第140話 ステラムジカ②
「これが月……」
生まれてからこれまで何度も見た月。
見上げればいつも遠い夜空に浮かんでいた月。
それなのに目の前にある月は、初めて見る物のように思えた。
灰色の地面。
無機質な丘陵。
規則性なく存在するクレーター。
どれも私達の住んでいる星とは違いすぎて現実感がなかった。
「ここに……攻め込むんだ」
月のスケールを目の当たりにして九曜さんが呆然としていた。
私もこんなに近くで月を見たのは初めてだ。
今いる宇宙ステーションを飛び出してあそこに向かうのかと思うと少しだけ足が竦む。
「何だか怖い……」
誰が言ったのか。
ステーションの中にそんな声が零れた。
私と同じように気圧されている人達が他にもいるみたいだった。
メガロフォビアという言葉があるように巨大な物体に恐怖を抱く人は多い。
地上には存在しない巨大な土の塊が、みんなに恐怖を伝播していた。
そんな空気の中、突然ステーション中に響き渡る大声が聞こえた。
「すっっっごい! 月って近くで見るとこんなに大きいのね! 見なさいよムリ! あれがクレーターってやつでしょ!?」
その声はソラさんだった。
宇宙ステーションのガラスにへばりついて、まるで遊園地にでも来たかのように大興奮している。
「ちょ、ちょっと梅雨空。あんまり大きな声を出すと迷惑だよ」
大はしゃぎのソラさんを諭すようにムリちゃんが小声で注意する。
「何でよ? こんなに珍しい物を見たらテンションあがるじゃない。ねえあれ! 何であそこだけ黒くなってるの?」
「どれどれ? あー、あれは月の海ですね。興味深い!」
ソラさんの大はしゃぎに音土居さんが乗ってきた。
それに気を良くしたのかソラさんの声がますます大きくなる。
「月に海があるの!? 長野にも無いってのに生意気ね!」
「海と呼ばれているだけで水は無いみたいですよ。黒い地面が便宜的に海と呼ばれているだけみたいです」
「水も無いのに海なんて呼ばれてるの? 黒いならソバカスとかで良かったじゃない。あんなの月のソバカスよ!」
「月のソバカス! いいですねそれ。私もこれからそう呼びます!」
「まったく。大勢に見られるんだから手入れしろってのよ!」
ガハハハハと二人の元気な笑い声が響く。
月を見るなり騒ぎだして、そのままディスり始めてしまった。
そんなやり取りを聞いていたら何だかビビッているのが馬鹿らしくなってきた。
「ちょっと稲見、早く行きましょう。さっさとセレーネをぶっ倒して月を探検するのよ!」
「ええ……もう遊ぶことを考えてるんですか?」
「あったりまえでしょ!? 月に降り立ったアイドルなんて未だかつていないんだから! 私がその第一号になるのよ!」
「梅雨空、慌てなくても第二号は生まれないと思うよ」
ムリちゃんが呆れていた。
ソラさんは宇宙に来てもソラさんだった。
その破天荒ぶりに周りの人達も感化されて、恐怖心が随分と和らいだみたいだ。
別に狙ったわけじゃないと思うけどこういう時に嫌な空気を払拭できるのはさすがソラさんだ。
「ではみなさん! 各自準備を整えて下さい!」
空気が軽くなったのを察した双牛ちゃんがすかさず指揮を取る。
それを合図にそれぞれの世界ごとに集まって、変身と搭乗の準備が始まった。
これだけ多くの女の子が一斉にキスをする光景なんて今後絶対に無いと断言できる。
私にとっては一世一代の大チャンスだ。
みんなのキスシーンを網膜が焼き切れるくらい目に焼き付けてやる。
……つもりだったのに、ミラと鷲羽さんに腕を捕まれ隅っこの方に連れて行かれてしまった。
「はいはい。私達もさっさと準備するわよ」
「未明子も毎回懲りないね」
「待って。待って二人とも。せめて3分でいいから眺めさせて!」
