第27話 動きはじめた物語
時間は少し巻き戻る。
これはミラの部屋に行った次の日の出来事だ。
季節はそろそろ夏になる。
陽が出ている時間も長くなって、日中の気温もどんどん上がっていく。
そんな中あの地獄の坂を登って登校するのには強い精神力が必要だ。
だと言うのに、いまの私は昨日の失態のせいで精神力は限りなくゼロに近く、死にそうになりながら坂を登っていた。
ダルい体を引きずって何とか教室にたどり着くも、ミラの姿は無い。
いつも私より早く登校してくるはずの彼女の姿が見えない事に一抹の不安を感じるが、ホームルームが始まってもミラはやって来なかった。
担任の先生が出欠を取る。
「鯨多さんは体調不良でお休みするそうです」
不安的中だった。
遅刻ではなく、お休みである。
昨日の事が影響しているのは間違いなかった。
昨日は尻切れトンボで眠ってしまい、目を覚ました時にはすでに帰らなければいけない時間になっていたので、適当に挨拶だけして逃げ帰ってしまったのだ。
だから今日会ったらまずは昨日の事を謝りたかった。
このまま何事も無かったように、いつも通り話すなんてできる訳がない。
明日は土曜日なので、今日会えないなら次に会えるのは週明けだ。
それまで何の連絡も取らないのも変だし、何より私が我慢できそうにない。
でも何て連絡すればいいか分からない。
変にラインを送ってこじれる位なら会って話したい。
授業が始まっても、お昼を過ぎても、ミラはやってこなかった。
授業に全く集中できない私は、ノートに意味不明な図形を書いていた。
……こんなんだったら、私も休めば良かったな。
でも私が休んだとして、もしミラが普通に来ていたら余計に気まずくなる。
それに休み時間だろうと下校時間だろうと、どうせミラ以外に話し相手のいない私と違って、ミラにはたくさんの友達がいるから、そんな気分のまま一日過ごさせるなんて辛い。
じゃあ今の私が辛くないかと言われたら、とんでもなく辛いし、いっそ消えてしまいたい。
ああ、ミラに会いたいよう。
ノートに書いていた意味不明な図形がページを埋めつくし、出来の悪い悪魔を召喚するための魔法陣のようになっていた。
書きたい訳でもない魔法陣を量産した為にシャープペンの芯が尽きてしまう。
なんて非生産的な行動なんだろう。
筆箱の中から替えの芯を探していると、右側から何かが飛んできた。
机の真ん中に落ちたそれは、折り畳まれた小さな紙だった。
とこから飛んできたんだろうと、飛んできた方を見ると隣の席の鷲羽さんがこちらを見ている。
どうやら鷲羽さんが投げたゴミらしい。
何でいきなりゴミを投げられたのか理解できないまま、その紙を拾って机の隅の方に追いやる。
すると再び同じ紙が飛んできた。
投げたのはまたも鷲羽さんのようだ。
しかも今度は何故か怒っていた。
ゴミを投げられた上に怒りを買ってしまったらしい。
意味がわからず不審な顔をしていると、鷲羽さんは声を出さずに口をパクパクし始めた。
え? 何?
へ、あ、み?
て? ぜ?
ぜ、あ、み?
ぜあみって何?
あ、世阿弥か!
いや、何でいま世阿弥?
室町時代の話でもしたいのだろうか。
意図が読めないので、もう聞いてみる事にした。
極力音量を抑えて声を出す。
「この紙と世阿弥が何か関係あるの?」
「手紙よバカ」
手紙?
世阿弥じゃないのか。
じゃあこれゴミじゃなくて手紙か。
手紙!?
これって、授業中にクラスの仲良し同士が秘密のやり取りをする素敵イベントのやつじゃん!
わぁー。小学生の時によくやってたけど、高校生になってからは初めてだ。
久しぶりのイベントにワクワクしながら紙を広げると
(手紙!)
と書かれていた。
分かっとるわ!
お前が手紙なのはさっき聞いたわ!
肝心なのは内容だろが!
何で久しぶりにクラスメイトにもらった手紙の内容が手紙の自己紹介なんじゃい!
鷲羽さんが「そっちそっち」とばかりに最初に投げた方の紙を指さす。
あ、そういう事か。
これは最初に投げた方がゴミじゃなくて手紙だよって事が書いてあったのか。
机の隅に追いやった最初の紙を広げると、丸っとしたかわいい字でこう書かれていた。
(昨日あの子と何かあった?)
