第156話 ステラムジカ⑱
「未明子。こんな胡散臭い婆さんの言葉なんて真に受けなくていい」
どうしてコイツがこんな所にいるのだろう。
そんな疑問よりも、これで鷲羽さんが助かるという安心感の方が勝った。
「おやぁフォーマルハウト。いいところで現れるねえ?」
「久しぶりだなセレーネ。元気してたか?」
「相変わらずだよお。そっちも相変わらず顔を合わせたくない時に限って姿を現すんだから困ったもんだ」
「安心しな。別にお前に危害を加える気はない。私は姫を治療しに来ただけだ」
セレーネと全く顔を合わせず、フォーマルハウトは鷲羽さんの元まで歩いて行った。
治療をしていたミラは苦い顔をして拒絶するも、フォーマルハウトに手で払われて渋々その場を譲った。
いまフォーマルハウトの能力が何より必要なのはミラも分かっているからだ。
「未明子。そいつを連れてきた。力になるかは知らないが、まあ弾よけの壁くらいにはなるんじゃないか?」
そいつ、とフォーマルハウトが示した方向には背の高い人物が立っていた。
ボーイッシュで一瞬男性かと見間違えそうになるその人物を私は良く知っていた。
「しばらくぶりです。犬飼未明子さん」
「ベガさん!」
以前私達の世界にやってきた鷲羽さんの姉妹星である、こと座1等星のベガさんだ。
「やっぱり月に囚われていたんですね」
「私とした事が迂闊でした。フォーマルハウトに救われるなんて更に迂闊でした」
「でも無事で良かったです」
ベガさんは見た感じ特に怪我もない。
セレーネに捕まって酷い目に合わされているんじゃないかと思ったけど杞憂だったみたいだ。
「まずは謝罪をさせて下さい。あなたはアルタイルのパートナーだったんですね」
「そうですけど、別に謝られる事なんて」
「いえ。あなたの規則違反をセレーネに報告したのは私です。それによってあなたはセプテントリオンに狙われる事になってしまった」
「その件ですか!? いや、それはむしろ正しい行動だったのでは……」
「私はあなたがフォーマルハウトのパートナーだと思っていた。だからアルタイルを守るために最善だと考えてそうしたのです。完全に勘違いをしていました」
「私がフォーマルハウトのパートナー!? 嫌です。絶対に嫌だ」
「おいおい。傷つくな」
「うっさい。お前は私が死ぬまで一生奴隷だからな」
「ハハッ! そっちの方が待遇いいだろ」
何故か笑われてしまった。
一生奴隷のどこがいい待遇だと言うのだろうか。
「いいから鷲羽さんの怪我を治せ。傷一つ残すなよ!」
「仰せのままに。マイマスター」
ベガさんはそのやり取りを何とも複雑な表情で見ていた。
隣にいるカペラさんもまるで怪奇現象に巻き込まれたかのような怪訝な顔をしている。
「本当にフォーマルハウトを従えているんですね。何をやったらあいつが言う事を聞くんですか?」
「何をって……自分から服従の固有武装を出してましたよ?」
「それがもうおかしいんです。そんな能力を持っていても黙っていれば分からないのに」
「よほど未明子さんに何かあるのね。でなければあの狂犬が懐くはずないわ」
「別に懐いてないですよ。私が一方的に利用しているだけです」
「ふふ。フォーマルハウトを利用するだなんて他の1等星が聞いたら腰を抜かしそうね」
カペラさんが口をおさえて笑った。
この人こんな楽しそうに笑ったりするんだ。
笑う姿は普通の優しそうなお姉さんだった。
「未明子さん。深く謝罪をいたします。あなたはアルタイルを守ってくれていた。私の浅はかな行動で迷惑をかけた事、償わせて下さい」
ベガさんは騎士が主君に跪くように、私の前で膝をついて頭を下げた。
「そんな! 私の方こそ鷲羽さんを傷つけてしまってごめんなさい。私がもっと強かったらあんな大怪我もさせなかったのに」
「このカペラと戦ったのでしょう? 明らかに格上の相手に勝利しただけでも敬服に値します」
「そうね。自分で言う事ではないけれど、他の1等星でも私を倒せるのは一握りだと思うわ。しかも未明子さんを倒すのに特化したパートナーの力もあったというのに、それでも勝利したのはあなたが優れている証拠よ」
「いや、あの、その……」
突然の賞賛会が始まった。
こんな綺麗な人達に両側から褒められたら照れてしまう。
「べ、ベガさん。私の事はもういいので鷲羽さんについてあげて下さい。フォーマルハウトが治療した後に何をするか分かりません。今だっていやらしい顔してるし」
「失礼な。私は元々こういう顔だ」
「それについてはここに来るまでに散々釘を刺したので大丈夫です。それよりも……」
ベガさんが立ち上がって私の方に歩いて来た。
「今はセレーネです。せめてものお詫びに私もあなた側に立ちます」
「え!?」
私が座る椅子の左前にベガさんが立ってくれた。
反対側にはカペラさんが立っている。
期せずして1等星のステラ・アルマが私の両翼を守ってくれる形になった。
「あらベガ。あなたは地球の選別に興味がないのでは無かったかしら?」
「正直興味は無いよ。だけどアルタイルがここまで来たんだ。姉妹として力を貸したい。それにセレーネに拘束された恨みもあるからね」