「いいの? もしその3分でみんなの準備が終わったら、私達は全員に見られながらキスするのよ?」
「う……それはさすがに照れるね」
「私は絶対に嫌よ。鯨多未来だって嫌でしょ?」
「私は未明子が私のものだってアピールできるから別にいいかな」
「はい。この話はおしまい。私からするわね」
「全然話を聞く気ないじゃん」
鷲羽さんがすすっと近寄って目を閉じたので、肩をそっと抱いてキスをした。
……それを真横でミラにじっと見られている。
嫌じゃないけどソワソワするな。
「これ本当に鷲羽さんからしないとダメ? 私からでもいいんじゃない?」
「私が本体なんだから私からするのが筋でしょ?」
「でも私が未明子の最初の恋人なんだから私からするのが正しいと思うんだ」
「もういいから早くしなさいよ」
鷲羽さんはそう言いながらそっぽを向いた。
私とミラがキスをする時、気を使ってくれているのか、それとも見たくないのか分からないけど鷲羽さんはよそ見をしてくれる。
その間に済ませてねってことなんだろう。
ミラが顔を傾けて目を閉じたので、手を握ってキスをする。
「ありがとう鷲羽さん。もういいよ」
「私の方が優しいキスだったよ」
「私の方が想いはこもっていたわ」
「どっちの方が想いがこもってたなんて鷲羽さんには分からないでしょ?」
「鯨多未来こそ私の唇に触れた未明子の唇の優しさなんて分からないでしょ?」
「何よー。未明子、私とだけもう一回しよ?」
「あなたは充分でしょ? 私がもう一回するわ」
「落ち着こうね二人とも。後でいっぱいしようね」
何やらかわいいケンカが始まってしまったので、二人の肩に触れて仲裁した。
このまま揉めてると本当に最後になりかねない。
何とか二人を落ち着かせて私は少し距離を取った。
ロボットへの変身時は近くにいると危ない。
特に鷲羽さんは変身する時に風が吹くから余計に離れないといけない。
二人は肩が触れそうなくらいに近づいて並んだ。
「鷲羽さん。ちゃんと言ってね?」
「分かってるってば。もう何回もやったでしょ」
「いくよ? せーの……」
「「マグナ・アストラ」」
掛け声と共に二人の体が同時に光に包まれる。
光をまとった女の子のシルエットが、あっという間に巨大なロボットの姿に変わった。
大きな翼を持ったピンク色のロボット。
その右手には、背の丈程ある銃を持っていた。
ファブリチウス。
ミラの固有武装であり、今はミラ自身が変身しているスナイパーライフルだ。
あの夜、サダルメリクちゃんからヒントを貰った私達はさっそく次の日にミラの変身を試してみた。
鷲羽さんの残った固有武装の枠を使い ”他のステラ・アルマを武器化する” という能力を創り出す。
最初はうまくいかなかった。
鷲羽さんだけが変身してミラの姿は変わらなかったのだ。
でも何度か試している内に二人のテンションが同じなら成功すると分かった。
そこで考え出したのが、いつもみんながやっている変身時の掛け声だ。
鷲羽さんはこれまで恥ずかしがってやろうとしなかったけど、その掛け声を二人で同時にあげる事でほぼ100%の確率で成功するようになった。
二人はサダルメリクちゃんとアルデバランさんのように完全に合体したわけではない。
あくまで本体と武器という合体だ。
それなのに鷲羽さんの体には微妙にミラがロボットだった時のフォルムが混ざっていた。
これも二人の心が近づいた証なんだろうか。
『鷲羽さんバージョン2だよ!』
『めちゃくちゃダサいからその呼び方はやめてちょうだい』
『じゃあミラアルタイル』
『何であなたの名前が先に来るのよ』
『略してミライル』
『略さないで。できそこないのミサイルみたいになってるじゃない』
ミラの意識はファブリチウスの方にあるみたいで普通に会話もできる。
願っていた通り、この形態なら3人で戦えるのだ。
