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第101話 私達のフロンティア⑤


 ああ……またこの光景だ……。


 私の目には落ちていく未明子が映っていた。

 

 空中での戦闘で敗れた時はいつもこの光景を見る。

 変身が解けてしまい、操縦席から放り出されたパートナーが地面に落下するまでをスローモーションのように見届けるのだ。


 その顔は悲しみだったり恐怖だったりで歪んでいて、一番近くにいる私に助けを求める。


 でもいつも何もできない。

 手を伸ばしても彼女達は私よりも先に地面に叩きつけられて死んでしまうのだ。


 私もそのすぐ後に死ぬ事もあれば、運悪く生き延びてしまってパートナーの死体を眺めなければいけない時もあった。


 あんなに絶望的な事は他に無い。



 未明子が負けてしまった。

 敵が強かったのは勿論そうなのだけど、私の性能がもっと良ければ彼女が負けることは無かった。


 どんな相手だろうと圧倒できるほどの性能があれば彼女はこんな目に合わなかったのだ。


 ごめんなさい


 落ちていく未明子に向かってそう言いたかった。

 でも大声を出すほどの力も残っていなかった。


 未明子はそんな私に ”大丈夫だよ” と言わんばかりに満面の笑顔を返してくれた。



 その直後、未明子は地面に叩きつけられた。

 

 ゴッ、という骨が固い物にぶつかる音がした。


 彼女の体は落下の勢いで地面を滑って行き、それを追うように血の跡が延びる。

 

 ごめんなさい


 もう一度その言葉を口に出そうとする前に、私も地面に叩きつけられた。


 落下の衝撃で穴の開いたお腹から中身が飛び出る感覚があった。


 戦闘であれだけダメージを食らって地面に叩きつけられたのに即死できない。

 今だけは自分の頑丈さが嫌になる。


 泣きたくなるような激しい痛みが体を襲う。

 叫び出したいのにそれすらもさせてもらえない。

 

 でもそれよりも苦しいのは、目の前に未明子が横たわっている事だ。


 未明子は落下した時に地面に接した左半身が潰れてしまっていた。

 腕も脚も折れ、染み出した血が服を赤色に染めていた。


 顔の至るところから血が噴き出て、かわいい顔が傷だらけになっていた。


 人間があの高さから落ちたらまず助からない。

 仮にまだ息があったとしても生存は絶望的だ。


 私は宇宙で一番大好きな女の子が死ぬところを、何もできずに見ているしかないのだ。


 これが地獄でなくて何だと言うのだろうか。

 


 敵はどうなったんだろう。

 未明子がこれだけ頑張ったんだから、せめて相打ちになっていて欲しい。



 しばらくしたら、戦いに参加しなかったもう1体の敵機体が降りて来た。

 左手に棺桶を持った死神のような機体だ。


 その死神は未明子のそばに腰を下ろすと彼女を拾い上げた。


 悪い夢のようだった。

 死神が私の大事な人を連れ去ろうとしている。


 やめてと叫びたいのに、声の代わりに出てくるのは血ばかりだった。


 未明子はあっという間にその死神に連れて行かれてしまった。


 悔しくてたまらなかった。

 

 何が1等星。

 大事な人も守れないなんて。

 

