第127話 The Other Side of the Wall⑩
セプテントリオンのリーダー熊谷萩里。
彼女の操縦するドゥーベの特徴を説明するのは簡単だった。
その言葉を聞けば誰もがすぐに想像できる。
鎧兜を身につけ、腰に刀を携えた戦国時代の「鎧武者」
尾花と桔梗の窮地を救ったのは、まさにその鎧武者をイメージした機体だった。
特徴的なのは装備している武器だ。
武者の象徴である刀を腰の左右に1本ずつ。
その2本以外にバックパックに6本の刀がマウントされていた。
まるで時計の針のように。
または孔雀が羽を広げた時のように。
放射状に美しく並んでいる。
自身が頼る武器は刀のみと言わんばかりに、ドゥーべは合計8本もの刀を装備していた。
「全く。桃はさっさとお気に入りの相手の元に行ってしまうし、尾花は凄い勢いで桔梗の元に飛んで行ってしまうし、1人で隕石を斬り落としながらやってくるのは大変だったよ」
「ごめんね。桔梗の事しか考えてなかった」
「いやいや、そのお陰で僕を助けられたんだ。誇りたまえよ」
「わーい、褒められた」
「どうして助けられた桔梗が偉そうなんだい?」
四肢を斬り落とされ、電撃の檻に閉じ込められ、絶望的だった空気が萩里が現れた事によって見事にほぐれていく。
それ程までに萩里はメンバーに信頼されているようだった。
「フォーマルハウトか。まさかここで敵対する事になるとはな」
萩里はフォーマルハウトに向き直り、いつでも抜刀できる構えを取った。
その構えは稲見のような戦いの素人ですら、只者ではないと感じる威圧感があった。
稲見は破壊された電撃発生装置の固有武装を解除した。
コピーされた武器が消え、代わりに右手にツィーのアイヴァンを創り出す。
「それは五月の機体の固有武装だな。やはり他のステラ・アルマの武器をコピーできるのか」
「何だいそのボスキャラみたいな能力!? じゃあ僕のアルカイドの固有武装もコピーされてしまうじゃないか!」
「え。ならメラクの防御壁も真似されちゃう?」
「落ち着くんだ2人とも」
稲見はあえて敵の目の前でツィーの武器をコピーして見せた。
そうする事でこちらに多くの戦術があるように印象付けたかったのだ。
(実際はそこまで使いこなせないんだけどね)
フォーマルハウトがコピーできる固有武装は多岐に渡る。
状況に応じて無限のような手札の中から最適な武器を創り出せるのは脅威の能力だ。
しかし操縦者がその能力を使用する場合、操縦者の把握している武器しか創り出す事ができない。
当然だが操縦者とフォーマルハウトの知識はリンクしていないからだ。
稲見がフォーマルハウトに乗るようになってから、この短期間で使いこなせるようになった武器の数は多くは無い。
無論、いま見たばかりの敵の固有武装などコピーできる筈もなかった。
しかし相手が勘違いしてくれるならそれを訂正する理由はない。
稲見はさもそれが可能かのように振舞うために、わざとらしく笑った。
行動一つ一つが効果的になるように。
まずは新しく現れた敵がどういうタイプなのかを把握しようと考えた。
「熊谷萩里さんですね?」
「その通りだ。五月から聞いていたのかな?」
「はい。セプテントリオンをまとめるリーダーだと聞きました」
「そうだ。だからここで桔梗を守る立場にある」
「へえ、仲間は守るんですね。葛春桃を見ていたらもっと利己的な集団かと思ってました」
「桃は討伐対象の前ではキャラを作るからね。あれでなかなか他人思いの子なんだよ」
「他人思いですか……無抵抗の人間を解剖するような人達から出る言葉だとは思えませんね」
稲見は揺さぶりをかけた。
どういう反応を返すかで、ある程度の性格分析はできる。
尤も、この揺さぶりには稲見の本心も多分に含まれてはいるのだが。
稲見の言葉に萩里は虚をつかれた。
しかしすぐに気持ちを立て直し、凛とした態度で返答する。
「それはセレーネ様のお考えだ。私達はセレーネ様のご意志に従うのみ」
