5.白い結婚が終わる時のために
馬車の馬たちはさいわい無事だった。随行していた騎士の乗った馬は逃げてしまったが、馬車の馬たちはすぐに逃げることができず、魔猿龍の最初の吠え声で気を失っていた。だがとてもおびえていて、なだめて走れるまでに落ち着かせるのには難儀した。
捕縛していた黒ずくめの男たちもまた肉体的には無事だった。だがこちらは、ろくに身動きが取れない中、いつ魔猿龍が襲い掛かってくるかもしれないという恐怖にずっとさらされていた。すっかり震えあがってしまっている。当分は安らかに眠れないことだろう。
黒ずくめの者たちの連行は護衛の騎士たちに任せ、フィートバルたちは先に戻ることとなった。
夜明け前にフィートバルの邸宅に着いた。三人はそれぞれベッドに入り、泥のように眠った。目を覚ますと夕食の時間となっていた。空腹を満たして一息ついたあと、ようやく落ち着いて話せるようになった。
食卓のテーブルにはフィートバルとブリジーアが並んで座り、それに向かい合う形でクオリーオが席についている。
「まず、クオリーオに謝らせてほしい。今回は危険な目に遭わせて済まなかった」
フィートバルはブリジーアと共に頭を下げた。
「あ、頭を上げてください! わたしは気にしていませんから!」
「いや、これは謝らなければならない事なんだ。黒ずくめのやつらみたいなのがいるのは、王国の不始末だ。それに……どうも俺たちは、囮にされていたようなんだ」
『氷結のダンス』が評判になって移動の機会が増えると、王室から護衛の騎士たちが手配された。それも毎回ずっと、2台の馬車まで用意され、10人以上配置された。男爵子息や令嬢の護衛にしては人数が多い。魔族の令嬢がいるとは言え、この『白い結婚』は実験的な試みだ。そこまで重要視されていない計画のはずなのに、厳重過ぎた。
だが、魔族との王国内の不穏分子、魔族への反発を抱く者をあぶりだすためと考えればつじつまが合う。事実、こうして襲われた。魔猿龍の召喚と言うトラブルはあったが、それがなければ護衛の騎士たちだけで問題なく捕縛できたことだろう。
捕らえた黒ずくめの集団から得られるものが大きい。王室はおそらく、これを起点に関係する者たちをとらえる手はずを整えているはずだ。
フィートバルとブリジーアもそのつもりで備えていた。護衛の騎士たちとも、賊に襲撃された際の対応を普段から相談していた。おかげで黒ずくめたちとの戦いはスムーズに進めることができた。
ちなみに移動中、冒険者装備を身に着けていたのは、実は今回の事には関係ない。普段からの習慣だった。
フィートバルはそうした事情をクオリーオに説明した。
「王国の都合で君を危険な目に遭わせてしまった。本当にすまなかった」
「本当に、いいんですよ……きっとわたしは、そういうことのために送り込まれたんです」
その言葉を受け、フィートバルとブリジーアはようやく頭を上げた。
頭を上げると、クオリーオの困ったような微笑みに迎えられた。
「……君は魔猿龍との戦いでも、死ぬためにこの王国に来たと言っていた。最初から、そんな覚悟を固めていたようだ。いったいどういうことなんだ?」
クオリーオは微笑んだ。喜びも悲しみもない、ただ諦めだけが感じられる笑み。
フィートバルはその顔が嫌いだった。彼女にそんな顔をさせたくないと思った。
その微笑みのまま淡々と、クオリーオは語りだした。
「魔族にとって『白い結婚』という言葉は、人間のものとは別の意味を持つんです」
「別の意味?」
「人間は白は清浄で美しいもの、黒は不吉で禍々しい物と考えているそうですね。魔族にとってそれは逆。黒こそが気高く尊いもので、白は不吉の象徴なのです」
クオリーオは自らの白い腕をそっとなでた。
白い肌、白い血を持つ彼女は不吉とされ、貴族の血を引きながら平民として育てられることになったのだ。
「身分の高い魔族が命を失った時、こんなふうに言うんです。『あの方は白い結婚をされた』と。
魔族にとって『白い結婚』という言葉は、死を意味するのです」
