11 初仕事です。
「そっちに行ったぞー」
草むらの向こうでとりがふこふこと手羽を振る。
「はいさー」
ねこが返事する。
「ねこくん、そっちしっかり持っててね」
私はねこにそう伝えると、ネットの端を持ったまま横に走った。ねこはネットの反対側の端を持ったまま「はーい」と答える。
広がったネットの中にぼすりと飛び込んできたのは、青色のぬめぬめとした生き物。
「とりさん、つかまったー」
「よしよし。いいぞー」
「これで五匹目だね」
短い手足をじたばたさせてもがく生き物を持ち上げて、水を張ったバケツに入れる。
「こんなものかな」
一つ目で青い鱗のこの生き物は、コヤーデルという名前で、見た目はちょっと気持ち悪いけどその肉はすごくおいしくて、レストランでは高級食材の一つとして珍重されている。
街外れの湿原の奥にいくつか巣があるらしく、こうやって草原に出てきたものを捕まえて持ち帰るのが今回の私の仕事だ。
魔法で大きめの生物の反応を確かめれば簡単だと思っていたんだけど、思ったよりも生き物の豊富な草原で、反応がいっぱい出て苦労してしまった。
それでも一日で五匹はなかなかの戦果だと思う。
幸い、魔物にも出くわさなかったしね。
「さ、帰るよー」
捕獲を手伝ってくれたとりとねこを呼び寄せる。
「ここもなかなかいいところだな。とり帝国はここに作るのも悪くない」
「いいアイディア!」
そんなことを言いながら戻ってきたふたりをローブの袖に入れて、私はバケツを持ち上げる。
う、重い。
大きなバケツに水が満杯。そこに五匹のコヤーデルが入ってるんだから、重くないわけがない。
「ちょっと魔法使うね」
私は口の中で呪文を呟いてから、右手で自分の左腕をそっと撫でた。
それからまたバケツを持ち上げる。
うん。軽い。
これなら街まで持って帰れる。
さくさくと草を踏んで歩く。
たまに鼻歌が出る。
久しぶりに心が軽い。
一匹20マグ、五匹で100マグ。
一日分の稼ぎとしては悪くない。
50マグの洗濯石が二個売れたのと同じだ。四日間一個も売れなかったのに。すごい。
朝からの作業だったけど、もう太陽はだいぶ傾いている。暗くなる前にギルドに戻ろう。
リサさんはいい人だけど、夜のギルドにはちょっと行きたくない。
昼ですらあんなに飲んでる人がいる場所で、夜にはどれだけの酔っ払いがいるのか。考えるだけでうんざりする。
「……あれ?」
街の方から誰かが来る。
こんな時間に、こんな何もないところに。
三人組。
全員、厳めしい大男だ。見たことのない人たち。
冒険者だったら、戦士系の重戦士って感じ。
三人は真っ直ぐ私の方に向かって歩いてくる。
「どうだい、お嬢ちゃん」
その中の一人が馴れ馴れしく声を掛けてきた。
「コヤーデル、捕まったかい」
それを知ってるってことは、やっぱり冒険者の人みたい。
「あ、はい」
私はバケツを揺らす。ちゃぽんちゃぽんと水が揺れた。
「結構捕まりました」
「そうかいそうかい」
男たちは顔を見合わせてにやにやと笑う。
「そりゃよかったなあ」
……あれ、これって、もしかして。
私の中で眠っていた軍人の感覚が、危険を告げる。
彼らには、害意がある。
「どれ、俺たちにも見せてくれよ」
そう言いながら近付いてくる。
私は足を止めた。
「ええと、どうして私がコヤーデルを獲りに来たことを知ってるんですか」
最初からそれを聞くべきだったんだよなあ。私ってほんとにとろいなあ。
「なあに」
と男の一人が答える。
「昨日、ちょうどギルドのカウンターの近くで飲んでたからよぅ」
「そうそう。それで、ソロじゃ大変だろうから手伝ってやろうと思って、こうやって来たんだよ」