 血がたくさん出て体から水分がなくなっているのに、追い打ちをかけるように涙が流れた。


 神様お願いします。

 まだ間に合うならどうか未明子を助けてください。

 その為なら何でもします。

 この先何を奪われようとも構いません。

 どうか彼女を助けてください。


 そうやって私は、絶対に何もしてくれないと分かりきっている存在に愚かな願いをするしかなかった。






 目を覚ますと見慣れた天井だった。


 いつだったかも、目覚めたら自分の部屋のベッドに寝かされていた事があった。


 あの時は未明子が部屋まで運んでくれたんだっけ。


 自分が生きているのか、死んで別の世界に再構成されたのか分からない。

 意識を失ってからの事を本当に何一つ覚えていなかった。


 不思議と体は痛くない。

 ただ疲れが酷くて動けない。


 全身の疲労感で寝返りすら打てそうにない。

 目覚めたばかりなのに気を抜くと再び気を失ってしまいそうだった。



「アルタイル!」


 自分の名前を呼ぶ声が聞こえる。


 この声は誰だっけ。

 少なくとも未明子ではない。


「良かった! 気が付いたのね」


 声のする方に目だけを向けると、そこには梅雨空がいた。

 今にも泣き出しそうな顔で心配そうに見ている。


「つ……ゆぞら……?」

「怪我はフォーマルハウトが治してくれたわ。命に別状はないから安心して」


 それを聞いたら逆に安心できない。

 事もあろうかフォーマルハウトに命を救われてしまった。


 アイツの事だから貸しを作ったと言って色々と要求してくるに違いない。

 そういう意味では本当に命が助かったのか判断するのは早計な気がした。


 いや、そんなのはこの際どうでもいい。

 未明子は、未明子はどうなったんだろう。


「みあ……が……げほっ! げほっ!」


 大きな声を出そうとして咳き込んでしまう。

 呼吸のコントロールすら満足にできやしない。


 落ち着いて一言一言しっかりと音にした。


「……梅雨空……未明子はどうなったの?」


 それを聞かれた梅雨空の顔が固まった。

 

 もうその反応だけで最悪な答えが返ってくるとしか思えなかった。


 覚悟しなくては。

 どんな言葉が彼女の口から出ても、それを受け止めなくてはいけない。


 梅雨空はベッドに放り出されている私の左手を両手でギュッと握った。


 そして静かに、ゆっくりと喋り出した。


「犬飼さんは……生きているわ」


 その言葉の意味を理解する前に私の目からボロボロと涙がこぼれた。


 梅雨空が私の反応に驚いた後に、ようやく何を言われたのかを認識できた。


 未明子が、生きている。


「よ……よがっだよぉぉ……」

「あーもう! かわいい顔してるんだからそんなブサイクに泣かないの!」

「だっでぇ……」


 未明子が生きているなんて奇跡だ。

 もう絶対に生きて会えないと思っていた。


 あの願いを聞くだけのケチな存在も、今回ばかりは奇跡を用意してくれたらしい。


「どこにいるの? 会いたい」

「今はすばるさんの知り合いの病院にいるわ。でも会いたくても体が動かないでしょ?」

「こ、こんなもん。ふん……ふん」

「ふんふんじゃないわよ。気合入れても全然動けてないじゃない。回復するまでもうしばらく寝てなさいな」

「嫌よ。すぐに会いに行くの。梅雨空、私をおんぶして」

「どうしたの!? そんなワガママ言うタイプだった?」

「いい子にしてたって未明子に会えないもの。せーの、どりゃあああああッ!」


 あらん限りの力を振り絞って寝返りをうつ。


 ベッドからゴロンと転がり梅雨空の膝の上に顔面から着地した。


「ひぶッ」

「どりゃあって。そんなお人形さんみたいな綺麗な顔してどりゃあって。クールを気取ってるキャラだと思ってたけど意外と熱いのね。分かったわ。連れてってあげるからちょっと大人しくしてて。いま上着持ってくる」


 梅雨空は私の体を抱えてぬいぐるみの様にベッドに立てかけた。

  

 正直いま少し動いただけで全身がだるくて仕方がない。

 梅雨空の言う通りとても動けるようなコンディションではなさそうだ。


 でも自分の体がどうかよりも、今は一刻も早く未明子に会いたかった。


「タクシー呼んでおいたわ。外すっごい寒いから暖かい服を選ぶわよ」

「任せたわ。ねえ、私が気を失ってからどうなったの? 未明子は誰が取り返してくれたの? って言うかみんなは勝てたの?」

「色々あったのよ。道すがら話してあげるわ。はい、服着せるからバンザイして」

「いや腕も上げられないのよ。上から羽織るだけで構わないわ」

「これから病院に行くのにそうもいかないでしょ。仕方ない、私が着替えさせてあげるわ」


 梅雨空はそう言うと、いつの間にか着せられていた寝巻のボタンを外し始めた。


「ストップストップ。やめて服を脱がすのやめて。恥ずかしい」

「何を言ってるのよ今更。寝巻に着替えさせたのは私よ。それにこちとらあなたのお腹の中まで見せられてるんだからね」


 ……う。

 そう言えば私は敵にお腹を貫かれたんだった。

 いまは綺麗に治ってるみたいだけど、梅雨空が発見した時は酷い有様だったんだろう。


「ステラ・アルマって凄いわね。腕を切られてもお腹を破られても元通り。不死身じゃない」

「普通のステラ・アルマはお腹を貫かれたら死んでるわ。私達1等星は他の星に比べて頑丈なの。それでも身体の欠損は元には戻らないわよ。あれはフォーマルハウトの能力が特別なだけ」

