第55話 君の手を握ってしまったら④
二日目の樹海探索。
未明子を発見できずに宿泊施設に戻ってから私は呆然としていた。
一日中暗いジメジメした場所を歩き回って体力を消耗したせいもあるが、何一つとして彼女の痕跡を見つけられなかったからだ。
未明子が樹海に入ったと思われる時間からすでに30時間が経っている。
目的が何であれ、こんなに長い時間あの森を彷徨っているとしたらどのみち生存は絶望的だった。
近隣の宿泊施宿に泊まっている可能性も考えて営業している施設に電話で問い合わせもした。
個人情報の関係で答えてもらえないかと思ったが、そもそもどこの施設にも宿泊客はいないらしく、この付近に滞在しているのは私達だけのようだ。
「やっぱり家にも帰ってないみたい」
一縷の望みをかけてほのかちゃんに連絡してみるも、やはり家には戻っていなかった。
「ううむ……これは困ったね」
「今日はチームを分けて北側も探索してみましたが成果はありませんでした。可能性として考えられるのは私達の探索範囲のさらに奥に行ってしまったか、そもそも樹海には入っていないか」
ほのかちゃんの話しでは、山梨の風穴に行ったというのは間違いない。
つまりバスに乗って富岳風穴のバス停を降りた所までは足取りを追えているのだ。
そこから先どこに行ったかが分からない。
もしかしたら樹海以外の場所に行ったのだろうか。
だがどこに?
他にこのあたりにあるのは富士五湖の精進湖と西湖、それに少し離れたところにある河口湖だが、それぞれ専用のバス停がある。
わざわざ富岳風穴のバス停で降りる意味が無い。
加えてほのかちゃんに教えてもらった未明子の服装と荷物、やはり何らかの目的があって樹海に入ったと考えるべきだろう。
「明日だが、探索に行くチームと買い出しに行くチームで分かれようと思う。まさかここまで長引くとは思っていなかったから生活用品を買い込んでくる必要がある。五月くん、連日で申し訳ないが富士吉田の町まで運転を頼めるかい?」
「任せといて!」
「アルフィルクとすばるくんは買い出しチームに入ってくれ」
「という事は夜明が探索の方に行くの? しかも、もやしっ子のサダルメリクも連れて?」
「もやし、言うな」
その人選には私も疑問だった。
アルフィルクはともかく、おそらくこの中で一番体力のあるすばるを買い出しに回すのは人選ミスな気がする。
「明日は探索の仕方を変えようと思うんだ。人海戦術ではなくプロファイリングで探してみようと思う」
「プロファイリング? あれって犯罪捜査の方法じゃないの?」
「ハイジャックと同じで間違った伝わり方をしてしまっているが、プロファイリングは行動心理学の分析方法で、犯罪捜査だけに使われている手法じゃないよ。今回の場合は未明子くんの心理と性格を分析して、行動を予測しようというものだ」
私は隣であくびをしているサダルメリクを見た。
小柄で臆病そうで、あまり好奇心が強そうなタイプには見えない。
未明子の行動分析ならアルフィルクの方が良いんじゃないかしら。
「そういう事ならサダルメリクが適任ね」
「任せましたよメリク」
「メリクちゃんのダイス運が跳ねる日だといいねー」
私の思惑に反してみんなからのこの信頼度。
よっぽど人探しに長けてるのかしら。
いや待って。
九曜五月いま何て言った?
ダイス? ダイスが何ですって?
