第50話 沈む月の迷い⑤
動けなくなったミラができるだけ身を屈めてくれていた理由が分かった。
ステラ・アルマの変身が解けてステラ・カントルが操縦席から投げ出された場合、当たり前だけど操縦席があった高さから落下することになる。
操縦席は地上10メートル以上の所にあるから、そんな所から落ちたら普通の人間は運が良くても大怪我、運が悪ければ死ぬ。
だからステラ・アルマはみんな、変身が維持できないと感じた時はなるべく身を屈めて投げ出される位置を低くしてくれるみたいだ。
それでも私は2メートルくらいの高さから落ちて体を地面に打ちつけた。
たまたま下が土だったから痛いで済んだけど、もしコンクリートだったら骨折くらいはしていたかもしれない。
ステラ・アルマがダメージを受けすぎて強制的に変身を解除されるとステラ・カントルにもそれがリンクする。
私は初めての戦闘の後のように、自分の体を自由に動かす事ができなくなっていた。
「う……うぅ……」
すぐ隣に横たわっているミラのうめき声が聞こえる。
ミラは私が地面に打ち付けられた怪我なんてどうでもよくなるくらいに大怪我を負っていた。
装甲が全て破壊されたせいで着ていた服はほとんどが破けているか溶けてしまっている。
散々蹴り飛ばされた場所は赤く腫れ上がっていて、最後に受けたアサルトライフルのせいで身体中に痣ができて至る所から出血をしている。
特にフォーマルハウトに撃たれた右足からの出血は酷かった。
私がさっさと覚悟を決めなかったせいでミラをこんなに傷つけてしまった。
いま彼女を苦しませているのは全部私の心の弱さのせいだ。
私は動かない体を何とか這いずらせてミラに寄り添った。
本当は手を取ってあげたいけど、その手すらも傷だらけで痛い思いをさせてしまうかもしれない。
できるのはせいぜい声をかけるくらいだ。
「ごめん。ごめんねミラ……」
「……頑張ったけど……守り……きれなかったよ……」
「そんなことないよ。最後までミラが私の盾になってくれたから、私は怪我しなくて済んだんだよ」
もっともこの後私は殺される。
怪我をしていようとしていまいと何の関係もない。
ただ最後の瞬間までミラが命がけで私を守ってくれたのが嬉しかった。
『よくやった。偉いぞ君』
私達のはるか頭上から声が聞こえる。
見上げると、フォーマルハウトが敵チームのステラ・アルマに労いの言葉をかけていた。
『私がやると破壊していたからな。君がやってくれて助かったよ』
フォーマルハウトは上機嫌にそのステラ・アルマの肩を撫でていた。
あんな奴に労われたところで気分が悪いだけだろうに。
仲間を目の前で殺されて、脅されて、不本意に敵を攻撃させられて褒められる。尊厳なんてあったものじゃない。
『約束通り君は助けよう。ただ、君のいたユニバースは諦めてくれ』
「……え?」
言われたことを理解できずにいる敵のステラ・アルマの操縦者を無視して、フォーマルハウトは自分の目の前に紫のゲートを開いた。
そしてそのステラ・アルマの肩をぐいと掴む。
「な、何をするの!? やめて……!」
フォーマルハウトは抵抗しようとする相手を強引に引きずり、そのままゲートの中に放り込んでしまった。
そしてすぐにゲートを閉じでしまうと「よし」と一言つぶやいた。
……あれで、助けた?
ゲートに放り投げたということは、どこか別のユニバースに飛ばしたという事だ。
自分の知らない、友達もいない世界へ。
それを助けたなんて言うのは傲慢すぎる。
殺さなかっただけで実質死んだのと同じだ。
『さ。これで最後までステラ・アルマが残っている君達のユニバースの勝利だな』
お互いのチームで残っているステラ・アルマはミラだけだ。
フォーマルハウトがこの戦いに関係のない存在ならば、私達の勝ちということになるんだろうか。
こいつが何を考えているのか本当に分からない。
私を殺すだけなら何もこんなに面倒なことをする必要はないのに。
『ああ、そうだ。一応残ったお仲間も消しとくか』
フォーマルハウトは再びゲートを開くと今度は自分がそのゲートの中に入っていった。
どこに移動したのかと探すまでもなく、アイツは戦闘不能になった九曜さんと暁さんの前に開いたゲートから出てきた。
まさかみんなも殺す気なのだろうか?
殺す気があるならどうしてさっき見逃したんだ?
「やめろ…!」
私がここでそう言ったところで声すら届かない。
フォーマルハウトは両手を構えてビームの発射体勢を取ると
『おい!! そっちの管理人!! 見えてるんだろ!? さっさとこいつらを撤退させないとこのまま撃ち殺すぞ!!』
突然そう叫び出した。
みんなを痛めつけるだけ痛めつけて、撤退させろ?