「でもセレーネに手を出してはダメよ? せっかく決着がつきそうなんだから」
「大丈夫だよ。私はセレーネが怪しい行動をしないか見張るだけだ。未明子さん達の勝利を反故にしないとも限らないからね」
何だかとても頼りになりそうな2人が結託してくれた。
私はもう動けないし鷲羽さんも戦えない。
この2人が味方になってくれるのは正直とてもありがたい。
「序列5番のベガ。6番のカペラ。12番のアルタイル。18番のフォーマルハウト。それに外には14番のアルデバラン。1等星が5体も……いや、地球にいる10番のアケルナルも含めれば6体か。全天21の1等星がそんなにも力を貸すなんて未明子ちゃんは何者なんだい?」
セレーネは膝を叩いて笑っていた。
何者と問われても非常に困る。
私はただの垢抜けない女子高生だ。
1等星のステラ・アルマがこんなに力を貸してくれるのも成り行きでしかない。
「いくら私達がこちら側にいても、結局は外の戦いの結果次第よ。勝たなければ意味は無いわ」
「セレーネ。この映像に映っている敵を倒せば地球の勝利という条件で間違いないのか?」
「そうだよベガ。あの金色の巨人を倒せたら未明子ちゃん達の勝ち。倒せなかったら我の勝ちさ」
「フォーマルハウトは戦えないという認識でいいんだな?」
「ここに来るまでに説明した通りだ。姫の治療でおそらくアニマを使い切る。そもそもパートナーがいない」
「承知した。では外の戦いを見守る他ないな」
「そうそう。慌てなくてもしばらくしたら結果は出るんだ。さあ、面白くなってきたね。こんなに大勢で最後の戦いを見守れるとは思っていなかったよぉ。我、ワクワクしてきた」
セレーネは楽しそうだった。
あれは勝利を確信している顔じゃない。
勝敗の行方がどちらに転ぶのかを楽しんでいる者の顔だ。
勝って支配を続けるのか。
負けて管理者を退くのか。
あんなにあっさり管理者を譲ると言い出したのを考えると、もしかしたらセレーネにとっては結果なんてどちらでもいいのかもしれない。
今この瞬間、ギリギリの戦いを楽しめればそれでいいのかもしれない。
やっぱり私達の価値観とは明らかに違う。
この戦いでもし負けた時。
私達はこの異次元の価値観を持つ女神にどんな目に合わされるのだろうか。
それを想像すると空恐ろしい。
絶対に勝ちたい。
勝ってみんなで地球に戻りたい。
そんな私の希望を挫くように。
外の戦いを映すスクリーンには、絶望が映し出されていた。
「「おっしゃあ!」」
同時に歓声を上げたのは五月とこころだった。
メラクの防御壁を纏ったアルセフィナがアウルムの腹部に突撃し、その分厚い装甲を破った。
腹部へのメリ込み具合を見ると大きなダメージを与えているのは間違いない。
それを証明するかのように、ずっと続いていたパエニテンティアの砲撃がピタリと止まった。
「いいぞ。砲撃がやんだ。志帆、すぐにそこを脱出しなさい!」
「待って待って待ってってば。アルセフィナ、動けそう?」
あれ程のスピードで突撃した割にはアルセフィナ側にダメージは無かったようだ。
すぐにアウルムの腹部から飛び出てきた。
「さすがメラクの防御壁。船には傷一つございません」
「もう! いいから降りてってば!」
「へーい」
志帆に怒鳴られた尾花はアルセフィナの甲板からすごすごと降りた。
また勝手に乗り込まれては困ると言わんばかりに志帆は尾花から離れていく。
アルセフィナが突撃したアウルムの腹部には大きな穴が開いていた。
そこから内部機構がメチャクチャに破壊されているのが覗き見える。
その大穴のさらに奥、腹部の中央あたりに金色に輝く機体の影があった。
桔梗の乗るアルカイドだ。
アルカイドは両手・両脚が無かった。
稲見に切断されたそのままになっていた。
その欠損部分から何本もの太いパイプが伸びて完全にアウルムと連結されていた。
「げげ。想像してたよりショッキングな感じだよ!」
「装備している、と言うより本体がアウルムのシステムの一部になっているように見えるな」
こだての言った通りアルカイドは最早アウルムと同化していると言っても過言ではなかった。
武器はなく、体も動かせない。
ただ桔梗のイメージをアウルムに転送させるためのデバイスと成り果てていた。
セレーネがアウルムの開発を桔梗に話したのは月で行われた慰労会の時だった。
巨大兵器を開発中で、そこに手足のなくなったアルカイドを組み込む提案をすると桔梗は喜んで承諾した。
セレーネはステラ・アルマに対して一切の情を持たない。
桔梗の承諾を得たあと、すぐにアルカイドをアウルムに組み込むための改造を始めた。
強制的にロボットの姿を維持させられシステムと化したアルカイドはほとんど意識を失った。
桔梗はその改造されたアルカイドを見て、心を痛めるどころか最強の兵器に生まれ変わったと絶賛したのだった。
そしてその最強の兵器は今、全ての防御を失い破壊されかけていた。
操縦席のモニターをアウルムの視界からアルカイドの視界に切り替えた桔梗は、本体をさらけ出された事に怒りをあらわにした。
「何て……何て事をしてくれたんだ。よくも僕を引きずり出したなこのモブどもが! モブが主役を同じステージに立たせるんじゃない!」
