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第87話 sleepland③

 前にこの部屋に来たのは夏だった。


 冷房がガンガンに効いていて体が冷えてしまったので、冷房を消して窓を開けてもらった。

 窓から入って来る風がとても心地良かったのを覚えている。


 今は季節が変わって暖房の効いた部屋になっていた。

 おまけに床がポカポカ暖かくて気を抜くと眠ってしまいそうだ。


「アルタイルくん。ウトウトしているけど大丈夫かい?」

「え? 大丈夫よ。眠くないわ。昨夜もしっかり寝たもの。それよりアルフィルク、ココアをもう1杯頂けるかしら?」

「あなた本当にココア好きね。体の中、血の代わりにココアが流れてるんじゃないの?」


 私の前には、久しぶりにやってきた孫を見るような目をした熟年カップルが座っていた。

 

 夜明は今日は体調が良いみたいだ。

 顔色もいいし、ちゃんと私服に着替えている。


 糊の利いたシャツに黒のパンツ。

 スラッと伸びた長い足を組んで、まるで出来るお姉さんのようだ。

 前に見た、寝巻きでソファにゴロゴロしていた女性と同一人物とは思えない。


 アルフィルクは部屋が暑いのか、真冬だと言うのにノースリーブで過ごしていた。

 長い銀髪をくくってポニーテールにしている。

 髪をくくっているのなんて初めて見たので、彼女なりのお部屋スタイルなのだろう。


「だいたい事情は分かったよ。あの固有武装もやっぱり完璧では無かったか」

「思えば能力に対して制限が軽すぎるのよね。対象に目の前で声を出して命令するなんてほとんど制限にならないもの」

「君の敵の固有武装を奪う能力も、手に持てる物限定だっけ?」

「そう。だからアルフィルクの固有武装は私には奪えないわ」

「私の固有武装を奪おうとしないでよ」


 アルフィルクがココアのおかわりを持ってきてくれた。

 何と今度はココアの上に生クリームが浮いている。


「わぁ。生クリームが浮いてる」

「子供か! そんなに喜んでもらえるなんて思わなかったわ。あなたそういうところ素直よね」

「べ、別に嬉しいのを表現するのは悪くないでしょ?」

「そうね。悪くないわね。ほら素直なお子ちゃま。私のお膝の上にいらっしゃい?」


 アルフィルクが自分の膝をパンパンと叩く。


「ふざけないで。そんなのに私が誘われると思う?」

「そう言いながらちゃっかり座るのね。サダルメリクも同じ行動してたし、あなた達って寂しがり屋なの?」


 アルフィルクの膝の上は更に暖かかった。

 普段見ている美しい脚は思った以上に座り心地が良い。


「あ……とっても柔らかくて心地良いわ」

「そりゃ良かったわね。うわ、凄く体温上がってるじゃない。何だかんだ言って眠る寸前だったでしょ?」

「まさか。私は1等星のステラ・アルマよ。これくらいで眠くなったりしないわ」

「そのよく分からない虚勢はなんなのよ。大人しく私に寄りかかっておきなさいな」


 まるで抱き枕のようにアルフィルクが私を抱きかかえる。

 何で私は人の家に来て抱き枕役をやらされているんだろう。

 まあ暖かいし悪い気はしないからいいか。


「でも核を未明子に弄ばれて、そのすぐ後に身体をフォーマルハウトに弄ばれるなんてあなたエロゲのヒロインみたいね」

「えろげってなに?」

「エロいゲームよ」

「そんな例えやめてもらえる!?」

「あなたも十分危機感薄いんじゃないの? あんな危険な奴と二人きりになったらダメよ」


 そこを突かれると痛い。

 私は人だろうとステラ・アルマだろうと敵対心を強く持てないタイプだ。


 フォーマルハウトも嫌いだけど憎んではいない。

 だから知りたい事を聞き出すくらいなら大丈夫だと思ってしまったのだ。

 服従の固有武装の性能を信じ切っていたのも迂闊だった。

 

