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第97話 私達のフロンティア①

 

「アルタイルちゃんは?」

「……良くないですね。危険な状態です」


 すばるの膝に寝かされているアルタイルは、顔は青白くなり呼吸も弱くなっていた。


 普通の人間であればとっくに失血死していてもおかしくない。

 ステラ・アルマとしての生命力が、かろうじてアルタイルを生かしていた。


「申し訳ありません。シートが血で汚れてしまいました」

「いいよそんなの。気にしないで」



 拠点で合流したすばるは、アルタイルと共に五月の運転する車に乗っていた。


 行き先はフォーマルハウトのいるマンション。


 フォーマルハウトであれば能力でアルタイルの怪我を治療する事ができると考え、五月、ツィー、そしてもう1人と共にマンションへと向かっている最中だった。


「撫子、フォーマルハウトに連絡しておいた。到着したらすぐに部屋に運べとの事だ」

「ありがとうございますツィーさん」

「しかしお前、アイツと連絡先の交換までしてたんだな」


 助手席に座るツィーが後部座席のすばるにスマホを返す。

 アルタイルを抱きかかえているせいでスマホを打てなかったすばるは、ラインの代筆をツィーに頼んだのだった。


「はい。何かと会いに行く機会も多かったので」

「あまり関心しないな。アイツが危険な奴だって事は理解しているだろう?」

「分かっているつもりです。境界線は引いています」

「気をつけろよ? まあそのお陰で円滑に話が伝わったのは良かったが」


 ツィーはフォーマルハウトを信用していない。

 あの部屋に住まわせているのはあくまで監禁で、本来は近寄るべきでは無いのだ。


 すばるのみならず稲見までフォーマルハウトに会いに行っているのをツィーは快く思っていなかった。


「梅雨空、お前もアイツにはあまり接触するなよ?」

「……そのつもりよ」


 あともう1人、一緒についてきたのは梅雨空だった。


 梅雨空は拠点に戻った時には放心状態だった。

 負傷者を間近で見て、ようやくこの戦いが死と隣り合わせだという事を実感したらしい。


 しかもそれが同じユニットメンバーであるアルタイルと、自分達を一番応援してくれている未明子だったのが、なおのこと大きなショックになっていた。


 すばるがアルタイルを連れて拠点を出ようとした時、梅雨空は自分もついて行きたいと志願した。

 溢れる涙を拭って震えながらアルタイルの身を案じる梅雨空を止める理由は無い。


 それにもしもの事を考えると、梅雨空には付いてきてもらった方がいいとも思ったのだ。

 

「そのフォーマルハウトって人は怪我を治せるの?」

「人じゃなくてステラ・アルマだな。アイツは他のステラ・アルマの能力を使う事ができる。その中に負傷を回復する能力があるんだ」

「こんな酷い怪我でも治るの?」

「前に見た時は体を半分失っても元通りになっていた」

「じゃあ失くなった腕も治るのね?」

「治るだろうな。ただしそれまでに死ななければだ」


 ツィーが後部座席を見る。

 すばるの膝に寝かされ小さく呼吸をしているアルタイルは、ツィーの見立てではおそらくマンションまでもたない。

 大きな負傷に加え、命を繋ぐためのアニマまで枯渇しつつあるのだ。


 そしてその見立てはすばるも同じだった。

 それを理解していても、自分の腕の中で冷たくなっていく体を抱きしめる事しかできなかった。

 

「五月さん、あとどれくらいで着きそう?」

「飛ばしてるけどまだあと7、8分はかかるよ」

「すばるさん、間に合いそう?」

「どうでしょうか……アルタイルの体力次第ですね……」


 梅雨空は心配そうにアルタイルの顔を覗き込む。

 人形のような美しい顔が、血の気を失い本物の人形のようになっていくのが悔しくてたまらなかった。

 ここでアルタイルを救えるなら何を差し出しても構わないのに。


 そう思った時、ふとある事に気付いた。

 