腹部に大きな破損があってもアウルムの駆動自体に問題は無い。
桔梗は腹部の破壊状況を確認すると、視界を再びアウルムに戻した。
「ねえ。もしかしてそのデッカいのに乗ってる桔梗って、斗垣・コスモス・桔梗なのかな?」
「ああ?」
アウルムの目の前には忍者のような機体がいた。
通信はその機体に乗る五月からだった。
「今更何を言っているんだい? 最初からそう名乗っているだろう?」
「ごめんごめん。その時は別の場所にいたからさ。アタシが以前戦った桔梗はあの時死んだから、別の世界の別人さんなんだよね?」
「ああそうか。君も撫子が以前に戦った世界の人間だったね。そうだよ。僕は君の知っている桔梗では無い。あんな負け犬と同列に扱われては困る」
「そういう鼻につく話し方は一緒なんだ! まあでも一度桔梗と決着をつけた身からすると、あんたは前の桔梗には劣るかな」
「……何だと?」
「前の桔梗は嫌な奴だったけど、戦いに対しては真剣だったし仲間に対しても優しかった。あんたは戦いも適当だし仲間も殺しちゃう。比べものにならないくらい格下だよ」
「君も撫子と同じ事を言うのか。揃いも揃って僕を見下すとはどれだけ品が無いんだろうね」
「品が無いのはそっちでしょ? その年齢になるまでに誰もがあたり前に学ぶべきコミュニケーションを学べなかったのかな?」
「失礼な!!」
怒った桔梗は目の前にいるツィーを払うように右手を振り下ろした。
パエニテンティアの砲撃が止まった以上、どこにでも回避できるツィーに単純な攻撃など効果は無い。
何の苦もなく攻撃は避けられてしまった。
動き回るツィーに突きと蹴りの連撃を浴びせるが全く命中しない。
それでも桔梗は怒りに任せて攻撃を続けた。
「この! ハエがうるさいんだよ!」
そうこうしている内に操縦席に警告音が鳴り響いた。
それはアウルム内部への侵入を報せる警告だった。
「何だと!?」
桔梗はすぐに視界をアルカイドに切り替えた。
すると先程アルセフィナが開けた穴に2体のステラ・アルマが侵入していた。
「さすが五月さん! 私達みたいに自爆しなくても囮役は完璧だね!」
「こんなところに本体が隠れていたとはな。バリアまで張って自分だけは安全な場所で戦っていたとは呆れて物も言えん」
侵入していたのはこだてのアスピディスケとこころのアルマクだった。
その機体を見た桔梗は思わず固まった。
ここにいるのはついさっき確実に破壊したはずの機体なのだ。
「馬鹿な!? 君達は死んだはずだぞ!?」
「ああ死んだ。お前に殺された。それがあまりに悔しくてこうして化けて出てきたというワケだ」
「月に現れる幽霊。名付けてムーンゴースト! この恨み、晴らさでおくべきか」
そんな筈はない。
死者がそんなに簡単に蘇ってたまるものか。
頭でそれは理解しつつも実際に殺した相手が目の前にいる。
そして本体に直接攻撃できる位置まで迫っている。
アルカイド自身の武装は改造の際に全てオミットされてしまっていた。
ここでこの2体を撃退する手段は今の桔梗には無い。
アスピディスケがアルカイドにバズーカを向けた。
その隣でアルマクもアサルトライフルを構える。
「いくらセプテントリオンの機体と言えど、この至近距離でバズーカを食らってはひとたまりもあるまい。これでゲームオーバーだ」
「あなたにやられた仲間の仇、取らせてもらうからね」
「くっ! ……ぐぅ……」
いまこの瞬間を切り抜ける手はある。
しかしそれを実行したとしても再び内部に潜入されるのは目に見えていた。
頼みのパエニテンティアも停止してしまい、現状をひっくり返す方法が無い。
それでも何か手はないかと桔梗は操縦席のコンソールを必死に確認した。
するとそこに希望の灯がともっているのに気がついた。
「……あは、あははははははは!」
気でも触れたかのような笑い声をあげながら、桔梗はアウルムを後退させた。
アウルムが急に動いた為にこだてとこころはバランスを崩しその場に転倒してしまう。
二人が転倒した後もアウルムは後退を続け、二人は内部から追い出されてしまった。
「何!?」
「わわわわわわ!?」
アウルムはそのまま月方向に向かって後退を続けた。
急速に離れていく巨大な機体から振り落とされた二人を心配して五月が駆け寄る。
「だ、大丈夫!? 中で何があったの?」
「問題ありません。トドメを刺そうとしたところで急に動き出しました」
「くそー。もうちょっとだったのに」
月に向かって後退していたアウルムは月に接触するかどうかという所まで進み、そこで急停止した。
移動で発生した熱を排出するために、排気ダクトから熱風が吹き出される。
「これで死角に入っていた敵を正面に捉えたぞ……」
再び視界をアウルムに切り替えた桔梗はモニターに映った5体の敵を見て口元を歪めた。
パエニテンティアの砲撃でも敵を仕留めきれなかったのは完全に計算外だ。
しかし同時に別の計算外な事も起こっていた。
それは桔梗にとっては喜ばしい計算外。
ある兵器のチャージが完了していたのだ。
「終幕を宣言したのにまだステージに残っているとはとんだ出演者達だ。ステージに最後まで立っているのは僕だけでいい。君達はさっさとステージから降りたまえ」