 まあそういう意味だとアルフィルクの膝の上にいるのも迂闊としか言いようがない。

 ここでもし抑え込まれたらまた手も足もでないのだから。 

 危機感が薄いのはその通りだと思う。



「それで夜明。あなたの意見を聞かせてもらえる?」

「そうだね。おそらく未明子くんが何かを隠しているのは間違いないと思う」

「やっぱりそうよね……」


 フォーマルハウトから出されたヒントを整理して色々と考えてみた結果、私も夜明と同じ結論だった。


 未明子はフォーマルハウトと何かをやっている。

 そしてそれがバレないように服従の固有武装を使ってフォーマルハウトに口止めしているのだ。


「わざわざフォーマルハウトがそんな手段で伝えてきたんだ。奴は未明子くんが隠している事を暴けと言いたいんだろう」

「あんな奴の思惑に乗るのなんて嫌だけど未明子が絡んでるならやるしかないわ」

「でもあの子が私達に隠す事って何? 確かに一人で樹海に突っ込んでいくような無謀なところはあるけど、私達に内緒で何かするようなタイプじゃないでしょ?」

「そうなのよ。考えても全然思いつかなくて。だから夜明に相談に来たの」


 私は困ったら夜明に頼れという頭になっていた。

 彼女に相談すれば何らかのとっかかりは見つかるだろうと信頼しているからだ。

 

 現に夜明は厄介ごとが巻き込んで来たというよりは、新しい謎解きが増えたとばかりに楽しそうにしている。


 彼女はそもそも考えるのが好きなんだろう。

 その性質にはいつも助けられている。


「よし。では情報を整理してみようか。まずはフォーマルハウトと未明子くんは不定期に二人で会っている。これは間違いないんだね?」

「間違いないわ。二人で会う時は教えてくれるけど、この前は聞いてないのに会いに来てた」

「アルタイルに内緒でフォーマルハウトに会ってるなんて浮気みたいねぇ」

「アルフィルク、怒るわよ?」

「その密会にアルタイルくんは連れて行かない。理由はフォーマルハウトに恨みを晴らしているのを見られたくないから」

「それが嘘らしいの。フォーマルハウトは一度もそんな事されていないと言っていたわ」


 夜明とアルフィルクは複雑な顔をしていた。


 未明子は鯨多未来を殺されてフォーマルハウトを恨んでいる。

 それは絶対に間違いない。

 ならば何故恨みを晴らさないのか?


 フォーマルハウトの言葉を信じるなら未明子にとって利用価値が出たから。


 夜明もアルフィルクも同じようにフォーマルハウトに恨みを持っている。

 だからその理屈には納得がいかないようだった。


「あんなにアイツを恨んでいるのに全く何もしていないと言うのは変だね。未明子くんは服従の固有武装を持っているんだから、いくらアイツを酷い目に合わせたところで命令すれば何でもさせられる。殺さない限りは好きに恨みを晴らしてもいいはずなんだ」

「私も同じことを思ったわ。別に恨みを晴らしながら利用してやればいいのにって」

「じゃあ何か理由があるってことよね。最初は目を潰すとか物騒なこと言ってたのに」


 あの時の言葉が嘘だったようには思えない。

 少なくともあの時まではフォーマルハウトは未明子の復讐対象だったように思う。

 

 でもあの時も「コイツは救急箱」って言っていたしメンバーの回復役をやらせるつもりではいたハズなのよね。

 それがいつの間にか回復役だけはそのまま、復讐対象では無くなっているのがおかしい。


「ちなみにフォーマルハウトがあのマンションに監禁されてから未明子くんが最初に会いに行ったのはいつだったか覚えているかい?」

「9月16日よ」

「怖ッ! あなた未明子の行動を全部覚えてるの?」

「まあね。未明子と一緒にやった事とかは全部手帳にメモってあるし」

「そのメモ帳、特級呪物じゃない」

「何てこと言うのよ」


 好きな相手との事は何でも覚えておきたいもの。

 メモを取るなんて当たり前でしょ。

 

 ……え? 当たり前よね?


