第10報
「鎌倉市内で地震によって1名が屋内で転落し負傷とのこと、現在病院で手当てを受けているそうです」
職員の1人が、そう言いながらホワイトボードに負傷者の数を足していった。
官邸地下にある危機管理センター内のオペレーションルーム(対策事務室)には情報連絡室が設置されていた。相模湾沖で発生したM5.4の地震により、神奈川県で最大震度5弱を観測したことを受けてのことだ。
情報連絡室は、地震や事故、何らかの重大な事案が発生に際し、情報収集を行うことが必要であると認められた場合に設置される。地震発生時にも設置がなされる場合があるが、震度5弱以上の地震であれば自動的に設置がなされる。
地震であればどのような被害が発生しているか、発生しているのであればどの対応をしているのかなど、緊急事態が発生した際各関係省庁からの情報の集約を行うのが情報連絡室の任務だ。集約された情報は総理大臣へと報告がなされる。この情報連絡室は参事官が室長となって運営される。まさに私が室長だった。
重大な任を任されているとは思うが、情報連絡室自体の規模は大きなものではない。10人にも満たない職員によって情報の収集にあたっていた。
オペレーションルームの中央、その広さに似合わないほどのスペースに、あらかじめ設置の際に集まることになっていた要員によって情報連絡室は稼働していた。
部屋の前側にホワイトボードが並び、いくつかの縦長のテーブルにノートパソコンや固定電話、後方に設置されたコピー機から印刷された資料などが置かれていた。そしてその中央前よりの場所が、私の定位置だった。
部屋を見渡せば、官邸の災害対応の最前線だけあって誰もがせわしなく動いていた……のは最初だけで、いまはほとんどが余裕ある表情を見せていた。被害情報の把握もできているし、何よりも被害がほとんど発生していないということが大きい。
部屋前方の壁には巨大モニターが設置されているが、これも何も表示されていない。必要とあれば国内各地のNシステムからの映像、テレビ局の放送や都道府県庁、市区町村役場からの映像や、警察、消防、自衛隊、海上保安庁などのヘリからの映像など、リアルタイムで表示することができる。それ以外にも日本列島の地図も表示できるが、そこには地震であれば震度情報や津波情報、弾道ミサイルが発射されれば国民保護に関する情報等々、オーバーレイして表示することができる。
だが現在、自衛隊や海保などはヘリを飛ばしてない。発生直後は各テレビ局の放送を表示していたがNHK以外の民放は少し触れた後に、あるいはまったく触れずに通常の番組を放送しており、そのNHKも通常編成へと戻ってしまった。そのため、今はモニターの電源を切っていた。
もしこれがさらに大きな規模の地震であれば官邸連絡室、あるいは官邸対策室が設置ないし改組となるが、今回の地震は改組するほどの規模、被害は発生していない。
地震発生からはすでに1時間以上。この危機管理センターに地震被害の情報が集約されていたが、情報が集まれば集まるほど大したことはないという結論になっていった。
震源地は神奈川県南西部、震源の深さは10㎞、マグニチュードは5.3、最大震度は神奈川県西部で5弱。津波の心配はなく、警報や注意報は発令されていない。
この地震による負傷者は、先ほどのも含めて2名が報告されている。もう1名も軽症で、階段を降りているところで地震にあい、転落して負傷したとのことだった。
建物が倒壊、破損したとの報告はなく、電気、ガス、水道などのインフラも問題なし。土砂崩れも確認されておらず、一般道、高速道路ともに平常通りだ。
交通網に関してはわずかながら被害が出ている。緊急地震速報が発令されたことによって、東海道新幹線、東海道線、京浜東北線など神奈川県内を走る列車が緊急停止した。
緊急地震速報の範囲外ではあるが、ダイヤの乱れなど、首都圏や東海地方の列車にも影響を与えることになった。
だがこれは地震速報が出たことによる影響であり、地震による直接的な被害はやはり発生していない。それも今現在は回復運転によってほぼ平常通りになった。
「……なーんか、手持ち無沙汰ですね」
椅子の背もたれにもたれながら、落川は私にそう話しかけてきた。
連絡室が設置されて最初の方はそれなりに多くの報告上がっていた。地震速報の範囲内である神奈川県、静岡県の県庁や市役所などから報告が送られてきていたし、同時にこちらからも被害状況の確認を行った。県庁や市町村役場だけでなく、通信会社や鉄道会社などに被害があるかどうかの確認を行ったりもする。
が、それらはほとんどが異常なし、あるいは被害なしという内容だった。もう報告を求めるべきところも、報告が来るであろう所もないはずだ。
「このままだったら戻って資料制作やりたいんですけど」
「そう言うな。まだ報告されてない被害があるかもしれないだろ? 今も来たし」
「そうですけど、どうせそんな大した被害は出てないですよ。大きな被害があったらすぐ報告が来るはずですし」
