第116話 点と線 稲見とフェルカド・桔梗と撫子
セプテントリオンとの戦いが始まってから稲見はその対策に頭を悩ませていた。
実戦経験だけは多く、自分達が今どれほどの窮地に立たされているかをほぼ正確に把握し、有効的な作戦を立案すべく知恵を振り絞る毎日だった。
2対8でこちらの不利。
これは何も悲観的に導き出した数値ではない。
残りの期間全員が個々の力を上げ、かつ決戦当日に絶好調で戦闘できればこれくらいはやれるだろうという希望的観測を含めた数値だ。
これを夜明に伝えると概ね正しいという回答を得てしまい、歴戦の作戦参謀ならもう少し勝算を増やしてくれるかもしれないという稲見の希望はあえなく砕かれた。
そのまま戦えばまず間違いなく負ける。
月の討伐部隊の名は伊達ではない。
しかしそこで腐っているのは時間の無駄だ。
この2対8と言う割合をせめて5対5まで持っていくのが自分の仕事だ。
そう考えていた稲見は夜明と共に様々なシチュエーションを想定していた。
とは言え7人の敵の内3人しか姿を確認しておらず、しかもその内1人は未戦闘でデータ無し。
葛春桃と黒馬おみなえしの手の内は見えていても、こちらも現状打つ手無し。
これで対策を立てるなど机上の空論もいいところだが、夜明に言わせると戦いとは常にそういうものだと諭された。
稲見は日に日に追い詰められていた。
迫り来る戦いにでは無い。
その戦いに際して自分がどれだけ役に立てるかに関してだ。
決戦当日に「頑張って下さい」としか言えないようでは自分がいる意味が無い。
それぞれのメンバーに少なくとも一つは作戦を用意しなくてはいけないのだ。
一応この段階で稲見には一つだけ切り札があった。
しかしそれはせいぜい2が3になる程度。
5に届かせる為の残りの2を埋めるには到底足りなかった。
12月は師走。
年の瀬を控えて誰もが忙しくなるこの時期。
あっという間に時間は過ぎていく。
クリスマスも終わり、2学期の終業式も終え、あとは年末を待つばかりだった稲見は――
「あーーーーもう無理だよぉーーーー何にも思いつかないよーーーー」
自暴自棄になっていた。
「よしよし。稲見は良くやっていますよ」
「せっかくみんなの役に立てるポジションにつけたのにーーーッ! このままじゃまたいらない子になっちゃうよーーーッ!」
フェルカドの膝枕の上で顔を覆いながら足をバタつかせる稲見は年相応に、いや。
追い詰められた事による幼児退行によって鬱憤を晴らしていた。
「大丈夫です。まだ日はありますし、何より犬飼さんがおっしゃっていたではないですか。もし何も思いつかなくても私が何とかするからと」
「それは駄目! 何でもかんでも犬飼さんに押し付けすぎだよ。犬飼さん何度も死にかけてるんだよ。これ以上負担かけたら壊れちゃうよ」
「ですが戦いにおいては全員が命がけです。稲見だけがそこまで責任を感じる必要も無いのではありませんか?」
「私は作戦担当だから。作戦担当は戦いが始まる前が一番の戦いなの。会社だってそうでしょ? 物を売る前の戦略がどれほど大事か」
「この前サダルメリクさんと遊んだゲームの事を言ってるんですね」
「何で作る前に誰に遊んで欲しいかを考えないかなぁ。ユーザーが困惑するような遊びを提供するゲームなんて産廃だよ! 産廃!」
「荒れてますね」
普段の稲見を知る者であれば心配になりそうな暴れ方だが、これはこれで稲見なりのガス抜きだった。
生きている以上は何がどうあってもストレスが溜まっていくのは仕方がない。
重要なのはそれをいかに消化していくかだ。
稲見はこちらの世界に来て早々、やれる事とやらなければいけない事が一気に増えた。
今まで経験したことの無いタクス量に翻弄され、楽しみつつも疲労は蓄積していった。
その結果ストレスコントロールをせざるを得なかったのだ。
こうやって部屋にこもって誰にも見られていない場所でフェルカドに甘えるのが稲見にとっては一番のリフレッシュだ。
そしてフェルカドにとっても、普段は大人しい稲見がここまで自分に甘えてくれるのは嬉しかった。
フェルカドが膝の上で嘆くパートナーの髪を手櫛でとかす。
その優しい手つきで稲見も少し落ち着きを取り戻していた。