聞いていた通り、真面目で任務に実直な性格のようだ。
となれば戦い方も正統派と考えて良いだろう。
稲見は更に揺さぶりをかける事にした。
「ああ、聞き飽きたような台詞。イラつくなあ。やっぱりそこに転がってる死に損ないを同じ目に合わせてやらないと気が済まないや」
「何か怖いこと言ってるよ萩里! 助けて欲しいなあ!」
「助けるから大人しくしているんだ。あまり動くとアルカイド、いや今はベネトナシュか。彼女の容体が悪くなる」
「もうとっくに瀕死だよ! だから早くアイツを倒してくれたまえ!」
「分かっている。他の戦いもあるし時間をかけるつもりはない」
仲間を守る立場にあると言っていたからには、仲間をダシにするのが効果がありそうだ。
そう判断した稲見は戦いながら桔梗をターゲットにする事を考えていた。
それで萩里の隙を誘えるなら悪くない。
卑怯と言われてもいい。
稲見はここでこの3人を引きつけられるなら何だってやるつもりだった。
萩里が刀に手をかけた。
同時に威圧感が倍以上に膨れ上がる。
敵は刀を使った戦闘スタイル。
ならばまずは接近してくるはずだ。
そう思っていた稲見は、呆気に取られてしまった。
敵は刀に手をかけたまま身動きしなかったのだ。
いや、よく見れば摺り足で少しずつ近づいて来てはいるようだった。
ジワジワと、亀のようにゆっくりと近寄っていた。
「時間をかけるつもりは無いって言ってませんでしたっけ?」
「ふふ。面食らったなら申し訳ない。これが私のスタイルなんだ」
稲見と萩里の間にはそれなりの距離がある。
そんな近づき方では間合いに入る頃には日が暮れてしまうだろう。
何より稲見が相手の進みに合わせて下がれば距離は一向に縮まらないのだ。
(……ハッタリか?)
稲見が下がれば、その分桔梗との距離も開いていく。
そうやってまずは安全圏まで離すつもりなのだろうか。
その可能性も無くはないが、それよりも何か固有武装を使ってくる可能性の方が高い。
例えば刀身が伸びるとか、距離を無視して斬れるとか、そういう類の能力を発動させる条件なのかもしれない。
稲見は頭の中で様々な可能性をシュミレートした。
しかし萩里の行動は ”少しずつ近づいてくる” という一点張りだった。
……相手がそうしたいなら別に付き合う必要もないな。
そう思った稲見は左手のコル・ヒドラエを構えた。
「セプテントリオンのリーダーなんて言うからどんな人なのかと思ってたのに……大したことは無さそうですね」
「そう思うなら撃ってくるがいい」
「そうします」
そう言うなりコル・ヒドラエを発射した。
驚異的なスピードの紫色のビームが、一瞬で敵に迫る。
しかし萩里はその攻撃に対して全く反応をしなかった。
5本のビームの内3本がドゥーべの体を貫き、背後で控えていたメラクの張る銀幕にあたって消失する。
「え?」
流石にそれはおかしい。
いくらビームが速いと言っても全く反応しないなんてありえない。
しかもそれをまともに食らうなんて。
いや、あれは……。
「残像!」
それに気づいた稲見の真横には、すでに抜剣を終えた萩里の姿があった。
目にも止まらぬ速さでフォーマルハウトの首を狙ってくる。
やはりスピードタイプ。
かつ、相手の攻撃に反応して攻撃を繰り出すカウンターを得意とするタイプのようだ。
残像を残す動きは訓練中にアルタイルが見せていたので、それ自体に驚きはなかった。
それに稲見は敵に超スピードで攻撃をしてくる相手が1人はいるだろうと読んでいた。
だからすでに罠を張っていたのだ。
ドゥーべの刀がフォーマルハウトの体に届こうとしたその時、刀とフォーマルハウトの間の空間に青銅色の鐘が現れた。
これもフォーマルハウトの固有武装。
自動発動する盾のような物で、これに攻撃を加えた者に対して威力に応じた人間にだけ聞こえる超音波を発する。
ステラ・アルマではなく操縦者を狙ったカウンタータイプの武器だ。
超音波を食らえば敵はしばらく動けなくなる。
