第4話 二人だけのユニバース①
「犬飼さん、本当に大丈夫?」
かわいい顔が私を覗きこんでいる。
私は今、鯨多さんに膝枕をしてもらっている。
あの後、私の脳はとうとうオーバーヒートしてしまい、その場に倒れこんでしまったようだ。
でも仕方がないと思う。
好きだった女の子に告白して、その女の子にキスをされ、付き合うことになり、いきなり知らない場所に飛ばされて、自分は人間ではないと言われ、そのすぐ後に彼女が屋上から飛び降り、目の前に巨大ロボットが現れたのだ。
これを「ふむふむ。今日は面白いことがたくさん起きる日だな」なんてスルーできてしまう人は頭がどうにかなっていると思う。
とは言え、私の頭は割とそのどうにかなっている方に近かったらしく、すでにだいたいのことは消化してきていた。
「確認するけど、あの大きなロボットが鯨多さんの本当の姿ってこと?」
「本当の姿と言うか、あの姿も私と言った方がいいと言うか……基本的には今のこの姿がベースで、ロボットにもなれると思ってもらえるといいのかな」
私の頭にあたっている、とても柔らかいこの魅惑の太ももを持った姿が基本で、あのゴテゴテとして、どちらかと言うとカッコイイ姿も鯨多さんの姿らしい。
私はもちろん今のこのかわいらしい姿の方が好きだけど、あれも鯨多さんだと言うなら、それはそれで愛したいと思った。
「星の力を宿す……えっとステラ・アルマだっけ? 鯨多さんが人間じゃないって言うのは、そのステラ・アルマだからってこと?」
「そうだね。この星の人がみんなロボットになれるなら、私も人間でいいと思うけど……」
私はもちろん巨大ロボットに変身できる様な能力はない。
クラスメイトも、私の家族もみんなそうだろう。
もしそんな能力があるのなら、男子はみんなこぞって変身して、そこらはロボットだらけになっていることだろう。
「あと、この誰もいない場所が別のユニバースって言ってたのは?」
「普段私たちが暮らしている世界とは別の世界だよ。ステラ・アルマは好きな時に別のユニバースに移動することができるんだ」
「私はステラ・アルマじゃないのにどうして?」
「私とキスしたでしょ? ステラ・アルマと結ばれてキスをすると、その人もユニバースを行き来することができるんだ。もっとも、移動する為の扉を開くことは出来ないから、ステラ・アルマと一緒じゃなきゃダメなんだけど」
あぁ、そう言えばここに来る前に彼女がそんなことを言っていた気がする。
彼女とキスを交わすのが条件なら、ここに誰もいないのは納得できる。
「最後に聞きたいのは、鯨多さんの言っていた ”乗る” って言うのは」
「うん。そのまんまの意味」
彼女に乗ると言うのは、彼女というロボットに乗り込む、という意味だった。
そんな事とは思いもよらず、私は別の意味で了承してしまった。
でもそれなら分からないことがある。
「何で私が乗る必要があるの? あ、乗るのが嫌だって意味ではなくて、私が乗ることで鯨多さんの助けになることがあるの?」
「好きな人に乗ってもらえることは、ステラ・アルマとしてはとても嬉しいことなの。とても心が安らぐことなんだ」
「そういうことだったら全然かまわないけど……」
私が乗り込むくらいで安らぎを感じてもらえるならお安い御用だけど、どうにもそれだけではない気がする。
なぜなら鯨多さんが昨日と同じ顔をしているからだ。
何か言い出したいけどタイミングを計るとき、彼女はこういう顔をするということを知った。
今も他に言いたいことがあるのに、なにか理由があって言い出せないんだと私の直感が答えていた。
私は魅惑の膝枕を惜しみながら上体を起こすと、そのまま勢いで彼女をそっと抱きしめた。
柔らかい。
この体は人間と同じ。
ロボットになれると言っても、今は普通の女の子の体なのだ。
私が急に抱きしめたので鯨多さんは「え、あの…」と口に出しながら焦っている。
「鯨多さん。言いたいことがあったら全部言っていいよ。私あなたの恋人だから。何でも聞きたい」
自分でも何と気取ったセリフだと思ったけど、これは本心だ。
いい淀むと言うことは、言いにくい事に違いない。
それなのに彼女は私に秘密をいろいろと打ち明けてくれた。
拒絶されるかもしれないにの伝えるのはすごく勇気が要ることだ。
それは私だって昨日経験した。
でも言葉に出したら、そこから始まる何かがあることも分かった。
だから彼女には全て話して欲しかったのだ。
私は彼女の手を握って、彼女が話してくれるのを待つ。
少しして、彼女が意を決したのを感じた。
彼女が私の手を強く握り返す。
「犬飼さん。お願い、私と一緒に戦ってほしい」