私は鷲羽さんの手に乗せてもらい操縦席に入った。
椅子に座って壁面から出ている細い管を掴む。
これはアウローラを発動する時に血液を供給する為のチューブだ。
私はそのチューブを腕に刺した。
アウローラはいつ発動するか分からないので操縦中は常にこの状態にしておかなければいけない。
『うう……やっぱり未明子が自分の腕を傷つけてるのには慣れないね』
「でもまだ血を抜かれてる訳でもないし、刺してるだけなら何ともないよ」
『アウローラは必要な時だけ使ってね』
「うん。今回は長丁場になりそうだし節約するよ」
節約したい気持ちはやまやまだけど、そうさせてくれるかは敵次第だ。
操縦桿を握って準備は完了。
モニターで周囲を見ると、すでに全員の準備が整っているようだった。
どこもかしこもロボットだらけ。
改めて最終決戦が始まるんだと気合いが入る。
「それでは扉を開けるぞ」
シャケトバさんの声がして、宇宙ステーションの地面部分が開いていった。
開いた先はもう宇宙空間。
充満していた空気が宇宙に吐き出されていく。
それと共にステーション内に作り出されていた重力もカットされたのか、体が軽くなった。
「みなさん。聞こえますでしょうか?」
内部通信から双牛ちゃんの声が聞こえた。
「今回は木葉さんチームの方の固有武装で味方全員に通信が可能になっています。共有事項があったら逐次連絡をお願いします」
委員長ちゃんの仲間に通信能力を持ったステラ・アルマがいたおかげで、何と夢の全員通信ができる事になった。
しかもこの通信能力、連絡相手を指定できるのだ。
個人だけに連絡したければその人の名前を、全員に連絡したければ今みたいに「みんな」や「全員」と言えば味方全員に連絡ができる。
通信能力は人数が増えれば増えるほど有効性が高まる。
宇宙で戦うなら絶対お互いの距離は離れるし、何より全員で情報共有できるのは戦術面、精神面の両方でありがたい。
「一番乗り、いただきぃ!」
九曜さんが真っ先に宇宙空間に出て行ったのを皮切りに、他の機体も次々とそれに続いた。
「私達も行くよ!」
『『了解!』』
ステーションから宇宙空間へと飛び出る。
それは地上から水の中に潜るのとはまた違う、不思議な感覚だった。
飛び出た勢いでステーションからどんどん離れて行く。
宇宙は放っておくと等速直線運動で際限なく進んでしまう。
慌てて停止するイメージをしたら、その場でピタリと体が止まった。
「本当だ。宇宙空間でも思った通りに動ける」
『実際は機体の各部にあるバーニアを使って細かく調整してるんだけど、操縦者はそんなの気にならないで動けるでしょ?』
自分がこうしたいと思うイメージ通りに動けた。
何もないところで足踏みすらできてしまう。
試しにひっくり返ってみた。
さっきまでいた宇宙ステーションが頭上から足元に変わる。
空では絶対に無理な動きでも宇宙なら簡単だ。
これは楽しいかもしれない。
「凄いね。鷲羽さんが言ってた通り地上より動きやすいかも。でもこうなると鷲羽さんの特性の飛行があまり際立たなくなっちゃうね。みんな飛んでるみたいなもんだし」
『ふふん。何を言っているのかしら未明子。ちょっと抑え気味に加速してみて?』
「加速? うん、分かっ……おおおおおおッ!?」
言われた通りに加減して加速してみたら物凄い勢いがついた。
まだアウローラ状態じゃないのに同じくらいの加速力が出ている。
『私は重力下よりも無重力の方が適正が高いの。宇宙での戦いならかなり速いわよ』
「凄いね。これ必殺技の超スピードとか出しても大丈夫なの?」
『その分アニマを緩衝膜の方に使えるから問題ないわ』
宇宙には空気抵抗が無いからスピードを出せば出すほど速く動ける。
それは逆に言うと切り返しにそれ以上のエネルギーがいるって事だ。