「……あのさ、いまアルタイルはアニマってのが切れかかってるせいで苦しんでるのよね?」

「はい。それも大きな原因です。アニマが充実していればステラ・アルマの体は治癒力が高まるので」 


 梅雨空は先程の戦闘中、葛春桃がアニマと言う力を使って自分の機体を修復していたのを思い出していた。

 つまり何らかの方法でアルタイルにアニマを補給できれば苦しみを抑えてあげられると考えたのだった。


「じゃあさ、私の血を飲ませたらどうかな?」

「血……ですか?」

「うん。ムリも言ってたけど血液はアニマってのの純度が高いんでしょ? だったら私の血を飲ませてあげれば、マンションまで我慢できるくらいのアニマが回復するんじゃない?」

「それは……ツィーさん、どう思いますか?」

「難しい判断だな。下手をすると逆効果になるかもしれない」


 すばるとツィーは、普段血を摂取していないステラ・アルマが血を飲んだ時にどういう反応になるのか分からなかった。

 キスのようにアニマを補給できるならば問題ないが、拒絶反応が出たら更に状況を悪化させる可能性もある。

 2人はそのリスクを考えてしまい容易に判断を下せなかった。

 

「ん、分かった。じゃあちょっと試してみよっか」

 

 結論を出せない2人に声をかけたのは五月だった。


「五月? どういう事だ?」

「……はい。ちょっと片手で運転してるからツィーが私の血を吸ってみてよ」


 五月は運転しながら自分の左手をツィーに差し出した。


「そんな危険なことできるか! 血を吸われた方もどうなるか分からないんだぞ!?」  

「でもこのままだとアルタイルちゃん危ないんでしょ?」

「だからと言って五月まで危険な目に合わせられないだろう!?」

「ソラちゃん。初めて血を吸われた時ってどうだった?」

「別に。採血とかと同じ感じよ」

「ほらね。別にアタシは大丈夫だってば」

「しかし……」

「いいから早くやってみなって。このままグズグズしててアルタイルちゃんに何かあったらアタシも怒るよ?」


 運転に集中する為に決してツィーの方は見なかったが確固たる意志を感じる声だった。


 五月がこうなったら何を言っても聞かない事をよく知るツィーは、しばらく頭を悩ませた後、渋々決断した。


「分かった。確かカバンにカッターナイフがあったな。それで少し切るから覚悟しろよ」

「そんな子供じゃあるまいし。景気よくやっちゃって!」


 ツィーは自分のカバンからカッターナイフを探し出すと、五月の左手人差し指にあてた。


「まさか自分のパートナーを傷つける日が来るとはな……」


 どんな理由であれ五月を傷つけることに強い嫌悪感のあるツィーが苦々しく呟く。


 指にあてたカッターナイフを素早く引くと、傷口から赤い血が溢れて指をつたった。

 

 ツィーは覚悟を決め、五月の人差し指を咥え口の中に血を流し込んだ。


「……どう?」


 ツィーは指を咥えたまましばらく何かを考えていたが、指から口を離すと傷の止血を始めた。


「いける。確かにこの方法ならかなりのアニマを回復できる。マンションまでもたせられるかもしれない」


 その言葉を聞くや否や、梅雨空は自分の人差し指を嚙み千切った。


 ツィーとすばるがその行動に驚いている間に、梅雨空は血だらけになった自分の指をアルタイルの口の中に突っ込んだのだった。


「一切の躊躇なし。さすがですね」

「ガンギマってるなお前……」


 アルタイルは突然口の中に入ってきた異物に不快感を示していたが、すぐに梅雨空の指を音を立てて吸い始めた。


「めっちゃ吸われてるんだけど」


 アルタイルは千切れた腕で梅雨空の腕を抱え込み、これでもかと言うほど指を吸っていた。


 その様子を見ていた3人は、緊急時にも関わらず全く同じことを考えていた。


(これ母乳を飲んでる赤ん坊だ)