地震が起きたとき、私らは会議中だったが、情報連絡室設置の報をメールとアナウンスで知り、すぐに中断してこの危機管理センターへと直行した。内閣府庁舎と首相官邸は地下通路でつながっているため、数分もしないうちに到着し、危機管理センター待機している人員に加わって設置作業を開始、情報収集を始めた。
始めの内は皆がそれなりに緊張感ある面持ちだったが、時間がたつにつれて緊張の糸もほぐれていった。彼もその1人で、最初の内はてきぱきと情報収集を行っていたが、今やボールペンをくるくる回しながら来るかどうかわからない電話を待ち続けていた。
「まあ、便りの無いのは良い便りだよ。それはそれで被害が出ていないってことだろうから、いいことじゃないか」
「それは、まあそうですけど」
「報告が来ても異常なしや被害なしがほとんどだし、そこを喜ぶべきだろう」
今回の地震では最大で震度5弱を観測しているが、発生した被害はわずかなものだ。すでに皆が皆、日常へと戻っているのだ。戻っていないのはここ位なのではないか。
これだけ被害が発生していないのは、これまで日本が行ってきた地震対策による賜物だろう。
「そうですよ。被害が出てないことを喜んだ方がいいですよ」
「ああ、梅田さん」
近くで梅田夏帆参事官補佐が話に入ってきた。PCの画面とにらめっこしていたのも過去の話で、時折座りながら体を伸ばしたりしていた。
彼女も事態室所属の参事官補佐だ。といっても公官庁の所属ではなく、鉄道会社からの出向者だった。平成12年に官民人事交流法が成立して以降、官民間の人事交流は活発なものになっている。この事態室も例外ではなく、数名の民間出向者を受け入れが進んでおり、彼女もそれによってここに来ていた。
私と彼女は同じ日に事態室へと配属されたということもあってそれなりに見知った関係だ。真面目な性格だが、酒を飲めば別人なのではないかと疑いたくなるほど変貌するのは、新任の人たちを歓迎する飲み会で見せつけられていた。本人も酒癖の悪さは自覚しているようで、それ以降酒を飲んでいる姿を見たことはない。
最近になって私に付いて共に業務を行うこととなり、今日も情報連絡室の要員として参集要因としてともに情報収集を行っていた。
「まあそうだな。これなら夜には帰れそうだな」
この様子であれば今日中にも廃止されるだろう。多少帰る時間が遅れるだろうが、それでも日を跨ぐことなく家に帰れそうだ。
前回召集されたのは去年の12月。東北、北海道で大雪の被害が発生し、官邸連絡室が設置された時だったか。世間ではクリスマスムードに包まれる中、東北や北海道で記録的な大雪が発生し、数日にわたって官邸連絡室が設置された。
あの時は官邸と内閣府を行き来する日が続き、雪が長引くなら官邸で年越しを迎えることも覚悟していた。数日で情報連絡室に改組されると、規模縮小に伴い人員の余裕も生まれ、一応家に帰ることができた。残念なことに予約していたクリスマスケーキは消費期限が過ぎてしまい、2人が食べてしまった。
緊急事態はいつ起きてもおかしくないので、このような事態が発生するというのも致し方ないが、家族と共に過ごす時間が削られてしまうというのはやはり胸に来るものがある。
事態室に来る前、消防庁時代から帰宅することができない事態は何度も起きていたが、由奈は幼い時から理解を示してくれていた。一方の凛は幼稚園や小学生ぐらいの時は泣きじゃくれていたようで、何日も帰らずにいてようやく帰れた時にはずいぶんはしゃいで喜んでいた記憶がある。それも高学年の頃になればそのようなことはなくなり、中学以降は何も気にしていない感じだった。
娘も成長し大人になったということか、あるいはどうでもいいと思っているのか……
いずれにしろ、早く帰れるに越したことはない。
「そうですね。また地震が起きたりしなければいいんですけど。スロースリップで地震活動が活発になってますし」
「実際、参集されない規模の地震だったらかなり発生しているみたいですしね」
スロースリップが発生しているということは、発生してすぐにこの事態室内でも情報共有がされていた。なので、2人に限らず事態室のメンバーなら皆知っていることだった。
確かに震度4以下の地震であれば、発生以来毎日といっていいほど起きている。
「小さな揺れだったらいいですけど、連絡室が設置されるようであれば他の業務に手を付けられないですし、もっと大きいのだったら帰れる帰れないなんてレベルの話じゃなくなっちゃいますし……今日も拡大しているって話も出てたし、早く収まってくれればいいんですけど」
愚痴をこぼすように落川が言った。
スロースリップが発生していること自体は、何日も前から正式な報告を受けていた。
報告を受けて香山副長官補は地震活動が活発になり、それに伴って参集する事態が発生する可能性が高くなるだろうとの話を職員へと行った。