その辺りをうまく計算して動かないとスピードに翻弄されちゃうな。
「みなさん! 月方向を警戒して下さい!」
宇宙空間での動きを研究していたら双牛ちゃんから一斉連絡が入った。
月を見ると次々に光の塊が出てくるのが見えた。
光の塊は数えきれないほどたくさん出てくると、あっという間に月の周りを囲った。
遠目でも見える。
あの光の塊は巨大ロボルミナスだ。
ルミナスは月に5万体配備されている護衛ロボット。
その余りある数でどこから攻められてもいいように月の全ての面を覆っていた。
あまりの数に圧倒されてしまいそうになるけど、これは私達にとってはいい流れだった。
「ルミナスが防衛網を張るのは想定通りです。こちらも予定通りの動きで行きましょう!」
実は宇宙ステーションは月の周囲の色んなところにあって、どのステーションから攻め込むかはこちらで決められるのだ。
そのおかげでルミナスの防衛網を月の全域に延ばすことができた。
もしステーションが一つしか無くてそこから来るのが分かっていれば、防衛網をその部分だけに集中させればいい。
相手も私達がどこから攻めてくるか分からないからこそ初期配置は全面を網羅しなくてはいけない。
「それでは犬飼さん。よろしくお願いします」
「その声は木葉さん?」
「そうです」
私の隣に委員長ちゃんがやってきた。
委員長ちゃんのパートナーはりゅうこつ座2等星のアスピディスケさん。
青色と水色の合わさった綺麗な機体だ。
流れる水を模したような装甲を纏っていて、アルゴ船の骨組みを表したりゅうこつ座だけあって水や海をイメージした機体のようだ。
個人的には船に変形するなら、ほ座のアルセフィナさんじゃなくてりゅうこつ座のアスピディスケさんの方の気がするんだけどな。
「こちらはお任せ下さい。うまくやってみせます」
「よろしくお願いします。本当は一緒に戦えれば良かったんですけど」
「いえ。こうやって並べただけでも満足です。アルタイルさんも頑張って下さい」
『ええ。お互い頑張りましょう』
「それでは失礼します。こころ、志帆、ダイア、行くぞ!」
各世界のリーダーに檄を飛ばして委員長ちゃんが戦場に向かった。
相変わらず私達に対する喋り方と他のメンバーに対する喋り方に差があって面白い。
「未明子ちゃん! アタシ達も行くね!」
「犬飼さん。ご武運を祈ります」
九曜さんと暁さんが委員長ちゃん達のグループについて行った。
これも作戦通りの動きだ。
今回の作戦は最初が肝心。
そのためにそれぞれが配置についていく。
さあ、月との全面戦争だ。
「ポイントラムダから来たな」
「はい桃の予想は大外れでしたー」
「うっさいわね! 尾花だって外してるじゃない!」
「私はそうかもって言っただけだよ。桃は絶対シグマから来るって断言してたよ?」
「はん。あいつら本当センス無いわね。狙いどころならシグマでしょ?」
「ひッ! ルミナスは全面を守ってるんだからあんまり違いはないっすよ?」
「って言うか向こうはこっちの事情を知らないんだから違いなんて分からないでしょ」
「敵の出現場所に興味ないって参加しなかったおみなえしは黙ってなさい」
すでにそれぞれの機体に搭乗したセプテントリオンのメンバーは、待機場所の格納庫に設置されている大型スクリーンで地球側の出現位置を確認していた。
数ある宇宙ステーションのどこから敵が出てきてもいいように、ルミナスは月の大まかな範囲を護れる数が配備されている。
そして敵の出現位置が判明しだい、そこにセプテントリオンが向かうオペレーションになっていた。
「今のところ全員固まって向かって来てますね」
「ひッ! 1機だけ単独行動してる機体がいるっす」
「おー凄いね。ルミナスをこれだけ配置してるのに1機で来るなんて自殺行為じゃない?」