「痛ッ!」

「どうしました?」

「血が止まってきて出が悪くなったのか、指を噛み始めたわよこの子。どんだけ腹ペコなのよ」

「そ、そんなに美味しいんですかね?」

「いや味は普通に血の味だぞ。ただアニマの供給量はバカ高い。体感的に通常の4〜5倍くらいだった」


 ステラ・カントルによるキスで供給できるアニマの平均は2,000前後。

 あくまでツィーの感覚を正しいとするならば吸血によるアニマの供給量は10,000弱。

 これは3等星ならば平均内臓アニマの半分以上を一気に供給できる数値だ。


「ツィーさん。申し訳ないのですがわたくしの指もお願いできますか?」

「は? まさかお前の指も切れと言うのか?」

「お願いします。梅雨空さんの血が止まり始めているなら、今度はわたくしの血を供給いたします」

「お前ら本当に怖いもの知らずだな……別に構わんが後でちゃんと消毒しろよ」

「大丈夫ですよ。慣れておりますので」


 不敵に微笑むすばるに呆れながら、ツィーはカッターナイフですばるの人差し指を切った。


 梅雨空がアルタイルの口から指を抜くと、続けてすばるが自分の指を咥えさせる。


 アルタイルは同じようにチュウチュウと音を立ててすばるの血を飲み始めた。


「……これは何というか……その……お恥ずかしながら……母性を刺激されますね」

「やっぱりすばるさんもそう思った? 私も途中から可愛く思えちゃって!」

「おいおい。そいつ死にかけてるんじゃないのか? 何でおままごと気分なんだ」

「いえ、しかし心なしか顔色が良くなってきた気がします。依然として危険な状態には違いないですが、効果はあったみたいです」

「やったじゃん!」

「おーい2人とも。何か楽しそうな事やってるみたいだけどもうすぐ到着するよ」


 アルタイルへの授乳ならぬ授血を微笑ましく眺めていた2人は、五月に言われて窓の外を見ると見知った建物が近づいているのが目に入った。



 五月がマンションの前に車を停めると、梅雨空とすばるで慎重にアルタイルを運び出す。

 本来ならば担架に乗せて運びたいところだが背負って歩くのが一番アルタイルへの負担が少ないと考え、すばるがアルタイルを背負った。


 五月とツィーが先行してマンション入口の開錠とエレベータを呼び出し、梅雨空がすばるの補助をしながらフォーマルハウトの部屋の前まで辿り着く。


 ツィーが乱暴に部屋の扉を叩くと、すぐにフォーマルハウトが顔を出した。


「姫はまだ生きてるんだろうな?」

「ああ。何とかもたせた」


 すばるに背負われているアルタイルの顔を覗いたフォーマルハウトは、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるとすばるを部屋に招いた。