桔梗がチャージの完了した兵器の機動を行う。
アウルムの全身に設置されたシャッターが開き、そこから射出装置が一斉に飛び出てきた。
「カーテンコールだ。宇宙に散れモブどもよ! ヴァニタス発射!」
アウルムを中心とした全方位に白いエネルギーフィールドが発せられた。
それは凄まじいスピードで広がり、残っていた地球の部隊を一瞬で飲み込んだ。
「!?」
一度同じ攻撃を食らっているこだてやこころ、志帆でもその攻撃には反応できなかった。
桔梗がヴァニタスを発動してから命中するまでたった数秒。
とても回避や防御など間に合わない。
尾花ですら防御壁を張る余裕はなく、5人は衝撃波によって吹き飛ばされた。
「……!」
誰もが悲鳴を上げる暇さえなかった。
衝撃波の圧力で5人ともどんどん遠くへ飛ばされていく。
圧が弱まってようやく止まれたのは月からかなり離れた場所。
ちょうど月と宇宙ステーションの中間地点付近だった。
それぞれの機体が受けた被害は深刻だった。
装甲値に違いがあるためダメージに差こそあれど、全員共通して戦闘継続は不可能。
特にアスピディスケ・アルマク・アルセフィナの3体はギリギリ破壊を免れたレベルで、操縦者も意識を失っていた。
「……しまった油断した……五月、大丈夫?」
「アタシは何とか……でも刀を2本ともどっかやっちゃった。何なの今の攻撃?」
「全方位への衝撃波だ。一度使ったからもう使えないと思ってたのに」
「衝撃波? こんなに吹き飛ばされるってどんな威力よ」
「だめだ。メラクは動けない」
「ツィーもダメっぽい。参ったねこりゃ……」
機体の装甲値がやや高かったおかげで五月と尾花は意識を保てていた。
しかし動けないのは他の3体と変わらない。
敵の本体を引きずり出し撃破まであと一歩だった。
再び本体に攻撃しようにも絶望的な距離が開いてしまい、ここからもう一度接近するのはほぼ不可能と思えた。
「そうだ! ダイアちゃん、ダイアちゃん聞こえる!?」
唯一、敵の背中側にいたダイアがどうなったのか通信を試みるも返答は無い。
同じようにやられてしまったのか、通信の範囲外に出されたのかもしれない。
五月は稲見にも連絡してみるが同じく返答は無かった。
「もしかしてこれ、アタシ達の負け?」
「……そうかもしれないね」
視界に映る限り動いている機影は無い。
そもそも攻撃を受ける前の段階で戦えるのは五月達だけだったのだ。
その五月達が動けなくなったのであれば、決着はほぼついたと言えよう。
桔梗は込み上げてくる笑いが止まらなかった。
一時は敗北寸前まで追い詰められたが咄嗟の機転で敵を行動不能まで追い込んだのだ。
あとはもう動けなくなった敵を順番に潰していけばそれで勝利が確定する。
「馬鹿どもが! ああ、馬鹿どもが! 身の程を弁えないからそうなるんだ!」
ようやくこれまでの鬱憤を晴らした桔梗はやや落ち着きを取り戻した。
勝利の余韻に浸りたい気持ちもあったが、さっきのように倒した相手が復活してくるのも鬱陶しい。
今度こそ確実にトドメを刺すべく最後の武器を選択する。
「残念だがパエニテンティアもヴァニタスも使えない。ここでトリステイティアも相応しくない。ならば残されたのはデスペラティオか。最後に敵に届けるのが絶望と言うのも出来たシナリオだ」
ヴァニタスのチャージが終わった段階でそれよりも先に使用していた2つの兵器のチャージも終わっていた。
衝撃波で吹き飛ばした敵は広範囲に散っている。
ならばここは広範囲のミサイル攻撃が有効と判断しデスペラティオを起動させた。
片腕を失っているため砲門は半分になっているが、それでも動けない機体を破壊するには充分すぎる攻撃だ。
「こんな時は何と言うんだったかな? 桃がいつも口にしているあの言葉。ああ、そうだ思い出した」
桔梗は両腕を広げ、歪んだ笑顔を浮かべた。
「それでは諸君、サルウェ!」
「さあて。決着がつきそうだねえ」
セレーネが椅子から立ち上がって、長い髪とローブをズルズルと引きずりながらスクリーンの方に歩いて行く。
スクリーンには巨大な金色の機体と、動けなくなった九曜さん達が映っていた。
「我の計算した通りにギリギリの戦いになったねぇ。みんな本当に頑張ったよ。ここまで面白い戦いをしてくれるなんてさ」
みんな命懸けで戦ったのにセレーネにしてみれば面白い戦いでしかなかったみたいだ。
悔しい。
悔しいけどセレーネの言葉の通りだ。
もう私達は誰も戦えない。
ベガさんもカペラさんも味方になってくれてはいるけど私達の戦いを見届けるために寄り添ってくれただけだ。
ここから二人がセレーネと戦ってくれるわけじゃない。
「これで今まで通りだね。破壊する地球の選抜は我の決めたルールで行う。カペラは引き続き反逆者が月に攻めて来た時の最後の敵。フォーマルハウトは……まあ好きにしてていいや」
カペラさんは何も言わずにじっとセレーネを見ていた。
フォーマルハウトはセレーネの言葉を完全に無視して鷲羽さんの治療に没頭している。
「アルタイルとベガ。あとそこにいるどこの星なのかも知らないステラ・アルマには死んでもらうからねぇ。なあに、痛みも感じないように消滅させてあげるから安心するといいよ」