何故? どうして?
フォーマルハウトの意図の分からない行動が続きすぎて苛立ってきた。
その呼びかけに応えるように、倒れている九曜さん、ツィーさん、それに暁さんが乗ったサダルメリクちゃんが光に包まれて元の世界に戻されていったのが見えた。
セレーネさんが撤退させてくれたのだろう。
ひとまずみんなが殺されずには済んだみたいだ。
敵も味方も誰もいなくなって、このユニバースに残されたのは私とミラとフォーマルハウトだけになった。
『よし。これで邪魔は入らないな』
私達の目の前に紫色のゲートが開かれると、すべてを終えたフォーマルハウトがそのゲートから姿を現した。
コイツが何をしようとしているのか最後まで分からなかった。
でも、もうどうでもいい。
後はさっさと私が殺されればミラを撤退させられる。
覚悟を決めて最後の攻撃を待っていると、フォーマルハウトの体が光に包まれた。
この光はステラ・アルマが変身を解く時の光だ。
今まで巨大なロボットだったシルエットが徐々に人の形になり、完全な人の姿になる。
その姿はあの時、江の島で見た女性に間違いなかった。
変身を解いたフォーマルハウトの腕には一人の女性が抱かれていた。
白いワンピースを着た髪の長い美しい女性だった。
その女性は目を閉じたままぐったりとフォーマルハウトの腕に体を預けている。
どう見てもその女性に意識があるようには見えなかった。
あれがフォーマルハウトのステラ・カントル?
ステラ・カントルに意識が無いのにステラ・アルマが動くことができるのだろうか。
いまの私には分からないことが多すぎる。
フォーマルハウトはその女性を優しく地面に下ろすと右手で頬にそっと触れた。
「ここで少し待ってろよ。すぐ終わる」
私に向けた気味の悪い笑いではなく、愛した人に向ける優しい笑みを浮かべていた。
コイツ、ちゃんとそういう感情は持っているんだ。
持っているくせに自分と関わりの薄い相手や興味の無い相手には一切感情を動かさないんだ。
フォーマルハウトは私とミラの前までやってくると気怠そうに腰を下ろした。
「こんにちわ犬飼未明子。また会ったな」
「……こんにちわ。私は別に会いたくなかった」
「まあそうだろうな」
フォーマルハウトは私の表情をじっと観察していた。
はっきり言ってコイツに興味は無かった。
もう完全に敗北してここから逆転の目は無い。
誰かが助けに来てくれる事も無い。
この後殺されるだけなのだから特に感情は働かなかった。
早く殺してもらって、ミラを元の世界に戻せればそれでいい。
「君、負けたのに全然悔しそうじゃないな?」
「悔しくない訳じゃないよ。でも負けた事にどうこう言ったり、お前を憎んだりはしない」
かつて自分が撃ち殺した二人の女の子を思い出していた。
あの二人の憎しみに満ちた目は今でも忘れていない。
戦いに負けて、殺されることをただの理不尽と決めつけてしまったあの二人に私は怒りを感じていた。
相手を殺すのに、殺される覚悟は無いのかと。
だから私は自分が同じ境遇になった時は絶対に相手を恨んで死ぬようなことはしないと決めた。
それは戦うと決めた自分の責任だ。
「本当は君をここで犯してやるつもりだったんだ。戦場以外での手出しは御法度だが、ここは戦場だ。相手を殺すのも痛ぶるのも自由だからな」
何を言い出すのかと思ったら聞いて呆れた。
今までの行動にどんな理由があるのかと思ったら、ただ相手に対して嫌がらせをしたいだけだったのか。
自分より弱い相手をいじめるのが目的だったのか。
思っていたよりくだらない理由だ。
「……や、やめなさい……未明子に、手を……出さないで……」
ミラが精一杯の力で体を動かして、私の盾になるように抱きしめてくれた。
ミラの体から血が垂れて私の体にこぼれる。
いつも暖かいミラの体は冷たくなっていた。
フォーマルハウトを気丈に睨め付けるその体もブルブルと震えている。
私は泣きそうになりながら、同じようにミラの体を抱いた。
「本当にうざいな。何度もしゃしゃり出てくるなよ」
フォーマルハウトがミラの体に触れようと手を伸ばす。
「ミラに触るな!!」
その手を跳ね除けるように私が叫ぶとフォーマルハウトは嬉しそうに笑った。
「そうそう。やっぱり君は自分のことよりコイツが方が優先なんだよな」
「私を殺すつもりならさっさと殺せばいいだろ? そしてさっさとここから消えろ!」
「ん? 君は何を言ってるんだ?」
フォーマルハウトは心底不思議そうな顔を見せた。
「何で君を殺さなきゃいけないんだよ。そうならないようにわざわざ他の子を使ってコイツの変身を解いたのに」
「お前はさっきから言ってる事もやってる事も訳が分からない。私を殺すって言ってたじゃないか」
「いや。私はこのステラ・アルマを殺しに来たんだ」
フォーマルハウトはハッキリとミラの方を見た。
「……何だって……?」
コイツは最初から私じゃなくてミラを狙っていた?