そこにコル・ヒドラエを撃ち込んで終わりだ。
そう考えていた稲見の予想は裏切られた。
鐘にあたる直前、敵は刀をピタリと止めたのだ。
そして大きく屈んだ後、一歩踏み込み斬り込んで来る。
まるでそこにあるのを知っていたかのように青銅の鐘を避け、フォーマルハウトの右腕を狙ってきたのだった。
稲見は反応が遅れた。
いや、反応などする余地もなかった。
斬撃はフォーマルハウトの右腕を斬り落とし、腕は体液を撒き散らしながら宙を舞った。
「くっ!!」
稲見は残った左腕でコル・ヒドラエを撃つ。
しかし咄嗟の攻撃で狙いが甘く、全弾回避されてしまった。
回避ついでに間合いを取る萩里。
十分な距離まで離れると、刀を振って刀身にへばりついた体液を払った。
「どうやら君は頭を使って戦うタイプのようだ。だから仕掛けさせてもらったよ」
「仕掛ける?」
「最初に抜刀の構えを見せた時、君は武器を構えなかっただろう?」
「……それがどうだって言うんですか」
「私の攻撃が怖くない。つまり何かカウンターを狙っていたという事だ」
「!?」
「だからこちらもカウンター狙いで君の攻撃を待った。まさかオートで発動する能力とは思っていなかったが、心構えはできていたからね」
無意識だった。
確かにカウンター能力を仕掛けていた事で余裕があったと言われればそうかもしれない。
その余裕を気取られ、まんまといっぱい食わされてしまった。
それによって負った腕の傷口からは体液が流れ続け、地面に液溜まりを作っていた。
傍目に見ればこれで勝負ありと言われても文句のないダメージだ。
戦況的にも精神的にも押されているのは明らかだった。
稲見は遅れを取るまいと、あえて強気の言葉で対抗した。
「まるで私の考えを読んだみたいに言ってますけど、その割には腕の一本を斬り落とすのがやっとなんですね。もしかしてそれ、何の変哲もないただの刀なんですか? セプテントリオンのリーダーが持つならもっと凄い武器かと思ってましたよ」
「この刀自体には何の仕掛けもないよ。ただの良く斬れる刀だ」
「へえ。特別な2等星なんて言いながら派手な武器の一つも無いんですね」
「でも君にはこれで十分かな」
「……何ですって?」
「セプテントリオンの強さは機体の性能では無いよ。個々の戦闘経験から来る判断力と対応力が何よりの強みだ。だから君程度の相手なら派手な能力なんて使わずにこの刀だけで十分だ」
煽ったつもりが逆に煽り返されてしまい平常心を揺さぶられた。
更に言い返したくなるがそれは相手のペース。
稲見はすぐに自分を諌め、現在進行中の ”作戦” を続ける事に注力する。
「こちらも片腕を斬り落とされましたし、わざわざ能力縛りをしてくれるんなら願ったりですね」
「だからと言って油断はしない。負傷を治療できるんだろう? それは仲間からの通信で聞いている」
「通信できる距離では無かったと思いますが?」
「セプテントリオン同士ならどれだけ離れていても情報共有可能だ。今も君の情報を全員で共有しているよ」
「はあ? 何だかんだ仲間を頼るんですね。個々の経験がどうとか言っていたのに」
「みんな頼り甲斐があるからね。仲間の力はチームの力。私達はセプテントリオンというチームだ」
「そうですか」
稲見にとってはどうでもいい話だった。
会話を続けたのは時間を稼ぐため。
狙い通りに時間を稼げたおかげで次の作戦の準備が整った。
稲見は左手でゲートを開く。
それを見た萩里が刀を構えて警戒する。
「ところで何か変だと思いませんか?」
「ふむ。特に思いつかないな」
「この斬られた右腕。体液がすごい勢いで出てますよね。あそこで手足を斬られた機体でもここまで出てないのに」
萩里がベネトナシュの状況を思い出すと、確かに両腕・両脚を切断されていても流れ出る体液はそこそこだった。
それに比べるとフォーマルハウトの傷口から出ている量は異常だ。