いまいち彼女を信用できなかったが、次の日はこのメンバーで探索することになった。
早朝6時。
日の出から一時間ほど経ち、森の中での視界も安全に確保できる明るさになった頃、富岳風穴の駐車場に到着した。
私達を降ろしたあと、買い出し組は富士吉田の町まで移動して開店を待つそうだ。
必要な物を買い揃えたら探索に参加する手筈になっている。
買い出し組を見送ると、三度目となる樹海探索が始まった。
「ではここからは集中力を高めてくれ。未明子くんなら何を考えるか、どう動くか、自分が彼女になったつもりで想像してくれたまえ」
未明子のトンデモ思考を読み切るのは難しい。
ただ、彼女がどういう時にどういう行動をするかというのはずっと見てきた。
今こそ私の持っている未明子情報を駆使する時だ。
「まずはバス停を降りた直後から考えよう。バスを降りて最初に見える風景がこれだ。ここから彼女はどう動いただろうか?」
バスを降りた場所からはすでに樹海の遊歩道への入口が見えていた。
急いでいたならあそこから入って行くのは間違いないだろう。
「ここからなら入口の見えている南側のエリアに入って行くに違いないわ。バスを降りてあそこの遊歩道に入っていったと思う」
「うむ。私もそれには同意だね。わざわざ離れている北側エリアに向かう理由がない」
「……待って。観察が足りない」
私と夜明の意見が一致したトコロでサダルメリクが言葉を狭む。
サダルメリクは周りを見渡すと、遊歩道の入口とは真逆の方に歩いて行った。
「どこに行くの? そっちには富岳風穴の受付があるだけでしょ?」
サダルメリクは売店の入っている建物に向かって歩いて行くと、建物の手前にある木製のベンチの前で立ち止まった。
そしてそこでしゃがみ込むと、ベンチを調べ始めたのだった。
イス部分を眺めたり、ペタペタ触ったり、何の意味があるのか分からない行動をしている。
私にはそれが奇行にしか見えなかった。
未明子の思考を読むのにいくら何でもベンチを調べる必要はないと思う。
「夜明……あの子大丈夫なの?」
「まあメリクくんの発想力は私達の斜め上だからね。彼女が必要だと思ったらきっと大事なことなのさ」
それからサダルメリクは近くにある公衆トイレをひとしきり見ると、こちらに戻ってきた。
「何か手がかりはあったかい?」
「うん。目星の判定は成功。知りたい事は分かった」
目星の判定って何?
夜明は納得しているみたいだけど、私には彼女が何をしているのか全く理解できなかった。
それから三人で遊歩道に入って行く。
ここには昨日、一昨日と何度も足を踏み入れた。
それでも何も見つからなかったのだ。
「さて、ここでもう一度考えよう。この遊歩道から彼女はどこに向かった?」
わざわざ樹海までやってきたからには、ただ遊歩道を散歩しに来た訳ではないだろう。
考えられるのは一つだ。
「この遊歩道のどこかから森の奥に入って行ったと思うわ」
「私も、そう思う」
「そうだね。それはおそらく間違いない。では、この長い遊歩道のどこから奥に入っていくだろう?」
それは昨日までもずっと考えていた。
どこから入って行ったかによって探す場所は全然変わってくる。
だけどこんな森の中、どこもかしこも同じ風景だ。
目印も無い場所を特定するのは不可能に近い。
「昨日までは木と木の隙間から入っていけそうな所を探してみたの。ゴミが落ちてたり、人が立ち入ったような形跡はいくつかあったわ」
「まあ他にもたくさん入り込んでいる人がいるだろうからねえ。ここからは、より未明子くんならどうするかを考えなくてはいけないね」
未明子ならか。
あの子なら強い目的があるなら、それこそ道なき道でもズンズン進んで行きそうだ。
そうなると全ての場所が対象になってしまって余計に検討がつかない。
私が未明子ならどうするかを必死で考えていると、サダルメリクがスマホを操作して包囲磁石のアプリを立ち上げた。
「コンパス? 方角で何か分かるの?」
「うん。私達女の子は、頭の中で地図を想像するのが苦手」
「確かにあまり得意ではないね。でもそれが何か関係あるのかい?」
「逆に男の人だと、頭の中に地図を浮かべて、それを反転させたり、傾けたりするのは得意なんだって。未明子さんは女の子だけど、そういうのが得意なタイプ」
「ああ。そういえば植物園でもミラくんの存在を感知できるとは言え迷わず移動していたね」
それには私も思うトコロがあった。
以前連れて行ってもらった桜ヶ丘公園の記念館。目印のない林の中を迷うことなく案内してくれたし、そこから家が近いとも言っていた。
私が一人で行った時には迷いに迷ってたどり着くのに一時間もかかってしまったのに。
頭の中に地図があって、自分が今どこにいるのか分かっていないとああも簡単に案内することはできなかっただろう。