私を殺すならミラを躊躇なく破壊すればいい。
それをしないのはただ嫌がらせをしているだけだと思っていた。
なのにコイツはわざわざミラの変身を解き、その上敵を全滅させた。
ミラの変身を解いたのは、私とミラを分ける為?
敵を全滅させたのは、私達の世界を残す為?
こいつの目的は、私を生かした上でミラを殺すこと?
そう考えると辻褄は合う。
でも何故ミラを?
「ど、どうしてミラを殺す必要があるんだ?」
「ようやくいい顔になったな。でもそれを知る必要はないよ。君はただ私を恨んでくれればいい」
そう言ったフォーマルハウトはミラの腕を掴むと強引に私から引き離した。
「君とこの前話しておいて良かったよ。どうしたら君が最高に恨んでくれるか分かったからね」
「ミラを離せ! やめろ!」
いますぐ掴みかかってやりたいのに体が言うことを聞かない。
いま動かないと私は一生後悔するって分かっているのにどうしても動けない。
「さっきまでの余裕が消えたね。やっぱり負けた者はそういう顔をしなくちゃ」
フォーマルハウトがまたあの気味の悪い笑みを浮かべる。
そして、自分の左手をミラの胸にあてると残った右手でゲートを開いた。
「……あ……うそ……いや……やだぁ!!」
ミラが突然苦しみだした。
顔を苦痛に歪めて悲鳴を上げている。
やめてくれ。
ミラはもう動けないしこれ以上傷を負ったら死んでしまうかもしれない。
もう元の世界に返してあげてくれ。
私が死ぬから、喜んで代わりに死ぬから、ミラにそれ以上酷いことをしないでくれ。
フォーマルハウトはゲートに右手を差し込むと、力を込めて何かを引っ張りだしてきた。
それはステラ・アルマの瞳と同じ深い青色の、小さな丸い球のような物だった。
その球の周囲には白い煙のようなものが浮かんでいて、その煙が外側から中心に向かって渦を巻いている。
渦の中心は淡く光っているように見えた。
フォーマルハウトはその球をゲートから完全に取り出すと、自分の右手の上に乗せて私に見せた。
「これがお前のステラ・アルマの核だ」
「え……」
ステラ・アルマの核……。
あれがミラの本体だって言うのか?
核はステラ・アルマの本体で、体の中にあって取り出せないって言っていたのに。
「私の能力でも離れた場所にいるステラ・アルマの核を体から抜き出すのは難しい、でもこうやって体に触れてしまえば体の中にゲートを作って外のゲートと繋ぐことができる」
つまりあいつはミラの胸の奥から強引に核を引き出したということだ。
「ふざけるな!! それに触るんじゃない!! 元に戻せ!!」
「大丈夫だよ。多少体から離れたところで人形の方が死ぬわけじゃない。他の奴で試してるから安心しなよ」
フォーマルハウトはその核を私の目の前に差し出した。
「どうだ? これがお前の恋人の本体だ。よく見てあげな」
「……いや……未明子……見ないで……」
初めてミラの本体を見た。
ステラ・アルマは自分達の本体に対して嫌悪感を感じている。
それはあまりに人間と違うからだろう。
自分の愛する人間と、自分の形が違いすぎるから、隠しておきたかったんだろう。
でも私にはミラの本体はとても美しく見えた。
学校で初めてミラを見た時のように、こんなに美しいものがこの世に存在しているのかと思った。
この小さな球体がミラだと言われただけで私にとって愛おしくてたまらなかった。
「綺麗……」
「はぁ? いま何て言った?」
「え? 綺麗だって……」
「君、これが綺麗に見えるのか? こんな得体の知れないものがこいつの本体なんだぞ?」
「こんなに美しいものがどうして綺麗に思えないの?」
フォーマルハウトはここにきて初めて戸惑いを見せた。
人差し指を親指で弾きながら、私を信じられない生き物のように見る。
「駄目だ。私には理解できない。他の奴に同じことをした時は気持ち悪がっていたのに。一体何なんだ君は……」
お前が何なんだ。
他のステラ・アルマやステラ・カントルにもこんな酷いことをしたのか?
自分の愛する人に気持ち悪いと言われたステラ・アルマが、どういう気持ちだったか分からないのか?