あの子というのはミラの事だろう。
鷲羽さんは私とミラが仲のいい事は知っているし、そのミラがお休みして、私が上の空なら何かあったんだと察しても無理はない。
果たして昨日あった事を言ってもいいものか迷ったが、昨日の夜から一睡もできず、授業中に悪魔の召喚を始めてしまうくらいなら少しだけ話を聞いてもらってもいいかなと思った。
大事な部分をぼかせば大丈夫だろう。
私はノートの端を少し破って同じように手紙を書くと、それを丁寧に折り畳んで鷲羽さんの席に投げた。
鷲羽さんはすぐに手紙を開いて真剣に読み始めた。
しばらくすると何故か顔を手で覆って、机に突っ伏してしまった。
何で!? そんなガッカリさせるようなこと書いたかな!?
しばらくして顔をあげた鷲羽さんが「はぁ……」とため息をつくと、手紙の返信を書いてこちらに投げてくれた。
(長引きそうだから授業後に聞く)
内容的にこれでやり取りが終わってしまうのは残念だったが、この手紙の投擲文通だと授業が終わっても話が終わりそうにないので、後で時間をとってもらえるのはありがたい。
私は鷲羽さんにお願いしますと深々と礼をした。
鷲羽さんは満足したのか、授業に戻ってノートを書き始めたので、私はもう一通だけ手紙を書いて投げた。
話が終わったと思っていた鷲羽さんが不審な顔をしながら手紙を開く。
手紙には(授業全く聞けてなかったから、後でノート見せて)と書いて送った。
文末にハートマークを入れて少しばかりの可愛気アピールをする。
その手紙を読むと、彼女は何の反応もせずにその手紙をポケットにしまった。
そしてこちらを見向きもせずに授業に戻る。
あれれ? 可愛気アピールも虚しく無視されたぞ?
仕方なくそこからは真面目に授業を受ける事にしたが、まずはノートに書かれた大量の魔法陣を消すところからだった。
誰だよこんなの書いた奴。
授業が終わっていつもならミラと一緒に下校する時間だけど、愛しい彼女は今日はお休みだ。
特に急いで帰る用事もないし、せっかく鷲羽さんが話を聞いてくれるのだからどこかに腰を落ち着けて話したい。
「さて未明子、どこで話す?」
「どうしようかな……駅前まで行くならお店がたくさんあるけど」
「そんな人の多い所でしていい話なの?」
「いやー、なるべく人がいない所がいいな」
「そう。じゃあうちに来る?」
「え! いいの!?」
わぁ。ミラに続いて鷲羽さんの家にまで遊びに行けるなんて嬉しいなぁ。
どんな部屋なんだろう?
本人がお人形みたいだし、シックな感じの部屋なのかな。
それとも部屋中かわいい物だらけでギャップのある感じなのかな。
楽しみだな。
……待て待て!
良くない良くない!
何をホイホイ女の子の家に遊びに行こうとしてるんだ。
しかも相手はステラ・アルマ。
ミラと同じで家族はいないんだから一人暮らしに決まってる。
別に鷲羽さんに対して特別な感情はないけど、ミラが知ったら絶対嫌な気持ちになるに決まってるじゃないか。
「やっぱり駄目! 軽い気持ちで女の子の家に遊びに行けない」
「同性の家に軽い気持ちで行けなかったら、どこの家なら軽い気持ちで遊びに行けるのよ」
「同性とか異性とか関係ないよ! 陰キャの私には友達の家に遊びに行く事がもうすでにハードルが高いの!」
最近はミラの家に行ったり狭黒さんの家に行ったりしてるけど、元々誰かの家に遊びに行くのはレアなイベントだった。
自分の境遇を思い出せ未明子。
お前はそんな事ができる女じゃなかっただろう。
「じゃあ、私が未明子の家に行きましょうか?」
それはナイスアイデア!
うちならウルサイ家族もいるし、何の面白味もない部屋で腰を据えてお話しできるな。
……待て待て待て!
良くない良くない良くない!