その言葉は予想していた一つの言葉だった。
私は今まで女の子にばかり興味を持っていたからロボットには詳しくない。
だけどロボットに乗ってやることなんてそんなに多くはない筈だ。
ロボットに乗って何かを造る。
ロボットに乗って旅をする。
ロボットに乗って何かと戦う。
私はその中で言い辛いことなんて、戦う以外に無いと思っていた。
きっとステラ・アルマは、何かと戦うための存在なんだと言うことをぼんやり理解していた。
私は考えた。
戦う。
私は誰かと戦ったことなんてない。
今までの人生の中でそんな状況になったことはない。
あえて言えば今の高校に受かるために受験で誰かと争ったくらいだ。
きっと私に負けてあの高校に受からなかった人もいるだろう。それも戦いには違いがない。
でもあれは直接誰かと戦った訳ではない。大勢の人が同じ戦いに挑み、勝った人と負けた人、その境界ができただけだ。
でもきっと鯨多さんの言う戦いとは、何かと戦って、勝利することを目的とした戦いなんだろう。
勝ちと負け。それが明確に分かれる戦いのことを言っているんだと思う。
そしてそれには危険が伴う。
でなければいい辛いことではない筈なのだ。
そんな戦いで、私は鯨多さんの力になれるのだろうか?
逆に足を引っ張ることになるのではないだろうか?
鯨多さんを危険な目に合わせてしまうのではないか?
様々な考えが頭を巡る。
それでも私の中で一番大切なことは決まっていた。
鯨多さんが好きだ。彼女を幸せにしてあげたい。
その一点のみで言えば、私は世界中の誰よりも真剣で、最強だと思っている。
ならば戦いがどうだとか、足でまといがどうだとか、そんなことは関係ないのだ。
「分かった。私は鯨多さんのことが好きだから、あなたのために何だってする」
ぶっとんでいる。
我ながらぶっとんでいる決断だと思う。
昨日から立て続けに信じられないことが起こって私はおかしくなっているのかもしれない。
でも、私は鯨多さんと付き合うことができた。
本当に大好きだった女の子と付き合うことができたなら、あとのことはたいしたことではないのだ。
きっと昨日の私に「鯨多さんと付き合うことができる代わりに世界を滅ぼして」と言ったらノータイムで「承知した」と言った筈だ。
いまの私だってそれは変わらない。
鯨多さんは、昨日一瞬だけ見せてくれた切なそうな顔をしている。
その顔を見せてくれただけでも、私の決断には価値があったと思う。
いいんだ。もしかしたら鯨多さんが本当は私のことを好きではなくて、戦いに私が必要だからそう言ってくれたんだとしても、私にはもったいないくらいのご褒美だ。
彼女が戦えと言えば戦うし、死ねと言われれば死ねる。
犬飼未明子は、好きな女の子のために死ぬことくらいどうってことないのだ。
今度は鯨多さんの方から抱きしめてくれた。
彼女の鼓動が聞こえる。
昨日の私と同じくらい激しい鼓動だった。
全然人間と同じだね。
あぁ、柔らかいし暖かい。
「よろしくね。鯨多さん」
「……名前で呼んでほしい」
なんてかわいいお願い。
私の彼女がかわいすぎて、死ねと言われるまでもなく今すぐ死にそう。
「……未来?」
「本当の名前の方がいい」
本当の名前?
鯨多未来って本名じゃなかったの?
「ステラ・アルマとしての名前。……私は、鯨座の2等星、ミラ。」
鯨座。
天体にも全く詳しくない私は、その星座のことを全然知らなかった。
星占いに出てくる12星座のことくらいしか分からない。
でも鯨座のミラで、鯨多未来。
なんかそのまま過ぎてちょっと面白い。
「鯨座のお星様だったんだ。……ミラ、で良い?」
「うん。私も名前で呼んでいい?」
「いいけど、私の名前って呼び辛くない?」
未明子。
何でこんなヘンテコな名前をつけたんだろう。
口に馴染まないと言うか、字があまってると言うか。
友達は「みあちゃん」とか「あけちゃん」とか「あけこ」とか、あだ名で呼ぶことが多い。
「そんなこと無いよ。未明子っていい名前。空を表す名前だもん」
そう言われてみればそうか。
未明と書いて ”みめい” 。
夜が明けきらない頃の空をそう言うらしい。
”みめいこ” はちょっとどうかと思ったので ”みあけこ” にしたと前に聞いた気がする。
いや ”こ” が邪魔なんだよ。”こ”のせいで不思議な語感になっちゃってるんだよ。
おとなしく ”みあけ” にしといてよ。
ともあれ、鯨多さん……じゃなかった、ミラは、この名前を気に入ってくれているみたいだからいいか。
ところでミラにずっと抱きしめられてとても幸せなんだけど、このままずっとこの場所にいてもいいのだろうか?
