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その9 春爛漫にうららかな



 村を出てから約一年半が過ぎ、二度目の春がやって来た。シャルルは田舎町の川岸を歩いていた。


 川の流れはゆったりとしており、土手にはスミレやアカツメクサが緑に混じって揺れている。甘い桃のような香りを漂わせているのはアーモンドの花だろうか。

 日差しが心地良い。どこか遠くの方でのどかに鳥が鳴いている。


 旅をするには良い季節だ。次はどこへ行こうかと考える。とはいえヴィザールは小国なので、もうほとんど回り切ってしまった。何とはなしに、今までの旅路を頭の中で振り返る。




 以前目立っていた飢えや病で死ぬ者は、最近では滅多に見かけなくなっていた。この一年半、作物の出来高に影響するほどの日照りが続くことも、激しい嵐が来ることもなかったためだろう。

 細かな(いさか)いごとは依然としてありはしたが、多くを望まなければ皆それなりに暮らしていける国になっていた。


 今、ほとんどの人々は支え合って慎ましやかな生活を送っている。それを見ていると、魔女狩りが頻繁に行われ、毎日のようにどこかで煙が立ち上っていた昔が夢の中のことだったように思えてくる。

 しかし、魔女狩りは確かに現実に起きたのだ。




 ふと、風に灰が巻き上げられていった光景を思い出した。あれからかなり広範囲に散らばったことだろう。


 あの少女には確かに不思議な力があった。明らかに魔法と呼んでも差し支えないものだったと思う。

 そしてその力で自分以外にも無実の罪で殺されようとしていた何人もの人々を救ったと聞く。もっとも、それを自分に話してくれた人は皆、口をそろえて「そんなことしたって罪滅ぼしにもなりやしない」などと言っていたが。


 まあ仕方がないことなのかもしれない。彼女の気高さは実際救われた者にしか分からないだろう。




 少しばかり突飛な考えが浮かんだ。もしかすると、彼女は灰になって散らばった後も何らかの魔法を使い、国と民を守り抜いたのかもしれない。いや、むしろそれが目的で故意に火刑になるように振る舞ったのではないか。

 そうでなければあの少女が捕らえられた理由に説明がつかない。あれほど強かったのだから、逃げるなんて容易かったはずだ。


 とはいえ、こんな奇抜な空想の本当のところを確かめるすべはない。仮に確かめられたとしても、誰も信じないか、知ることのないままだろう。




 シャルルはそこまで考えると、深くため息をついた。思いを馳せたところで彼女が生き返るわけではないし、過去の残酷な出来事が帳消しになるわけでもない。自分があのとき疑問を抱きつつも、何もできないままに数多の人々を死なせたという事実だって消えはしない。