しかし、我々は常日頃から非常事態に備えた体制を整えている。待機人員を増やすということもできるが、具体的な発生時刻が分かっているのならともかく、確率が高まっているだけだ。
それによって何かをするという話にはならず、いつも通りの体制とすることになった。
スロースリップの範囲が拡大しているという話も今日の昼飯の後に上がったが、それでも方針は変わらない。地震が発生しやすくなっているとはいえ、招集がかかるほどの規模の地震はそうやすやすとは発生しない。現に、今回がスロースリップが始まってから初の招集だった。
「こればかりは自然のやることだからな……どうなるかの見通しもたっていないらしいし」
「実際、マグニチュードが7とか8とかの大地震は発生しそうなんですかね? 今日も範囲が拡大しているって発表してましたけど、それならもっと大きな地震も起きやすくなるんですかね? 発表や連絡の限りではほとんど言及されていないみたいですけど」
「ああ、それに関しては検討中らしい。人づてに聞いた話だから詳しくは知らんが、専門家が集まって今後どういう発表をするか考えてるらしい」
昼に前沢から聞いた話だ。今後の会議次第では大地震に対しする警戒も呼び掛けるかもしれないとのことだった。
「だったら、巨大地震が迫っているから注意するようにって呼びかけでもするんですかね」
「どうだろうな……でも、俺としては巨大地震が起きる可能性があると言って呼びかける可能性は低いんじゃないか」
「ほんとですか?」
梅田がそう疑問を呈した。落川もそれに同調しているようだった。
「前回の巨大地震……大正関東地震から100年ちょっとしか経っていないからな。相模トラフの地震周期を考えれば今の段階で発生する可能性は低い」
気象庁はこの周期説に基づいて地震発生の可能性を考慮していた。
これは地震が発生するのにはある程度の周期性が存在しているとする説だ。例えば南海トラフでは100年から200年程度と考えられている。そして前回の大地震が1946年の昭和南海地震であり、
今発生してもおかしくないと言われている。
一方で相模トラフでは180年から590年と考えられている。前回の大地震は1923年の大正関東地震。今の段階では発生の確率は低いとの見解を気象庁は示していた。
「地震周期説ですか。でも、それって当てになるんですかね。何百回もデータがあるんだったらそれなりに信用できますけど、今発生時期が分かっているのって数回分じゃないでしたっけ?」
「まー、それはそうだな」
相模トラフにおける正確な歴史的データが残っている巨大地震は、大正関東地震と元禄地震のみ。それ以前となると疑わしいが断定できないという状態になり、それも4例ほどしかない。これで地震のどれほどの地震周期なのかを特定するには、いささか情報不足と言わざるを得ない。
相模トラフに限らず、世界的に見ても巨大地震のデータというのは少ない。巨大地震自体がそう頻繁に発生するものではないし、近代的な観測網が整備されたのは20世紀に入ってからだ。現代でも先進国以外での観測網はあまり整備されていない。歴史的な資料が残っている場合もあるが、それでも1000年程度前しかわからない。地質調査を行っても数千年といったところか。
46億年というこの星の年齢からしてみれば、これまで発生した地震のほんの一部しか伺いすることができていない。
落川のデータ不足という指摘は確かに否定できないだろう。
「地震周期説は統計上の仮説にすぎないから、信ぴょう性に欠けるというのはその通りだろうな。この説に限らず、地震なんかは実験を繰り返して仮説が正しいかどうかを確かめるなんてことはできないから、検証のしようがない。周期説を否定している学者もいるしな。ただ、少なくとも俺は理にかなった説だと思ってる。
大きな地震が発生するのにはそれだけ大きなエネルギーが必要だが、それはプレートのひずみによって生まれる。年間数センチの動きがたまりにたまって、ある時一気にひずみが解消され、それが地震になる。
今の段階ではエネルギーがたまっていないから巨大地震の発生確率が低いというのは、理にかなっていると思うがな」
政府や気象庁が採用している周期説は確かにあいまいな部分も多いが、少なくとも1つの目安になる程度は信ぴょう性があるはずだ。特にプレート型地震の発生メカニズムを考えれば、巨大地震と巨大地震との間には間隔があるというのは自然と導き出される結論だろう。
だが、落川は理解はしていても納得はしていないようだった。どこか不満げな顔で話を聞いていた。
「うーん、その理論は間違ってないとは思いますが……やっぱり信頼性に欠けると思うんですよね。今までも首都直下や南海トラフなんてずっといつ起きてもおかしくないって言われてますけど、その間にもほとんど注目されていない地域で大きな地震が発生したりしていますし」
「それはそうだろうが……」
それは確かにその通りだった。