前にミラからお願いされた時だって家族に会わせたくないから断ったんだ。
ミラでも鷲羽さんでも、どっちにしろ家族に話のネタにされるんだから、彼女じゃなきゃ良いってもんじゃない。
それに、最初に私の部屋に遊びに来てもらうのはやっぱりミラがいい。
「大変申し訳ないけどそれもご勘弁を。いま私の部屋めちゃくちゃ荒れてるから、人を招くってレベルじゃないんだ」
言い訳ではなくて本当の事だった。
部屋は心を現すとは良く言ったもので、昨日あんな事があった私の部屋は、脱いだ服や荷物が散らかってゴミ捨て場のようになっている。
足の踏み場も無いような部屋に女の子を入れられない。
「そう。私は構わないのに」
「私が構うの! 鷲羽さんをあんな汚い部屋に入れたくない」
「分かったわ。けど困ったわね、それならどこで話そうかしら」
他に思い当たる場所と言えば、例の屋上への階段……。
だけど、あそこは私とミラの秘密の場所って感じがして思い入れも強いから、なるべくならそっとしておきたい。
そうなると他にいい場所は……。
この辺りの地図を思い浮かべる。
ゆうひの丘は座れるけどこの時間は人が結構いる。
学校の裏手は静かだけどほとんど森だしこの時期は虫も多い。
……いや、待てよ。
学校の裏手にいい場所がある。
「鷲羽さん、あそこ行こう。あそこ!」
「あそこ?」
学校の裏手に広がる桜ヶ丘公園。
その中に立派な記念館が建っている。
偉い人がこの地にやってきた事を記念して建てられた物で、中は資料館になっているがこの時間はすでに閉館している。
建っている場所が森の中という事もあって、閉館後は全く人気がない。
入口の前の階段は、座って話すのにはおあつらえ向きだった。
「ここなら虫もあまり寄ってこないし、暗くなっても灯りがあるし、何より私達の家から近いから帰りやすいのが素晴らしい」
「ほとんど地ベタと変わらないと思うわ」
「そんなぁ。でもここの建物可愛くない?」
「まぁ、面白いデザインではあるわね」
私は普段お弁当を包んでいる巾着袋を階段にしいた。
流石に制服で座らせるのは気が引ける。
座り心地は良くないと思うけど、他に気の利いた物も見当たらない。
「鷲羽さんはここに座って?」
「未明子がそのまま座るのなら私も気にしないわ」
鷲羽さんはそう言って巾着袋を拾うと、埃をはたく。
そして丁寧に折り畳むと私に返してくれた。
「ありがとう。気持ちだけ頂いておくわ」
その仕草がとても麗しかった。
手の中にあるのが巾着袋だと言うのに、まるで少女漫画の一コマみたいだ。
鷲羽さんはミラとはまた違った育ちの良さを感じさせる。
私が巾着袋を受け取ると、彼女は躊躇する事なく階段に座る。
じゃあ、と私も隣に座った。
「……私は別に構わないんだけど」
「うん?」
「そんなに近くでいいの?」
言われて気づくと鷲羽さんと触れるか触れないかくらいの超至近距離に座っていた。
無意識に普段ミラの隣に座る時の癖が出てしまったのだ。
「ごごごごめんなさい! 離れます!」
「だから別に構わないのに」
クスクスと笑う鷲羽さん。
……やってしまった。
距離感バグってる奴だと思われてるだろうな。
「で、さっき貰った手紙の話だったわね」
「うん」
「彼女との初エッチがうまくいかなかったの?」
急に核心に迫る質問をされて、心臓が飛び出るくらい驚いた。
「ひぇええッ! 何で全部バレてるの!?」
「何でって手紙に書いてあったじゃない」
「嘘だ! 流石にそんな包み隠さず書かないよ!」
いくら寝不足で頭が働いていなかったとは言え、そんな明け透けに書いた覚えはない。
しかもミラとそういう事をする仲なのまでバレている。
鷲羽さんが ”やれやれ” とばかりにさっき渡した手紙を広げて見せてくれた。
(鯨多さんの家に遊びに行ったんだけど泣かせちゃった。話を聞いてもらってもいいかな?)
手紙にはそれしか書かれていない。
どうしてこの内容が初えっち失敗に繋がるのか全然分からなかった。
「やっぱりこの手紙にそんなこと書いてないじゃん! 何でバレたの!?」
「あなた昨日、私の前で鯨多未来の仕掛けた罠にかかってたじゃない。大方、あの後彼女の家でいい雰囲気になったんでしょ? で、泣かせちゃったなら何かしらうまくいかなかったって事じゃない」
ミラの仕掛けた罠?
罠って何の事だろう?