「そ、そんな事させるか!」
「未明子ちゃん。我はアウルムが破壊されたら潔く負けを認めるつもりだったよ。それなら未明子ちゃんも潔く負けを認めて欲しいなあ」
それには言い返せなかった。
決着のつけ方はさっきみんなで確認した。
そこには不正も理不尽な強制もない。
あの金色の機体に勝てなかった。
勝利条件を満たせなかった。
だから私達の負けだ。
負けたのにあれこれ文句を言うのは卑怯だって分かっている。
それでも私は……。
「そうだ! ステラ・アルマには死んでもらうけど未明子ちゃんは体質に興味があるから月で保護させてね」
「え?」
「セレーネ。それはどういう事なの?」
「カペラもさっき言ってたじゃないか。未明子ちゃんには不思議と魅かれるものがあるって。この子は体内で産みだせるアニマの量が尋常じゃない特殊な体質なんだ。それがステラ・アルマを引き寄せる要因になっていると推測する。だから詳しく体を調べたいのさ。前はフォーマルハウトが途中で逃がしちゃったからねえ」
「……知らないなそんなの」
以前にも体を調べられた事があったんだ。
そうなると月に捉えられた時かな。
あの時はずっと意識を失っていたから何をされたかなんて覚えてないや。
「ほのかちゃんもそれでいいよね? そういう約束だったもんね?」
「……はい。異論はありません」
「ほのか、セレーネとそんな約束をしてたの?」
「色々なパターンがあったんだよ。私がお姉ちゃんと戦って勝った場合は、私達の世界は今後戦いの対象にはならない。その代わりにステラ・アルマは全て殺される。私が負けた場合でも、お姉ちゃん達がそのまま勝てれば月は今後一切私達には関わらない約束だった。私が負けて、更にお姉ちゃん達が負けた場合、私達の世界は破壊されてお姉ちゃんは月で実験材料にされるっていう最悪のパターンだよ」
「……ほのかはどうなるの?」
「希望すれば別の世界の自分と入れ替わらせてくれるんだって」
「良かった。せめてほのかだけでも助かるなら」
「断ったけど」
「何で!?」
「お姉ちゃんがそんな目に合うって分かってて別の世界に行けるわけないじゃん。って言うか別の世界のお姉ちゃんの妹になったって意味無いよ」
「そんなこと言ったって、ほのかは行く場所が無いんだよ!?」
「お姉ちゃんが月にいるなら私も月に残る。それでずっとカペラさんのパートナーをやる。そうしたらお姉ちゃんの体を色々調べはするけど酷い事はしないって約束してくれたから」
ほのかがセレーネを見ると、セレーネは笑顔を浮かべてうなずいた。
「うんうん。我は約束は絶対に守るから安心してねぇ」
「待ってほのか考え直して! せっかく元の生活に戻れるチャンスなんだよ!?」
「お姉ちゃんがいないのに元の生活なんて無いんだよ。もうこの話やめよう? あんまり騒ぐと女神様の気が変わっちゃうかもしれないから」
そう言うとカプセルの中で座り込んで、ふて寝するみたいに目を閉じてしまった。
ほのかはただ連れてこられて戦わされただけじゃなくて、そういう条件的な約束もしていたんだ。
ほのかに負けていても私達の地球は壊されなくて済んだのには驚きだ。
でもそれでミラや鷲羽さん、他のステラ・アルマのみんなが殺されるなら私にとっては地球が壊されるのと何ら変わらない。
「そういう事だから未明子ちゃんだけは今後もよろしくね。月も悪いトコロじゃないよ。普通に暮らす分には何の不便もないし、人間と話したかったらセプテントリオンもいるんだからさ」
「そう言えばセレーネ、アウルムと戦っているセプテントリオンがいたようだけど、あの子はどうするの? 裏切り者として処分するの?」
「尾花ちゃんだね。うんにゃ。あの子は裏切ってないよ。おそらく裏切ってるとしたら桔梗ちゃんの方じゃないかな。尾花ちゃんは桔梗ちゃんを止めようとしてくれたんだと思う」
「桔梗ってアウルムに乗ってる子よね? 裏切られたのならこのまま月に攻め込んでくるんじゃないの?」
「一応警告はするよ。それでも攻めてくるならアウルムごと爆破するから大丈夫だよお」
セレーネが何もない空間に手のひらをあてるとそこに操作盤のようなものが出てきた。
そこには私達の良く知る言葉が表示されていた。
メメント・モリ。
ラテン語で死を忘れるなという意味の言葉だ。
どうやらあの機体にはセレーネからの操作で自爆する機能がついているらしい。
「ステラ・アルマと違ってただの機械だからね。裏切り防止用の対策くらい用意してあるさ」
セプテントリオンに裏切り者なんて事情がよく分からない話だ。
そんなどうでもいい話より、この状況からみんなを助ける方法を考えないと。
負けた分際で卑怯と言われようと、それでも私はみんなを助けたい。
お父さんにも散々言われてきたんだ。
最後の瞬間まで絶対にあきらめないからな。
「セレーネ。もう一度確認させて」
静かな声が聖堂に響いた。
セレーネもカペラさんもベガさんも、それが誰から放たれた声なのか一瞬分からないようだった。
でも私にはすぐに分かった。
これまでずっとそばで聞いてきた大好きな人の声なんだから。