「それで、この遊歩道は、西側と南側が深い森になってる。で、地図で上から見てみると、入って最初の大きなカーブから、南側に入れるみたい」
「なるほど。地図が頭でイメージできる未明子くんならそこから入って行った可能性が高いのか」
「そういう事。で、このコンパスを使って、南側の森が深くなっている場所を見つけたら、そこが入口」
そう言われてみると未明子ならそういう動きをする気がする。
未明子の感情を探って考えていたけど、彼女の思考を探れば納得できる説ではあった。
サダルメリクはコンパスのアプリを見ながら遊歩道を進んでいく。
しばらく歩いていくと、道が大きく右にカーブしたところで立ち止まった。
「可能性が高いのは、ここかな」
何度も通りすぎた場所ではあるが、木々が密集しているのでここからの進入はしていない。
「ここから、南に進んで行こう。夜明さん、目印を作ってもらってもいい?」
「承知した」
夜明が木の枝に赤いテープを巻きつける。
次にこのテープを見る時は未明子が一緒にいるといいのだが。
遊歩道から離れて進めば進むほど現実世界との境界線が曖昧になっていく。
周囲は代わり映えのない木と苔と岩ばかり。
まるで自分も植物の一部になってしまったかのような錯覚に陥る。
そんなことをもう3日も続けて、流石に気が滅入ってきていた。
「結構進んできたけど特に痕跡は無いね」
夜明が木の枝にテープを巻きつけながら周囲を注意深く探る。
このあたりはゴミなども無く、人が入りこんでいるような気配はなかった。
サダルメリクはバス停でしていたように、腰を下ろして地面をじっと見つめたり、上を見上げたり、木の表面を観察していた。
こんな自然しかないところでヒントを見つけるのは難しい。
流石にここからは勘を頼りに進むしかないだろう。
と、私が思っているとサダルメリクがある一点を指さした。
「夜明さん、そこの木の枝の折れてる部分、ちょっと見てもらってもいい?」
「これかい? どれどれ」
「そしたら、同じように、こっちの木の枝の折れてる部分を、見てもらえる?」
身長の低いサダルメリクでは目の届かないところにある木の枝を夜明に見てもらっていた。
「あ。こっちの枝の方が最近折れたみたいだね」
「枝はこっち向きに折れてるから、じゃあこっちに進んだかもしれないね」
「ちょっと待って。どうしてそんなことがわかるの?」
木の枝が折れているから何だと言うのだろうか。
私が疑問を口に出すと、夜明がいま見ていた枝の切れ目を見せてくれた。
「ほら。この枝の折れ目、色がまだ綺麗だろう? 対してさっきの枝は折れ目が酸化して濃くなっている」
「そんなの、この枝がこっちの枝より後に折れたのが分かるだけじゃない」
「そうかもしれない。だけど、この折れた枝の高さ、何か馴染みがない?」
「高さ?」
サダルメリクに言われて枝が出ている場所を見てみるが、その位置にどんな馴染みがあるのか皆目検討もつかなかった。
「この高さ、ちょうど未明子さんの、肩か、頭くらいの高さじゃない?」
「あ!」
そこまで言われてようやく理解できた。
確かにその高さは未明子の体の肩か頭の位置くらいだ。
という事は、未明子がここを通る時にその枝に体をぶつけていた可能性がある。
そして折れている方向が、未明子が進んだ方向という事だ。
「しかもこれ、折れてそんなに経ってないね」
「じゃあこの先に未明子がいるってこと?」
「可能性があるってだけ。だから、まだ期待しない方がいい」
そう言われても昨日までは何の痕跡も見つからなかったのだ。
たったこれだけでも期待感を煽るには十分だった。
私はついその方向に向かって走り出してしまった。
「ちょっとアルタイルくん!? ゆっくり歩かないと危ないよ!」
「体力のある人が先行してくれるのは、歩きやすくなってありがたい」
「いやー。いきなりあんな風にパッと笑顔になられると可愛いね。連れてきた甲斐があったよ」
「それは、分かる。じゃあその笑顔を曇らせない為にも、頑張ろっか」
折れた枝を目印に進んでいると、ある程度進んだ所でまた手掛かりを失ってしまった。
本当に樹海の中はどこも同じに見える。
ここまで要所で目印を作ってこなかったら、元の場所に戻れる自信は無い。
「うーむ。ここからは全く手がかりなしか。メリクくん何か分かるかい?」
「……ううん。特に何も見つからないね」
「じゃあここからは勘で探すの?」
「それも、いいけど。ここはダイスの神様に、聞いてみよう」
そう言うとサダルメリクはポケットから何かを取り出した。
小さな手の上にあったのは、六面体のサイコロだった。
「サイコロ? そんな物を頼りにするの? せっかくここまで分析で進んで来たのに?」