フィートバルとブリジーアは、二人そろって息を呑んだ。
人間にとっては離婚を前提としたかりそめの結婚。しかし、魔族にとっては死を意味する。
百年の断絶は、同じ言葉にまったく違う意味を与えていたのだ。
「ちょっと待ってくれ。『白い結婚』を提案したのは国王陛下だ。それに対して、魔族の側は何か言わなかったのか? 別な言葉にしろとか、ありそうなものだろう」
「魔族の上位貴族の方々が、どのような交渉をしたかはわかりません。ただ、その提案を受け入れ、そしてわたしが選ばれました」
クオリーオは胸にぎゅっと手を当てた。
その身体は震えていた。
「人間の王国に行って『白い結婚』をするよう命じられました。『白い結婚』が人間にとって別の意味を持つと知ったのは、契約書を読んだときだったのです」
「な、何だって!?」
フィートバルは思わず声を上げた。
『白い結婚』の契約の時。クオリーオは契約書を見つめていた。
あの時まで、彼女は『白い結婚』がかりそめの結婚であると知らなかったというのか。
なぜ、魔族の誰もそのことを教えなかったのか。
その理由はすぐにわかってしまった。
100年もの間、断絶して、魔族を憎む者が多い人間の王国。そこに送り込まれる男爵家の忌み子。死ぬことを前提に送り出すのなら、わざわざ人間にとっての『白い結婚』の別の意味を教える必要などない。
クオリーオが護衛どころか侍女すら連れず、たった一人でやって来た。彼女は初めから、生きて帰らない前提で送り込まれてきたのだ。
「じゃあ本当に、ここに来る前から、死ぬ覚悟を決めていたというのか……!?」
「ええ、そうです。だからフィートバル、わたしを危険な目に遭わせたことを、謝る必要なんてないんです。わたしはそういうことのために、この王国に送られたのですから……」
クオリーオは微笑んだ。
笑みを刻むのは口元だけ。その目には、どうしようもない諦めに満ちていた。
「ふざけるな!」
テーブルを力任せに叩いた。すさまじい音と共にテーブルが震えた。テーブルクロスの下、ヒビくら入っているかもしれなかった。
「おいブリジーア! クオリーオを魔族領に戻す計画は無しだ!」
「ええ! 反魔族勢力がいる王国は危険だと思ったけど、そんなところに帰すくらいなら、私たちで守る方が何倍もマシですわ!」
フィートバルもブリジーアも、クオリーオのために本気で怒っていた。
「なぜ、わたしなんかのためにそんな風に怒ってくれるんですか……? わたしなんか、どうなってもいいのに……」
そのとき、クオリーオはテーブルに何かがぱらぱらと落ちてくるのに気づいた。いくつもの氷の粒だった。目元をぬぐうと、氷の粒が散った。
彼女は常に冷気を纏っている。涙を零すと、氷の粒となる。
自分が泣いているのだと、クオリーオはようやく気づいた。
「『白い結婚』だろうと、お前は俺の嫁だ! 嫁をしあわせになるのは、夫として当たり前のことだ!」
「あなたは大切な友達よ! 友達に笑っていてもらいたいと思うのは、当たり前のことだわ!」
クオリーオは首を左右に振った。
「ダメです! わたしといると、きっと二人これからも、危険な目に遭います! そんなのダメです……ダメなんです……!」
クオリーオは両手で顔を覆った。
手のひらから、涙の結晶がいくつも零れ落ちた。
「楽しかったんです……フィートバルと暮らすのも、ブリジーアとお話しするのも、みんなの前で踊るのも、みんなみんな楽しかったんです……。
二人のことが好きなんです……だから、二人につらい目に遭ってほしくないんです……」
クオリーオの肩に手が置かれた。顔を上げると、フィートバルとブリジーアがいた。テーブルをはさんで向こうにいた二人が、すぐ隣に立っていた。
「俺たちも同じだよ。お前のことが好きなんだ。だからつらい目に遭ってほしくない」
「でも、王国も安全とは言えません。危険はあります。だから、みんなで頑張って立ち向かうしかないんですわ」
二人はそう言い切った。迷いのない目だった。力強い声だった。
だから、彼女はもう抵抗することはできないと思った。