「あの機体、ズームできますか?」
おみなえしの問いかけに、モニターの映像が単独で向かってくる機体をズームで捉えた。
その機体は紫色の禍々しい装甲を持つ機体だった。
「フォーマルハウト!?」
「よりによってコイツが単独行動か。何か狙っているな」
「フォーマルハウトが来てるなら、あのビームを跳ね返す奴はいないって事ね。ルミナスが撃ち放題じゃない」
「ひッ! 何か対策があるんすかね?」
「犬飼さんじゃない、か。なら彼女は本隊の方にいるのかな」
「梅雨空もそっちね。藤袴、フォーマルハウトはあんたに任せちゃって大丈夫?」
「ひッ! ルミナスもいるし大丈夫っすよ」
「だってさ。じゃあ萩里、藤袴以外は本隊狙いでOK?」
「そうしよう。ではルミナスの防衛網をうまく利用しつつ敵を排除する。セプテントリオン、出撃だ!」
「「「「了解!!」」」」
格納庫のハッチが開き、出撃可能を示すランプが点灯した。
「セプテントリオンウーヌス熊谷萩里、出撃する!」
「セプテントリオンドゥオ宵越尾花。出るよー」
「セプテントリオントレース葛春桃、行くわよ!」
「ひッ! セプテントリオンクアットゥオル藤袴。行きます!」
「ほとんどAI管理なのにこの発進シークエンスっている? まあいいや。セプテントリオンクィーンクェ黒馬おみなえし、出撃します」
格納庫からセプテントリオンの機体が次々に出撃していく。
だがその中に、桔梗と撫子の機体は含まれていなかった。
「ひぇー。本当に船に変形するんだね」
「えへへ。私のアルセフィナは凄いでしょ!」
ほ座2等星アルセフィナ。
その固有武装は巨大な船に変形する能力だ。
フォーマルハウトとは別で月に向かっている五月達は、三つ葉志帆の操縦するアルセフィナが変形した船の甲板に乗っていた。
10体程の機体を乗せられるアルセフィナは変形前からかなりの巨体だった。
あの広大な宇宙ステーションでも変身時にはギリギリ収まるくらいのサイズで、あと少し頭部が長ければ天井を突き破っていただろう。
アルセフィナは宇宙空間に出てすぐに船に変形。
味方を乗せた白い船体の帆船は、宇宙空間をまるで水の上のように航行していた。
「地球だと水のある場所でしか変形する意味が無かったから出番が少なかったんだよねー。宇宙はむしろアルセフィナのフィールドだよ!」
船に変形するアルセフィナの固有武装は水上での使用に限られるという制約の代わりに、水上では無類のスピードを誇っていた。
宇宙での航行でもそれは変わらない。
今も出そうと思えば乗っている味方が身動きできなくなる程のスピードを出せるが、アルセフィナに追従している他の機体とペースを合わせるためにあえてスピードを落として航行していた。
何せ部隊は20体を超えている。
サダルメリクのような足の遅い機体、ツィーのような高機動機体、その他の機体を何体か乗せて、乗れなかった機体は船に寄り添って進んでいた。
「志帆。ルミナスのビームは速度や攻撃範囲こそ脅威だが狙いはそこまで正確では無いらしい。落ち着いて回避すれば突破できるはずだ」
「こだてちゃん了解! 大丈夫だよ。この姿のアルセフィナは本当に速いんだから!」
「頼むから乗ってる人達を振り落とさないでくれよ?」
「そんなに心配しないでも平気平気!」
こだては志帆と一緒に戦うのは初めてだった。
当然、操縦を見るのも初めてだ。
彼女の性格しか知らないこだてにしてみれば慎重になるのも無理はない。
部隊の全体的な指揮は稲見が取るが、それぞれのメンバーへの細かい指示はこだてとこころが行う事になっていた。
戦闘中に起こる全ての事象に対して稲見が判断していては指揮が遅れる可能性がある。
別に指示役を立てて、部隊の動きを円滑にするのが目的だった。