「それでは今日も行きますか?」
「行く! 帰りにご飯も食べてこようね」
お互いに癒しを得た後は一緒に出かけるのが約束事になっている。
稲見とフェルカドは準備をして部屋を出ると、住んでいる若葉台から電車で2駅だけ移動した。
京王多摩センター。
ここには稲見の好きなプライズ系のゲーム、いわゆるクレーンゲームが設置されている店がいくつかある。
フェルカドに甘えたあと多摩センターにあるクレーンゲームで遊びまくるのが稲見のストレス解消方法だった。
「うーん……これはちょい厳しめ。これは取らせる気なし……」
クレーンゲームの最初の勝負は台の選定。
これを誤ると膨大なお金がかかってしまう。
現在、プライズ景品は小売価格が1,000円上限と決まっている。
稲見はそれを基準に景品が1,000円以内で取れれば勝ち。それ以上かかってしまえば負けと定義していた。
ただしこれはあくまで稲見の定義。
フェルカドは取れなくても楽しめればいいと思っているし、ここにはいないがアルフィルクはいくら金額をかけようと取れれば勝ち、と人によってその定義は様々である。
「稲見、これはどうですか?」
「あ、いいかも。しかも結構可愛い景品だね」
何度も付き添っている内に、フェルカドも何となく取りやすい台が判別できるようになっていた。
稲見は改めてクレーンについている爪の角度を確認したり、台を横から眺めたりした後、コインを投入した。
「このタイプは確率機じゃないと思うから横ハメでいけるかな。まずはアームのパワーを見つつ奥側を狙ってと……」
「結構動きましたね」
「うん。これならあと3回くらいでいけるかも」
たった1度の動きで稲見にはすでに勝ち筋が見えていた。
目算通り4回目のチャレンジで景品をゲットする。
「良し! まずは1個目!」
「お見事」
まだ遊び始めてそれほど時間はたっていないが、稲見はすでに機嫌を取り戻しているようだった。
フェルカドは楽しそうにしている稲見を見て胸を撫で下ろす。
「東京は遊べるところが多くていいよね。諏訪もいいところだけどもうちょっと娯楽があると良かったな」
「松本まで行けば結構あったように思いますよ?」
「結局イオンじゃん。何か小さくてもいいからもっと色んなところに色んなお店が欲しかったの」
「その目線で言うとこのあたりは稲見の好みですよね」
「本当その通り! すばるさんには感謝してもしたりないよ」
稲見はこの世界では唯一の別世界の人間。
この世界に移り住んだ事により元の世界とは決別し、すばるの支援によって生活していた。
住む場所は勿論、学費も全部賄ってもらっている。
代わりに稲見は可能な限りすばるの父親のゲーム会社で働いているのだ。
生活費に関してはフェルカドがアルフィルクの会社で働いているので今はそこから捻出している。
稲見にとって生き辛かった前の世界とは違い、こちらの世界では努力に相応の結果がついてくる。
だからこそ、稲見はすばるをはじめイーハトーブのメンバーにとって価値のある人間になりたいと思っていた。
「フェルカド、あの台も狙い目かも!」
「それでは今度は私がやってみましょう」
「えー大丈夫なの?」
「甘く見ないで下さい。こう見えてもアルフィルクが鞄につけているぬいぐるみは私が取ったんですよ」
「そういえば何か可愛いのつけてたね」
「これだけ稲見を見ていればコツも分かりますから任せて下さい。いざ……………………全然ダメですね」
「もう、フェルカド。何で重心の重い方を狙っちゃうの」
「え? 人型フィギュアの場合、頭のある方が重心が軽いのでは?」
「このフィギュアは箱に入ってて中が見えないでしょ? このシリーズは組み立て式で中身がバラバラになってるんだ。それが上げ底になってて箱の上の方に入ってるんだよ。だから下の方が重心が軽いんだ」
「そうなのですか? それは知りませんでした」
「中が見えない場合は知識が要求されるからね。目に見える情報だけだと惑わされるんだよ」
「奥が深いですね」
「それがプライズゲームの楽しいところだよ。あーあ、戦いもこれくらい遊び心があればいいのに」
フェルカドは稲見に言われた通りに今度は箱の下側を狙ってゲームを続ける。