「ベッドに寝かせろ。すぐに治療を始める。手の空いてる奴は沸かせといたお湯をそこに置いてある桶に入れてくれ」


 フォーマルハウトがテキパキと指示を出す。

 連絡を受けた段階で色々と準備を整えていたらしく、枕元には大量のタオルも置かれていた。


「はぁ……まさか姫が負けるとはな。セプテントリオンの奴らいつの間にそんなに実力をつけてたんだ」

「アイツらを知ってるって事は、やっぱりお前はセレーネの仲間なのか?」

「仲間? あのクソ女に仲間なんて概念は無いよ。アイツからしたら私だってオモチャの1つだ」


 ベッドに寝かされたアルタイルの症状を観察したフォーマルハウトは、致命傷になっている腹部に両手をかざした。


 フォーマルハウトの両手が青白い光を放ち始め、しだいに暖かい光が傷口に降り注ぎ始める。


「暁のお嬢さん、少し治療が進んだら止血してる布を剥がしてくれ。血が止まったら傷口に直接触れる」

「分かりました」

「それと並行して枕元のタオルをお湯で濡らして傷口周りの血を拭き取るんだ」

「分かった。それはアタシがやる」


 手際よくアルタイルの治療が行われていく。

 何かを壊しているフォーマルハウトの姿しか知らなかった3人は、その様子を不思議そうに見ていた。


「あなたの能力って失った血液も補えるの?」

「誰だっけお前? ああ、アルフィルクか」

「違うわよ! それは初対面の私はいいけどアルフィルクに失礼でしょ!? 梅雨空よ! 羊谷梅雨空!」

「羊谷梅雨空? ああ、姫が言ってたバーサーカーか」

「何その言われよう? 私アルタイルにそんな風に思われてるの? まあいいわ、それよりも質問に答えてよ」

「この治癒能力 ”アジメク” は文字通り対象を回復させる。たとえ体が欠損しようが、大量に血を失おうが元の健康状態に戻す」

「じゃあ怪我が治っても失血死なんて事にはならないのね?」

「それは大丈夫だ。ただし疲労だけは消せない。このまま姫を回復させてもしばらくは眠ったままだろう」


 すばるが止血の為に腹部に巻いた服を脱がせていく。

 傷口が顕になるとその凄惨さに誰もが目を背けそうになるが、治療のおかげか出血は止まっていた。


 フォーマルハウトが両手で傷口に触れると更に光が強くなる。

 すると、光にあてられている傷口はみるみる内に塞がっていった。


「凄い! あんなグチャグチャだったのにもうこんなに治ってる」

「お前もボケっとしてないで手伝えよ。次は腕を治療する。ますば左腕の布を取れ」

「え? はい」


 フォーマルハウトに指示されると梅雨空は素直に従った。

 その様子があまりに滑稽で、五月とすばるは笑いそうになってしまった。


 しかしここで吹き出そうものならツィーからの説教は免れない。

 2人はわざと眉間にシワを寄せて緊迫感を演出した。


「凄い! 光が腕の形になった!」

「うるさいなぁお前。集中力いるんだから黙ってろ」

「えぇ!? あっという間に両腕とも元通り!? 凄い凄い!!」


 梅雨空はアルタイルの腕が元通りになったのがよっぽど嬉しかったのか、不機嫌になるフォーマルハウトの忠告を無視して感動の声を上げ続けた。


 あの自分勝手で厄介者のフォーマルハウトの威圧が梅雨空には全く効いていなかった。

 眉をしかめるフォーマルハウトの顔が面白すぎて、笑いをこらえる五月とすばるの顔はどんどん険しくなっていく。

 アルタイルの治療とは別の戦いが、密かに起こっていたのだった。



「……はぁ。とりあえずこれで死にはしないだろ」


 フォーマルハウトの腕から青い光が消える。

 治療した跡を見ると、腕も腹部もさっきまで負傷があったとは思えないくらいに綺麗に治っていた。


「後は顔や体についた血を拭いて服を着替えさせてくれ。姫の方はこれでいい」

「ありがとう! 助かったわ!」

「待て。お前とそこの仏頂面はちょっとこっちに来い」


 仏頂面と呼ばれたツィーは、その言葉に反論する事なく立ち上がるとフォーマルハウトに近寄った。


 それを見た梅雨空も不思議そうな顔をしながらツィーの隣に座る。


「未明子はどうなった?」

「え?」

「姫が負けた後、未明子はどうなったかと聞いてるんだ」

「お前の察しの通りだ。アイツは月に連れて行かれた」

「やっぱりそうか……」


 フォーマルハウトはセプテントリオンを知っていた。

 ならば彼女達の任務が何であるかも当然知っているのだろう。


「アイツは月に連行されて処刑されるとセプテントリオンの1人が言っていた。他の世界の自分を誘拐した罪が想像以上に重かったらしい」

「はッ! 自分が攫われてたら世話ないな。しかし、どうして月に感付かれたんだ?」

「どこかのステラ・アルマが月にチクったらしい」

「どこかのステラ・アルマ? アケルナルか……もしかしたらこないだ来たベガかもな」

「ベガが?」

「あいつは姫を自分の妹みたいに可愛がっている。他の世界から姫を観察して未明子の悪巧みに気付いたんだろう」

「なるほど。確かアケルナルに色々と聞いていると言っていたな。だが何でわざわざアルタイルが不利になるような事をしたんだ?」

「知るか。おおかた未明子が姫のステラ・カントルだって分かってないんだろ?」


 フォーマルハウトはイラついた顔を浮かべながら人差し指を親指で弾きはじめた。

 不機嫌になると出るフォーマルハウトの癖だ。

 