だんだん陽が暮れ始めている。この世界でも時間は同じように流れていくらしい。
それに気づいたときに、私はふと疑問に思ったことがあった。
別の世界ってそもそも何のことなんだ?
最近だとマルチバースなんて言葉を使ったりするけど、別の世界が存在するって良く分からないし、そこに誰もいないと言うのはもっと分からない。
ミラはユニバースという言葉を使っていたけど、このユニバースは何で存在してるんだろう。
「ミラ。聞いてもいい? いま私たちがいるこの世界って何なの?」
「この世界は、私たちが生活している世界と全く同じ。だけど異なる世界なの」
同じなのに異なるとはこれいかに。
でも初めてここに入ってきた時は、ここが別の世界だなんて思わなかった。
建物も一緒だし、空気や気温ですら変わらない。
人がいない以外は、何一つ変わらないのだ。
「この別の世界こそが、私たちが戦う理由なの」
「戦う理由?」
「星に願いを、って言葉聞いたことある?」
「うん。そういうタイトルの曲だよね。昔のアニメで使われてたとか」
「そうだね。あとは流れ星にお願い事を3回言ったりするよね」
夜空に流れ星を見た時、その流れ星が消えるまでにお願い事を3回すれば願い事が叶うというのは誰もが知っていることだ。
ただその一瞬で3回もお願いをするのはほとんど無理だという事と、仮にできた人がいたとして、そのお願いが叶ったという話しを聞いた事がないのも知っている。
「星にお願いをすると、星はそのお願いを叶えてくれる力があるの」
「あれって本当だったんだ」
「空に見える星に強い力で願えば、その願いの強さによって星は願いを叶えてくれるの」
「それが戦う理由になるの?」
星が願いを叶えてくれるからミラが戦う?
戦いに勝つと願いを叶えてもらえるとか?
その願いを叶える権利を賭けて戦ったりするんだろうか。
でもミラ自身が星なのに、それも変な話だ。
「この地球には、たくさんの創作があるよね」
「いきなり話しが飛んだね! 創作っていうと、むかし、むかし……みたいなやつ?」
「そういうのも含まれると思う。例えば、漫画とか、小説とか、映画や、お芝居なんかもそう。そういう創作に出てくる世界は全部、別の世界が舞台だと思って」
創作の中の世界が全部別のもの?
確かに、少女漫画の世界にロボットは出てこない。
ロミオとジュリエットの世界に、名前を書けば人が殺せるノートなんか出てこないし、アイドル作品に怪獣が出てくることもないだろう。
それぞれが別の世界と言えば、そうなのかもしれない。
「その別の世界があると何か困ることでもあるの?」
「創作物を作った人、そしてそれを見たり読んだりする人が、その創作物の世界を想像するの。本当に存在するとは思っていないのかもしれない。でもあのお話の世界があったなら、あのお話のキャラクターがいたならと想像をする事はある。その想像をこの地球上にいる大勢の人がすれば、そこには一つの世界が生まれる。そして、大勢の人が想像したそれは、願いに近いものになる」
「……まさか」
「そう。その願いを星は叶えた。それによって世界は数え切れないほど生まれてしまった。私たちが知らないだけで、実は私たちの世界は、この地球は、とてつもない数存在するの」
「ま、まさにマルチバース……。でも、知らないって言っても、目に見える地球は一つだし、他の地球はどこにあるの?」
「いまの地球と全く同じ場所だよ。ただ、寸分たがわず同じ場所にあるからその重なりが分からないの」
地球が数え切れないほど存在していて、同じところに重なり合っている。
と言うことは、この屋上には数え切れないほどの同じ屋上が重なりあっているってことなのか。
全然そんな感じはしないけど、実際にその一つに来てしまっているから、実感はないけどそうだと納得せざるを得ない。
「そして、重なりすぎた世界は、限界を迎えてしまった」
「限界?」
「今この地球は、同じ地球同士で食い潰し合っているの」
「く、食い潰しあってる!?」
「地球同士が衝突して、衝突したどちらかの地球が消え始めている」
「てことは……」
ミラは私の想像した最悪の事実を口にした。
「このままでは、私たちのいる世界もそのうち消えてしまう」