じろさん中野區長に推さる
〈はだれとて殘さぬに何名殘り哉 涙次〉
皆さん、【魔】、と云ふと、邪惡なものと決めてかゝつてやしませんか?
今回はそれに眞つ向から衝突するお話を一席-
【ⅰ】
いつもにこやかなじろさんにも、ご機嫌斜めな時がある。
さう云ふときは、じろさん自分で気付いて、コップに牛乳と100%葡萄ジュースを50/50の割合ひでブレンドしたものを一杯飲む。すると大體機嫌は直る。
さう、じろさんは武道で鍛錬した、無慾さが備はつてゐる。が、それも澄江さんと云ふ「クッション」があつての事だ。
だから、と云つては何だが、澄江さんは冷藏庫にいつも、新鮮な牛乳と葡萄ジュースのパックを、忘れずに入れて置く。
【ⅱ】
さて、讀者諸兄姉は、怪盗もぐら國王が、魔界の一丁目に向けて掘つた、「思念」上のトンネル、と云ふものをご記憶だらう。
「あれ、埋めちやはないとヤバいかな」と、カンテラ、外殻(=カンテラ)の中に籠もりつゝ、考へてゐる。そうぢやないと、こちらから行くにも便利だが、魔界から【魔】が出て來るにも便利な筈だ。
だが、【魔】たちには、「思念」などゝ云ふ洒落たものは、縁遠いだらう(よほど人間に近い【魔】ではない限り)。テオなら、「兄貴それビンゴですよ」と云ふだらうな... うーむ、眠い。
つらつら考へてはゐるが、思考がなかなか纏まらない。さうかうしてゐる内に、カンテラ不覺にも、眠りに落ちてしまつた。
【ⅲ】
こゝで話は急轉回する- 楳ノ谷汀が杵塚に云ふに、「お宅の此井先生を中野區長に、と云ふ聲があるんですつてね。さうなれば、中野區全體が、カンテラ天國ぢやないの。面白いわ」杵「え、それ本当!? 誰がじろさんを担がうつてんだ!?」-じろさんは確かノンポリ。杵塚の知る限りでは。楳「平凡つて、冗談みたいな名前の區議會議員がゐるでせう? 彼が中心になつて、画策してゐるつて専らの噂よ」
平凡。人間に近い、云はゞ「思念」と云ふものを持つた、その實魔界の住人。彼は國王のトンネルを自在に行き來して、魔界に帰つては「【魔】のエネルギー」を吸ひ、また人間界に現れる、と云ふ、カンテラの所謂「洒落た」事が可能な者なのである。
平凡、と云ふ名に、杵塚は眉を顰めた。
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〈平凡が人を代弁する時に一體人の魔何処へか行かん 平手みき〉
【ⅳ】
彼は、全くと云つていゝくらゐ、出過ぎた處のない、パーフェクトな無慾さを誇る(?)【魔】、なのである。人間なら、あり余る程の慾心や、あり余る程の「惡徳」を抱へてゐて当然だ。牧野を見れば、分かるではないか。さう云ふ「慾目」を全然持たない、と云つた部分が、彼の【魔】たる處以なのだ。もしかしたら、人と【魔】のハーフなのかも知れない。彼の狙ひ目は、カンテラ一味の弱體化にあつた。
【ⅴ】
澄江さんには悩みが一つあつた。じろさんの事である。
カンテラさんはいゝとしても- と彼女は思ふのである。うちのは生身の人間だわ。あんな危ない橋を渡るやうな事、さうさう續けられるものぢやない。老い先だつてさう長くはないのだし...
こゝに、平の付け入る隙があつた。澄江さんに接触し、盛んに區長選の見込み(此井先生なら、その知名度と云ひ、出馬すれば即、当確間違ひなしですよ! とか)を吹き込む。
だうしやう。悦美に相談したら、叛對するに決まつている。あのコは、一味の喧嘩番長たる、功二郎さんに半ば憧れて、一味に參加してゐるのだわ。今どき、父親に憧憬の念をその娘が持てるだなんて、美談なんだらうけど...
悩みに悩んで、澄江さんつひに寢ついてしまつた。
【ⅵ】
平、その善人面が、迫つてくる- まあ押し付けがましい「善」は、過剰な惡徳に通ずる、と云ふ事の証左だ。第一、じろさんがゐない一味などは、考へられない。カンテラは、糞(失敬)忌々しい奴め、さう思ひ、例の「思念」上のトンネルを見張るやうに、テオに命じた。
テオが優秀なテレパスである事は、こゝで大事なポイントである。かう云つた「思念」上の「綱渡り」は、得意中の得意なのだ。
で、その網に、平は引つ掛かつた。彼が魔界-人間界を往來してゐる處を、テオは察知、すぐさまカンテラに報告した。「もう斬るしかないですよ、兄貴! 一味の存續がかゝつてるんスから!」
平は氣の早い事に、じろさんに無断で「此井功二郎連絡事務所」なるオフィスを、と或るマンションの一角に借り受けてゐた。その準備に追はれてゐる最中、「ご免よ」、とふらりカンテラの訪問があつた。「あ、これはカンテラさん。だうもだうも」飽くまで人当たりの良い、平である。
「あんたに話があつて、來た」「なんでせうか?」「まあ、かう云ふ事だ」カンテラすらりと拔刀した。
「そ、それは...」「四の五の云はず魔界へ帰れ。さうすれば命ばかりは保証してやる」
無念の内に、平、魔界に永遠に幽閉される事となつた。トンネルを、もぐら國王が、埋めてしまつたのだ。
【ⅶ】
で、この一連のお話を、一體誰がカネ払つて「仕事」化したかつて?
勿論、面白おかしく話を脚色して報道した、楳ノ谷處属のテレビ局が、金一封を送つてきた譯...
そんな一件。じろさんは、モチ、今でも現役ばりばりで、【魔】と対峙する職務を遂行してゐる。澄江さん半泣きで、「ぐすん。これで良かつたつて事なのね」。やんちやな亭主を持つた奥サン族の、これはまあ、愛する者ならではの苦勞噺ですよね!
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〈春闌けて横丁に馨る味噌汁よ 涙次〉
お仕舞ひ。カンテラ、續きます(笑)。