女神の祝福の先
「女神様。どうか我々の過ちをお許しください」
数人の男女が跪いて天を仰いでいる。両手を固く握りしめて必死に訴えていることは、自分たちの過ちを許してほしいと願うこと。
その光景を見ていたアイシャは息苦しさを感じていた。
「我々は女神さまの意思に背くことをしました。女神の代理人様が目を覚ますことを切に願います」
観劇というのはこんなに感情を揺り動かされるものだっただろうか。アイシャはそれ以上見ていることができなくなり、口元を押さえて下を向いた。胸の奥が気持ち悪い。
「アイシャ」
そっと声を掛けられて視線を向けると焦ったような顔をしてアイシャを見ているアレスがいた。
その隣に声を出さなくても心配しているロイナーが見える。
急な体調の悪化に2人はすぐに気が付いてくれた。
「ここを出よう」
小さな声でアレスが言ってきてアイシャの肩に手を回すと寄りかからせて立ち上がった。
気分が悪くてしょうがなかった。我慢していると目に涙も溜まっていく。
アイシャたちは貴族専用のボックス席にいたため、周囲の観客より高い位置にいた。そのためアイシャたちが席を立ったことに誰も気が付くことなく劇に集中してくれている。
ただの劇を見に来ただけだった。どんな内容なのか知らなかったとはいえ、こんなことになるとはアイシャも考えていなかった。
その劇は、女神の祝福を受け代理人になった少女が、城の中で虐められるという内容だった。少女は貴族の中でも地位の低い男爵家の生まれだった。貧乏貴族だったこともあり、貴族でありながら平民のような生活をしていたが、女神の代理人に選ばれたことで城に招かれることになった。王太子の婚約者となり幸せに暮らしていくのだと思っていたら、爵位が低いことで周囲が冷たい態度をとってきた。
めげることなく前向きに王太子の婚約者として妃教育を受け、代理人としての仕事をこなしていたのだが、誰もそれを認めようとせず、心がすり減った少女はやがて女神に代理人としての役目を放棄したいと願うようになり、祝福を拒絶してしまった。
その内容を見ていて、アイシャはまるで自分がそうだったのではないかと思えるようになった。少女を自分と重ねてしまうと、眩暈を覚えて気分が悪くなってきた。
女神は少女の願いを聞き入れると、国への祝福をやめてしまい、少女を眠らせてしまったのだ。
すると国は荒れ始め、女神の代理人がどれほど重要な存在であったのかを人々は再確認することになった。
自分たちの過ちを理解して許しを請う光景を見た時に、アイシャは限界を迎えたのだ。
これは劇なのに、現実ではないと思いつつ、世の中の状況を反映したものを劇としていることを考えてしまうと、現実に近いのだと思った。
何も覚えていないアイシャにとっては劇が現実に見えてしまった。
アイシャを女神の代理人として認めていない人間がいたという話を聞いた。同じことが起こっていたのだとしたら、アイシャが眠った理由もすべてを拒否してしまったことも劇と同じ理由だったのではないかと思えたのだ。
足元がふらつく中アレスに支えられて外に出たアイシャは、大きく息を吸い込んで空を見上げた。
ずっと我慢していた涙が頬を伝って零れる。
吐き気はなかったが息苦しくて仕方がなかった。ようやく解放された気分で空を見ると、晴れ渡る青空が広がっていた。
「落ち着いたか?」
アレスの声に返事をすることなく頷く。
「何か飲み物を用意させる」
ロイナーはすぐにその場を離れてしまった。
「すまなかった」
近くに座る場所がなかったので馬車まで何とか移動して中で休むことになった。
馬車に乗り込むとどっと疲れが出たのか倒れそうになる。だが、それを横に座ったアレスが支えてくれた。それと同時に彼が謝罪の言葉を漏らした。
「劇の内容を把握しておくべきだった。気分が悪くなるとは思ってなかった」
普通に見ているだけなら最後まで見ていられる劇ではあったのだろう。だが、アイシャは劇に出てくる女神の代理人と自分を重ねてしまった。記憶はなくても話で辛い生活をしていたことを知っている。劇のように誰も助けてくれなくて1人で我慢していたのかもしれない。そう思うと体が拒絶するように反応してしまったのだ。
「私は大丈夫です。少し休めば落ち着きますから」
そう言ってみたものの、先ほどの劇で誰も助けてくれなかったことを思い出す。あれが現実にも起こっていたとしたら、今アイシャの隣にいてくれるアレスも助けてくれなかった1人になる。今は優しい態度を示しているが、3年前も同じとは限らなかった。そう考えてしまうと寄りかかっていることがいけないことのように思えてきた。
まだ気分はよくないがアイシャは意識的にアレスから離れた。
「つらいなら横になっていた方がいい」
もたれ掛かるよりも横になりたいのだろうと勘違いしたアレスが立ち上がった。少しでもアイシャを楽にしてあげたいということが伝わってきて、頼ってはいけないと考えたのに、その決意がすぐに揺らいでしまう。いったい彼はアイシャにとってどういう立ち位置なのだろう。
もう頭の中がぐちゃぐちゃになってしまっていた。
「・・・殿下」
口元を押さえてアイシャは涙を堪えながらアレスを見た。
「無理をしないほうがいい。話なら後で聞くし、何か欲しい物があるなら用意させるから」
どこまでも心配するアレスだが、アイシャが欲しい答えではない。
「私の過去を教えてください」
何も知らずに少しずつ物事を覚えていくか、きっかけをつかんで思い出すしか選択肢がないのがつらいと思えた。観劇で気分が悪くなるのなら、いっそのことすべてを話してほしかった。
「アイシャ?」
「私は劇のように王城で独りぼっちだったのでしょう。どうしてそうだったのか、どんな生活だったのか、何も教えてもらえないより、記憶がなくても知っていた方がきっといいはずです」
聞かされる話が真実かどうかはアイシャが思い出せばわかることだ。それよりも先に、何が起こってどんな生活をしていたのか、なぜアイシャは眠りにつく選択をしたのか、ちゃんと知っておくべきだと思ったのだ。
「それは・・・」
「私には知る権利がありますよね」
アイシャのためを思って辛いことを話さないでいてくれたが、疑問だけがアイシャの中に膨らみつつあった。それを解消しなければ、別の意味で苦しむことになりそうだ。
「王族は女神の代理人を保護する立場のはずです。それなのに、どうして私が王城で蔑まれていたのか、王族の人たちは私を助けてくれなかったのでしょう。それがどうしてなのか、ちゃんと知っておきたいです」
ずっと言えなかった疑問をアイシャは口にした。アレスの優しさは一緒にいて感じ取れる、だけど、疑問が邪魔をして素直に受け入れることができていなかった。彼は3年前にアイシャを助けてくれなかった。
「・・・・・わかった。ちゃんと話をしよう」
葛藤があったのかすぐに返事をしなかったアレスだが、最終的には話をすることを決めてくれた。
「だが、まずは屋敷に戻って休んだ方がいい。体調が回復したら話をしよう」
そう言ってアイシャを横にさせた。
「ロイナーが戻ってきたら屋敷に戻る。それまで休んでいなさい」
優しい言葉に聞こえたが、どこか悲しそうに聞こえたのはアイシャの気のせいかもしれない。
とりあえず今は休むことにしたアイシャはそのまま目を閉じて、ロイナーが戻ってくるのを待つことになった。