「……ミラ?」
鷲羽さんの治療をフォーマルハウトに任せてからずっと黙ったままだったミラが、セレーネに向き合っていた。
「えっと。この期に及んで我に何を確認したいのかな?」
「この戦いに勝つ条件」
「条件? もう敗北したのに勝利条件を確認してどうするのかなあ?」
「いいからもう一度宣言して」
ミラは怒るでもなく、自暴自棄になっているのでもなく、静かにセレーネに問いただした。
私にもミラが何をしたいのか分からない。
「何を考えているんだろうねぇ。まあいいや。さっきと変わらないよお。外にいるアウルムを倒したらそっちの勝ち。それが勝利条件さ」
「分かったわ」
ミラはそれを確認すると鷲羽さんを治療しているフォーマルハウトに近寄った。
「フォーマルハウト。鷲羽さんの治療を続けたままゲートを出せる?」
「はあ? お前は何を言ってるんだ」
「そういうリアクションは話が長くなるからもういいよ。質問に答えて」
「ワケがわからないな。別に出せるがそれがどうした?」
「私がひとっ走り行って、あの金色のを倒してくる」
その言葉に聖堂にいる全員が息を呑んだ。
私の聞き違いじゃなければミラがあの巨人を倒すと言い出したのだ。
「ミラ? 何を言ってるの?」
「ごめんなさい。私、未明子に話していない事があるんだ」
「話していない事?」
「2等星のステラ・アルマは固有武装を2つ持っている。私はくじら座2等星のミラ。当然私も固有武装を2つ持っているの」
「知ってるよ。ファブリチウスと、名前は知らないけどパートナーとの相性を100%にする能力でしょ?」
「それは違うんだ」
「違う!?」
「2つ目の方は多分夜明さんから聞いたんだよね? 確かに私は自分に乗るステラ・カントルとの相性をいきなり最大限にさせる事ができる。でもそれは固有武装じゃなくて私の特性なんだよ」
「あれ特性だったの?」
「サダルメリクが敵意を向けられるように、ツィーが少しだけ世界を移動できるように、私はそういう特性を持っているの」
「あれが特性なら……じゃあ2つ目の固有武装は何なの?」
「……は……恥ずかしくて」
「え。何が?」
「名前が……」
「名前!? 固有武装の名前が恥ずかしいの!?」
何かシリアスっぽい語り口調だったからこのままシリアスで行くのかと思ったら、ミラは急に顔を真っ赤にしてその場で顔を手で隠してしまった。
「恥ずかしくて言えなかったの。どうせ使えない固有武装だったし聞かれないならそのまま黙っておこうとずっと内緒にしてたんだ」
「使えない? ちょっと待って聞きたい事が多すぎてどこから聞こう」
「その固有武装は消費するアニマがあまりに莫大で、2等星の私にはとてもそのアニマを溜め込むだけの器がなかったんだ。だから今まで一度も使った事がなかったの。でも今の私は理論上無限にアニマを溜められる」
「もしかして……」
「そう。私にはもうちゃんとした肉体が無いから。この体は知っての通り構成体を無理やりくっつけているだけの擬似的な肉体。だからキャパシティーなんて無いんだよ」
そういう事か。
以前のミラはアニマを溜めすぎるとアニマ酔いを起こして、酷い時には鼻血を出したりしていた。
だから私はミラへのアニマの供給に気を使わなきゃいけなかったんだ。
でも生き返ってからのミラはそれが無くなっていた。
アニマ切れがそのまま死に繋がるからって供給できるだけ供給していた。
それをそのまま溜め込んでいたとしたら、確かに物凄い数値になっているはずだ。
待って。
もしかして復活してからのミラがずっとテンション高かったのって私がアニマを供給し過ぎてたからなのか。
さっき女の子にはありえない腕力を発揮してたのも、もしかしてそれが影響してたんだろうか。
「正確な数字じゃないけど、今の私のアニマ内蔵量はおよそ150万」
「150万!?」
アルフィルクの10倍くらいのアニマを持っている鷲羽さんの更に約10倍。
何なら今回協力してくれている全てのステラ・アルマのアニマを足した合計よりも更に大きい。
「はっははははは! 未明子、どんだけこいつとヤったんだ?」
「うっさいフォーマルハウト!」
でもつまりそういう事なんだ。
ミラが生き返って、ミラと一緒に住むようになって、タガが外れたようにエッチしてたからこんな数値になっちゃったんだ。
毎晩寝る前にエッチしてたり、休みの日なんてずっと家に引きこもってエッチしてたもんな。
ただでさえ私はアニマの供給量が多いんだから、単純に足し算していったらそりゃそうなるか。
いやー、納得した。
そして納得してないのはほのかだ。
すっごい怖い目で私を睨んでいる。
後でミラの話もしっかりしなきゃ。
「で、結局その固有武装はなんて名前なの?」
「……言わなきゃダメ?」
「逆にそこまで隠されると是非とも聞きたい」
「み……ミラ・ヴァリアブル……」
ミラ・ヴァリアブル。
何かどっかで聞いた言葉だぞ。
確かミラがくじら座のステラ・アルマだって聞いて調べた時に出てきた気がする。
日本語だとミラ型変光星という呼び名で、簡単に言うと膨張や収縮で形状が変わる星を指す言葉だった気がする。
「べ、別に恥ずかしくないと思うけど?」