「夏休みが終わってすぐだねぇ。……あれ? 何か覚えのある日付だな。みんなで集まった日だっけ?」

「違うわ。その日私は家で留守番だったもの」

「ちょっと待って! この日の前日って確か……」

「前日? 9月15日? ……あ! そうよ、未明子がアルフィルクと二人で会った日よ!」

「フォーマルハウトとの戦いが終わってひと段落して、私が未明子と数時間話し込んだ日ね」


 その日ごとで覚えていたから盲点だった。

 確かに未明子がアルフィルクと話した次の日からフォーマルハウトと会い始めている。


「でもそれがどうかしたの? たまたまあの子の予定が連続しただけじゃない?」

「もしかしたら何か関連性があるかもしれない。アルフィルク、未明子くんと話した日に何か特別な事はなかったかい?」

「特別な事? そうは言ってもあの時は何を話してもほとんど反応がなかったし、そんなに深い話はできなかったわよ?」

「未明子の様子がおかしかったりだとか」

「おかしいって言い出せばミラが死んでからはずっとおかしいし…………待って。一個心当たりがあるわ」

「心当たり?」

「預かってたミラの部屋の鍵を未明子に渡したの」


 鯨多未来の部屋の鍵。

 彼女の部屋は彼女が死んだ後も残っていて、定期的にアルフィルクが掃除をしていると言っていた。

 その鍵を未明子に渡した?


「ミラが死んだ日に基地に残っていたあの子の荷物を預かったの。そこに部屋の鍵が入っていたのよ。だからそれ以来、部屋に埃が積もらないように掃除してるんだけど、あの日、未明子にその部屋のスペアキーをあげたわ」

「じゃあ未明子くんは自由にミラくんの部屋に入れるんだね」

「そうね。そんなので心が癒えるとは思えないけど大切な思い出もあるだろうと思って」

「それとフォーマルハウトに会いに行く事に何の関連性があるのかしら?」

「ミラを思い出して恨みが抑えきれなくなったとか?」

「いや、その日を境に恨みを晴らすよりも利用する方に傾いているんだ。例えばだが、未明子くんはミラくんの部屋で考えが変わるような何かを見たんじゃないだろうか?」


 私は鯨多未来に関してはクラスメイトとしての知識しかない。

 いつも隣の席で二人でイチャイチャしているのを見ていただけだ。

 しっかり会話した事も無かったし、未明子が鯨多未来の何を見れば心変わりするのか見当もつかなかった。


「あ……ちょっと待ってね……」


 アルフィルクが顔を両手で覆って何かを考え始めた。

 何か思いついた事があるようだ。

 夜明と顔を見合わせて彼女の言葉を待つ。



 待ってね、とアルフィルクが考え始めてから……


 3分が経過した。


「そんなに考え込むようなこと!?」

「アルフィルク、考えがまとまらないのかい?」

「……いえ。ちょっと発想が飛びすぎて笑われるかと思って……」

「何が手掛かりになるか分からないわ。思いついた事があるなら教えて?」

「笑わないでよ? 未明子の性格とフォーマルハウトの能力……いえ、何でも命令に従うステラ・アルマがいるって事と、あと私しか知らない事実を合わせるとトンデモ回答が出てくるのよ」


 アルフィルクが苦笑いしながらその内容を語り出した。


 彼女しか知らない事実は確かに驚くような内容だったが、ステラ・アルマならよくある話だし、何より私にはとても身に覚えのある話だった。

 

 問題はその後。

 アルフィルクのトンデモ発想の方だった。

 

 アルフィルクは冗談のつもりで話したのだろうけど、それを聞いた私と夜明はみるみる顔色が悪くなっていった。

 

「……以上。まあいくらあの子でもそこまではしないわよね」

「……」

「……」

「ちょ、ちょっと。二人ともそんな顔しないでよ。私の妄想よ。TRPGのシナリオみたいなレベルの話じゃない」


 確かに妄想と言われても仕方のない内容だった。

 でも私も、おそらく夜明も、未明子ならやりかねないと思っている。


「もしそれが事実なら、これは確かに口止めしたくなる内容だね。何かのキッカケで私達にバレたら大変な事になる。すばるくんは度々フォーマルハウトに会いに行っているみたいだし」

「夜明、まさかこんな妄想を信じてるの?」

「信じたくはないが、それなら未明子くんがアイツを利用する価値が出てくる。あぁ……そうだ……アルタイルくんが部屋に行った時、アニマの補給の話をしていたんだよね?」

「していたわ。普通に生きているだけなら補給なんて絶対に必要ないもの。未明子がアイツに優しくしているだけだと思ってた。でもそうじゃなくて実際に補給が必要だったのね」