「二人とも強いんですね……」
フィートバルとブリジーアは顔を見合わせた。
そして得意げな笑顔をクオリーオに向けた。
「だって俺たちは冒険者だからな!」
「冒険者と言うものは、危険に立ち向かうために強くなくてはならないのですわ!」
迷いなく言い切られて、クオリーオは観念したように嘆息した。
「……とても敵いません。ああ、そうか、そうなんですね。魔族は、人間の冒険者には敵わないものなんですね……」
そう言って彼女は微笑んだ。今までの微笑みとは違った。
この王国で、氷結の令嬢が初めて見せた、温かな微笑みだった。
クオリーオが泣き止み落ち着いたところで、改めて話し合いをすることとなった。
「『白い結婚』はその開始の三年後に離婚するという契約になっている。これを覆すことができない」
形式は特殊だったが、司祭の前で誓ったことを違えることはできない。
たとえフィートバルとクオリーオが共にいることを望んでも、離婚自体は避けられないのだ。
「離婚すれば、クオリーオが王国にとどまる理由が無くなってしまいますわ。おそらく彼女は、魔族領に送り返されてしまうことになるでしょう」
「だが逆に言えば、結婚し続ける限りこの国にとどまれる。クオリーオが来てからもう半年。残る二年半の間に、新しい婚約者を見つけるというのが基本的な方針になるな」
「そうですわね。幸いクオリーオは『氷結のダンス』で人気を集めています。うまくこの人気を保てば婚約相手も見つかるでしょう。でも婚約相手は慎重に選ばねばなりません。クオリーオの事情を理解し、力になってくれる方ではなりません」
「加えて、できれば剣か魔法を実戦で扱える者が望ましい。反魔族派がどれだけ潜んでいるかわからない。俺たちもサポートするが、やはり自分の身を守れるくらいの力量は必要だ」
フィートバルとブリジーアは熱心に意見を言い合っている。
「あの、待ってください」
そこに、クオリーオが声をかけた。
「どうしたクオリーオ、なにか要望でもあるか?」
「……嫌なんです」
「なにかまずいことがあったのか?」
「フィートバル以外の人と結婚するのは、嫌なんです……」
そう、消え入りそうな声で言うと、クオリーオは顔を伏せてしまった。首筋まで真っ青に染まる。ぶわりと真っ白な冷気が舞う。
人間で言うなら、それはおそらく耳まで赤くして照れているという状態なのだろう。
その姿を見て、フィートバルの胸は高鳴った。もともとクオリーオは美しい令嬢だった。白い鱗の肌も耳のヒレも、見慣れた今となっては気にならない。むしろ彼女の美しさに無くてはならないものとさえ思える。
生きることを諦めていたためか、これまでのクオリーオはどこか達観したところがあった。
今見せた仕草は恋する乙女のものだった。初めて見せたそのかわいらしさが、フィートバルの動悸を早くさせたのだ。
「ふっ、そういうことならあの秘策を使う時のようですわね!」
「お、おお! なにかいい策があるのか!?」
突然立ち上がり、声を上げるブリジーア。その言葉にフィートバルは飛びついた。
あのままクオリーオを見つめていたら、何だかまずいと思ったのだ。
「フィートバル! あなたはクオリーオとの離婚後、彼女を側室として迎えるのですわ!」
「な、なんだって!?」
想像もしなかったことだった。フィートバルは驚愕に震えた。
クオリーオは首を傾げた。
「『そくしつ』ってなんですか?」
「ざっくり言えば『第二の妻』という感じですわね! ちょっと立場は微妙になりますが、フィートバルとずっと一緒にいられるのだけは間違いありませんわ!」
クオリーオが目を輝かせた。
「おいおい待て待て。クオリーオと離婚したら、俺は独身じゃないか。それで側室を迎えるって、意味がわからないぞ」
離婚した相手を側室に迎えるというのも、貴族の世界で無いこともない。
魔族の令嬢を正妻と迎え入れるのは反発も大きいだろうが、側室ならそれも少しは軽減されるかもしれない。
だが独身の男が側室を持つと言うのは、さすがにありえないことだった。