「え、そのうち生えてきたりは……」

「しない。無くなった物が一生そのままなのは人間と一緒」

「そっかぁ……」


 梅雨空の顔がしょんぼり具合なのは、おそらくムリファインにもっと無理をさせても大丈夫だと思っていたからだろう。


 パートナーを自分もろとも危険な目に合わせようとするのは止めて欲しい。


「よーし準備できた! じゃあ背負うわね…………って軽ッ!! なにこの軽さ!! 中身入ってる!?」

「……入ってるわよ。私のお腹の中見たんじゃないの?」




 梅雨空に連れられて病院に向かう間、何が起こったのかを話してもらった。


 稲見のおかげで敵を撃退できた事。

 命令をかけていなかったせいでフォーマルハウトが部屋から出られた事。

 そのフォーマルハウトの力を借りて月の基地に未明子を助けに行った事。

 何故かセプテントリオンの1人に救出をサポートされた事。

 未明子を助けた後、梅雨空とフォーマルハウトで基地の施設を破壊した事。


 そして未明子の大怪我は()()()()()()()()()()ものの、疲労でしばらく安静にしていなければいけないという事。


 てっきり私と同様フォーマルハウトに治療してもらっていて、念の為に病院で検査を受けているんだと思っていた。


 病院に行けば元気な未明子に会えると思っていたのにそうはいかないらしい。



 未明子はすばるの家の近くにある病院に入院していた。

 入院するほど疲労していたのには驚いたけど、何かあっても困るから慎重になる位がいいのかもしれない。

 

 病院についても自力で歩けない私は、梅雨空に背負われて病室まで運んでもらった。


 院内の人に不思議な目で見られてまるで私の方が入院患者みたいだ。



「失礼しまぁす」


 病室に辿り着くと梅雨空が小さな声で扉を開けた。


 どうやら未明子の病室は個室らしい。

 軽い入院で個室なのには違和感があったけど、すばるの計らいで良い部屋を提供してもらえたのだろうか。


 病室には、すばるともう1人小さな女の子がいた。

 すばるは私達に気づくと驚いたような顔を見せた。


「梅雨空さん、アルタイルを連れて来たのですか?」

「目が覚めた後に連れてけって騒ぎ出してさ。放置しておくのも可哀想だから連れてきちゃった。ダメだった?」

「そ、そうですね……」


 タイミングが悪かったのか歯切れの悪い言い方だった。

 すばるがチラチラと私の顔を見ている。


 どうかしたのかしら。

 私は早く未明子に会いたいのに。


「梅雨空。ゴー、ゴーよ」

「ちょっと待ってなさい!」 

「ごめんなさい」

 

 何故か怒られてしまいシュンとしていると、すばるの隣にいた小さな女の子がこちらにやって来た。 


「こんにちわ。お久しぶりです」

「ほのかちゃん!?」


 やってきたのは未明子の妹、ほのかちゃんだった。


 ほのかちゃんは相変わらず未明子の生き写しの様で、未明子をそのまま10歳くらい幼くした姿をしている。

 髪型もお姉さんと揃えたみたいに長髪になっていた。


「どうしたの? お姉ちゃんのお見舞い?」

「はい。お父さんとお母さんといっしょにきました」


 1人でここまで来るのは難しいだろうから両親に連れて来てもらったのだろう。

 それは分かる。


 ただ、そもそも何故ほのかちゃんがお見舞いに来ているのかは疑問だった。

 