私は抑えていた憎悪が溢れ始めていた。
「まあいいさ。君がこれをどう思おうが、私のやることは変わらない」
フォーマルハウトは、何故かミラの核を私に手渡した。
その核を両手で大事に握らせる。
握った核は冷やりとしていた。
そして少しだけ鼓動しているような気がした。
いままでそんな経験はないが、心臓を持ったらこんな感じなのかもしれない。
「……なんで私に渡したんだ?」
「にぶいな君は。こうする為に決まってるだろ」
そう言うと、フォーマルハウトは自分の両手で私の両手を強く握った。
「あああああああああああああッ!!」
ミラが悲鳴をあげる。
その悲鳴が私のせいだとすぐに理解した。
私は手を広げようとするが、フォーマルハウトがそれを阻止する。
「あああああッ!! ああああああああああ……」
ミラは苦痛の表情を浮かべながらその場で悶えていた。
涙を流し、喉が裂けそうになるほど悲鳴を上げている。
「あーあーかわいそうに。核は繊細なのに、こんな風に潰されたら死ぬほど苦しいわな」
……こいつ……こいつ!!!!
私は間違いなく生涯最高の怒りを感じていた。
怒りが後から後から生まれて、目の前が真っ白になりそうなくらいに怒った。
どうしてこんな酷い事をする必要があるんだ!?
私の大事な人の、大事な核を握りつぶさせるなんて!!
私がどれだけミラの事を大事にしてると思ってるんだ!?
どうして私にミラを苦しまさせるんだ!?
許さない!! 許さない!!
コイツだけは絶対に許さない!!
「おーこっわい顔。どうしてあんなかわいい顔からこんな鬼みたいな顔に変われるんだ」
「やめろ。手を離せ。これ以上やったらお前を殺す」
「それができないから私にこんな目に合わされてるんだよ」
フォーマルハウトはさらに強く私の手を握った。
私が抵抗したところで何の意味もないくらいに握りつぶしてくる。
「いやあああッ!! いやああああああああッ!!」
私の耳に絶望の声が響いてくる。
この世で一番聞きたくない声が、大音響で私の脳を揺らしていた。
最低最悪な気分だった。
私は涙を流しながら、フォーマルハウトの顔を睨む事しかできなかった。
「……あああっ……あああああっ……」
ミラは声を出しすぎて喉が枯れてしまっていた。
それでも私の手の中で核がつぶされている限り苦しみの声をあげ続ける。
もういい。
もうやめてくれ。
こんな地獄はもうたくさんだ。
こんな地獄を味わい続けるなら私はもう死にたい。
殺してくれ。
こんな目に合わせるくらいなら殺してくれ。
ほどなくして、私の手を握っていたフォーマルハウトの力が弱まった。
嫌な笑みを浮かべながら私の両手から自分の両手を離す。
私は震えながら、自分の手をゆっくりと開いていった。
そこにはグシャグシャにひしゃげてしまったミラの核があった。
私は気が遠くなった。
ステラ・アルマにとって核がどれだけ大切なものかは理解していた。
ステラ・アルマのもう一つの心臓なんて例えがピッタリなくらい、これが大事なものだって理解していた。
それを自分の手で握りつぶしてしまったのだ。
あんなに美しい形をしていたミラの核は、歪な形に変わってしまっていた。
呆然とする私を尻目に、フォーマルハウトはミラの腕を掴んで私に放り投げた。
ミラは全身から骨が抜けてしまったかのように力なく私に倒れこんでくる。
持っていた核を左手で避けて、なけなしの力を振り絞って右腕でミラの体を支える。
力が入らず、あやうくミラの体を地面に落としそうになってしまった。
ミラの全身は痙攣していた。
とめどなく涙を流しながら、虚ろな目で宙を見ている。
ああ……全部私のせいだ……。
「派手にやったねぇ。これはもう無理だな。犬飼未明子、君のステラ・アルマはもうすぐ死ぬ」
私にはもう受け答えする気力はなかった。
腕の中で横たわっているミラを見て涙を流すのが精一杯だった。
「感想を聞きたかったけどそんな余裕もないか。いいさ、私の目的はこれで済んだ。あとは残った時間を二人で過ごすといい」
そう言ってフォーマルハウトは自分の前に紫色のゲートを開く。
そしてさっき寝かせていた女性を抱き上げると、私に言った。
「これで私と君には強い因縁ができた。君の大切なステラ・アルマをこんな風にした私を、さて君はどうするのかな? 楽しみにしているよ」
もうフォーマルハウトが何を言っているのか分からなかった。
言葉は全部右から左に流れて行っていた。
いまの私にはミラしか映っていなかった。
フォーマルハウトは私の反応がないのを察するとゲートの中に入っていき、ゲートを閉じた。
そうして誰もいなくなった。
このユニバースには、私と、死が確定したミラの二人だけが残された。