「その通り! したがってフィートバルは、クオリーオを側室に迎えるために結婚しなければなりません! そして花嫁はクオリーオのことを大事に思い、事情を理解していなくてはなりません! 不測の事態に対応するため機転が利いて、実践的な魔法の使い手であることも必要です! そんな令嬢に心当たりはありますか!?」
指さされ、フィートバルは言葉に詰まる。
条件に当てはまる令嬢をたった一人しか思い浮かばなかった。そしてブリジーアはがどんな結論を導くつもりなのかわかってしまった。
だが信じがたいことだった。しかしブリジーアは止まることなく、それを言葉にした。
「そんな都合のいい令嬢は、このブリジーア・ウィンダルトンしかいませんわね! クオリーオを守るため、仕方ないからあなたの花嫁になってあげてもよろしくてよ! よろしくてよー!」
「いきなり何を言い出しているんだお前はーっ!?」
ブリジーアは顔を真っ赤にしていた。
フィートバルも負けないくらいに顔を真っ赤になった。
クオリーオはそんな二人をそわそわとして見ている。
「……ちょっと落ち着こう。みんな席につけ」
いつの間にか全員が立ち上がっていた。貴族らしくない不作法な状況だった。
改めて席に着き息を整える。それでも、フィートバルとブリジーアの顔は赤く、クオリーオの顔は青く染まったままだった。
しばらく時間を置いて、フィートバルは厳かに語り始めた。
「さて。どうやら意見も出尽くしたようだ。今回の話し合いはこれまでとして、次回、改めて方針を探ろう。それでは解散だ」
そう言って席を立ち、食堂を出ようとした。扉に手をかけたところで、両肩に手をかけられた。
片方はやたらと力がこもってる。ブリジーアだ。
片方はひどく冷たい。クオリーオだ。
「ちょっと待ってください! 人が恥ずかしい思いをして提案したのに、返答もなしに逃げるつもりですか!? 男らしく観念さない!」
「う、うるさい! いきなりあんなこと言われて決められるか! 少しは考える時間をくれ!」
「フィートバル、わたしを『そくしつ』にするのは嫌なのですか……?」
「クオリーオは側室の意味をブリジーアにちゃんと聞いてから決めてくれーっ!」
後日、じっくり話し合った。
フィートバルは、これから状況がどう動くかわからないという理由で、結論を出すのを避けた。
そして二年半後、『白い結婚』の終わりにきちんと決断することを約束した。
実際のところ、状況はまだまだ不安定だ。
王国内の半魔族派は少なくない。先日の黒ずくめの集団の襲撃みたいなこともまた起こるかもしれない。
それに魔族領の高位貴族たちの意図もわからない。これから先、何らかの動きを見せるかもしれない。
だが、フィートバルが決断を先延ばしにした本当の理由は、自分の力不足を感じたからだ。
クオリーオとブリジーア。どちらも大切だ。だが、二人を受け止めてしあわせにするには、今の自分の力では全然足らない。
そもそも男爵家の三男坊が側室を許されるかもわからない。場合によっては二人を連れて出奔して、冒険者として生きる道も考えなくてはならない。その場合もまた、力をつけておく必要がある。
残る猶予は二年半の猶予。その間に、力をつける。フィートバルはそう決意したのだ。
「決断は先送りでいいとして、結婚の申し込みをした私の気持ちに対する返事くらいはしてくれてもいいんじゃありませんこと?」
「……すまないそれも待ってくれ」
「もう! 意気地なし!」
男と言うものは、自分の立場が不安定だと、女性の気持ちに応えることがなかなかできない。でもそういう気持ちは女性にわかってもらえないものだ。
そういう意味でも、フィートバルはとっとと強くならねばならないのだった。
終わり
勉強不足でお恥ずかしいことですが、最近になって『白い結婚』というものを知りました。
『白い結婚』とは何なのかと調べて、あれこれ設定を作っていったら、こういう話になりました。
読んでいただいてありがとうございました。
楽しんでいただけたなら幸いです。