「ダイスの神様は、エンターテイナー。ここで、未明子さんと会えるのが面白いと思ったら、絶対その目を出す」
心配になった私が夜明を見ると「やってみる価値はあるよ」とでも言わんばかりの顔でニヤニヤしている。
ここまでサダルメリクを信じて進んで来たのだからもう任せてもいいと思えてはいるけど、サイコロを頼みにするのは抵抗があった。
「進行方向に1から6で方向を決めたから、出た目に従って、進もう。じゃあ、この平たい岩を使いまして……」
私の心配をよそにサダルメリクが岩の上にサイコロを転がす。
するとサイコロは6の目を出した。
「ふむ。ここで6が出るのは面白いね」
同じ確率で出る目に面白いも何もあるのだろうか。
納得は行かないが夜明が素直に従っているのを見て、サダルメリクが6に設定した方向に進み始めた。
歩けど歩けど森。
かなり陽が高くなって来たのにそれでも薄暗い森の中を延々と進んでいく。
目印も10を超えて、かなり奥の方まで歩いて来ていた。
突然サダルメリクがピタリと止まると、何やら地面をじっと見始めた。
少し場所を変えてはまた地面を見て、また少し場所を変えては地面を見ている。
「……アルタイル。おっきな声、出せる?」
「え、どういうこと?」
「私も、夜明さんも、ボソボソ喋るタイプだから、大声は得意でない」
「あれぇ? 私ってそんなにボソボソ喋ってるかな?」
「私だって得意じゃないわよ」
「ここから、未明子さんの名前を呼んで」
「近くにいるの?」
「分からない。でも、もしかしたら、反応があるかもしれない」
あるかもしれないだけ。
大声で呼びかけたところで、静寂が帰ってきて落胆するだけかもしれない。
でも、少しでも可能性があるなら。
私の声に未明子が応えてくれる可能性があるなら。
「……分かった。やってみる」
私は森の奥を見据えると、吸えるだけの息を吸った。
そしてできる限りの大声を出す。
「未明子ーーーーッ!!」
きっと生きてきた中で一番の声を出した。
お腹の底から、全ての力を振り絞るように。
大きく、大きく、この森全てに響き渡るように。
「あなたに会いたいの!!」
出会ってからずっと声を潜めてきた私の声を。
「あなたの顔が見たいの!!」
届けたくても届けられなかった私の声を。
「もう一度声が聞きたいの!!」
他の誰でもない私の声を。
「いるなら返事をして!!」
あなたの心に届けたい。
「未明子ーーーーーーーッ!!!」
喉がヒリヒリと痛い。
当たり前だ。私の声帯はこんなに大きな声を出すようにできていないのだから。
咳が止まらない。酸素も足りない。
でも私の心の中にあった言葉は吐き出せた気がする。
だが返ってきたのは、予想通りの静寂だった。
森は今まで通りに何も言わない。
木々のざわめきすらない。
いつも通り何の変化もない顔を見せているだけだった。
「……現実はうまくいかないねぇ」
「……けほっ。仕方ないわ。そんなのでうまく行くならとっくに見つかってるもの」
「いや、クリティカル、出たね」
突然サダルメリクが走り始めた。
私と夜明がキョトンとしている間に、私達を置いてどんどん森の奥の方に行ってしまう。
「ちょ、ちょっと待って! そんな走ると転ぶわよ!」
私と夜明はサダルメリクの後を追って走り出した。
サダルメリクは岩がデコボコ出ている地面を器用にヒョイヒョイと飛び越えながら走って行く。
いつもの鈍重な動きとはうって変わって機敏な動きだ。
眠そうにしているいつもの姿からは想像もつかない。
しばらく追いかけていると、前を走るサダルメリクが転んでしまった。
ああ言わんこっちゃないと思ったら、どうやら転んだのではなく座り込んでいたようだ。
そしてこっちを振り返り叫んだ。
「早く来て!!」
何よ、私に頼らなくてもそんなに大きな声が出せるんじゃない。
拡声器代わりに使われたのを不満に思いながら、サダルメリクのいる場所まで走る。
私と夜明がようやくその場に辿りつくと、そこにはうつ伏せで土に埋まるように人が倒れていた。
女性だ。
長袖に長ズボン。大きなリュックを背負っている。
……まさか。
私の心拍数が跳ね上がった。
未明子であって欲しい気持ちと、そうであって欲しくない気持ちがせめぎ合う。
今ならまだ未明子は生きているのか死んでいるのか分からない状態だ。
力尽きて倒れてしまったとしか思えないその人をひっくり返した時、そこに未明子の死に顔があったら、私はどうなるんだろう。
いっそここで時間を止めてしまいたい気分だった。
でももし危険な状態なら、一刻も早く応急処置をしなくてはいけない。
私は覚悟を決めた。
「……未明子?」
倒れているその女性の肩を掴んで声をかける。
すると
「……何か……」
とかすかに声が聞こえた。
……生きている!