「ここまでは双牛さんの予想通りだな」
スタート地点である宇宙ステーションが複数あると聞いた稲見は、敵が月全体を守る布陣で来るのは予測していた。
その上であえて部隊を分散せずに集中させたのである。
月の全方位に敵がいるのであればどこから攻めても防衛網の厚さは変わらない。
部隊をまとめルミナスの砲撃の範囲を最小限に絞る狙いだ。
一番まずいのは各個撃破されること。
砲撃に対して対策の無い機体を無意味に破壊されるのを防ぐ事だ。
部隊の進行に合わせて、正面に配置された数十体のルミナスが武器を構えるのが見えた。
まだ月までそれなりの距離があるがルミナスの持つビームキャノンなら間も無く射程に入るのであろう。
「総員、防御体勢! 暁さんは船上を守って下さい! 他の防御型機体は集合して壁を作れ!」
敵の砲撃に備えてこだてが指示を出し、防御体勢を整えた。
部隊を狙うビームキャノンの砲口にエネルギーが集中していく。
ルミナスは自動制御のロボット。
こちらが防御を選択したのなら容赦なく撃ち込んで来るだろう。
何故ならそれが敵を排除するのに一番効率が良いからだ。
主兵装であるビームキャノン「ルーメン・ルナエ」のエネルギーチャージが完了し、ルミナスの大軍は一斉射撃を行った。
暗闇の宇宙空間を照らすような、絶望的な破壊力を持ったビームが何十本と発射される。
威力だけなら部隊全体を軽く蒸発させてなお余りある威力だ。
そんな光の束が高速で部隊に迫る。
「稲見さん、解除しますね!」
「お願いします!」
部隊の前方。
何も無かったはずの空間から、突然2体のステラ・アルマが姿を現した。
その内の1体はフェルカドだった。
フェルカドの全身はすでにオレンジ色の粒子に包まれ光を放っていた。
このオレンジ色の粒子はフェルカドの固有武装。
その名も……
「フェルカド・ミノル!」
部隊に直撃するはずだった巨大なビームは全てフェルカドの直前でその向きを変えた。
そして逆方向に同じ速さで戻って行き、撃ち手であるルミナスに直撃した。
自分の撃ったビームに巻き込まれた巨大なロボット達はその膨大なエネルギーに焼き尽くされ、次々と光の花火へと変わっていった。
「やったああああああッ!!」
部隊から歓喜の声が上がる。
フェルカド・ミノルは双牛稲見のイメージするエネルギーを自在に操る。
エネルギーの塊であるルーメン・ルナエの砲撃を操作し、相手にそのまま跳ね返したのだ。
月の表面に展開された防衛網は、早くもその一面を大きく失ったのだった。
その様子をセプテントリオンのメンバーが悪夢でも見るかの様な顔で眺めていた。
まさにこれからルミナスと合流して敵の掃討にあたろうとしていたところだったのだ。
そのルミナス達は眼前で大爆発を起こして消滅した。
「何でアイツがいるのよ!? アイツのパートナーはフォーマルハウトに乗ってるんじゃないの!?」
桃の絶叫は尤もだった。
フォーマルハウトの操縦者は双牛稲見。
全員がその認識でいたからだ。
双牛稲見がフォーマルハウトに乗っているならばフェルカドは出てこない。
だからこそルミナスの砲撃は有効だと誰もが信じて疑わなかった。
最も効率の良い攻撃。
そこには必ず相応のリスクが存在するのをAIも予想できなかった。
「じゃあフォーマルハウトには誰が乗ってるのよ!?」
月基地から出撃してきた藤袴のミザールが、部隊とは別行動のフォーマルハウトの進路を塞ぐ。
藤袴は胸部装甲からバッティスタを取り出しフォーマルハウトと対峙した。
「ひッ! あんた誰なんすか? この前の人と違うんですか?」
「ふっふっふっ。残念だったわね! 私よ!」
「羊谷さんすか!?」
まるで情報量の無いその言葉を発したのは梅雨空だった。
