第二話 空いた席
翌日も、学校は何事もなかったように始まった。
朝のホームルームで点呼が取られ、窓の外では部活の声がする。
北藪夏乃の名前だけが呼ばれないことを、誰も指摘しなかった。
七村の前の席は、空いたままだ。
机と椅子は整えられていて、そこに人がいなかったことだけが、かえって目につく。
七村はノートを開きながら、無意識に前を見る癖を抑えようとした。
隣の席で、紙が擦れる音がした。
視線を向けるほどの音ではない。
黒板を書く合間。
教科書をめくるとき。
そこにあったはずの、長い前髪の影を探してしまう。
担任は必要以上のことを話さなかった。
「北藪の席は、しばらくこのままにします」
それだけ言って、授業を始めた。
昼休み、何人かが前の席をちらりと見て、すぐに目を逸らした。
話題は別のことに移っていく。
七村は、混ざらなかった。
知っていると言えるほどのことは、何もなかった。
放課後、教室に残っているのは、七村ともう一人だけだった。
隣の席のノートは、まだ開かれている。
前の席に目を向けると、椅子の脚に、一本の黒い髪が絡まっていた。
七村は、しばらくそれを見つめていた。
指先でつまみ上げると、軽くて、頼りない。
捨てる理由も、しまう理由もなく、
結局、元の場所に戻した。
何もしていないのと、同じだった。
教室を出る前に、もう一度だけ前を見る。
空いた席は、空いたままだ。
——当たり前だ。
北藪夏乃は、死んだと告げられたのだから。
それでも七村は、電気を消す瞬間、
前の席から声をかけられる気がして、ほんの一瞬だけ立ち止まった。
もちろん、何も起きなかった。
「……ねえ」
背後から、小さな声がした。
七村は、振り返らなかった。
背後で、椅子が引かれる音がした。
それが誰のものかを、確かめる必要はなかった。
校舎を出ると、夕日が窓を赤く染めている。
七村は旧棟の方角を見ないようにして、校門へ向かった。
空いた席は、明日も空いたままだろう。
そう思ったのに、
胸の奥にだけ、まだ終わっていないという感覚が残っていた。




