消せない過去
新設された怪獣特殊処理班は、衛生環境庁に組み込まれた。理由としては、ここは地球防衛省傘下であり、怪獣の死骸解体の業務を負う怪獣基礎処理班がいたからである。
「まさか貴方が班長とは驚きましたよ」
衛生環境庁29階にある処理科オフィスの応接室で、有坂の向かいに座る男は言った。それに有坂は答える。
「僕自身、驚いていますよ。でも、この役を受けると決めたのは僕です。早くこの職に慣れないといけない」
「ははは、そういう所は私も見習わないといけませんな。これからはより業務も複雑になる」
「それでも、前川班長がいて良かった。怪獣の骨格まで解体できるのは世界で貴方だけだ」
有坂の言葉に、前川は照れくさそうにお茶を啜った。
「そんな大した人間じゃありませんよ、俺は。元はビルの解体が仕事ですし」
「そのノウハウが生かされているんでしょう。それに多分出羽長官たちは、そういった人材をここに集めている」
「有坂さんの部下もそうだと?」
有坂はその問いに少し考え込む。
「そうだと思っていますが……やはり現場に行ってみなければ分かりませんね」
有坂の答えに、前川は人の良さそうな笑みを浮かべる。
「それもそうですね。では、3ヶ月後の解体処理から?」
「はい。それまでに班を使えるレベルまで育てます」
「今度は班長として、ですか」
「はい」
前川の問いに、有坂は澱みなく答えた。有坂にはすでに、軍人らしい覚悟ができ始めていた。
怪獣特殊処理班のオフィスは処理科フロアの端であった。
「パーテーションかと思ったら、その何倍も厳重だな……」
部屋の様子を見て道尾は若干戸惑い気味にそう呟く。
「まるで監獄ですねえ」
立川も壁を触りながら同意する。それもそのはずで、オフィスは厚い防音壁と扉によって区切られていたのだ。その中に応接室を中心として、デスクとロッカールームが配置されている。
「今日からここが仕事場だ。確かに少し窮屈だが、業務に支障はでないだろう」
有坂は扉の前でそう言う。
「あの、すみません……」
その時、ロッカールームから村上が顔を覗かせながら有坂に言った。
「なんだ?村上」
「その、トイレが無いんですが……」
「あのなあ」
そこに、司馬が我慢できないという風に割り込んでくる。
「ここはただのワークスペースなんだよ。トイレなら喫煙室の隣にあるだろ」
「でも、一々あの扉を出入りするのは不便じゃないですか…?」
「だからって……」
「村上、司馬。そこまでにしろ」
有坂の言葉に司馬が反応する。
「ですが班長!村上はさっきから、取るに足らない無意味な質問しかしない。時間の浪費だ。そもそも一般人なんかと……」
「時間を浪費しているのはお前だ、司馬。どんな質問でも意味はある。こと集団行動において、個々人の疑問の解消は最重要だ。防衛大でもそう習っただろう」
「それは……」
司馬は返答に詰まる。そして、
「俺の過失です。申し訳ありません……」
司馬は有坂に頭を下げた。
(なんだ、案外素直じゃないか)
「分かれば良い。それに、お前の意見が全く間違っているとも思っていない。村上」
「は、はい」
「分からない事をそのままにしないのは良い事だ。だが、我々はチームだ。お前一人だけに時間は割けない。分かるな?」
「……はい」
「よし。ではもう時間だ。昼休憩にしよう」
その後、有坂は1人喫煙室にいた。
「………」
有坂は最近切り替えた電子タバコをふかしながら考える。
(まだ初日だ。特に重大な問題はない。道尾は最年長で余裕がある。立川も飄々としているが、以前から勝手な行動はしなかった。だが、司馬と村上。この2人は少し慣れるのに時間がかかりそうだ。性格からして噛み合わせが悪いし、何より2人とも若い。司馬は25で、村上にいたっては21だ)
そして、
「俺も、まだまだ馴染まないな……」