「恥ずかしいよ! だって自分の名前が入ってるんだよ!?」
「そんなの技名に自分の名前が入ってるアルフィルクだってそうだし、鷲羽さんだってベガさんと交換してるだけで実は固有武装に名前が入ってるし、ツィーさんなんかまんま自分の名前の武器を使ってるじゃん!」
「他の人はいいよ、でも私は恥ずかしいの!」
私には分からないけどミラ的にはどうしてもダメな部分らしい。
逆にファブリチウスはいいんだ。
ミラを発見した天文学者さんの名前なんだけど。
私、ファブリチウスを撃つ度にネットで見たおじさんの顔が浮かんでたんだけどな。
「そのミラ・ヴァリアブルはロボットに変身しなくても使えるの?」
「概念武装だからね。むしろロボット状態だと未明子を巻き込んじゃうから怖くて使えなかった」
「ええ……一体どんな武器なんだ。でもそれならあの金色の巨人を倒せるかもしれないんだね?」
「うん。でも一つだけ問題があるんだ。この固有武装を使うと、私は帰ってこられないかもしれない」
「え!?」
「何せ初めて使うしね。もしそうなったら未明子との約束を破っちゃうかもしれない」
「そんな……」
「でもこのままだと、どの道お別れ。だから私は覚悟を決めたんだよ」
「待って! そんな話をされたら行かせられないよ!」
「落ち着いて未明子。そしてよく考えて。いま私達は敗北しかかっている。もしこのまま敗北が決まれば何も残らない。それは理解できるよね?」
「そんなの理解してるよ。だからと言ってミラが帰ってこられないかもしれないんじゃ嫌だよ!」
「もし私と未明子が逆の立場だったとして、私が止めたら未明子はやめてくれた?」
「そ、それは……」
私は絶対にやめないだろう。
このまま何も動かなければ確実に全てを失う。
やれる事があるのならどんなに可能性の低い事でも絶対にやる筈だ。
私はいつもそうしてきたんだから。
「そういう事だよ。だから止めても無駄だよ。私はやるって決めたんだもん」
「ズルいよ。そんな風に言われたら何も言えない」
「ううん。言って。一言こう言って。そうしたら私は無敵の女の子になれる」
「え?」
「好きだよって」
そう言って私を見る女の子は、優しい顔をしていた。
初めて見た時からずっと目で追ってしまう、私の大好きな優しい顔をしていた。
この女の子を好きになって。
何とか話しかけて。
それで付き合う事ができて。
キスをして。
そしたら何故か地球の存亡をかけて戦う事になって。
何だかんだ色んな事があって。
いつの間にか、こんな遠い星まで来てしまった。
私はミラが好きだ。
例えこの戦いが終わったとしても私はミラとずっと一緒にいたい。
私の命が終わるまで。
ううん、地球の命が終わるまで、一緒にいたい。
私の中にある大きな大きな気持ちを込めて。
目の前の女の子に私の気持ちを届けた。
「ミラ。好き。大好き」
「うん。私も。だから信じて待っててね」
ミラは満足したように振り返ると、フォーマルハウトに軽い蹴りを入れた。
「んだよ。はしたないぞ?」
「ゲート開いて」
「どこにだ。あのデカイ奴の目の前にか? 生身で宇宙空間に出たら死ぬぞ?」
「大丈夫だよ。固有武装を発動すれば宇宙空間でも生きられるから」
「そうかい。まあ、頑張りな」
フォーマルハウトが面倒くさそうにゲートを開く。
ミラは躊躇なくその中に飛び込んで行った。
ゲートが閉じて、聖堂の中は静寂に包まれた。
その静寂を破ったのはセレーネだった。
セレーネは驚いた様子も慌てた様子もなく、ただスクリーンを見ながらこう言った。
「あのステラ・アルマ。何を見せてくれるんだろうねぇ」
今度こそ最後の攻撃になるだろう。
デスペラティオを発動させ、動けない敵のいるエリアに撃ち込んで行くだけ。
部屋の掃除をするのとたいして変わらない。
あっという間に片付く作業だ。
「まずは尾花とあの煽り癖のある生意気な2体のいる正面だね。ヴァニタスの衝撃でかなり吹き飛んでいるようだが残念。そこも射程距離だ」
アウルムの腕のミサイル発射口のハッチが開く。
桔梗は敵に狙いをつけた。
「じゃあねモブども。無様に消えたまえ。デスペラティオ、発……!」
ミサイルを発射する寸前だった。
丁度正面の敵とアウルムの間の空間。
そこに人影が見えたのだ。
桔梗は目を疑った。
宇宙空間に人がいるワケがない。
ロボットならいざ知らず、生身の人間がいるなど出来の悪いホラー話だ。
しかしその場所を拡大してみるとそこには間違いなく人がいた。
宇宙服でも無い私服を着た一人の女性が宇宙空間にいたのだ。
「な……何だあいつは?」
得体の知れない女性に少しだけ恐怖を感じた桔梗はデスペラティオの狙いをその女性に変えた。
どうせ正面の敵の射線上だ。
もろとも吹き飛ばしてしまえばいい。
桔梗が女性に狙いをつけた時だった。
アウルムの背中側で大きな爆発が起きた。
操縦席を揺らされるほどの爆発で、危険を報せる警告音が鳴り響いた。
「何なんだ!? 次から次へと!?」
モニターの破損でダメージレポートを確認できない桔梗は知り得ない事だったが、今の爆発は背中のバリア発生装置からシャウラの毒を流し続けていたダイアが起こした爆発だった。