「月にとって未明子はただの罪人。何の躊躇もなく殺すだろうな」

「それを止める方法は?」

「無い。セレーネがそう決めたんなら止められる奴はいない」


 せっかくアルタイルが助かっても、未明子を救う方法が無い。

 このまま指を咥えていたら、明日にも、いや下手をしたら今日にも未明子は殺される。


 しかし地球から遥か遠く離れた月で行われる処刑を阻止できる方法は無かった。



「いえ。方法はあります」


 そう言い出したのはすばるだった。


 すばるはアルタイルの着替えを終わらせると、フォーマルハウトの前にやってきた。

 

「フォーマルハウト。あなたが犬飼さんを助けに行ってください」

「……なんだと?」


 フォーマルハウトはその言葉に目を細めた。


「あなたならゲートを使って月に行く事ができますよね? セプテントリオンもそうやって月に移動していました。セレーネに会った事があるなら月へのゲートを開けるんでしょう?」

「ほう、面白いな。だが考えてもみろ、仮に私が月に行けるとして、今は未明子の命令でこの部屋に閉じ込められてるんだぞ?」

「いえ。今あなたにはなんの命令もかかっていないでしょう?」


 すばるの言葉に全員が驚きの表情を浮かべる。

 フォーマルハウトが未明子に「この部屋から出るな」と命令されていたのは梅雨空以外の全員が見ていた。

 少なくともその命令には従っていなくてはおかしい。


「どうしてそう思うんだ?」

「今日の犬飼さんの拘束が突発的だったからです」

「どういう事だ?」

「あの日……犬飼さんの悪巧みが明るみに出た日。あなたのアニマが尽きるまで他の世界の犬飼さんに能力を使っていましたよね?」

「そうだな。それがどうした?」

「その日、犬飼さんは部屋から出る許可を与えていた。でもあなたのアニマが尽きた為に、その日の最後に部屋から出るなという命令をできなかったのではないですか?」

  

 そう指摘されたフォーマルハウトがピクリと反応をする。

 その反応が回答だと言わんばかりにすばるは話を続けた。


「本当はあなたのアニマが回復する今日あたりに、もう一度命令をかけに来るつもりだったんじゃないでしょうか? それがセプテントリオンの出現で出来なくなってしまった」

「不用心だな。私が逃げ出すかもしれないミスを未明子がするか?」

「犬飼さんは二重にあなたを拘束していました。一つは部屋から出るなという命令。もう一つはあなたの核を握っている事。だからどちらか一つあれば逃げ出さないと考えていたんだと思います」

「ふーん。で、もしそれが事実だとして、私が暁のお嬢さんの命令を聞く必要はないだろ?」

「それがそうでも無いんですよ」


 すばるは不敵な笑顔を浮かべながら自分の持ってきたカバンの中を探った。


「以前ベガさんが来た時に犬飼さんは着ている物を剝ぎ取られました。あれ以降、大事な物は身に付けないようにするとおっしゃられていたんです。だからずっと肌身離さず持っていたあなたの核は、自分の荷物の中に入れていたみたいですよ」


 カバンの中から出てきたのは、小さなポーチだった。


「ここに犬飼さんの荷物から拝借したあなたの核があります」   


 見覚えのあるそのポーチは未明子の持ち物だ。

 未明子はこの中にフォーマルハウトの核を入れ、言うことを聞かせる時に握っていた。


「と言うか、犬飼さんが攫われたという話を聞いて分かっていましたよね? もし犬飼さんが核を持ったまま月に連れていかれたら、その時点で核と体が離れすぎたあなたは死んでいた。だから核はどこかに隠してあるか、または荷物として持ち歩いていると読んでいた」