「ロボットですからね。普通こんな人間みたいに出ないんですよ。じゃあこれは何なんでしょうね」
その言葉で意図に気づいた萩里が地面を見る。
フォーマルハウトの傷口から出た体液は地面に広がって、萩里のすぐ足元まで来ていた。
「そう。これも固有武装なんです」
開いておいたゲートに入っていく稲見は、ゲートが閉じる直前に指で合図を送った。
途端、フォーマルハウトの体液が燃え上がった。
地面に流れ出ていた体液全てが燃え上がり、近くにいた萩里を巻き込んだ。
炎は爆発的に燃え広がり、その熱によって周囲の建物を融解させていく。
体液を媒介に炎を起こす固有武装。
稲見が斬られた傷を治療しなかったのは体液をまき散らす為だった。
炎の影響を受けない程度に離れた場所にゲートの出口が現れる。
そこから出てきた稲見はあまりの火力に驚いていた。
この固有武装は訓練中に使った事が無かったので、まさかここまで大規模な炎が発生するとは思っていなかったのだ。
「……いや、ビビってる場合じゃないや」
稲見は失った右腕の傷口に左腕で触れた。
青い光が広がり、そこに新たな右腕が形成されていく。
「フォーマルハウトさん、怪我は大丈夫ですか?」
『……』
「あの……黙って見守ってて下さってましたけど、私の戦い方、良くなかったですか?」
『稲見が乗っている間は好きに戦えばいいさ。私はそれに従うだけだ。ただ、これでアイツを倒したなんて思わない方がいい』
「え?」
燃え上がる炎の中にステラ・アルマの影が見えた。
影は慌てる様子もなく、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
炎の中から、ドゥーべが姿を現した。
焼かれるどころか全くの無傷。
焦げつきすらなく爆風に巻き込まれた様子もない。
「嘘でしょ!? あの炎に巻き込まれて!?」
『よく見るんだ』
「……あ!」
ドゥーべの周りには銀色の膜がかかっていた。
その膜が炎を完全にシャットアウトしている。
見間違えるはずもない。
あれはメラクの張るバリアだ。
離れた場所にいる尾花を見ると、自分の周囲の膜は維持したまま萩里の方に片手を掲げているのが見えた。
「あのバリア、複数張れるのか!」
思えばドゥーべはアルタイル顔負けの超スピード移動を使っていた。
残像ができる程の速度で動けば操縦者への負担はかなりのものだ。
アニマコントロールで衝撃を和らげたとばかり思っていたが、あれもメラクのバリアを操縦席に張って衝撃を散らしていたのだ。
「仲間の力はチームの力。そう言わなかったかな?」
稲見が思っていた通りメラクは厄介極まりない相手だった。
攻撃担当のリーダーと防御担当のサブリーダー。
炎の中から刀を携え向かってくる鎧武者の姿に、稲見は恐怖を感じてしまった。
それはすばるにとって初めての経験だった。
操縦桿を握ればサダルメリクは自分の思うように動かせる。
走るのも飛ぶのも、すばるの意思に反した事など無かった。
しかし今サダルメリクは一点を見つめたまま完全に停止してしまった。
モニターに外の風景が映っている以上、気を失ったわけではない。
ただすばるの命令を受け付けなくなってしまったのだ。
「メリク? どうしたのですか? 返事をして下さい」
もう4度目になるすばるの問いかけにも一切反応を見せず、モニターは同じ風景を映し続けていた。
サダルメリクが見続けている物は何なのか。
そこにヒントがあると考えたすばるはモニターを確認する。
映像の中心には1体のステラ・アルマが映っていた。
空に浮かんだ白いマントを纏った機体。
セプテントリオンのリーダー熊谷萩里のドゥーべだ。
ドゥーべはすぐに地面に降りて行った。
おそらく誰かと交戦状態になったのだろう。
ハッキリとは分からないが、あの位置ならばフォーマルハウトの可能性が高い。
フォーマルハウトが出てくれば敵の戦力がそこに集中するのは分かっていた。
だからその間に他のメンバーは残った敵の対処をするのが前もって決めておいた段取りだ。
