1話
―いいか、お前は、繰り上げで聖女になったのだから。
それは、神官長の口癖だった。
私、リアナは聖女の器ではなかった。
本来なら、別の少女――アリア・ホーキンス伯爵令嬢がなるはずだったのだ。
アリア様は、歴代随一の聖なる力を持ち、この国の大いなる光になることを期待された。
対する私はというと、今代ではアリア様の次……つまり二番手に聖なる力が多いものの、アリア様の膨大な量に比べれば、塵みたいなものだった。
さて。
そんな私がアリア様を差し置いて、なぜ、聖女になったのかというと。
端的に言う。
――繰り上げだ。
アリア様のその膨大な聖なる力が使えなくなってしまったから。
だから、二位――といっても一位とは大差をつけられている――の私が、繰り上げで聖女になった。
聖なる力は、純潔の乙女しか使えない。
あろうことか、アリア様は、任期前に純潔を失った。
しかも、私の元婚約者の第二王子の手によって。
そう――私の、といった。
第二王子は私の婚約者であった。
では、そんな彼がなぜ、アリア様に手を出したのか。
単純に、どタイプだったからだった。
第二王子は、もともと平民の私……聖なる力の多さだけで、第二聖女候補までのし上がった私が好みではなかった。
実際、何度も下賤な血とも言われた。
対して、アリア様は、高位貴族たる伯爵家のご出身で間違いなく高貴な血が流れている。
その身分に加え、圧倒的な美しさを持っていた。
神殿に聖女候補として、所属する少女たちは、社交デビューを行わない。
だから、その美貌も知る人ぞ知る……だったわけだけど。
第二王子との婚約は、アリア様が次期聖女として内定し、用済みになった私を使い、神殿と王家との結びつきを強めるために結ばれたものだ。
顔合わせの際、下賤な血のお前を愛することはないが、とか、俺はもっと豊満なほうが好みだ、とかなんとか、言われたような気もするが、これはただの政略結婚だ。
そんなこと、当たり前なのだ。
いちいち確認するなんて、面倒……いや、まめな方だなぁ、なんて、思いながらも、適度に相槌を打った。
顔合わせ後も何度か私と第二王子の面談の席は設けられた。
その、ある面談の日のことである。
「ねぇ、リアナ」
「なんでしょう、アリア様」
うるうると瞳を潤ませながら、アリア様は、私を見つめた。
こういうときは十中八九、――いや十中十か?――私にとっての面倒事をいうときだった。
「わたくしも、王子様にあってみたいわ」
聖女は、純潔を求められる。
つまり、任期明けまで、恋愛や婚約などもってのほか。
異性との接触というものが断絶された神殿――神官に男性としての機能はない――で、王子様という一見キラキラした肩書に、彼女が憧れるのも頷けた。
まぁ、その肩書をとっぱらった中身は……言わずもがな、なのだけど。
「……わかりました」
私は、彼女の言葉に頷いた。
「神官長に聞いてみます」
何かあったら、上司に報告連絡相談。
縦社会で生き抜くための、基礎的なルールである。
「待って、その必要はないわ」
アリア様は、にっこりと微笑んだ。
「許可はもらっているから」
どれだけ、根回しが良いのか。
そもそも、上司の許可があるなら私に聞く必要はあったのか?
手際の良さに舌を巻きつつ、私は考えた。
確か、あの王子、豊満なのがタイプとかいってなかっただろうか。
ちらり、とアリア様を見る。
圧倒的美……そして、豊かである。どこが、とは私と比較して悲しくなるので言及しないけど。
まぁ、さすがに、大丈夫だろう。
王子ともなれば、元平民の私が言うべきことはない。
政略結婚のメリット、それに付随する責任の重さぐらい、ご存じだろう。当然。
……なーんてね、なーんて思っていた時期もありました。
今となればお笑い草だけど。
さて、私とアリア様は、共に第二王子の待つ、応接室へと向かった。
「失礼いたします」
入室し、私たちが顔をあげたその瞬間の顔。
今でも、鮮明に覚えている。
「!!!」
第二王子の視線は、まず、アリア様の顔に釘付けだった。
まぁ、そうでしょう。
とんでもなく美しいし。
そして、その次。
アリア様の豊かな部分から、目を離さなかった。
豊満なのが好みって、言ってたものね。
「……マルク殿下?」
私の声掛けにも無反応。
じーっと、アリア様を見つめている。
さすがに王子様といえど、女性を長時間凝視するのはどうだろうか。
そして、瞬きもしていないから、目が血走っていて、怖い!
「……まぁ、マルク殿下とおっしゃるのね」
アリア様の鈴の音のような言葉に、ようやくマルク殿下は瞬きをした。
ドライアイにならずに良かったですね。
瞬きにより潤ったマルク殿下の瞳は、柔らかく細められ、アリア様を見つめ返した。
「美しく可憐な鈴蘭の妖精のような、あなた。お名前をうかがっても?」
すごい!! 寒いセリフだが、王子がいうと様になる。
嘘、少し部屋の温度が下がった気がする。
「……アリア、と申します。マルク殿下」
薄く桃色に頬を染め、恥ずかしそうに目線を下げて、はにかんだアリア様。
「――!」
ぱんぱかぱーん。
なんというか、私の頭の中を、運命の女神のメロディが駆け巡った。
これは、落ちたな、と。
まぁ、そんなこんなで、初対面で一目惚れをしたマルク殿下とアリア様。
二人は、こっそりと――私にはバレバレだったが――逢瀬を重ねた。
逢瀬は、私との面談という名目で行われた。
つまり、マルク王子は、私を訪ねてきた後、帰るふりをして、アリア様と会っていたのだ。
別に、それはいい。
それは、良かった。
元より愛などない政略結婚。
結婚前の火遊びなど、よくあることだし、なんなら結婚後の火遊び、愛人、なんでもあると先輩聖女候補から聞いていた。
貴族とは、そういうものだと。
だけど――。
「……え?」
神妙な面持ちで、神官長は話を切り出した。
「リアナ、繰り上げでお前を聖女にする、と」
一瞬、世界から音が消えた。
先ほどまで聞こえていた、小鳥の囀りも、木々の葉が風で当たる音も聞こえなくなる。
ただ、静寂が支配していた。
「……本気、ですか?」
乾いた喉で、やっと声になったのは、そんな言葉だった。
だって、聖女はアリア様が。
アリア様がいたから私は一番になれなくて。
でも、圧倒的な力の前には、才能の前には、下剋上なんて言葉も浮かばないほど、差があった。
それなのに、なぜ。
「アリアが、聖なる力を失った」
私の疑問が伝わったのか、神官長は、そういった。
「失った……」
聖なる力を失う条件は、たった二つ。
信心を捨てること、これは神殿で教育された以上、あり得ない。
だったら、残るはただ一つ。
「純潔の喪失……」
まさか、でも。
でも、それ以外。
違っていたらいい、と思った。
だって、二人の逢瀬に鈍い私が気づいている、ということは、神殿側も気づいているということだ。
なのに黙認しているのは、神殿側も考えのあってのことだと。
そう信じていた。
「……そうだ」
重々しく頷いた神官長は、呆然と立ち尽くす私の前まで歩いてきた。
そして、ぽん、と肩を叩く。
「よかったな。繰上げだが、リアナ、お前が聖女だ」
◇
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