「手伝うって、こんな時間にですか?」
もう日も傾いて、すっかり夕方になろうという時間。
本気で手伝ってくれるつもりがあれば、遅くとも昼前には来るんじゃないだろうか。
「昨日飲み過ぎたせいで、出発が遅れちまった」
にやにやと笑いながら、男の一人が言った。
「捕まえたんなら良かった。見せてくれよ」
いつの間にか男たちは私を囲むように立っていた。
私はバケツを地面に下ろした。
「いやです」
「ああ、これはだめだ」
男の一人が勝手にバケツを覗き込んで、顔をしかめた。
「これはコヤーデルじゃねえぞ。食ってもうまくねえオヤーデルの方だ」
「よく似てるんだよなあ、コヤーデルとオヤーデル」
リーダー格っぽい男がそう言って、にやりと笑った。
「それじゃあこいつは俺たちが捨ててきてやるよ」
そう言って、バケツの取っ手を掴む。
「だめ!」
思わずその腕を掴んでいた。太い。
「おや、お嬢ちゃん。積極的だねえ」
男はいやらしい笑みを浮かべる。
「今夜のお誘いかい」
「バケツを離して」
私が厳しい表情のままで言うと、男はバカにしたように笑った。
「女が一人でソロなんて、冒険者を甘く見過ぎなんだよ。これは勉強代だと思いな」
そう言うと、不意に笑顔を引っ込める。
「それとも、身体の方にも教えてほしいか」
その言葉に、他の二人がスケベそうな笑い声をあげる。
卑劣な人たちだ。
冒険者も玉石混合。中にはこういう人たちもいる。
「もう一度だけ言うわ」
私は男を睨みつけた。
「その手を離しなさい」
「そうだぞ」
ローブの袖から、とりとねこがふこりと顔を出した。
「卑劣という概念を人の形にしたような男よ。悪いことは言わないから尻尾を巻いて立ち去りなさい」
「うわまえはね男よ、今ならまだ間に合います」
ねこが祈りを捧げるように言う。
「悔い改めなさい」
「へっ」
男は笑った。
「きたねえガラクタを連れ歩きやがって。気持ちわりい」
「なんですって?」
「口の減らねえそのぼろきれどもと一緒に、まずは身の程ってもんを知りな」
男が私に腕を振り上げる。
「ぎゃああっ!?」
次の瞬間、情けない悲鳴をあげたのは男の方だった。
男の腕が、おかしな方向に曲がっている。
私は腕から手を離した。
重いバケツを持つために、自分に筋力強化の魔法をかけていた。その力を一気に解放したのだ。人間の腕の一本や二本、まとめてへし折ることくらい、造作もない。
男の手から落ちたバケツを、地面すれすれでキャッチする。
ふう、危ない危ない。
「てめえっ! 何しやがった!」
男の仲間が腰の剣に手を伸ばした。
それを見た瞬間、かちり、と頭の中でスイッチが切り替わった感覚があった。
処理なさい、フィリマ。
教官の厳しい声が聞こえた気がした。
考えるよりも速く、身体がその声に反応していた。
相手をぴしりと指差す。
「うあっ!?」
男が妙な声を上げた。
男の手が、握りしめた剣の柄ごと凍り付いていたからだ。
「お、俺の手が!?」
歯を食いしばって力を込めるが、もちろんそんなことで剣はびくともしない。
「動かねえ!」
泣きそうな顔で叫ぶ。
「こ、この野郎」
三人目の男が喚いたが、私は何もさせなかった。汚い喚き声は途中で途切れた。その首に鋭い氷の刃が突き付けられたからだ。
「そこから半歩でも私に近付いたら、頭ごと刈り取る」
私の警告に、男は息を呑んだ。ごくりと唾を飲んだ拍子に喉仏が上下して刃に触れ、わずかに血が滲んだ。
男はぴくりとも動けないまま、はあはあと荒い息を吐いた。
私は目だけ動かして、他の二人を確認する。
腕を折られた男も、剣の柄ごと手を凍らされた男も、もう戦意は残っていないようだ。