私は自分でミラの家に遊びに行っただけなのに、まるでそうなるように仕向けられたように聞こえる。
「その顔はやっぱり全然分かってないわね。まぁそこはもういいわ。とにかく思った通りにはならなかったのよね?」
「鷲羽さんが何を言ってるのか分からないけど、とにかく全部バレたって事だけは分かった」
「はいお利口さん。じゃあ何でも聞くから、話してみて?」
昨日の出来事をこと細かに話す事もできたけど、流石にミラが何を言って、何をしたみたいなのを話すのはミラに悪い。
鷲羽さんがステラ・アルマだという事は知らないフリをしているので、別のユニバースに閉じ込められたなんて事も言えない。
なので彼女の部屋でイチャイチャしている内に、辛抱たまらなくなって襲ってしまったと自分がやらかした事だけを話した。
「……と言う訳で、鯨多さんを泣かせてしまいました」
「未明子、意外とやる時はやるのね」
「褒められたものじゃないよ。大切な女の子を傷つけちゃったんだから」
私の話を聞いた鷲羽さんは少し悩み始めた。
ドン引きするような内容を黙って聞いてくれただけでもありがたいのに、何を言おうか悩んでくれるなんて良い子だな。
うーんと唸っている横顔を眺めて、改めて綺麗な顔だなと見入る。
あかんあかん。美人さんにすぐ目を奪われるのは悪い癖だ。
鷲羽さんはしばらく考えた後、私に向かって人差し指をつきつけた。
「一つ聞かせて欲しいんだけど、未明子は鯨多未来をどうしたいの?」
「どうしたいって?」
「例えば、自分の言いなりの都合のいい女にしたいとか、もっと極端に言うと性欲のハケ口にしたいとか」
こんな綺麗な女の子からそんな下卑た言葉が出るとは思わずに軽くショックを受けた。
都合のいい女?
性欲のハケ口?
そんなの欠片も思った事はない。
「そんな訳ないじゃん! 私はいつだってミラを幸せにしたいと思ってるよ!」
あまりの事に胃がひっくりかえる程の声が出た。
しかも思わず熱くなってしまったせいでミラ呼びが出てしまった。
「ごめんなさい。少し言葉が過ぎたみたいね」
「……あ、こちらこそ大きな声出してごめん」
今日一日ミラに会えていないせいで、思った以上に余裕がなくなっているのを感じた。
もう彼女抜きでの日常など考えられないのかもしれない。
「でも少し分かった事があるの。それを言ってもいいかしら?」
「うん。今は本当にどうしたらいいか分からないから何でも言って欲しい。ちゃんと聞く」
「未明子は鯨多未来を特別視しすぎているきらいがあるわ」
「特別視しすぎている?」
「彼女と同じ目線に立てていないと言う意味ね」
同じ目線に立てていない。
それはどういう意味になるんだろう。
ミラは私にとって特別な人だ。
今までずっと好きで、ようやく恋人になる事ができた大切な人だ。
そんな彼女がいつも笑っていられるように幸せを願って、叶うならば私が幸せにしてあげたいと思っている。
そのミラと同じ目線に立てていない。
つまり同じ考え方をできていなくて、彼女とはズレた物の見方をしているという事だ。
もちろん私はミラほど頭が良くないから、同じように考える事はできない。
それでも同じ気持ちで、彼女を大切にしていると思っていた。
「とても大事なコトの気がする。だからもう少しだけ深く聞いてもいい?」
「そうね。未明子にとって鯨多未来は神様のような存在かもしれない。でもね、あの子もただの女の子だと言う事を分かってあげた方がいいわ」
「ただの……女の子……」
「そう。どんな時でも清廉潔白じゃないし、我儘を言いたい事だってあるでしょう。未明子に対して邪な感情を抱く事だってあると思うわ。そうなった時に、その事実から目を背けてはダメ。”自分の中の鯨多未来”を追ってはいけない。その全てを受けとめてあげるだけの受け皿を持っておいた方がいいわ」
それはすごく心に刺さる言葉だった。
私はミラの事を天使だと思っているけど、ミラは自分の事をそんな風には思っていない。
ミラが私に気取って接した事などあっただろうか。
いつだって、一人の女の子として、私の彼女として、隣にいてくれていた。
私だけが、彼女の事を特別だと思って勝手に壁を作っていたような気がする。
「もっと年頃の女の子として、気軽に、でも真剣に付き合ってみたらどうかしら」
そう言われて、私の中の頑固なこだわりが消えかけているのを感じた。
……あれ?
もしかして私のこの強いミラへの気持ちこそが、彼女との深い関係への障害になっている?
昨日の自分の暴走へのプロセスが少し見えた気がした。
そして、次に暴走しない為の気持ちの動かし方も。
「ありがとう鷲羽さん。同じ目線に立てていないって意味がなんか分かった気がする」
「私の言いたい事が伝わって良かったわ」
鷲羽さんに話を聞いてもらえたおかげで心の中のしこりが一つ解けた気がする。
まだまだ心の中はぐちゃぐちゃだけど、今ならミラに会いに行ける気が……
行ける気が……
行けないわやっぱり!