しかし大苦戦してしまい景品ゲットには3,000円もかかってしまった。
「ふう。いっちょ揉んでやりました。どうですか稲見。私も捨てたものでは無いでしょう」
稲見の基準から言えば完全に敗北パターンだったが、フェルカドは鼻息荒くゲットした景品を掲げた。
しかし稲見はそれには目もくれず、ずっとクレーンゲームの中を見ていた。
「稲見?」
「……遊び心……」
「どうしました? 稲見も取りたかったのですか?」
「ううん。……もしかしたら何とかなるかもしれない」
「え? そんなに難しい台なのですか?」
「行こうフェルカド。どこかで考えをまとめたいんだ!」
「で、出直すほど難しいんですか!? 待ってください稲見。あの、店員さん申し訳ありません。景品袋を頂けないでしょうか?」
「早くー! 置いてくよー!」
「待って。待ってください。ありがとうございます。また来ますね。……稲見ー!」
フェルカドは丁寧に店員におじぎをすると、先に店を出て行った稲見を追いかけた。
このお店ではよく見られる風景に店内の空気が和む。
店員の間では稲見とフェルカドは仲の良い姉妹という扱いになっているそうだ。
もちろん「景品ハンターの妹」と「面倒見の良い姉」である。
都内には様々なカフェがある。
メルヘンやゴシックをコンセプトにしたカフェや、パンダを推しているカフェ。
中には蛇や爬虫類と触れ合えるなど一風変わったカフェもある。
そんな数多くあるカフェの中で、斗垣・コスモス・桔梗がよく訪れているカフェがあった。
店内はまるで中世の洋城のような造りになっていて、アンティークな小物や鹿の剥製、天井には壁画まで描かれている。
外観に至ってはレンガ造りの城そのものだった。
派手な物、豪華な物が好きな桔梗はこのカフェをとても気に入っていた。
時間を作ってはここでコーヒーを飲みながら詩を書くのが彼女の楽しみだった。
桔梗の主張の激しい見た目も手伝って、店員にはすっかり認知されているようで来店すればいつもの席に案内してくれる。
今日も今日とて店内の一番奥の席に優雅に座り、手帳に思いついた言葉を認めていた。
「美しいものには価値がある。あなたが描いた絵は美しい。たがこの絵の本当の価値は絵そのものよりもこの絵を描いたあなたにあるのではないだろうか? ……うむ。良い言葉だ。良い言葉だが僕にはこの言葉を使うタイミングが無いな」
「使うタイミングの無い言葉を考えてどうするの?」
桔梗が自分の紡ぎ出した言葉に酔いしれていると、1人の女性が声をかけてきた。
女性はまとまりなく伸びた髪を掻きながら桔梗の向かいの席に座った。
「おや撫子。遅かったね」
「遅かったねじゃないよ。何でいつもこんな駅から遠い場所で待ち合わせするのさ」
「おやおや。また八王子みなみ野の駅から歩いて来たのかい? ここまで随分と長い坂があるからタクシーを使いたまえと言っているのに」
「こちとらカフェに行くのにタクシーを使えるほど裕福じゃないの。ってかたいした話じゃないんだから通話でいいでしょ?」
「いやいや。話をするなら顔を合わせての方が好みなんだ」
「そういうところは桔梗と同じなんだね」
「そりゃあ僕も桔梗だからね。君の世界の桔梗だけが僕ではないよ」
桔梗が呼び出した女性は同じセプテントリオンの和氣撫子。
彼女は以前すばると戦ったステラ・カントルだ。
秋の四辺形のステラ・アルマを操縦し、すばるをあと一歩のところまで追い詰めたが敗北し撤退。
チームリーダーだった桔梗が五月に敗北した事により撫子達の世界の消滅が決まった。
しかし世界が完全に消滅する前にセレーネからセプテントリオンにスカウトされ生存していたのだ。
「君の世界に僕がいたように、僕の世界のどこかにも君がいるんだ。一度会ってみればその類似性が理解できるんじゃないかな」
「それ分かってて言ってるの? 私がこの世界に来た時にこの世界の私は消されたよ」
「そうだったのかい? 女神セレーネも酷な事をなさるね」
「そういうスカウトの条件だったから仕方ないでしょ。ってか別に私は自分以外の自分とかどうでもいいし」
「おやおや。自分を愛せないタイプかな?」
「アンタが自分を愛し過ぎなんだよ」