 何もかもが繋がってくる。


 鯨多未来の部屋の鍵をもらった未明子が ”ある物” を見てしまったこと。

 フォーマルハウトに恨みを晴らすよりも利用する方に傾いたこと。

 私の同伴を許さずにアイツと何度も会っていたこと。

 その後、浮かれたような顔をしていたこと。

 フォーマルハウトにアニマの補給が必要だったこと。


 そして未明子が自分を大切にしない性格。


 アルフィルクの言った事が妄想ではなく真実である可能性はもの凄く高かった。


「考えれば考えるほどアルフィルクが正解を導き出している気がするわ……」

「言い出しておいてなんだけど勘弁して欲しいわね。もしそうなら何かしらのルールを破ってない?」

「その可能性は高いね。とにかくまずはフォーマルハウトから真実を聞き出すしかない」

「その為には口封じの命令を搔い潜らなきゃいけないんでしょ? 何か方法はあるの?」

「そうだね。未明子くんがどういう文言で命令をしたか考えてみようか」


 フォーマルハウトは命令の仕方によっては抜け穴があると言っていた。

 ならばその命令に逆らわないように聞き出せばいいのだ。


「口封じを命じるなら ”誰にも話すな”とかかしら?」

「それならスマホとかで内容を録音させればいいんじゃない? それなら誰にも話してないでしょ?」

「命令の範囲がどこまで及ぶか分からないけど、それだと結局誰かが聞くという認識になってしまうんじゃないかな?」

「未明子の事だから書いて伝えるのも禁止とか言ってそうなのよね……」


 手を出すなと命令されてもあれだけの事ができたと考えると結構判定は緩い気がする。

 でも録音やメモで伝えられるならこの前会った時にそれを渡して来るはずだ。


「誰にも話すな。誰かに伝わらないようにしろ。バレないようにしろ。色々言い方はあるわね。これ、掻い潜るの難しくない?」

「対象がいる、もしくはそれに繋がるパターンはNGと考えた方がいいね。……いや待てよ。閃いたぞ」

「本当!?」

「ああ。こんな作戦はどうだろうか?」







「はいよ」

「いま未明子はいないわよね?」

「いないよ。もしかしてもう何か思いついたのか?」

「そうよ。ここ開けてくれる?」

「流石だな。どうせ夜明あたりに相談したんだろ?」

「いいから早く開けなさいよ」

「はいはい」


 夜明の家で作戦を考えた後、そのままフォーマルハウトの元を尋ねた。


 もしアルフィルクの予想が当たっていた場合、時間がたてば取り返しのつかない状況になりかねない。

 三人ともすぐに動くべきだと判断した結果だ。


 フォーマルハウトに玄関のオートロックを開けてもらい、エレベーターに乗って最上階に上がった。


 廊下を通って一番奥の部屋へと向かう。


 部屋のインターホンを鳴らすと「開いてるよ」と返事があった。


 ……大丈夫。

 この作戦ならうまく行く。


 私は一度深呼吸をすると、扉を開けて部屋に入った。



「私の部屋に姫が2回も訪ねてくるなんて嬉しいな。お茶でも淹れるから座って待っていてくれよ」

「結構よ。ゆっくりしに来たわけではないの」

「ほう? 私から聞き出したい事があるんじゃないのか?」


 いいと言っているのにお湯を沸かし始めた。

 相変わらずこちらの言い分を聞く気は無いようだ。


 私は気にせずに話を続ける。

 