 それらすべて、一生背負っていかなければならないことなのだ。



 そして魔女狩りはなくなったと言えど、人の心根はそう簡単に変わらない。最近ではこれまた人道を無視した奴隷貿易が流行っていると聞く。



 人間はきっと愚かな生き物なのだろう。自分も含めて。



 それは多分あの少女も分かっていたはずだ。分かっていてそれでもなお、人々を救おうと思ったのか。


「ラヴィーシア、君は——」

 そう呟いたとき、荷物に入れて持ち歩いていた緑の宝石が河原に転げ落ちた。慌てて拾おうと膝をつく。


 見当たらない。草むらを探っていたときだった。
















 懐かしい声がした。


「あら、あなた案外人使いが荒いのね。今度はどうしたの?」

「⋯⋯え」

 思わず顔を上げると、そこには以前のように微笑むラヴィーシアの姿があった。


 言葉が出なかった。都合の良い白昼夢か、はたまた亡霊か⋯⋯ひょっとすると幻だろうか。そう考えていると、目の前の人はまた口を開いた。


「そういえばわたし、死んだんじゃなかった?」

 今気付いたとでもいうような口振りだった。


 そう、彼女は確かに死んだはずだ。業火に焼かれて散り散りの灰になって——


「不思議なこともあるものね」

 本当に不思議だ。一体どういうことなんだろう。


「何か喋りなさいよ」

「ああ、ええと⋯⋯」

 呆然としたまま呟く。気の利いた言葉の一つでも口に出せれば良かったのだが、あいにく何も思い付かない。ラヴィーシアが首を傾げる。


「ここはどこだ、とか、あれからどうなったか、とか何かあるでしょう?」

 少し呆れたような、それでいて温かみを含んでいる口調。


「その、ごめん。何もできなくて」


 咄嗟に口をついて出た言葉はそれだった。目の前の少女はきょとんとした顔をする。意が伝わっていないようだったので慌てて言葉を補った。

「君が殺されたとき⋯⋯」


 しかしラヴィーシアは依然として不思議そうにしている。

「あら、そのこと?でもわたしは最初から焼いてもらうつもりだったし別に良いのに」

 言葉選びが何だかずれているなとシャルルは思った。


「まさかあなた、今までずっとそんなことを気に病んでたの?」

 そんなこと、と言いながらラヴィーシアの瞳孔が拡大した。ひどく驚いているようだ。

 シャルルは少しきまりが悪くなる。


「だって僕は前に助けてもらったわけで、なのに何の恩も返せないのは不誠実じゃないか」

 ぼそぼそと言い訳をするように呟いた。


「そもそもわたしがいなければ濡れ衣を着せられることもなかったのだから、恩なんて感じなくたって⋯⋯」

「君にとって誰かを救うことは当たり前なのかもしれないけど、僕一人くらい見殺しにしたって良かったはずだ」


 だが彼女はそうしなかった。


「だからきちんと恩義は覚えていたいし、できることなら代わりになるようなものを返したかった。だから、そうできなくてごめん」

 そう言われたラヴィーシアは目を丸くした。

「⋯⋯まあ、その気持ちだけは受け取っておくわ。ありがとう」

 彼女にしては珍しく気恥ずかしそうにしていた。そしてそれを誤魔化すかのように話題を変える。


「そういえば魔女狩りの方はどうなったの?」

「あれからまったく見ないよ」

「それは良かった」

 ラヴィーシアは笑った。それはいつものどこか冷静さを秘めたような表情ではなく、大輪の花が咲いたような、心底嬉しそうな笑顔だった。


 それを見ていて、彼女がいなくなってからずっとし続けていた突飛な空想が、少し現実味を帯びたような気がした。


「君は、もしかしてわざと——灰になることの方が目的で、火炙りになろうとした?それで魔女狩りもなくなって、みんなこうして平穏に暮らせるように⋯⋯」

 自分で言い始めておいて何だが、口に出すうちにだんだん自信がなくなってきて上手くまとまらなかった。

 しかし、少女の緑の瞳に悪戯っぽい色が宿ったのが分かった。


「内緒」

「そっか」

 シャルルもつられて顔をほころばせた。


「だけど多分、人はそんなに弱くない。わたしはただ終わりを早めただけ。ほっといたってきっといつかは終わってたわ」

「じゃあ君は、そのためだけに命まで賭けたの?」

 少し呆気にとられた。放置していてもいつかは終焉を迎えるようなもののために躊躇わず死ねたと言うのか。


「ある人に頼まれたからね。まあこうして生き返ったんだから良いじゃない」

 肩をすくめるラヴィーシア。


「その人はきっと今頃驚いてるでしょうけれど。そんなことをしろとは言わなかったし、思っていたのと違いすぎる結果になったものだから」

 それが誰なのか気になりはしたものの、尋ねるのも無粋なように思えたのでシャルルは黙っていた。




「そういえば、わたしが死んでからどれくらいになるの?」

「一年半かな⋯⋯その格好じゃまだ気付かれるかも」


「そうね」