 前に未明子を樹海から連れ帰った時も入院する事になり、その時は事情を説明するのが難しいという事で家族には何も伝えなかった。


 それなのにどうして今回はわざわざ伝えたんだろう。


「アルタイル。申し訳ないのですが犬飼さんはいま休んでおられます」

「そうなの? じゃあせめて顔を見るだけでも」

「構いませんが顔を見たら少し話をさせて下さい」

「え? それはいいけど、どうしたの?」


 それだけ言うとすばるは浮かない顔をして病室から出て行ってしまった。

 

 状況が分からない私は梅雨空にベッドの方まで連れて行ってもらう。


 そこでようやくすばるの態度が何を意味しているのかを理解したのだった。


 未明子は体中に医療機器を取り付けていた。


 腕から伸びる複数の管。

 心拍数を測る為に胸に付けられた電極。

 呼吸を補助する為の呼吸器。


 さながら重症患者のように保護されているのを見た私は、自分の認識がいかに甘かったかを自覚した。



 病室の外ですばるは深刻な顔をして待っていた。

 

「どういうこと?」

「月から戻った後すぐに入院してもらったのですが、体の衰弱が激しく生命活動に支障をきたしています」

「怪我は治ったんじゃないの?」

「傷そのものはフォーマルハウトの能力で完治しております。ですが今のアルタイルと同じように受けたダメージが抜けておらずあの状態なのです」

「まさか家族を呼んだのって」

「はい。……残念ですが回復の見込みがありません」

「そ、そんな!」

「今は安定していますがいつ危険な状態に陥るか予断を許さない状況です。手遅れになる前にご家族に知らせました」


 想定していた以上に未明子の容態は悪かった。

 考えてみれば死んでいてもおかしくない程の大怪我をしたのだ。


 ステラ・アルマと違って未明子は人間だ。

 怪我をしたら弱っていく。

 怪我さえ治ればアニマで回復できる私達とは根本的に構造が違う。


「ご家族には突然倒れたと伝えてあります。それ以上の説明ができないので心苦しいですが原因は不明という事になっています」

「……」

「犬飼さんのお父さんとお母さんは?」

「ご両親はいま医師と話をしております。わたくしも一度顔を出してまいりますので2人はほのかちゃんを見ていてあげて下さい」


 すばるは一礼してこの場を去って行った。


 つまり未明子は結局瀕死の重体なのだ。

 最悪、このまま目覚めない可能性だって十分あり得る。


 それを理解できてもすぐには納得できない。

 私は梅雨空に背負われながら、何も無い壁を呆然と眺める事しかできなかった。


「とにかく病室に戻ろっか。妹ちゃんを放っておくのも可哀想だし」

「ええ……そうね」


 病室のドアを開けてベッドまで向かう途中、さっき見た光景が嘘や見間違いであったらどれだけ良かっただろうと思った。


 でも現実は残酷でさっきまでと変わらない風景がそこにあった。


 ほのかちゃんはベッドの横にある椅子に行儀良く座って未明子を見ていた。


「ほのかちゃん」

「あいるさん……あいるさんはお姉ちゃんがどうしてたおれたのか知りませんか?」

「……ごめんなさい。私も詳しくは分からないの」

「そう、ですか」


 目の端に涙を浮かべて固く口を結んでいる。

 本当は泣き出したいのを我慢しているんだろう。

 私だって泣いてしまいそうなのに、偉い子だ。


「お姉ちゃん、ちょっと前からずっといそがしそうにしていました。毎日夜までおきてて、体こわすよって言ってもダイジョウブだよとしか言ってくれなくて」

「うん」

「この前も買い物から帰ってきたら、げんかんでねてて、せいふくもシワシワになってて……」


 ほのかちゃんは喋りながら耐えきれなくなってポロポロと涙をこぼし始めた。


「むりしすぎだよお姉ちゃん……つらかったら言ってほしいのに……前は何でも話してくれたのに……」


 溢れる涙を拭うほのかちゃんを、梅雨空がヨシヨシと撫でる。


「大丈夫よほのかちゃん。犬飼さん、これでいて不死身の女と呼ばれているからきっとすぐに良くなるわよ」


 いつの間に未明子にそんな二つ名がついたのよ。

 慰めるにしても、もう少し分かりやすい慰め方があるでしょうに。


「つゆぞらさん……」

「ほのかちゃん。ちょっとこの背中のお姉さんを下ろしてもいい? このお姉さん魔法使いだから犬飼さんを治せると思うの」

「え?」

「えっ!?」


 嘘でしょ梅雨空!?


