第3話 放課後のステラ・アルマ③
はじめてのキスは何味?
子供のころ、友達の間でそんな話題で盛り上がっていた。
きっとお砂糖味だよ。
もしかしたらイチゴ味かもしれないね。なんて私たちはキャッキャしながら、特に私はそういう話題も、そういう話題で盛り上がる女の子たちも大好きだったので、最高の時間の一つだった。
女の子の唇はどんな味がするんだろう。味はともかく柔らかいんだろうな。
いろんな想像と妄想をしながら、私はいつか自分の好きな女の子とキスできる日を夢見ていた。
きっとその夢は夢で終わって、一生そんな日はこないんだろうと言う冷静な心もあるにはあったがけど、そういうことを考えただけで私の心は満たされていた。
その夢がいま叶ってしまった。
正直、味はしない。
と言うか、そんなところに意識がいかない。
目の前の女の子の少し潤んだ瞳をただ見つめることしかできなかった。
キスする時って、お互い目をつぶるのが約束じゃないんだ。
こんな目と目が合ってするものだったのね。
甘い味がするとか、唇が柔らかいとか、溢れてくるのはそういう感情ではなかった。
ただ目の前の彼女を幸せにしたい。この愛おしい相手のことをとにかく、激しく激しく大切にしたいという思いだった。
どれくらい時間が経過したのだろう?
私の心臓はもう壊れる寸前、いやすでに完全に壊れたのかもしれない。鼓動を感じることもできなかった。
脳もとっくにオーバーヒート。
声を出すことも動くことも出来ない。
ここからどうしたらいいのかも分からない。
彼女の顔を見る以外にできることがなかった。
彼女の唇がそっと私の唇から離れ、彼女はそっぽを向いた。
こちらから彼女の顔を見ることはできなかったが、彼女の耳が絵の具でもぶちまけられたかの様に真っ赤になっているので、きっと顔も同じ様に真っ赤なのだろう。
そして唐突に私の心臓は鼓動を取り戻した。
と言うより激しく鼓動していたのをようやく認識できる様になった。
やっば……。
人間の心拍数ってこんなに上がるんだ。
人の心臓は一生で鼓動できる回数が決まっていると言われるけど、こんなに早く鼓動したらその回数をあっという間に使い切って、早死にしてしまうんじゃないか?
私はなにか声を出そうと思ったのに、情けないことに「ひゅー」という空気しか吐き出すことができなかった。声帯も死んでいる。
さらに情けないことに、私はとうとう立っていられなくなり、そのまま座り込んでしまった。
分かりやすく言うと腰が抜けたのだ。
とにかく呼吸を整えて脳に酸素を送る。
自分に何が起きたかをもう一度整理しなおす。
だが1メガをさらに下まわり、もはや電卓以下のCPUになった私の頭で理解できたのは
”とても幸せなことが起こった” という事くらいだった。
「犬飼さん……」
いまキスをした相手の声が聞こえる。
この声が耳に入るだけでも、私の意識はふっとびそうだ。
「キス、いただきました」
こちらを向いた鯨多さんは顔を真っ赤にしながら舌をぺろっと出して、小さくピースした。
かわいすぎる…!
だが、かわいすぎる…!
私は彼女をかわいすぎる…!
このままではかわいすぎる…!
何故キスをされたのかわいすぎる…!
あーもう! かわいすぎる…!
こんなかわいい生き物がいていいのか!?
私は腰が抜けて地面にお尻を預けたまま、足をバタバタさせた。
「かわいすぎる!」
頭の中と口から出た言葉が直結だった。
いや、どうして突然キスをしてくれたのか聞かなければ。
いや、それ聞く必要あるか?
こんなに幸せなんだから聞かなくてもよくね?
自分にとって一番嬉しい結論をつけて納得したらそれでいいんじゃね?
なんならもう一回キスさせてもらえばいいんじゃね?
って、それだとただの勘違いだったら困るから確認するんだろうがーーッ!!
「ど、どうしてキスしてくれたの?」
「私のことを好きだって言ってくれたから」
「それって鯨多さんも私のことを好きってこと?」
「好きだよ。好きな相手としかキスしない」
「お…おぉう…」
キスをしてもらった上に、何故か鯨多さんも私のことを好きだと言ってくれた。
いつから?
って言うか私に好きになってもらえる要素ある?
ちゃんと話したのも昨日が初めてなのに?
