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その7 終幕には祝福を



 明くる日。集まった人々の真上に、教会の鐘が高らかに鳴り響いた。一回、二回、三回、四回⋯⋯十二回。正午を知らせるものだった。


 人にとっては厳かさを感じさせる音だが、動物にとってはそうでないようで、屋根の端を埋め尽くすように止まっていたカラスが一斉に飛び立った。

 少しの間、天は黒く染まっていた。


 やがて澄んだ青が取り戻される。晴れ渡った空には雲一つなかった。


 彼らが過ぎ去った後を見やると、遠くの方にはなだらかな緑の山脈が連なっている。ところどころ黄金色に輝いているのはカエデだろうか。

 日差しはまだ暖かいが、通り過ぎる風には少し肌寒さを覚えることが増えてきた。


 季節が今、移ろおうとしている。長く厳しかった夏がようやく終わるのだ。




 魔女はいつぞやのように、十字架に磔にされていた。


 以前と違い、袖口からのぞいた細い両の手首には釘が打たれている。傷口に滲んだ鮮血が、白い肌に一筋の線を描いていた。

 一度は逃げた彼女をより確実に捕らえておくための策なのだろうが、率直に言って痛々しい。しかし、ここにいるのはほとんどがその光景に愉悦を覚える者であった。


 おびただしい数の人々が処刑をひと目見ようと集まっていた。希代の悪である魔女が業火に焼かれ、苦しむ様子を見たいと。彼らの目に浮かんでいるのは憤り、憎悪、恨み、侮蔑——そして凄まじい敵意だった。




 やがて、時が満ちた。また教会の鐘が鳴る。今度は時刻を知らせるものとは違い、打ち鳴らされたのは短い音が三回のみであった。


 赤々と燃える炎に照らし出されてなお、魔女は凛とした佇まいでいた。今にも燃やされようというのに、いまだその瞳は燦然と輝いている。


 平常の色に火の色が重なって、血のように赤く染まった唇がゆっくりと開かれる。


「わたくしを殺すのですね。それもまた良いでしょう——ですが」

 邪さなど一分たりとも感じさせない、澄んだ声音。人々は一瞬気圧され、静まり返った。


「覚えておきなさい。あなた方はまた繰り返す」


 繰り返す?何を?長年にわたり、自分たちに災いを降りかからせていたのは他ならぬ魔女ではないか。魔女こそ諸悪の根源、目の前の彼女がいなくなりさえすれば、世は平和になるのだ。


「何を言う!悪魔め!」

「さっさと火をつけろ!」

「殺せ!」

「早く死んじまえ!」


 皆、口々に喚き立てる。




 十字架の下部に置かれた薪がぱちぱちと爆ぜたかと思うと、あっという間に炎が魔女を包み込んだ。


 人々の興奮が、熱狂が、最高潮に達する。











 ラヴィーシアは燃え盛る炎の中に一人、閉じ込められた。


 熱い。熱気で喉も肺もとうに爛れているだろう、上手く呼吸ができない。


 苦しい。熱い。


 これは自分で決めた道で、最後まで飄々としているつもりだった。それなのに、身体がひとりでに熱さから逃れようと動く。




 いくら身をよじろうと楽にはなれないのに。


 これに耐えなければ自分の目的は成就しないというのに。




 熱い。ひたすらに熱い。




 熱い、熱い熱い熱い痛い、痛い?



 これが、痛み?




 ああ、今までは如何に傷を負おうとすぐに治っていたから痛みを感じる必要がなかったのだった。

 けれど焼かれれば流石に死ぬ。だから未知のものだった痛みが初めて——違う。


『苦痛をね、減らしてあげないとと思って』


 誰だったか、優しく微笑みながらそう言ってくれた人がいたはずだ。だから自分は生来、滅多なことでは痛みを覚えないよう作られているのだと。


 なぜ今まで忘れていたのだろう。


『僕は君の親みたいなものだから』


 誰だ。思い出せない。記憶を手繰るたび、ただやわらかくてあたたかくて、ひどく切ない何かだけが残る。


 目の前の人たちとは大違いだ。ただ表面上の流れだけを鵜呑みにし、権力に逆らおうともせず、簡単に同調圧力に屈し、挙句こうして罵って嘲って歪に笑って——




 なぜ、こんな人々を守らなければならない?


 何のためにわたしは死にゆくのだろう。




 一度決意したことが揺らぐのを感じる。それはラヴィーシアにとって初めての経験だった。


 ——ああ、でも。そういえば自分はそのために生まれたのだったか。


『君は強いから、その力はみんなのために使ってほしいんだ』


 あの人は確かに人々を愛していた。ならば、心底どうしようもないこの世界にも、守り抜く価値がほんの少しはあるのかもしれない——




 だんだんと視界が薄れてゆく。


 あれほど耐え難いものだった熱さも感じられなくなって、炎が燃え盛る音からも、観衆の声からも、徐々に切り離されていく。


 意識が遠のき始めているのが分かった。


 最後の力を振り絞って祈る。当初の目的を果たすために。





 この世界に幸運を、そして祝福を——











 すべてを燃やし尽くした火が、今まさに消えようというときだった。


 一陣の風が吹いた。それは微かなものではあったが、すでに炭化しきっていたラヴィーシアの身体が崩れるきっかけとなるのには十分だった。


 灰が風に巻き上げられてくるくると旋回し、それから大空に広がって溶けてゆく。


 そのとき上空を見上げていた者がいれば、舞った灰が一瞬の煌めきを放ったことが分かっただろう。






 それは、時間にも場所にも制約されることのない、永遠の祝福。


 魔女ラヴィーシアがその身を賭してかけた最後の魔法の証。



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