肝心な、ミラを傷つけてしまったという大問題が解決していなかった。
「おお……せっかく良いアドバイスをもらったと言うのに、大きな問題が残っていた……」
「じゃあそれも話して?」
「ごめん! それに関しては、鷲羽さんには話せない事がたくさんあるんだ!」
「そうなの。それならそれが話せる人に相談すべきね。誰かいないの? 彼女に詳しくて、私には話せない事とやらが話せる人物」
そう言われて、私にはイーハトーブのメンバーの顔が思い浮かんだ。
そうだ。分からない事は今みたいに相談しよう。
私は恋愛一年生なんだから、分からない事は先輩に相談するのが一番だ。
「いる! 話せる人いるよ!」
「良かった。じゃあその人に洗いざらい話して、スッキリしてくるといいわ」
「本当にありがとう! 鷲羽さんのおかげで何とかなるかも」
「週末には決着をつけて、次に学校で会う時にはその暗い顔を何とかしておいてね」
確かに今日は酷い顔をしていた。
こんな酷い顔を見られるくらいなら、ミラがお休みで良かったのかもしれない。
「じゃあ、さっそく連絡とりたい人がいるからここで帰らせてもらうね。あ、家まで送っていこうか?」
「気にしないで。ここからなら一人で帰れるから送ってもらわなくても大丈夫よ」
「今度何かお礼するから! 絶対絶対お礼するから!」
「楽しみに待ってるわ」
それだけ伝えると、鷲羽さんに手を振って走り出す。
鷲羽さんも私に手を振って見送ってくれた。
家に帰って、まずはみんなにラインしなくちゃ!
私は家までの坂を、ダッシュで駆け上がっていった。
「で、あれが姫のお気に入りかな?」
「……いつからいたのよ」
「最初からいたさ。こんな薄暗い場所で逢瀬とは、いい趣味をしてるな」
その女は建物の上から私を見下ろしていた。
日の落ち始めたこんな薄暗い場所でも、痛いほど突き刺さる鋭い視線は昔からずっと変わらない。
なめるように私を見たそいつは、建物から飛び降りて私のすぐそばに立った。
「フォーマルハウト、未明子に手を出したら承知しないわよ」
「こっちの世界でステラ・カントルに手を出すわけないだろ。やるならちゃんとルールに則ってやるよ」
「あなたの口からルールなんて言葉が出るなんて笑ってしまいそうだわ」
「そうかい? 姫が笑ってくれるなら私はなんでもするよ?」
そう言うと、フォーマルハウトは私の手をとって手の甲にキスをする。
こいつのこういう所は心底虫酸が走る。
今すぐ顔をひっぱたいてやりたい。
「そんな顔するなよアルタイル。久しぶりに会えて嬉しいんだ」
「私はあなたとなんて顔も合わせたくないわ」
「嫌味ばかりだな。そんなに私の事が好きなのかな?」
「頭が沸いてるのかしら? 春はもう終わったわよ」
「姫はあいかわらず愛くるしいな。やっぱり口にキスしてもいいかな?」
顔を近づけてきたので、今度は我慢する事なく思いっきりビンタを入れてやった。
景気のいい音が響く。
だがこれくらいでは物怖じしない奴だ。
殴られた自分の頬を嬉しそうに撫でている。
「ふふふ。幸せだなぁ」
「気持ち悪い。さっさとお引き取り願えるかしら?」
「姫がそう言うならそうしよう。近いうちに戦場で会えるのが楽しみだな」
「それまでに他の1等星に殺されればいいのに」
「そうなったらまた違う体で会いにくるさ」
気が済んだのか、フォーマルハウトは目の間にゲートを開いた。
こいつは他のステラ・アルマとは比べものにならないくらい色んな世界を歩き回っている。
今どこの世界に属しているのかは知らないが、近い内に戦場でと言うからには何か悪巧みをしているに違いない。
「じゃあな愛しの姫君よ」
「もう二度と顔を見せないで」
フォーマルハウトは気味の悪い笑みを浮かべるとゲートの中に消えていった。
これだけ会っているのに、あいつの動きや考えは全然読めない。
いつも不快な結果だけを残していく相手の考えなど読みたくもないが。
「未明子、大丈夫かしら……」
さっきまで一緒にいた一人の女の子の事が心配でならなかった。
鯨多未来の事も、フォーマルハウトの事も。
……もう少し、私が早く会えていたなら。
見上げると
暗くなってきた街の空に、星が輝き始めていた。
 