それに従うならば敵を倒したすばるは戦闘中の誰かを助けに行くのが次のミッションとなる。
しかし肝心のサダルメリクが動かなくなってしまってはどうする事もできなかった。
「メリク、セプテントリオンのリーダーがどうかしたのですか?」
こうまで見続けているならば何か気になる事があるのだろう。
すばるは操縦桿から手を離しサダルメリクに問いかけた。
『見つけた』
「え?」
『とうとう見つけた』
今まで聞いたことの無い低い声。
まるで地の底から這い出てきた死人のような声でサダルメリクは言った。
『あいつだ。あいつがそうだったんだ。飛んでる時にマントの下が見えた』
「あいつ?」
『すばるには話したよね? 私には探してるステラ・アルマがいるって』
「……はい。聞いております」
『私が迫害されながらも世界を転々として来たのはあいつに会う為だ』
サダルメリクの体は震えていた。
それは操縦席にも伝わって来るほど大きな震えだった。
いつもと違い流暢に喋るサダルメリクの声を聞いて、すばるはとうとうこの日がやって来たと覚悟を決めた。
『ようやく会えた。ようやくこの時がやってきた。どれほどこの日を待った事か。……あいつに復讐する日を』
突如サダルメリクの右肩の付け根から、黒い煙が吹き出した。
右肩と胴体の接続部から出ている黒い煙は勢いを増していき、やがて黒色の煙から灰色の煙に変わった。
そして灰色の煙を出し切ると、今度は右腕全体が胴体から外れた。
外れた右腕は地面に落下して地響きを起こす。
それに続いて、左肩、首、そして胴体の左右側面からも黒い煙が吹き出す。
「メリク」
『約束だよ。今回ばかりは私の為に戦ってもらう。世界も、仲間も関係ない。私だけの為に戦ってもらうからね』
「……はい」
体の各所から吹き出る煙が黒色から灰色に変わる。
同じように煙を吹き出しきると、サダルメリクの体はバラバラになった。
左腕、首、そして胴体が側面から2つに割れ、それぞれのパーツが地面に落下した。
残ったのは脚部だけ。
その脚部は見たことの無い灰色のロボットの脚部となっていた。
逆三角形をした厳つい胴体。
鋭角の多い装甲。
元のサダルメリクに負けず劣らずの太い腕には、螺旋状の突起が複数突き出ている。
そして頭部からは、巨大な2本の角が天を突いていた。
『オオオオオオオオオオッ!!』
サダルメリクが唸り声を上げる。
背中に折り畳まれていた4つの円柱が羽を広げるように展開され、円柱の先端から炎が吹き出す。
最早サダルメリクだった名残は脚部しかない。
その他は似ても似つかぬ別のロボットに変わってしまっていた。
『……最高の気分と最悪の気分だ。行くぞすばる』
「はい。行きましょう、メリク」
『その名で呼ぶな。私はもうサダルメリクじゃない』
「承知いたしました。行きましょう、アルデバラン」
萩里の戦い方は五月と似ていた。
素早い動きで相手を翻弄し、隙あらば刀で攻撃してくるスタイルだ。
一つだけ違いをあげるなら萩里はフェイントを多用していた。
打ち込んだかと思えば太刀筋を変えて別の場所に打ち込んでくる。
一歩踏み込んで来たかと思えばすぐに左右に移動する。
目まぐるしく動きながら、これは移動なのか、それとも攻撃なのか、常に判断を要求されるのは稲見にとって大きな負担だった。
稲見は基本的には慎重な性格だ。
攻める時も相手の動きを観察して、必要最低限の攻撃を繰り出すようにしている。
その稲見ですら萩里の動きに惑わされて無駄な攻撃をさせられていた。
無駄な攻撃はそのまま隙に繋がる。
その隙を逃さずに萩里は攻撃を加え、徐々にダメージを積み重ねていた。
萩里の攻撃は本人が口にしていた通り、派手さこそないものの堅実に相手を追い詰めていた。
無理のないタイミングで無理のないアドバンテージを取り離脱を繰り返す。
攻撃による隙を出来うる限り排除したお手本のような攻め方だった。
(くそ! 突破口が無い!)