少しずつ破壊を続けアウルム内部に進んでいたダイアは、ヴァニタスが発射された時にはすでに効果範囲外にいた為に衝撃波の難を逃れていたのだ。
そしてその毒がとうとう全体に流れ始め、アウルムにダメージとなって現れていた。
「くそ! 背中は後だ! 今は正面……」
背中の爆発にほんの一瞬だけ気を取られてしまった。
だが謎の爆発よりも気味の悪い女を先に討つのが先決だ。
そう考えた桔梗が正面に向き直った時。
信じられない物が目の前を覆っていた。
私達は普段、地球上で暮らしているのでそうそう巨大な物体を目にする事はない。
せいぜいが高層ビル。
機会があれば豪華客船なんてのを目にする機会もあるかもしれない。
だから宇宙に出て月を見た時、あまりの大きさに足が竦んでしまう程だった。
でも今スクリーンに映っているのはそんな月を遥かに超える巨大な物体だった。
もはや大きすぎて何が映っているのか分からない。
宇宙をこんなに俯瞰で見ているのに、それでも全体像が把握できない程に大きな物体だった。
聖堂でそれを見ていた、私を含めた全員がその巨大な物体に目を奪われ呆然としていた。
あのセレーネでさえ目を見開いて固まっていた。
赤色で、何だかモヤモヤとしている物体。
そんな得体の知れない巨大な物体が金色の機体の前に突然現れたのだ。
「……なるほど、そういう能力だったんですね」
最初に言葉を取り戻したのはベガさんだった。
説明を乞う目でベガさんを見ると、私の肩に手を置いてこう言った。
「あれがミラさんです」
「え!?」
訳が分からなかった。
あの大きくて赤くてモヤモヤしたのがミラ。
そう言われても理解の範疇を完全に越えていた。
「あの子が戻れないかもしれないと言ったのは本当だったみたいね」
その言葉を放ったのはカペラさんだった。
どうやらカペラさんも何が起こっているのか把握できているみたいだ。
「未明子さん。落ち着いて聞いて下さい。ミラさんの固有武装ミラ・ヴァリアブルは、あの形態に変身する能力のようです。いえ、変身ではないですね。あの形態に戻る能力です」
「戻る?」
「あれは私達ステラ・アルマの本来の姿。この肉体を授かる前、更に星から使命を託されて地球にやってくる前の姿です」
「じゃあミラは星に戻ったって事なんですか?」
「完全に星に戻った訳ではありません。くじら座オミクロン星ミラの大きさは最大で太陽の400倍。こんな狭い宙域に存在できる星では無い。おそらくあれは疑似的に星の性質を取り戻しているんです」
「星の……性質……」
そう言われてもまだ理解できない。
あれがミラが変身した姿なのだというトコロで限界だ。
「私達ステラ・アルマは使命を終えて星に還る時にあの形態に戻るわ」
「それを指して私達はこう呼びます」
「ステラムジカ」
ステラムジカ。
直訳すると星の音楽。
今や科学は星が発する電磁放射を音に変換できる時代になった。
それを聞いた誰かがこれは星の歌声だと言った。
星は歌っている。
音楽を奏でている。
ステラムジカとはその言葉の通り、星が奏でる音楽なのだ。
「ミラさんの能力は強制的にステラムジカを起こす能力。あの巨大な姿が断片的とは言えミラさんの本来の姿なんです」
「あれがミラの本来の姿……」
正直な感想を言えば、良く分からなかった。
あまりに常識を超え過ぎている。
そう言われたらそうなんだとしか思えなかった。
ミラの本来の姿の前にいる金色の機体は、サイズ差を考えると小人なんてものじゃなかった。
ミラにとってみればチリよりも更に小さい。
吹けば銀河の彼方まで飛ばされてしまいそうな程の絶望的な差だ。
「おいおいマジか……」
一緒にスクリーンを見ていたフォーマルハウトが苦笑いを浮かべながら言った。
あのいつもニヤニヤと余裕を見せているフォーマルハウトが焦るような事がスクリーンに映っていた。
赤いモヤモヤした物体から、細長い触覚のようなものが伸びてきたのだ。
遠くから見る分にはノロノロと上の方に伸びていく。
でもきっと物凄いスピードで伸びているんだろう。
その触覚だけでも月のサイズを優に超えていた。
どれくらいの大きさなんだろう。
宇宙空間に物差しがないから検討もつかない。
その細長い触覚がある程度の所まで伸びると、勢いよく金色の巨人に振り下ろされた。
私にはそれがミラがチョップをしているようにしか見えなかった。
「ちぇすとー」とでも掛け声を上げていそうな可愛らしいチョップだ。
しかし現実には全く可愛らしいものでは無かった。
自分の数万倍もあろうかという巨大な赤色のモヤモヤが迫ってくるのだ。
金色の機体は何をするでもなく――
そのチョップに巻き込まれて消滅した。
あまりの巨大さに何もできなかった。
当たり前だ。
星が降ってきたところで人間に何ができると言うのか。
大きい。
あまりに大きい。
星のチョップだった。
それを見た時、私はこう言わずにはいられなかった。
「ああ……私の彼女が大きかった」
今回も読んで頂きありがとうございます。
次回は二話同時更新。
それが最終回となります。
あとほんのちょっと、お付き合い頂ければ幸いです。




