その8 追悼、そして先へ
かつて自分を不条理からすくい上げてくれた少女が魔女として処刑される様子を遠巻きに見ていたシャルルは、しばし呆然と立ちすくんでいた。
興奮冷めやらぬままといった状態の人々がその場を後にするのを待ってから、処刑が行われていた場所へと駆け寄る。
自分を救ってくれた人を、自分は救えなかった。
だって、自分には彼女と違って力がない——いや、そんなのは聞き苦しい言い訳だ。そう試みることすらしなかったのだから。
周りに人がいないことを確認してから、ほとんど風に飛ばされて残っていない灰をかき集める。指先が黒く煤けるが、そんなことはどうでも良かった。
今は、せめて彼女をどこかに埋葬してやりたかった。
そのくらいなら神もお許しくださるだろう。
世の中のすべてがどこか遠くにあるような感覚を覚えながら、炭の混じった遺灰を集めていると、何か小さくて硬そうなものが転がっているのが見えた。
拾い上げてみる。小石よりは小さく、砂利にしては形が整えられているような何か。
煤けていてはそれが何なのか分からなかったので、服の裾で表面を拭う。中から現れたのは、きらりと光を反射する緑の石だった。
湖のように澄み渡った色にどこか既視感を抱かされる。
そう、これはちょうど、あの少女の瞳のような——
そのとき、視界の端に人影が見えた。
咄嗟に纏っている衣服の影に石と灰を隠し、立ち上がる。物陰に身を潜める余裕はなさそうだったので、少しでも不審がられないよう堂々としていることにした。
「教皇様⋯⋯」
近付いてきた人物は、声をかけられると心底意外そうに目をみはった。
「お前、シャルルか。こんなところで何をしている」
「教皇様こそ、わざわざこのような場所にお一人でいらっしゃるなんてどうなさいました?」
「⋯⋯少しばかり確かめたいことがあってな」
妙なことを、とシャルルは思った。処刑の様子は間近で見ていたではないか。今更何を確かめることがあると言うのだろう。
「何か変わったことはなかったか?」
「教皇様が気になさるようなことは、何も」
教皇は一旦頷いてみせはしたものの、探るような目をこちらに向けてきた。
「そうか。先程、焼け跡に座り込んで何かしているように見えたが——」
「魔女が」
勢い余って言葉が喉でつっかえた。不自然にならない程度に軽く息を吸い、言い直す。
「魔女が残らず灰になったことをこの目でしかと確認したく思って見ていました」
「ほう」
教皇は自ら処刑台の方へしゃがみ込むと、地面を眺めた。特段奇妙なものは見当たらなかったらしく、しばらくしてゆっくりと立ち上がる。
「⋯⋯お前、命拾いしたな」
「ええ、おかげさまで」
シャルルが笑みを浮かべる。それは以前の彼ではありえない表情だった。どういうわけか、今は亡き彼女を彷彿とさせるような——テオドールは少しだけ面食らったような顔をした。
しかしそれ以上言葉をかけることはせず、去って行った。
シャルルは安堵のため息をつく。再び焼け跡にかがみ込んで目を凝らしたが、もう大して拾えるものはなさそうだった。
手のひらに少しばかりの遺灰。ひどく無機質だ。あれほど凛として気高かった彼女の最期の姿がこれなのか。
見ているうちに、やり切れなさが濁流のようにせり上がってきた。
頭を振って沸き上がる感情を押し込む。自分に悲しむ資格はない。これまで幾人もの処刑されゆく人々を見殺しにしてきて、さらには恩のある人に対しても何もしてやれなかった自分などには。
布切れを懐から取り出すと、そこに遺灰を包んだ。緑の石の方は何となく手に持ったままでいた。
天からぽつりぽつりと雨粒が落ちてきて、地面に染みを描いた。これから本降りになれば煤も流され、今日行われた処刑の跡などたちどころにかき消えてしまうのだろう。
これからどうしたものか。しばらく滞在していた村に帰る気にはなれなかった。心地の良い場所ではあるが、だからこそ彼女亡き今、与えられた安寧の地に縋ろうとは厚かましい——そう思った。
ああでも最後に、遺灰をうずめるために立ち寄ろう。確かあそこが、彼女の生まれ故郷だと言っていたはずだ。
「シャルルさん行っちゃうのー?」
「どこ行くのー?」
荷物をまとめていると、瓜二つの顔をした少年と少女が尋ねてきた。村で世話になっている家族の子供たちだ。なるべく穏やかな表情を作り答える。
「ちょっと旅に出るんだ」
「「旅ー?」」
流石双子、見事な声の重なりだ。
「ああ⋯⋯各地を自分の目で見て回りたくてね」
「ふーん」
きょとんとした顔で小首をかしげる少女。続けて少年が言う。
「父様が、いつでも戻ってきて構わないって伝えてくれって言ってた」
「そうそう、恩がある人に頼まれたからって」
恩、という言葉に魔女を名乗り死んでいった少女の姿が重なる。
「そうか⋯⋯ありがとう」
「戻ってきたら、またなにか面白いお話してねー」「ねー」
双子は互いに顔を見合わせ、楽しそうにくすくすと笑う。
出戻る気などはなかったのだが、目の前の子供たちの様子を見て、まあいつかは戻ってきても良いかな、とほんの少しだけ思った。
村の外れには、黒々とした木々の茂る森が広がっていた。昼間でも少し暗いそこを不気味がって、住人はほとんど近寄らない。
だがここなら掘り返される心配はないだろう。少しでも木漏れ日の差し込む場所をと選び、遺灰を布に包んだまま埋めた。
静かに十字を切る。
せめて、これからは安らかに眠れますように——
祈り終えると、シャルルは村を後にした。