稲見は防戦一方になっていた。
最初にカウンターを食らったことで、反撃に対する戸惑いが生まれてしまっていたのだ。
ここで攻撃すればまたカウンターが来るのではないか?
そんな考えが頭をよぎれば手を出すのにも躊躇してしまう。
それはまさに萩里の術中だった。
長く戦いの経験を積んできた萩里には、稲見が何を考えて戦っているのかをほぼ正確に把握できていた。
理詰めで戦うタイプには何が効果的なのかを理解しているのだ。
そして追い込まれた時にどういう行動に出るのかも分かっていた。
つまり、稲見は萩里には勝てない。
それは操縦者の経験の差。
強さとは積み重ねてきた経験による判断力と対応力。
そこに雲泥の差があるこの2人では、勝敗は覆りようもなかった。
――地味に。
――静かに。
何の物語もなく。
実力通りの決着がつこうとしていた。
(負ける? フォーマルハウトさんの力まで借りたのに? それは駄目だ。私が負けたら他のみんなの負担が増える)
もう何度打ち込まれたのだろうか。
それすらも分からなくなった頃、とうとうその時がやってきた。
萩里の斬撃が稲見のアイヴァンとナビィを弾き飛ばしたのだった。
武器を失った稲見はゲートを開いて逃げようとする。
だがそれを見逃す訳はなかった。
萩里はフォーマルハウトの胸をめがけて突きを繰り出した。
狙いは核。
その突きは間違いなく、装甲を貫き、本体を貫き、核ごと操縦席を貫く威力を持っていた。
稲見は数秒後に自分が刀で貫かれるのを。
いや、押し潰されてバラバラの肉片に変わるのを覚悟した。
…………。
しかしどれだけ待てど、その絶望の一撃が繰り出される事はなかった。
目の前で刀を構えた敵は、何故かそのまま停止していたのだ。
何故止まっているのかは分からない。
稲見の生存本能は、すぐにこの場を去る選択を下した。
開いたゲートに入り込み、萩里からかなり離れた場所に出現する。
そこでようやく稲見は自分が生き延びた事を実感した。
全身から脂汗が噴き出し、心臓は全力疾走でもしたかのように激しく鼓動していた。
「な、何が起こったんだ……?」
稲見が恐る恐る萩里を見ると、まだ動きを止めたままだった。
止まっていると言うより何かを見ているようだった。
『……何であいつがいるんだ』
突然、沈黙を保っていたフォーマルハウトが声をあげた。
何故か機嫌の悪そうな声で、ある一点を見ている。
あいつとは誰の事を言っているんだろう。
しかして稲見は、その ”あいつ” をすぐに発見する事ができた。
フォーマルハウトが見ていたのは、萩里の視線の先と同じ場所。
そこには見たことのない機体が立っていた。
それは頭部に巨大な2本の角を持った、灰色のステラ・アルマだった。