 突然何を言い出すの?

 子供の前だからって何を言っても許されると思わないでよ?

 って言うか、もし信じちゃったらどうするのよ?

 私、魔法なんて使えないわよ?


「あいるさんマホウつかいなんですか?」


 やっべー信じちゃったー。


「おねがいします! お姉ちゃんをたすけて下さい!」

「あっ、その、えっと……」


 梅雨空梅雨空梅雨空! おーい梅雨空!

 どうするのよこの状況!

 これで何もできないなんてバレたら余計悲しませちゃうじゃない!


「ほらアルタイル。得意の回復魔法を見せてちょうだいよ!」


 なに言ってんのあなた?


 こちらの心配なんてどこ吹く風で、梅雨空は私を未明子の眠るベッドの脇に座らせた。


 ほのかちゃんが隣からキラキラとした目で期待の眼差しを向ける。


 今まで経験した事が無いほどの脂汗がドッと全身から吹き出してきた。


 どうしようどうしようどうしよう。

 いまできる事なんてせいぜい手を握ってあげる事くらい。

 そんなので未明子が治るワケが無い。


 梅雨空は隣でニコニコしているだけで何かフォローを入れてくれる気も無さそうだった。


 コンニャロー後で覚えてなさいよ!

 

 私は藁にもすがる思いで未明子の手を両手で握った。


「もうアルタイルったら、呪文呪文!」

「呪文!?」


 梅雨空の頭の中ではどういう展開になってるのよ。


 呪文なんて突然思いつかないし、何かそれっぽい言葉を言うしか無ない。


 頭の中でそれっぽい言葉を検索した結果、一つだけ思い浮かんだ言葉を口に出した。


「ま……マグナ・アストラ!」


 パッと思いついた言葉がこれしか無かった。

 ちょっと語感が良くて、普段口にしないような言葉で、実際に広大な意味の言葉だ。


 私は一度も口にした事ないけど。


「お姉ちゃん!」


 ほのかちゃんが未明子の顔を覗き見る。


 ごめんねほのかちゃん。

 私には魔法なんて使えないの。

 全部この隣にいるアイドルモンスターの戯言なの。

 お姉さんが大変な目にあって辛いのに、更にどん底につき落とすような事をしてごめんね。



「……ほのか?」

「お姉ちゃん!」


 ……え?

 

「ほのか、どうしたの?」

「お姉ちゃん!!」


 嘘。

 これは未明子の声。

 

「あれ? ソラさん? あの、ここは?」


 私の知っている。

 大好きな未明子の声だ。


「未明子!!」

「わぁビックリした。鷲羽さん?」


 さっきまで死人のような顔をして眠っていた未明子が、しっかりと目を開けて私を見ていた。

 

「未明子! 大丈夫なの?」

「ごめん……何が何だか分からないんだけど」

「あなた死にかけてたのよ!? 意識も戻らなくて!」

「え? ああ、そっか。私負けたんだっけ」


 まだ頭がハッキリしていないのか、ふわふわとした受け答えをしていた。

 