殺してはいけない。
私はもう軍人ではないのだから。
ただの魔法使いフィリマなのだから。
入ってしまったスイッチを、ゆっくりと戻す。
大丈夫。この程度なら、まだスイッチは自力で戻せる。
「三つ数えるうちに立ち去りなさい」
男たちの首を刈り取る代わりに、私は言った。
「ま、待ってくれ」
腕の折れた男が言った。
「これは誤解なんだ。俺たちゃ別に」
「ひとーつ」
私は構わずに数えだす。
「ふたーつ」
「ひ、ひいいっ!!」
男たちは先を争って走り出した。
「みーっつ!」
わざと大きな声でその背中に叫んでやると、また悲鳴を上げて、転がらんばかりに逃げていく。
三人の姿はたちまち小さくなり、じきに見えなくなった。
「おお、逃げ足の速いこと」
とりが感心したように言う。
「撤退の判断の早さは、さすがに冒険者だな」
「さすがだね。あれが生き残るコツなんだね」
ふたりはふこふこと頷き合う。
「ふう」
私はため息をついてバケツの中身を確かめた。
よかった。五匹ともいる。
順調に仕事を終わらせたと思ったのに、変な邪魔が入ってしまった。
「先が思いやられるなあ」
そのとき。
「おーい!!」
また街の方から誰かが走ってくる。
今度は一人だ。
だけど、さっきの男たちと似たような筋骨隆々の大男。
「また来たぞ」
とりが言う。
「フィリマ。もういちいち相手するのも面倒だから、いまのうちにさっさと焼き払ってはどうか」
物騒なことを言う。
「いや、さすがにそれは」
「とりさん、よく見て」
ねこが言った。
「ほら、あれは」
「む?」
目を凝らしたとりが、「おお」と声を上げた。
「あれは、実務がからきしなジョイスではないか」
「え?」
ほんとだ。
走ってくるのは、ギルドで私に絡んできたスキンヘッドに髭の大男、顔の上下定かならぬ者ことジョイスさんだった。
「無事か!?」
駈け寄ってくるなり、ジョイスさんは言った。
「ゲボンたちがおかしな相談してたって話を聞いたからよ。今、ちょうどあいつらとすれ違ったんだが、戦果を横取りされたりしてねえか!?」
どうやら心配してきてくれたらしい。意外。
「あ、はい。バケツごと取られそうになりましたけど」
「やっぱり」
ジョイスさんは額に青筋を立てた。
「あの野郎ども、スレンダーポットの面汚しが。待ってろ、取り返してきてやる」
そう言って駆け出そうとするジョイスさんを、とりが止めた。
「まあ待て、人の話を最後まで聞かぬジョイスよ」
「そのせいでいつも失敗していそうなジョイスよ」
ねこも言う。
「な、なんだよ」
「フィリマは、取られそうになったと言ったのだよ。取られたわけではない」
「え」
ジョイスさんは拍子抜けした顔をした。
「そ、そうなのか」
「はい」
あの程度の相手なら、自力でどうにでもなる。
ジョイスさんに心配してもらうほどのこともない。
「だが、嫌な思いはしただろう」
「それは、まあ。はい」
「俺もギルドに行ってやるよ。あいつらはギルド追放だ」
ジョイスさんは鼻息を荒くする。
まあどっちでもいいけど。
さっきの三人の顔を思い出す。
あの表情は、よく知っている。軍にいるときに何度も見たことがある表情だから。
きっと、もう私に突っかかってくることはないだろう。
私はバケツの中をジョイスさんに見せる。
「そんなことより、ほら、これ」
「おお、五匹もいるじゃねえか」
ジョイスさんはいかつい顔を綻ばせた。
「大したもんだな」
「ジョイスさん、私のこと心配して、わざわざ来てくださったんですよね」
「ああ、まあな」
「ありがとうございます」
私がお礼を言うと、ジョイスさんは照れたように横を向いた。




