第九話 電子の海
夜になると、画面は静かになる。
七村は自室で、机の上の端末を見つめていた。電源は入っている。けれど、何かを操作するつもりはなかった。明るさだけを落とした画面が、部屋の暗さを曖昧にしている。
そこに映っているのは、ただの待機画面だ。
それでも七村は、画面の向こう側を考えてしまう。
奥行きのない世界。
深さを測れない場所。
同じものが、形を変えずに流れていく。
写真。
名前。
日付。
更新された記録。
誰かが見ている限り、そこに留まり続ける。
見られなくなった瞬間に、沈んでいく。
七村は、それを海のようだと思った。
波は立たない。
音もない。
ただ、情報だけが重なっていく。
浮かんでいるものほど、軽くはない。
重たいまま、沈まずに残り続ける。
——あそこにいるのは、もう、人ではない。
七村は視線を逸らし、窓の外を見る。
夜の校舎が、遠くに見えた。灯りは等間隔で、どれも同じ明るさだ。
前の席に座っていた北藪を思い出す。
長い前髪。
伏せられた目元。
写真の中で、前を向いている姿。
記録の中では、彼女はいつも整っている。
揺れも、迷いも、残されていない。
だからこそ、残り続ける。
七村は、旧棟の窓際を思い浮かべる。
外を見ていた横顔。
抑えられた咳の音。
そこには、何も残らない。
写真も、ログも、名前さえも。
記録に触れなかった存在は、
最初から海に入らない。
——電子の海へ行ったのは、妹の方だ。
その考えが、自然に浮かんだ。
行った、というより、
取り込まれた、のかもしれない。
見られ続け、
残され続け、
更新され続ける。
それは、選ばれたことではない。
ただ、そうなる条件を満たしていただけだ。
七村は、端末の電源を落とした。
画面が暗くなり、部屋は完全な夜になる。
静かだった。
記録されない時間が、確かにここにある。
七村は、その静けさの中で思う。
もし、あの海に触れ続ければ、
いつか、自分もそこに引き込まれるだろう。
だから、見ない。
辿らない。
記録しない。
それは、誰かを忘れるためではない。
忘れないために、
外側に立つという選択だった。
七村は灯りを消し、布団に入る。
目を閉じると、波のない海が遠くに広がる。
けれど、そこへ行く道は選ばない。
記録の外側には、
まだ、息のできる場所があると知っていたからだ。