(さっきは少し動揺してしまった。俺の部隊であんな些細な口論なんて、一度もなかったから)
有坂はタバコの煙とともにため息を吐いた。と、その時喫煙室のドアが開いた。入ってきたのは立川だった。
「おっと、有坂班長でしたか。タバコ吸われるんですね」
立川は意外そうに言う。
「まあな。立川は電子か?」
「紙ですよ。吸います?」
立川はポケットから紙タバコを取り出す。
「いや、いい。医者に止められてる」
「真面目ですね」
立川はそう言いながらタバコの火をつける。そして一服すると言った。
「……さっきは大変でしたねえ。あの2人の相性はかなり悪い」
「それを俺がなんとかするんだよ」
「さすがです。ところで班長、履歴書はお読みになりましたか?」
不意に立川はそう質問してきた。
「全員分読んだが、それがどうした?」
「では司馬君の履歴はご存知ですね?」
「ああ。確か防衛大を主席で卒業した後、陸自のレンジャー部隊に配属されたとか」
「その後は?」
「つい最近自衛隊を除隊して、今までフリーだ」
立川はそれに頷くと、続けて尋ねた。
「では有坂班長、この履歴におかしな点はありませんか?」
(立川は何を言わんとしているんだ……)
「そうだな……自衛隊を除隊した後、フリーの期間がある。つまり特殊処理班の班員に指名される前に自衛隊を除隊しているな」
「その通り。では、ここからは僕の独自に聞いた情報なんですが、どうも司馬君は自衛隊を除隊したのではなく、除隊させられたらしいんです」
「……何?」
その頃、司馬は自分のデスクで手作りの弁当を食べながら、先ほどの事を思い出していた。
『こと集団行動において、個々人の疑問の解消は最重要だ』
「集団行動……」
その言葉を、何度聞いた事か。
(そんなの、言われなくても分かってる。ただ、なんで俺が、それに合わせなきゃいけないんだ。俺の方が班長より優れてる。俺は特殊作戦群にもスカウトされたんだ)
『こんな時もお前は、1人でなんとかなると思ってるのか?』
司馬は弁当を食べる手を止めた。忘れようと努めていた記憶が、唐突に溢れてくる。
『せめてもの情けだ。お前から辞めさせてやる』
かつての上官は、軽蔑したような目で俺を見ていた。かつて、俺がしていた目だ。
『司馬、信じてるぞ』
司馬はふーと息を吐いてデスクに肘をつく。
(誰も俺を許してない。俺はもう戻れない)
そして司馬は食べかけの弁当の蓋を閉じる。その時だった。
「あの、司馬さん」
「おわっ!」
司馬は思わず情けない声を出す。そして後ろを振り向くと、申し訳なさそうな顔をした村上がいた。
「お、お前……真後ろから声かけるなよ!」
(変な声を出してしまった!)
司馬は耳を赤らめながら言う。
「すいません。でも、謝りたくて」
「謝る?何を」
「私が変なこと聞いちゃったから、司馬さんは怒ったんですよね?だから、すみません」
そう言って村上は深々と頭を下げた。
「ちょ、おい。そこまでしなくても良いって。俺も悪かったし……」
司馬の言葉に村上は頭を上げる。
「別に大したことじゃなかったんだよ。だからこの話は終わりだ」
司馬は村上の目を見てそう話す。
「……司馬さん、優しいんですね」
『お前、優しいな』
司馬は村上から目を背けると、デスクに向かう。
「優しくなんかない……」
司馬は呟く。
「え?」
「いいからもう俺に関わらないでくれ。邪魔だ」
司馬は冷たい口調でそう言い放った。
「司馬さん……」
「………」
司馬は無視する。やがて村上はデスクルームを出ていった。
(これでいいんだ)
司馬は思う。
(下手に心を開くから失敗する。だからこれでいい。仲間なんていらない)
だが、司馬の両手は何かに耐えるように固く握られていた。そして、道尾もまた、思うところありげにその様子を見つめるのだった。