私は掴んだ肩を引っ張ってその女性を転がす。
転がされて仰向けになったのは、土まみれになった未明子だった。
「未明子!!」
私が叫ぶと、未明子は目をうっすらと開けてブルブル震えながら
「何か……食べ物を……下さい……」
と言った。
「……うん、本人は元気だと言っているがかなり衰弱しているようだ。最寄りの病院に連れて行った方がいいかもしれない。……分かった。駐車場で待ち合わせしよう。それと、できれば水と消化に良さそうな食べ物を買ってきてくれるとありがたい」
夜明が買い出しチームに連絡をとってくれている間、私は持っていた携帯食料を未明子に食べさせていた。
「何で食べ物を持ち歩かなかったのよ……」
「ちゃんと持ってきたよ。まる1日分は用意しておいた筈なんだけどな」
「あなたが家を出てから3日目よ」
「はぇーもうそんなにたってたんだ。ところで鷲羽さんは何で制服を着てるの? 学校帰り?」
「……結果的にそうなったわね」
体は土まみれで髪もボサボサ。
目が真っ赤に腫れて、目の輪郭が変わるくらいに酷いクマができているが、今まで倒れていたとは思えないくらい元気に会話ができている。
とりあえず命に別状はなさそうだ。
「サダルメリク、よく未明子がここに倒れているって分かったわね?」
「さっき大声出した時に、ガサガサと落ち葉が動く音がした」
「どういう耳してるのよ」
「聞き耳判定、だよ」
あの距離で落ち葉が動く音が判別できるなんてウサギか何かなんだろうか。
小動物っぽく見えるのはウサギの化身だからかもしれない。
何にせよサダルメリクのおかげで、私達があれだけ苦労しても見つからなかった未明子を見つけることができた。
「ところでみんな何しに来たの?」
私が安堵している中、食料をガジガジ食べながら未明子が素っ頓狂なことを言いだした。
「あなたを探しに来たんじゃない!!」
私達がどれだけ苦労したと思っているのだろう。
思わず声を荒らげてしまったが本人は暖簾に腕押しだった。
「いま五月くんが迎えに来てくれている。さあ、ここから出よう」
「え、出るんですか? ……あー。まあそろそろいいか」
未明子は大事そうに抱えていたビニール袋を見る。
こちらも土にまみれて、何かが入っているのかパンパンに膨らんでいた。
「未明子、これは何?」
「これ? 草とかキノコとか」
「は? あなたこんな場所までそんな物を取りに来てたの?」
「この人、本当にキノコ狩りしてたよ。さっき地面がデコボコしてたのは、それだったのか」
流石のサダルメリクも呆れ顔をしていた。
しかし意味が分からない。
こんな危険な場所で何をしているかと思ったら植物採取?
本当に精神がおかしくなってしまっているのだろうか。
「わ……分かったわ。とりあえず今はその話は置いておきましょう。歩ける?」
「うん。食べたら全然動けるようになったよ」
未明子は思いのほか軽やかに立ち上がった。
そして持っていたビニール袋をリュックにしまうとスタスタと歩き出す。
元気なのはいい事だけど少し元気すぎる気がする。
今の今まで倒れていて、そもそもこの3日間ずっと樹海を彷徨っていたようには思えなかった。
「この3日間どこに行ってたの?」
「えー? ずっと森の中をウロウロしてたよ」
「まさか一晩中ずっと!?」
「いやいや。流石に懐中電灯が効かなくなってからは駐車場のところにあるベンチにいたよ」
駐車場にあるベンチと言えばサダルメリクが最初に調べていたところだ。
まさか、あの段階で未明子があの辺りを拠点にしてるって予想がついていたって事?