特別顔がいい訳でもない、際立った能力もない、こんな私を好きになってもらえるなんてありえる?
「私もずっと女の子のことが好きなの。犬飼さんと一緒。女の子しか好きになれないの。だからずっと探していたの、私と同じ女の子好きの女の子」
「で、でも鯨多さんくらい友達が多かったら今までにもそういう子が一人や二人いたんじゃない?」
「……うん。何人かはいたよ。でもね、私が本気だと分かるとみんな引いちゃうんだ。あの子達の好きは私の好きと違った」
「……鯨多さんの好きって?」
「キスもその先も、もっと深く深く相手と繋がりたい」
私が普段考えているのと同じことを鯨多さんも考えていた。
そんな相手が本当にいるなんて思ってもいなかった。そんな相手と巡り会えるなんて思っていなかった。
「昨日犬飼さんに告白された時に感じたの。あぁ、この人は本気だ。私と同じだって。ずっと私が探してたのがこの人なんだって。私の心臓、どうにかなっちゃいそうだった。帰ってからもずっと犬飼さんのことを考えてた。ドキドキが止まらなかった。私、あれだけの時間で犬飼さんのことを好きになったんだって気づいたの」
鯨多さんの口から信じられない言葉が溢れてくる。
全部私の妄想と一緒だった。
こうだったらいいな。こんな風に思ってくれていたら嬉しいな。
そんな有りえない、ただの私の妄想と同じことを、鯨多さんも思っていた。
「だからもう一回、ちゃんと言うね。私、あなたのことが好き」
私が一方的に好きだった女の子にキスしてもらったうえに好きだと告白された。
文字面やばいだろ。
前世でどんだけ徳を積めばこんな幸せなことが起こるの?
私前世で世界でも救ったの?
勇者? 勇者なの?
転生したら好きな子に何故か好かれてた件について?
私の好きな子がかわいくて仕方ないんだがどうしたらいいの?
パニクってる場合じゃない。
彼女がちゃんと気持ちを伝えてくれたんだ。ここはしっかりお返事しなくては!
「鯨多未来さん。私と、付き合ってもらえますか?」
「はい。犬飼未明子さん。よろしくお願いします」
彼女が出来ました。
飛び抜けてかわいくて、天使の様に優しくて、しかも私のことを好きでいてくれます。
幸せです。語彙力がなくて多く語れませんが、幸せです。
人生で一番幸せな瞬間です。
鯨多さんは嬉しそうに微笑んでいる。
もう私はいっぱいいっぱいで、どうしたらいいか分からなかった。
とりあえずお付き会いできることになったし、今日はもう帰った方がいい気がする。
これ以上、私の頭も心も、もちそうにない。
「じ、じゃあ鯨多さん、とりあえず今日は一緒に帰ろっか?」
「あ、待って。ここからが本当に話したかったことなの」
ん?
話したかったこと?
お付き合いがしたいって話がゴールじゃないの?
これ以上なにを話したいんだろう?
鯨多さんが話したいなら全然構わないし何でも聞くけど。
私がポカンとした顔をしてしまったので、慌てて鯨多さんが続ける。
「えっと……どこから話せばいいのかな。犬飼さん、私に乗ってください!」
の、乗る!?
えっと、どういう……乗る!?
ポカンとした顔から一転、目玉が飛び出しそうになった。
いかん百面相が面白い人だと思われてしまう。
しかし、乗る?
乗るって、その、鯨多さんに乗るっていうのはあれかな?
鯨多さんを押し倒して、上から覆いかぶさるってことで、つまり、その、えっち的なやつってことなのかな?
「……ダメかな?」
そんな上目遣いでお願いするとかずるくない!?
と言うより私的には全然OKだし、何なら今すぐにここでもいけるくらいの覚悟なんですけど、でもそういうのってあまりに早くないですかね。
最近の女の子はこのスピード感なんですかね。
「ダメじゃないよ! 鯨多さんがいいなら、私もそうしたい」
「本当に? やった」
鯨多さんはガッツポーズをとりながら小さく跳ねる。
いちいち仕草がかわいくてたまらない。
そのかわいさに見惚れていると、手をぎゅっと握られた。
「じゃあ、一緒に来てもらってもいいかな」
「え? どこに行くの?」
彼女は私の手を握ったまま、鍵のしまった屋上への扉に手をかけた。
「あ、鍵がしまってるからそこの扉は開かないよ!」
「さっきキスしたから大丈夫だよ」
「どういうこと!?」
鯨多さんが扉のノブをひねると、その扉は抵抗することなくすぐに開いた。
ただし、その先に見えたのは屋上の風景ではなく、見たことのない光輝く空間だった。
「どういうこと!?」
私は同じセリフを二度吐き出すと、鯨多さんに手を引かれてその光の中に吸い込まれていった。
……。
……。
……あれ?