「そりゃあ自分が一番大事だからね。しかし撫子はどうして女神セレーネのスカウトを受けたんだい?」
「どうしてって……スカウトを受けたら助けてくれるって言われたら誰だって受けるよ」
「そうかな? だって助かったと言っても自分の世界を捨てているんだよ? それはあまりにも無様じゃないか」
「無様だろうが何だろうが生きているのが大事なんだよ。自分だってそう言ってたじゃん」
「だからそれは君の世界の僕であって僕じゃないと言ってるだろう」
「分かってて言ってるんだよ。人を無様とか言うからその仕返しだよ」
撫子はこの世界の桔梗が苦手だった。
前の世界の桔梗もお調子者ではあったが非常に仲間想いで決して他人を貶めるような人物ではなかった。
そして早くに両親を失くし天涯孤独の身だった撫子をまるで実の姉のように可愛がってくれた存在だった。
苦楽を共にし、自分達の世界を捨てて桝形姉妹の世界に移住する際も最後まで撫子の気持ちを大事にしてくれた。
そんな桔梗を撫子は心の底から慕っていたのだ。
だから桔梗が敗北して死んだと分かった時、自分もそのまま世界と共に消滅するつもりだった。
セレーネからのセプテントリオンの誘いも最初は断った。
だがメンバーの中に別の世界の桔梗がいると聞いて考えを改めたのだ。
桔梗ともう一度会える。
それを楽しみに撫子は再び別の世界へ移住した。
そうして再会した桔梗は、撫子の知る人物とはまるで別人だった。
同じなのはお調子者で自信家なところだけ。
常に人を見下したような態度で根本的な優しさが欠けている。
最初は何とか仲良くなろうとしていた撫子も、話せば話すほど以前の桔梗との差を感じていった。
そしてこの短期間で修復不可能なほど心の距離が開いていたのだ。
「ううむ。どうして君は僕を敬ってくれないんだい? 一応先輩だよ?」
「先輩だったら先輩らしく、もう少し尊敬できる面を見せてよ」
「何を言うんだ。この前の討伐だって君の手を煩わせる事なく敵を全滅させたじゃないか」
「私の話も聞かずに勝手に戦っただけじゃん。2人での任務なんだから私を無視しないでよ」
「だって君のメグレズは3等星だろ? 戦力としては心許ない」
「北斗七星のステラ・アルマだよ? それにセレーネ様の強化を受けているんだから、そこらの2等星になんて負けないよ」
セプテントリオンのステラ・アルマは北斗七星のステラ・アルマ。
元々特別な星であり、それに加えてセレーネによる性能の底上げがされていた。
純粋な性能だけで言えば1等星にも引けをとらない。
故にボス役を任されているのだ。
「ではこうしよう。年明けに予定されている9399世界との戦いで君が僕よりも早く敵を倒せたら君の力を認めようじゃないか」
「言ったね? メグレズは速攻が得意なんだ。先に倒すという条件なら私が有利だ」
「いいよいいよ。それくらいのハンデがあった方が楽しめそうだ。ただし僕が勝ったら君は僕を敬いたまえ」
「上等!」
撫子は勝負事に熱くなるタイプだった。
煽りに対する耐性が低くすぐに相手のペースに乗ってしまう。
すばると戦った際もそれで反撃をくらい敗北していた。
これは昔から桔梗にも指摘されていたのだが結局矯正はできず、今となっては指摘できる者もいなくなってしまった為に完全に撫子の弱点となっていた。
「久しぶりの全員出撃だから楽しみにしていたが、これで更に楽しみが増えたよ」
「反逆者の討伐ね。何が楽しいんだか」
「そうかい? 己の立場をわきまえない者への粛清は必要だと思うがね」
「そもそもが反逆の種を撒いてるじゃん。反逆されるのが困るなら全部秘密にしておけばいいのに。それを徹底しないなら、わざとそうなるように仕向けてるんでしょ?」
「どうだろうね。女神セレーネの御心は我々には理解できないさ」
「その話はもういいや。結局私と話したい事は何だったの?」
「ああ、そうそう。すっかり横道に逸れていた。いや、君の前のパートナーについて聞きたかったんだ」
「……」
桔梗の言葉であからさまに撫子の機嫌が悪くなった。
普通ならそこで話が中断しそうな剣幕で睨むが、相手の気持ちなど気にもしない桔梗はそのまま話を続けた。
「君の前のパートナー。えっと、何座の誰だっけ?」
「ペガスス座のアルゲニブ」