 シャルルから短刀を借りると、ラヴィーシアは長い髪を左手で顔の横に束ね、躊躇なく切り払った。

 切り落とされた髪は地面に落ちる前に薄桃色の花びらのような形に変わり、風に乗ってはらはらと舞った。幾枚かは水面に落ち、そのままゆったりと流れていく。


「綺麗⋯⋯」

 シャルルは一瞬その光景に目を奪われたものの、すぐ我に返った。

「じゃなくて、それじゃ逆に目立つよ!」

 首を傾げるラヴィーシア。本人は気付いていないようだが、切り口に傾斜がつきすぎておかしな髪型になっている。


「君にも不得意なことってあるんだね」

「失礼ね、わたしを何だと思ってるの」

 口ではそう言いながらも、川面に反射する自分の姿を見て楽しそうに笑っている。


「じゃあもう少し失礼をして、と」

 ラヴィーシアの背後に回り、ふわふわとした髪を一つにまとめてから丁寧に刃を押し進めていく。

 今度は鮮やかな青色の花弁が舞った。と同時に、だんだんと黒かった髪から色が抜けていき、白に近くなっていく。


「えっ、どういう原理?というか切って大丈夫だった?」

 少々慌てるシャルル。

「多分大丈夫よ」

 ラヴィーシアは相変わらず悠々としている。


「焼かれてもこうして生き返るくらいだし、そんなにやわには作られてないと思うわ」

 作られた、という言い方があまり他では聞かないように思えて引っかかった。

「作られたって、神に?」

「いえ、わたしにとっては創造主だけれど、他の人にとってはただの人間よ」

「そうなんだね⋯⋯え、人間に作られた?」

 危うく聞き逃しそうになった。


「ええ。錬金術って知ってる?」

 存在自体は耳にしたことがあった。しかし、人間を生み出せるほどには進んでいないはずだ。もしそんなことができていれば、今頃は一躍脚光を浴びているだろう。


 シャルルの困惑を悟ったのか、ラヴィーシアは一言付け足した。

「まあ規格外な人だったからね」

 規格外で片付けて良いことなのだろうかと思いはしたものの、それなら彼女の不思議な力にも納得が行く。




 二人の間をやわらかな風が通り抜けていった。


「これからどうするんだい?」

「そうね、今までいた教会に帰る気はしないし⋯⋯まあ何とかするわ」


「実は今、旅の途中なんだけど——その、一緒に来ない?」


 意を決して発された言葉に、ラヴィーシアは目を見張り、少し躊躇ってから答えた。

「⋯⋯わたしと一緒にいたら、また厄介に巻き込まれると思う」

「大丈夫、僕はあれから逃げ足が速くなったから」

 その返しは半分冗談だったのだが、思ったような反応は返ってこなかった。


「それに、多分わたしは特定の誰かに肩入れするような真似はすべきじゃない」

「どうして?」

 この人、意外と食い下がってくるなとラヴィーシアは思った。

「そういう風に生まれついているから」

「でも君は、一度死んで生き返ったわけだ」

「そうね⋯⋯?」

「つまり生まれ変わったようなものだと思わない?」

 だから生まれつきという言葉では断りの文句にならないのだと言いたいのか。


 本音を言えば、さっきからずっとどうして良いのか分からなかった。


 こういう何の企みも隠されていなさそうな誘いを受けるのは初めてのことだったから。今まで自分に近付いてきた人は皆、何か目的があって話を持ちかけてきたもので、それが当然だったから。


「そうかもしれない、だけど⋯⋯」

「あ、もちろん嫌なら無理にとは言わないよ。君は一人でも十分やっていけるだろうし」


 さて、どうしたものか。


 一人を選んだとしても、一度世の中を見て回るつもりではあった。同行者が増えたからといってその予定が大きく変わることはないだろう。むしろこの人から一般的な目線を得られれば今後に役立てられるかもしれない。


 だが、何かがラヴィーシアに二の足を踏ませる。

 というか、一度死に、こうして生き返る前の自分であれば確実に断っていただろう。


 ——なのに、どうして。


 これが弱くなったということか。


 ああ、でも。


 死ぬ直前に見た幻のような記憶が脳裏によみがえってきた。あのとき思い出したあの人ならば、それも大切な感情だと言ってくれる気がした。




 そして今目の前にいる人は、ずっと待ってくれている。




 もう一人くらい、私情を挟みたくなるような人がいても別に構わないだろう。幸いそうするだけの力は生まれつき(あの人から)与えられている。




 そうしてラヴィーシアは逡巡を止め、今しがた差し出されたばかりのシャルルの手をとった。


「ご一緒させていただくわ」

 顔を傾け、にこりと笑う。波打った白い髪が光に透かされ、きらきらと輝いて見えた。


「これからよろしくね」

「こちらこそ」






 アーモンドの花びらがはらりはらりと舞っている中、二人はゆっくりと歩き出した。






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