フォーマルハウトを操縦していたのは双牛稲見ではなく、羊谷梅雨空だったのだ。
「あら藤袴ちゃん。私の名前は覚えてるのね?」
「基地に侵入して私にひねられた人っす」
「そういえばアンタにはそのお返しもしなくちゃだわね! ってか、何で敵なのにこっちの内部通信にアクセスしてきてんのよ!?」
「ひッ! 宇宙だと外部通信はできないっすからね。外部通信として発信されたものをコンバートして内部通信にしてるんですよ」
「え? ややこしくて良く分からない」
「つまり宇宙なら近くにいれば普通に会話できるって事っす」
「なるほど」
「ちなみに味方どうしの内部通信はこっちには聞こえないので安心して欲しいっす。そうは言っても単独じゃ通信できる相手もいないと思いますけど」
「あっそう。わざわざ教えてくれてありがとう」
「ひッ! それよりも何で羊谷さんがフォーマルハウトに乗ってるんすか?」
「トラップよトラップ! フォーマルハウトが出て来たらフェルカドはいないって思うでしょ? 見事にひっかかってやんの!」
梅雨空はゲラゲラと笑って相手を煽った。
しかしつい煽りたくなる程、月に大損害を与えたのは明白だった。
罠にハマり部隊の正面に配置されていたルミナスは粗方破壊されてしまった。
左右のルミナスが欠けた防衛網を埋める為に動こうとしているが、破壊されたルミナスの残骸が邪魔でうまく立て直しができていない。
「過去何回か月が攻められましたけど、その中で最悪の被害っす。ルミナス1体にどれだけの資材が使われてると思ってるんですか?」
「馬鹿ね藤袴ちゃん。そんな風に言われたら余計に嬉しいじゃない。開幕早々に一泡吹かせてやったわ!」
「ひッ! 一泡どころじゃないっす。ルミナスの防衛網が欠けたせいで、そこをセプテントリオンが守らなきゃいけなくなりました」
「それも作戦通りね。それで私がこっち側を崩したら更にピンチになるでしょ?」
「そうはさせないっす。見えないんすか? 私の後ろに山のように立ち並ぶルミナスが。ここをそう簡単に崩せると思わないで下さいね」
「それをやるのが私の仕事なのよ! 往生しなさいな!」
梅雨空が牽制のコル・ヒドラエを撃ち込む。
藤袴はそれをかわし、そのまま後方に移動した。
「ひッ! この状況だともう私が戦ってる場合じゃないっす。ここはルミナスに任せます」
「あらいいの? 砲撃なんかフォーマルハウトのゲートで無効化しちゃうけど?」
「ひッ! そのゲートについて調べさせてもらったっす。ゲートを開ける数は最大で10個。ただし開く大きさによってその数は減っていく。ルミナスの砲撃を無効化できるサイズだと、せいぜい1個か2個しか開けないんですよね?」
「げ! 何でバレてんのよ!?」
「あまり月を舐めない方がいいっすよ。ルミナス110から160。目標フォーマルハウトっす」
「ちょっと待って! 私いま50体から狙われてるの!?」
藤袴の指示でルミナス50体がフォーマルハウトに照準を合わせ、ルーメン・ルナエのチャージを開始した。
「ちょ、ちょっと待ちなさいってば!」
慌てて目の前に巨大なゲートを開く梅雨空だったが、角度的に全身をゲートで守り切るのは難しかった。
「ひッ! ちなみにゲートを使って逃げても無駄っすよ。そのゲートで移動できる範囲は全部ルミナスの砲撃の射程内っす。どこに逃げても追撃を加えるだけですからね」
「やっば。これ詰んでない?」
「往生するのは羊谷さんの方でしたね」
ルミナスの砲撃を食らえばフォーマルハウトとてひとたまりもない。
いや、これだけの砲撃に狙われて耐えきれるステラ・アルマなどいないだろう。
勢い勇んでやって来た梅雨空は早速の窮地に立たされていた。
(これでフォーマルハウトを落とせればラッキーっす。羊谷さんはアレを使えば助けられるからこのまま撃ち抜いちゃって問題ないですね)