 すばるの推理を、フォーマルハウトは無表情で聞いていた。

 

「さらに部屋から出るなという命令が解除されている今ならここから出て自分の核を取り戻す事もできる。だから何も知らないフリをしていたのでは無いですか? ですが残念。今あなたの核はわたくしの手の中にあります。これならわたくしのお願いを聞いてもらうしか無いと思うのですがどうでしょうか?」


 すばるがポーチを握り込む。

 このまま力を込めれば核を潰されフォーマルハウトは地獄の苦痛を味わう。 

 いつも未明子がやっている脅迫と同じだった。



 フォーマルハウトはすばるの覚悟を決めた顔を見ると、大きくため息をついた。


 そして机の上に置いてある果物籠の中からリンゴを一つ拾い上げる。


「話は分かった。だが暁のお嬢さんは大きな勘違いをしている」


 リンゴの表面を袖で拭きながら、フォーマルハウトがすばるを睨んだ。

 すばるはその視線に負けじと鋭い視線を返す。


「……わたくしが何を勘違いしていると言うのですか?」

「手元見てみな?」


 一瞬何を言われているのか理解できず、不服そうな顔をしたすばるが自分の手元を見る。


 すると握っていた筈のポーチはそこには無く、代わりに今フォーマルハウトが持っていたリンゴを握っていたのだった。


「……え!?」

「取引の材料はそんな風に見せびらかすものじゃない」


 フォーマルハウトの右手には、リンゴの代わりにすばるが握っていたポーチがあった。


「い……入れ替わっている!?」

「私がどれだけ能力を持ってると思ってるんだ。こんな近い距離にある物を取り返すくらい朝飯前だ」

「……ッ!!」


 状況を理解したすばるが一瞬で距離を詰め、フォーマルハウトに掴みかかった。


 だがフォーマルハウトは掴みかかったすばるの腕を逆に掴み返し、軽々と床に押し倒した。


「そんな……!」

「それも勘違いだ。生身だからって私が人間に遅れを取る訳ないだろ」


 腕を極められ、すばるの顔が苦痛に歪む。


「まあそのままでいいから聞け。お嬢さんの……いや、お前ら全員の勘違いを正してやる。私は核を握られているから未明子の言う事を聞いてる訳じゃない。私は自分がそうしたいからしてるだけだ」

「なん……ですって?」

「核を取り戻すだけならいくらでも方法はある。何なら部屋を出る方法だってある。だがそんな事をする必要は無いんだよ。私は今の環境が続く事を望んでるんだからな」


 そう言うとフォーマルハウトはすばるの腕を解放した。

 床に伏したすばるの手を取り、丁寧に立ち上がらせる。


 そして持っていた自分の核をすばるに手渡したのだった。


「!? どういう事ですか!?」

「まあ分からんなら別に分かってもらう必要もない。私はいつだって自分勝手だからな」

「質問に答えてください! あなたは何がしたいんですか!?」

「おお珍しい。暁のお嬢さんもそんな声を出せるんだな」

「……!!」

「いつも余裕のある顔を作ってるより、たまにそういう顔を見せてくれた方が魅力的だと思うよ」


 すばるは顔を真っ赤にして何かを言いたそうにしていたが、これ以上相手のペースに巻き込まれる事を嫌い、ぐっとその言葉を飲み込んだ。


「自信のある女の悔し顔はそそるな」

「……フォーマルハウト!」

「まあそんなに怒らないでくれよ。あと、最後にもう一個勘違いを伝えておこう」


 フォーマルハウトはそう言うと、目を細め真剣な表情になる。


「お前らに言われなくても未明子は絶対に私が救い出す」

今後の更新予定です。

5月16日(木)98話 更新予定

5月20日(月)お休み

5月23日(木)お休み

5月27日(月)99話 更新予定

です。

お休みが続いてしまって申し訳ありません。

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