 それよりもどうして突然目を覚ましたのか。

 本当に呪文が効いてしまったのだろうか。


「すばるさんを呼んでくるわ。ほのかちゃん、申し訳ないんだけどこのお姉さんを見ててくれる? いま情けない事に自分で動けないから」

「わかりました」


 梅雨空がほのかちゃんに私の介護を任せて行ってしまった。


 でも残念ながら今の私には歩く力すら無い。

 だからこそ、そんな私の奇行で未明子が目を覚ましたのがあまりにも不可解だった。


「鷲羽さん。もしかして私やばかった?」

「やばかったなんてものじゃないわよ。死んだような顔をしてずっと眠ってたのよ?」

「あいるさんがマホウでお姉ちゃんをなおしてくれたんだよ!」

「鷲羽さん魔法使えるの!?」

「そ、そうなのよ。凄いでしょ」


 いや未明子までそんな嬉しそうな顔しないでよ。

 使えないわよ。

 私が一番困惑してるんだからね。


「ほえーそれで体が楽になってるのか」

「え? 実際効果でてるの?」

「うん。何か鷲羽さんに握って貰ってるところが暖かくて癒されてる感じがする」


 嘘でしょ。

 未明子の手を握っている自分の手を見ても普段と特に変わりは無かった。

 これで何かが起こっているとはとても思えない。


「お姉ちゃんをなおしたマホウ。えーっと、まぐ……まぐ……まぐ?」

「マグナ・アストラ」

「まぐなあすとら! カッコいい!」

「内緒の魔法だからね。他の人に言っちゃダメよ?」

「はい! ナイショにします!」


 喜んでくれるのは嬉しいけど、この言葉の正体は大人になれないお姉さんが考えたただの中二病だなんて言えなかった。


 必死で魔法を覚えようとしてくれているほのかちゃんに申し訳なさで一杯になっていると、病室の扉が開いた。


 部屋の中にすばると梅雨空ともう一人、白衣を着た優しそうな女性が入って来る。


 この女性は以前会った事がある。

 すばるの家で未明子を診てくれたお医者さんだ。


「あら、お久しぶり。犬飼さんのお友達ってあなたの事だったのね」

「お久しぶりです」

「犬飼さんが目を覚ましたって聞いて飛んできたんだけど」


 女医は未明子の様子を見るとあからさまに驚いていた。


「本当に意識が戻ったのね。しかも顔色も良くなってる。心電図は……概ね正常」


 胸に繋がった電極の先にあるモニターをしばらく観察していた女医は眉間にシワを寄せた。


「何がどうなってるのかさっぱり分からないわ。とにかく診察させてもらえる? 少しいいかしら?」


 女医は私がいる位置に座りたいみたいだった。


 動きたくても動けないので梅雨空に視線を送ると、はいはいと言いながら私を抱えてくれた。

 

「大丈夫? 全身筋肉痛?」

「そんな感じです」


 違うけど他に説明のしようが無いからそれでいいや。


 私と入れ替わりでそこに座った女医が未明子の方を向く。


「さて。ちょっと身体に触るわね……って、あれ? 犬飼さん?」


 すると、たった今まで元気そうにしていた未明子は再び目を閉じていた。


「嘘!? 気を失ってる? どういう事? 数値もまた悪くなり始めたわ」


 機器の故障の可能性を考えて直接脈拍を取り始めた女医は、モニターの数値を何度も見返していた。


「故障じゃない。そんな馬鹿な事が……」

「あの、ちょっといいですか?」


 慌てる女医に梅雨空が声をかけた。

 緊急時に声をかけられたせいで少し怪訝そうな表情に変わる。

 

「どうしました?」

「少しだけ犬飼さんに触れてもいいでしょうか?」

「え?」


 この状況で何を言われているのか理解できず女医はすばるの顔を窺った。


 すばるが大丈夫ですと頷いたので、女医は不信そうな顔をしながらその場から移動した。


「……危険な事はしないで下さいね」

「分かりました。アルタイル、もう一回犬飼さんに触ってみて」

「アルタイル?」

「あ! いえ、この子そういうハンドルネームなんです。ゲーム仲間なので」


 梅雨空にまた謎の設定を増やされてしまった。


 さっきと同じ位置に下ろされた私は、言われるままにもう一度未明子の手を握った。

 

 すると、意識を失っていた未明子が何事もなかったかのように目を開いたのだった。


「ええ!?」

 