フォーマルハウトを狙う50門のビームキャノンのチャージが完了する。
「ルーメン・ルナエ、一斉発射っす!」
その言葉と共に砲口から巨大なビームが一斉に発射された。
しかし梅雨空は、ビームの発射に合わせて開いていたゲートを閉じたのだった。
「ひッ! なんでゲートを閉じるんすか!?」
「いやー。ここまで見事にひっかかってくれると気持ちいいわ」
突如フォーマルハウトの体がオレンジ色の光に包まれる。
「もう一度食らいなさい! フェルカド・ミノル!」
フォーマルハウトに命中寸前だった50本のビームがグルリと向きを変え、砲撃手に向かって戻って行った。
射線上にいたルミナスがビームに巻き込まれ大爆発を起こす。
爆発は付近にいたルミナスにも及び、ビームを撃った個体以外も破壊された。
その被害規模は先程と遜色がなかった。
同じ方法で、またも月の防衛網が一面欠けたのであった。
「あらー。月をバックにした花火が綺麗綺麗!」
「ひッ! あの反射能力をコピーしてたんすか!?」
「そうよ。私がフォーマルハウトに乗ってるのも、フェルカド・ミノルをコピーしたのも作戦通りよ!」
これがフェルカドが稲見に提案した作戦。
そして梅雨空が稲見に提案した作戦だった。
フェルカドはフォーマルハウトにフェルカド・ミノルをコピーさせて、単独行動でルミナスの防衛網に穴を開ける作戦を提案した。
梅雨空は自分がフォーマルハウトに乗り、フェルカドを出撃させてフェルカド・ミノルで敵のビームを利用する作戦を提案した。
その作戦が功をなし、戦闘開始早々に敵に大打撃を与える成果を出したのだった。
しかしこの作戦はここで終わりではない。
この作戦の真の狙いはこの後にある。
「犬飼さん、今よ!」
「合点!」
ルミナスのいなくなった宙域に突然現れた一機のステラ・アルマ。
それは未明子の乗るアルタイルだった。
「ひッ! アルタイルが何故そこに!?」
何も無い空間から姿を現したアルタイルは、ルミナスの欠けた防衛網を易々と抜けて行った。
まるで流れ星のような速度で月に向かって行く。
アルタイルの姿を隠していたのはフォーマルハウトが月に潜入した時に使用した、こいぬ座ゴメイサの固有武装だ。
ジャミング能力で認識を狂わせる能力。
それを使ってアルタイルはフォーマルハウトの影に隠れていたのだ。
ただし能力者であるフォーマルハウトから離れすぎると効力を失ってしまう。
だが今更姿が見えたところで高速で移動するアルタイルに藤袴は追いつけなかった。
「まずいっす! 月に潜入される!」
「おおーっと藤袴ちゃん。そこでアルタイルを追ったら私に三枚おろしにされるわよ?」
「ひッ! どうやってステラ・アルマの中骨を抜き出す気っすか?」
「え? 三枚おろしって三つに切る事じゃないの?」
「羊谷さん実は料理できないっすね?」
「うるさいわね! 長野に海は無いから魚は捌かないのよ!」
「ひッ! 長野は川魚が美味しいんすよ。信州サーモンとか信州大王イワナとか食べてみるといいですよ?」
「うるさいわね! じゃあ真っ三つよ真っ三つ!」
「はぁ、それ語呂悪すぎません?」
「くだらないレスバトルさせんな!」
梅雨空が怒って両手でコル・ヒドラエを連射するも全て回避された。
藤袴は巨大な棺桶であるアルコルを手放し、大鎌バッティスタを両手で構える。
月の灰色の大地に浮かぶ死神の姿は幻想的にすら見えた。
「仕方ないっす。じゃあ羊谷さんをバッティスタで瞬殺してアルタイルを追いかけます」
「やってみなさいよ。羊谷梅雨空、この戦いでは全勝の予定なんだからね!」
「ひッ! カッコいいっすね。でもそれはこっちも同じですよ!」
大鎌を手元で一回転させたミザールが、フォーマルハウトに突進して行った。