「あなた未明子から命令されて話せない事があるんでしょ?」

「はあ? 何の話だ?」


 セリフに対して表情が全く合っていない。

 さあどうするんだ? とでも言わんばかりにニヤニヤしている。


「だから話してくれなくていいわ。その代わりにここに書いてある事をやって欲しいの」


 カバンから二つ折りの紙を取り出すと、それを机に置いた。


「なんだ? メモ?」


 フォーマルハウトは机の上の紙を取ると、書いてある内容を読み始めた。

 だけどそこに書いてある意味が良く分からないようで顔をしかめる。


「何だこれ? 別にやってもいいが何の意味があるんだ?」

「やってくれれば分かるわよ。それじゃあ、私は帰るわね」

「おいおい、もう帰るのかよ。せっかくもてなそうと思ったのに」

「また襲われるのも嫌だからさっさと退散させてもらうわ。私が部屋を出たらもう始めてもらっていいから」


 あからさまに怪訝な顔をするフォーマルハウトを無視して部屋から出ようとすると、ふいに肩を掴まれる。


「何?」

「……これで未明子を助けられるんだな?」


 フォーマルハウトの口から何ともらしくない言葉が飛び出した。

 コイツに誰かを助けたいなんて気持ちがあるなんて。

 顔には出さなかったけど私は内心驚いていた。


 だけどこれは別に情があって言っているわけでは無い。

 未明子といる事がコイツにとって都合がいいだけだ。


 だから未明子を止めたいんだろう。

 そこを勘違いしてはいけない。


「さあ? 私達は何が起きているのか知らないもの。あなたがしっかり協力してくれたら望み通りになるんじゃない?」

「……分かった」


 フォーマルハウトが掴んでいた肩を離す。

 私は掴まれて乱れた衣服を直すと「じゃあね」と言って部屋から出た。



 部屋の扉を閉め、大きく息を吐く。


 とりあえず上手くいった。

 私ができるのはここまでだ。


 エレベーターの前まで歩いて来ると、フォーマルハウトの部屋の方を振り返る。


 今ごろアイツはメモ通りにやってくれているんだろうか。



 ……後はもう任せるしかない。














 それは週末に行われる事が多かった。


 学校帰りの未明子が制服のままフォーマルハウトのマンションにやって来ると、いつものようにドアホンでフォーマルハウトを呼び出し玄関の開錠をしてもらう。

 

 ここを利用するのはイーハトーブ関係者のみ。

 すばるにお願いすれば玄関のオートロックを開ける暗証番号を教えてもらう事もできるが、未明子はそれをしなかった。


 未明子が勝手に入ったところで嫌がる者はここには住んでいない。だが未明子自身がそれを良いと思えなかったのだ。



 エレベーターに乗って最上階へ上がる。


 一番奥の部屋まで歩いて行くと、インターフォンを鳴らす前にフォーマルハウトが姿を現した。

 すでにコートを着て外出の準備を整えている。


「お疲れさん。今日もその格好でいいのか?」

「制服を着てた方が説得力があるって分かったからね」

「そうなのか? まあ私はどっちでもいいが、万が一相手が暴れた時に制服が汚れたら困るんじゃないのか?」

「暴れないよ。暴れさせないから気にしなくていい。それよりもユニバースの選定は終わってるんだよな?」

「問題ない。消えていく世界なんて星の数ほどある」

「分かった。じゃあその部屋から出ることを許可する。ついて来い」


 未明子が右腕につけているリングから光が放たれる。


 この光が発せられたら固有武装が発動した証だ。

 命令が上書きされフォーマルハウトが部屋から出てくる。


「どうする? 一旦部屋の様子を見に行くか?」

「そうしようか。死にはしないだろうけど変に衰弱してたら困るしね」


 二人はエレベーターに乗って一階まで降りると、エレベーターホールの前で立ち止まった。


 フォーマルハウトが何もない空間に手をかざし、目の前に紫色のゲートを開く。

 ユニバースを移動する為のゲートだ。


 普通のステラ・アルマならばユニバースを移動する為のゲートは扉の形をした物を利用しなくてはいけない。

 だがフォーマルハウトは好きな場所にゲートを開ける特性を持っている。

 それゆえ、ユニバースの移動も好きな場所から行えるのだ。


 開いたゲートに未明子が入るとフォーマルハウトも後に続いた。



 ゲートを抜けた先は同じマンションの同じ場所だった。

 同じ場所でもここはさっきまでとは違うユニバース。

 マンションの外には誰も歩いていないし、少し離れた所に建っているマンションにも人の気配は無かった。


「まさか拠点と同じユニバースを利用するとはな」

「それ以外のユニバースはその内消えちゃうだろ? 私が知ってる固定されたユニバースはここだけだからな。秘密基地と同じユニバースなら戦闘も行われないし、みんなもこのマンションまでは来ないから見られる心配もない」

「悪知恵が働く娘さんだことで」


 二人は一階の一番奥の部屋まで歩いた。

 ちょうどフォーマルハウトの部屋の真下にあたる部屋だ。


 フォーマルハウトが鍵束を取り出す。

 こちらの世界のマンションの鍵管理は全てフォーマルハウトの役目だ。


 鍵束からこの部屋の鍵を探し出すと、鍵穴に差し込む。

 そこでフォーマルハウトは手を止めて未明子を見た。


「なあ未明子。もう一度言うがやっぱりやめないか?」

「……」


 未明子の表情が途端に暗くなり、目に陰が刺す。


 フォーマルハウトは知っていた。

 未明子はこの顔をした時が一番怒っている時だと。


 今まで色んな人間に会って来たが、ここまで殺意を持って自分を見る人間に会ったのは初めてだった。

 