 女医が思わず驚きの言葉を上げる。 


「え? どうしたんですか?」

「どうしたもこうしたも、今あなた意識を失って……ちょっといいかしら」


 女医は繋いでいる私の手を握ると未明子の手から離した。

 それと全く同じタイミングで再び未明子は意識を失う。


 顔の前で手を振っても全く反応がない。

 確実に意識を失っていた。


 今度は私の手を掴んで未明子の手に触れされると、彼女はまたパチリと目を開けた。


 その様子を観察していた女医は頭を押さえて、深いため息をついた。


「……暁さん。私、疲れているのかもしれないから少しだけ席を外してもいいかしら?」

「承知いたしました。もしご両親の元に戻られるのであれば、ほのかちゃんも連れて行ってもらって良いですか?」

「そうね。ほのかちゃん、一旦お父さん達の所に戻ろっか?」

「え?」


 心配そうに見るほのかちゃんに未明子は「大丈だよ」と伝えた。


 ほのかちゃんはまだ納得のいかない顔をしていたが、女医に促されると一緒に部屋を出て行った。



「やっぱり思った通りだったわ! 犬飼さんはアルタイルから何かしらのパワーを受け取って回復してるのよ!」

「そんな馬鹿な。私別に充電器じゃないんだけど」

「いえ、しかし梅雨空さんの言った通りとしか思えません。何故かは分かりませんがアルタイルが影響しているのは間違いないようです」

「あれよ。アニマの力よ。アルタイルだってアニマで調子が良くなったんだから犬飼さんもそれで良くなってるのよ」

「人間はアニマを供給する側だと思うのですが……。でも今の現象を見ているとあながち間違いではないかもしれませんね」

「2人とも、ちょっとキスしてみたら?」

「え? ここで?」

「アニマの供給はキスがいいんでしょ? 病人に血を飲ませるのは気が引けるしね。すばるさん、犬飼さんの酸素マスクを取ってあげて」

 

 何故か梅雨空が仕切り出した。


 何なのよ。前は人がキスしてるのを見るだけで真っ赤になってたクセに。


 試してみる価値はあるけど、それにしたって2人に見られながらはちょっと嫌だ。


「あの、2人ともせめて目を閉じてくれない?」

「私はアルタイルを抱えてあげなきゃいけないし無理」

「わたくしは酸素マスクを抑えていなくてはいけませんので」

「いや2人とも目を閉じるくらいできるわよね?」

「私は閉じるよ」

「未明子は閉じといてよ! ガン見されながらするの嫌よ!?」


 梅雨空に抱えられて未明子の顔の前まで近づけられる。

 何故病室でみんなに見守られながらキスする事になってしまったのか。


 あまり溜めると周りが茶化してくるかもしれないので、さっと未明子の唇に自分の唇を重ねた。


 私の中に未明子のアニマが流れ込んでくる。

 いつもより勢いが弱いかもしれない。

 やっぱり体調が万全でないと、こういうところにも影響があるのだろうか。


「……ん」


 自分では体を戻せないので梅雨空の腕をペシペシと叩いて合図を送る。


「もういいの?」

「恥ずかしいからここまでにさせて」


 梅雨空にベッドの横まで戻してもらって未明子の様子を見た。


「どう?」

「凄い。本当に何か満たされていく気がする。これならもしかして……」


 そう言うと未明子はベッドから上体を起こした。


 それから首を倒したり、腕を回したり、簡単に体を動かす。

 さっきまでグッタリと寝たきりだったのにもう自由に動けるようになっていた。


 試しに繋いだ手を離してみても、気を失う事も無い。


 見事に回復している。

 

「暁さん、これもう退院できるのでは?」

「いえ流石にそれは無理でしょう。もう一度先生を呼んできますので大人しくしていて下さいね。しかしこれをどう説明すればいいのしょうか……」


 すばるは困り顔を浮かべながら病室を出て行った。


「ありがとう鷲羽さん」

「そんな、本当に私の力か分からないし」

「何言ってるのよ。アルタイルのおかげに決まってるじゃない」

「ソラさんもありがとう。ご心配おかけしました」

「いいわよ。元気になってくれたんだからそれで充分!」


 全部がうまく行ったから良かったものの、梅雨空の暴走は忘れてないからね。


 このお返しは絶対にいつかしてやろうと胸に誓った。



 この後、すばるが呼んだ女医に簡単な検査をしてもらった。


 そこで特に問題も見当たらなかったのでとりあえず今日はそのまま入院。


 立ち上がれるくらい元気になったら退院するという事で話がまとまった。

 

 女医から未明子の家族にもその様に説明してもらって、その日は解散となった。



 私はと言うと、1人では動けなかったので梅雨空と一緒にすばるの家に泊めてもらった。


 すばるの家にいる間、また未明子の具合が悪くなるんじゃないかと不安になっていたのだが

 

 何と次の日のお昼過ぎには、未明子の退院が決まったのだった。


 

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