結果的にサダルメリクの言う通りに探したら未明子を発見できたし、もしかして昼行灯を装ってるだけで相当なキレ者なのかもしれない。
そのサダルメリクは、仕事は終えたと言わんばかりにウトウトしながら夜明にもたれかかって歩いていた。
来るまでに付けておいた目印を頼りに樹海から出てくると、駐車場にはすでに買い出し組の車が到着していた。
こちらを発見したアルフィルクが走り寄って来てそのまま未明子を抱きしめる。
「未明子! あなたこんな所で何してたのよ!」
「おわあーアルフィルク、私いま汚いから触らないほうがいいよ」
「何言ってるの! 心配したんだからね!」
「未明子ちゃん! 元気そうで良かったよ」
「犬飼さん、無事で何よりです」
同じく未明子を迎えた九曜五月とすばるも安心した顔をしていた。
未明子はボケーと感情のない顔でみんなを見ている。
「結局あなたここに何しに来てたのよ?」
「え? 草取ってた」
「はぁ!? なんで草?」
アルフィルクがそんな顔になるのも無理はない。
私だってどうしてこんな思いまでして草むしりをしていたのか謎なのだ。
そんな中、唯一すばるだけが不審そうな顔をしていた。
「犬飼さん、聞いても良いでしょうか? なんの草を取っておられたのですか?」
「トリカブトだよ」
未明子が軽く言い放ったその言葉で全員の空気が一気に変わった。
トリカブトは日本三大有毒植物の一つとされる猛毒の植物だ。
普通に生活していたらまず関わりの無い凶悪な植物だ。
「……どうしてトリカブトを?」
「そんなの決まってるじゃん。フォーマルハウトを殺すのに使うんだよ」
私は絶句した。
「アイツを殺すのに一番苦しい方法は何かなって調べたんだ。いろんな苦しめ方が分かったんだけど結構手に入らない物が多くてさ。一番手軽に手に入りそうなのがトリカブトだったんだ。念の為ほかの毒草とか毒キノコも集めたんだけど一番苦しんで殺せるのはやっぱりトリカブトみたい」
未明子は全く感情の無い声でそう言うと、嬉しそうにリュックにしまったビニール袋を取り出した。
ビニールの中にはトリカブトらしき植物の根や、色鮮やかなキノコがありえないくらいの量詰まっていた。
それはそのまま未明子の憎悪の大きさを表していた。
未明子は鯨多未来を殺されたすぐ後、フォーマルハウトに復讐する為に動いていたのだ。
「み、未明子……あなた、あの後ちゃんと悲しんだの? ちゃんと泣いたのよね?」
アルフィルクが恐る恐る聞く。
それはとても大事なことだ。
辛いことがあった時、人は泣くことによって気持ちの立て直しを行う。
だけど未明子の行動にその時間があったとは到底思えなかった。
「え? 泣いてないよ。ミラが泣くなって言ったから」
全員言葉が出なかった。
精神的におかしくなっているどころでは無い。
やはり未明子は完全に壊れてしまっていた。
悲しむのも苦しむのも何もかもを後回しにして、何よりフォーマルハウトを殺すことを優先させるなんて常人の行動では無い。
鯨多未来を失ったことで、未明子は正気を失ったまま止まれなくなっているのだ。
「嘘でしょ!? あなたの目、そんなに赤く腫れてるじゃない!?」
「あーなんだろ。寝てないからかな」
未明子が自分の目をさすっている。
よく考えたらさっきからほとんど瞬きもしていない。
「さ、最後にちゃんと寝たのはいつ?」
「えーと、戦いのあった前の日かな。あれから全然眠れなくて」
私を含めて全員が感じたに違いない。
未明子が無事だったと喜んでいたのに、実は彼女は全く助かっていなかった事を。
およそ70時間。
未明子は一睡もしていない。
しかもその大部分の時間、ずっとあの深い森の中を歩き回っていたのだ。
「五月くん! 車を出してくれ。アルフィルク、すばるくん、未明子くんを連れてきてくれ、すぐに出よう!」
夜明が慌ただしく指示を出すと、全員がすぐに動き始めた。
私もサダルメリクの手を引いて車に向かった。
「え? え? みんなどうしたの?」
未明子だけが何一つ理解していなかった。
私は車に向かいながら涙が出そうだった。
馬鹿だった。
未明子の顔を見て安心している場合じゃなかった。
あんなに大事にしていた恋人を失ったのに、無事な訳がなかったんだ。
犬飼未明子は、体が生きているだけで、もう心が死んでしまっていた。
 