 普通の人間はここまで誰かに強い感情を持つ事はない。

 愛情だろうと憎悪だろうと、怒りだろうと悲しみだろうと、自分の心の許容量を超える感情は生み出せないのだ。


 それなのに犬飼未明子は、底の知れない強い感情を叩きつけてくる。


 その強い感情を浴びるのを無上の喜びとしているフォーマルハウトだったが、それでも未明子のこのブラックホールのような深く暗い目で見られるのには覚悟が必要だった。


「もしこれが管理人や月の管理者にバレたらヤバいんだ。どんなペナルティがあるか分からない」

「お前がどうなろうが知らないよ」

「違う。この場合私に命令している君がそのペナルティの対象になるんだ」

「それなら別にいいよ。私もそれくらい理解してやってる」

「いや理解できていない。……おそらく重罪と判断されて処分される。だから……」

「お前しつこいな。命令しないと動けないか?」


 未明子が右手を掲げる。

 その仕草はこれ以上口を出すなら強制的に従わせるぞと言っていた。


 フォーマルハウトは少し考えた後、ため息をついて部屋の鍵を開けた。


「やっぱり私じゃ説得できないか……」

「どうしてお前の言う事を聞かなきゃいけないんだ」


 未明子が煮え切らない表情をするフォーマルハウトを押しのけ、扉のノブに手をかけた。


「……?」


 すると突然、誰かが未明子の腕を掴んだのだった。


 誰かと言ってもこの場には自分以外にフォーマルハウトしかいない。

 当然その相手はフォーマルハウトだと未明子は思っていた。


「何だよ? まだ何か言いたい事があるのか?」

「ああ、あるな。お前一体何をやってるんだ?」


 その声はフォーマルハウトでは無かった。


 声の主を見て、自分の腕を掴んだ者がまさかの人物であった事に未明子は目を丸くした。


 自分の腕を掴んでいたのは、フォーマルハウトではなくツィーだったのだ。


「ツィーさん? 何でここに?」

「何言ってるんだ。私はずっといたぞ?」


 訳が分からずフォーマルハウトを見るも、フォーマルハウトも何が起きたのか分からず首を横に振る。


「私も分からない。そいつが突然目の前に現れたんだ」

「ワンコ。まさかお前私の特性を忘れたのか?」

「……そう言えばそんな能力を持っていましたね……」


 ツィーは薄皮一枚だけ別のユニバースに移動して姿を消す能力を持っている。

 かつて植物園や戦闘でも使用していた能力だ。

 その能力を使って未明子達の後を追跡していたのだった。

 

「前はステラ・アルマの存在を感知できたらしいが今はできないんだろ? 私がフォーマルハウトの部屋の前からずっとつけていたのに気づかなかったみたいだな」

「……」

「さて。それじゃあお前が何を隠していたのか見せてもらうぞ」


 ツィーがそう言うとマンションの玄関から人が集まって来る。

 そこにいたのは夜明、アルフィルク、すばる、五月、そしてアルタイルの五人だった。


 それを見た未明子の顔色が悪くなる。


「未明子」


 アルタイルが強い視線で未明子を見ると、未明子は顔をそらした。

 

「……」

「いいわ。とにかく中を見せてもらうわよ」


 アルタイルはうつむく未明子の横を通り抜けると、部屋の中に入っていった。


 玄関から廊下を抜けてリビングへ。


 部屋の作りはフォーマルハウトの部屋と同じだ。

 ただその奥には目を疑うような光景が広がっていた。



 16畳程のリビングダイニング。

 そこには10人の女の子が座り込んでいた。


 全員が虚な目をしてブツブツと独り言を言っている。

 とても正常な状態とは思えなかった。


「……なんてことを……」


 そこにいるのはアルタイルの知っている女の子達だった。


 見紛うはずもない。

 誰よりも良く知っている顔なのだから。



 その部屋にいるのは全員、犬飼未明子だった。



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