「そうそう、そのアルゲニブ。もしそのアルゲニブが敵として現れたらどうしたらいいのかな?」
「どういう事?」
「君がアルゲニブとお別れしてからもう結構たつだろう? そろそろどこかの世界で再構成されて戦う事になるかもしれない。そうなった時に気にせず殺していいのか、それともせめて撫子に討たせてあげた方がいいのかを聞いておかなければと思ったんだ」
撫子の元パートナーであるアルゲニブはセレーネのスカウトを受けた際に契約を解除させられていた。
そして契約の解除のみならず、記憶を消されてどこかの世界に送られてしまったのだ。
つまり破壊されたのと全く同じ状態だ。
戦いに勝ち抜いたおみなえしのグライドと違い、敗北したアルゲニブにセレーネからは何の温情も無かった。
アルゲニブがそんな扱いになる事など知らなかった撫子は、それがセレーネ、ひいてはセプテントリオンに対する不信感になっていた。
「そんなのを……わざわざ聞きたかったの?」
「そりゃあそうだろう。僕がアルゲニブを消し飛ばしてから文句を言われても困るからね」
「ムカつく」
「いや待ってくれ待ってくれ。むしろこれは気を使った方だろう? 何でそういう反応になるんだい?」
「それが分からないなら相当捻くれてるよ」
「ふむ。僕は生まれてからずっとこの性格だからね。捻くれずに真っ直ぐ育っていると思うな」
「……本当に、私はアンタを桔梗と認めたくない」
「君が何と言おうと僕は斗垣・コスモス・桔梗だ。有能な僕が認められないなんて悲しいよ」
「うっさい! 桔梗と同じ顔と同じ声で桔梗を名乗るな!」
「ええ……困ったな」
撫子とは対照的に桔梗は撫子を嫌ってはいない。
彼女は誰に対しても概ね同じ態度を取る。
自分本位で他人の気持ちを理解しない。
相手に不快感を与える事を考慮しない。
それが桔梗にとっての当たり前だった。
撫子はセプテントリオンに入った事を後悔しはじめていた。
入りたくもない討伐部隊に入り、最愛の人であったアルゲニブと別れさせられた。
そこまでしたのに、再会した桔梗がまさかこんな人間だとは思いもよらなかったのだ。
前の世界の桔梗も根はこうであったのか。
こちらの世界の桔梗はステラ・アルマと出会い何かの変化があったのか。
それは分からない。
ただ、目の前にいる桔梗は撫子にとって不愉快でしかなかった。
「話がそれだけなら、もう帰る」
「頑張って坂を登って来たのにもう帰るのかい? ゆっくりしていけばいいのに」
「アンタが目の前にいたらゆっくりできないよ」
「そうか。まあ無理にとは言わないよ。帰りこそタクシーを使うといい」
「だからそんなに裕福じゃないって言ってるでしょ」
「せっかく家に招いたのに断るからさ。僕と一緒に住めば良かったのに」
「それは正解だったと思ってるよ。常にアンタと顔を合わせるなんて気が滅入る」
「酷い言われようだ。僕は君と仲良くしたいのにな」
「私は嫌」
「嫌われてるー。分かった、分かったよ。時間をかけてお互いを理解していこう」
撫子はさっき座ったばかりの椅子から立ち上がり、精一杯の嫌悪感を込めて桔梗を睨んだ。
だが桔梗はその視線をさらっと躱し、撫子の事など全く気にせず店員にコーヒーのお代わりを頼んでいた。
こんなコミュニケーションすら成立しない。
真面目に付き合っても疲れるだけだ。
そんな何度も味わった脱力感を改めて感じた撫子は、乾いた声で別れの挨拶だけした。
「じゃあね。また来年」
「よいお年を。あ、結局アルゲニブに会ったらどうしたらいいんだい?」
「好きにすればいいよ。ただしその時は背後に気をつけなよ」
「何で? 背中に何かあるの?」
「違う! 私がアンタの背中を狙うって意味だよ!」
「あ、そういう事か。……え、何で?」
「それが分からないなら相当頭悪いよ」
「ええ……困ったなぁ」
こういう態度が本当に人を苛立たせるのだ。
撫子はこれ以上話していると怒鳴ってしまいそうだと思い、さっさと店を出て行った。
慌ただしく帰ってしまった仲間がどうしてあそこまで怒っていたのか。
それが理解できない桔梗は頭をひねって考えようとしたが、すぐにどうでもいいかと思い直り再び手帳に向き合ったのだった。




