょとんとした。
「わかりました。これは王命であると受け取っております」
「陛下から手紙が来ていただろうが、私自身もここに残ることを望んだことだ」
話を聞いていると、どうやらアレスは半年ここに残るらしい。アイシャを確認しに来ただけのはずなのに、王太子とは忙しくないのだろうかと首を傾げた。
すると、アレスが口元に笑みを浮かべてアイシャを見た。
「これから半年の間にアイシャのことを知っていくつもりだ。当然、俺のことも知ってもらえるように努力する」
砕けた話し方に変わり、少しだけ親近感がわく。この時のアイシャは、まだ女神の代理人に選ばれたことで王太子の婚約者に選ばれたことを理解していなかった。アレスもすぐにそれを伝えることをせず、まずはお互いのことを知っていくことを優先したのだった。
半年という期間で、2人の距離がどこまで縮むのかはお互いの努力次第ということになった。