恐る恐る目を開くと、そこには屋上の風景が広がっていた。
ここに立ち入ったことは無いから詳しくは分からないけど、見える範囲ではいつもの学校の屋上に違いなさそうだ。
ただ、やたら静かだった。
さきほどまで部活に勤しむ生徒の声で溢れかえっていた校内は、まるで誰もいなくなってしまったかの様に静まりかえっていた。
屋上のフェンス越しに運動場を見ても誰もいない。
陸上部が走っている姿も、サッカー部がボールに追い回す姿も見えない。
知っている場所なのにとても違和感があった。
「人がいない?」
「ここは普段私たちがいるのとは別のユニバース。だから大丈夫だよ」
手をつないだ鯨多さんが同じ方を見ながら言った。
別のユニバースってなんだろう?
そして何が大丈夫なんだろう。
「私ね。人間じゃないの」
「え?」
本日二度目の鯨多さんからの告白。
でもさっきと違って今度は訳が分からなかった。
人間じゃない、とはどういうことなんだろう。
私はあなたが思っているような人間じゃないですよってことなのかな?
「私はステラ・アルマ。人の形をした星なの」
何て?
好きな女の子の言っていることだ、なんだって理解してあげたい気持ちはあるけど、本当に彼女が何を言っているか分からなかった。
「正確には星の力を宿した人形なんだ。」
「へ、へぇ〜〜〜」
混乱する頭を押さえつけ、なんとか出たのがこのマヌケな反応だった。
でもいま口から出せる言葉なんてこれが精一杯だ。
私は鯨多さんの顔を見る。
真剣な表情で、茶化したり冗談を言っている風には見えない。
私がじっと見ていることに気づいた彼女は、私の方を見てニコリと笑う。
べ、別に良いかなー!!
よく分からないけど、どうやら鯨多さんは人間ではないらしい。
でもこれだけかいわいくて、優しくて、ちゃんとコミュニケーションがとれるなら、人間であるとか、そうじゃないとかどうでもいいんじゃないかな!
私は心のごまかしとかではなく本当にそう思った。
だから
「そっか。鯨多さんはお星様なんだ。だからそんなに綺麗なんだね」
その言葉が自然と出た。
「信じてくれるの?」
「愛おしい彼女のことだもん。信じましょう!」
それを聞いた鯨多さんは、少し切なそうな顔をしたかと思うと、すぐに満面の笑みを見せてくれた。
「やっぱり、犬飼さんを好きになって良かった」
「私も鯨多さんに好きになってもらえて良かった」
とりあえず彼女は人間ではない。
そして本当によく分からないけど、星らしい。
でも、だからと言って乗るっていうのはどういうことなんだろう?
「そう言えば、さっき言ってた ”乗る” ってのは結局どういうことだったの?」
「あ。そうだった! 今のままじゃ意味わからないよね」
彼女はそう言うと、つないでいた手を離し、突然屋上のフェンスの上によじよじと登った。
「いや鯨多さん危ないよ!」
フェンスの上から私の方を見た彼女は「そこで見てて!」と言い
そのままフェンスから勢いよく飛び降りた
……は?
何でこの状況からいきなり飛び降りるの!?
私は急いで鯨多さんを掴もうとファンスに登るも、すでに鯨多さんの姿は見えなくなっていた。
どういうこと?
彼女が人間じゃないとか、星の化身だとか、そんなのはどうでもいいけど、彼女がいなくなるのは嫌だ。
せっかく一緒になれたのに。
ずっと彼女のことを思ってきたのに!
そんなことが頭を駆け抜けた瞬間、ふと私の目の前が暗くなった。
違う。
正確には目の前ではない。
私の周りが暗くなっているんだ。
突然暗くなるなんておかしい。
そう思って私が空を見上げると、暗くなった理由がわかった。
周りが暗くなったのは、影がかかったからだ。
とてつもなく大きな影が。
見上げた私は信じられないものを見てしまった。
今日彼女が出来たなんてことよりも、もっとずっと信じられないことだった。
私の見上げた先には、巨大なロボットがいた。