地震学はいまだ発展途上の分野だ。特に地震を予知するというのは、ほとんど不可能と言っていい。予知とまではいかなくても、発生の可能性が高まっているという予測をするということは現代でも行われているが、それも不確実性を多分にはらんでいる。
2011年の東北地方太平洋沖地震発生前は、これほど大きな地震が発生するとはほとんど考えられていなかった。2016年の熊本地震も、やはり発生前は地震発生の確率は極めて低いと考えられていた。
今にも崩れそうな崖がいつまでたっても崩れず、その間にも丈夫だと思っていた部分が次々と崩れていく。今もまさに、まだ崩れるまで時間がかかると思われていた場所で得体のしれない現象が起きていた。地震とはこのようなものなのだろうか。
「だからどうしてもはいそうですかって、納得することができないんですよね。もちろん過剰に不安がる必要はないと思いますが、周期説を根拠に大地震は発生しないというのも違う気がするんですよ」
「別に気象庁は巨大地震が発生しないとは言っていない。気象庁は呼びかけないだろうとは言ったが、理由がもう一つある。これが巨大地震の前触れなのかが分からないんだよ」
「分からない……ですか?」
落合の言葉に頷いた。
「スロースリップに関するデータも少ない。どういうことなのか専門家も、誰も分からない。確かにスロースリップが巨大地震の前触れなのではないかって話はあるが、どれほど巨大地震と関係性があるのか、どのようなスロースリップが巨大地震と関係性が深いのか、分からないから何も言えないってわけ」
「今も謎多き分野ですからね。曖昧になってしまうのはしょうがないと思います」
確かにスロースリップは巨大地震の前触れとして考えられてはいる。
が、スロースリップが起きると巨大地震が発生する、と言うことは難しい。スロースリップが発生しても巨大地震が発生せずに通常の状態へと戻ることの方がずっと多いし、やはりこれも前例が少ない。スロースリップ自体、20世紀の末ごろに発見された現象だし、どれほどの関連性があるのか、あるいはどのようなスロースリップが巨大地震発生の前触れとなるのかというのは、いまだ研究途上だ。
今回のスロースリップも、巨大地震の前触れであるというにはその根拠が脆弱だろう。
「周期説のこともあるし、南海トラフや日本海溝でならともかく、相模トラフで起きていても大地震が起きるかもしれないとは言わないんじゃないかな。範囲が拡大しているという話でどう転ぶかは分からんが……気象庁も行政機関の1つだ。慎重に判断していくだろうよ」
それらの地域であれば、地震発生の可能性が高まっているとの評価を与えるだろう。特に南海トラフはいつ巨大地震が発生してもおかしくないと言われているだけあって、臨時情報の発表や、事前避難の実施すら行われるかもしれない。
だが相模トラフであれば、やはり周期説によって巨大地震発生の可能性は低いと考えられているだけあって、発生する可能性が高まっているとの評価は与えないのではと感じていた。
地震発生の可能性がほぼないと言っている地域である以上、範囲が拡大しているということがこれまでの説を覆すほどの根拠となりうるのかは分からない。どちらにせよ気象庁は難しい判断を迫られることは間違いない。
話しを聞いて落川は半分納得した表情ではあったが、それでもどこかに疑念のようなものを抱いている感じだった。
「まあ気象庁がどんな判断を下そうが、我々は災害の発生に備えて、起きたときには対応をするということに変わりはない。ホントに起きるのかどうかは俺にも、気象庁にも、誰にも分からないんだ。いずれにしろ、今の技術じゃ事前に地震が起きるってのが分かることはほとんど無理だ。だから普段から災害に備えておくというのが大切なんだろ? 発表するしない関係なく、いつ発生しても対処できるようにすることが必要である。違うか?」
「そう……ですね」
それが我々にとって重要なことであるというのは、身に染みて分かっていた。
災害がいつ起きるのかは分からない。ゆえにいつ起きたとしても対処できるような仕組みを、心構えをしなければならない。
結局気象庁が、専門家が、政府が何を言おうが言わまいが災害の発生に影響するわけではない。発生すると言って起きないこともあれば、予兆も何もなく突如として発生することもある。
Xデイがいつなのか、それが分かることはない。
だからこそ、私たちはいかなる時でも災害への備えを怠ってはならないのだ。
「上原さん。また1名、負傷者の情報です。相模原市内で小学生が地震で転倒して負傷とのこと。軽傷です」
「ああ、了解した」
別の事務官の話によって、2人との会話は終わりを告げた。
新たな仕事が舞い込んできた。さらなる詳細を確認したりデータの更新をしたり、まあ作業量としてはそう多くないが、それでもやらねばならないことだ。
2人もノートPCの前へと戻り、事務作業を再開した。
現時点で軽症者が3名。重症者であれば真っ先に報告が上がるだろうし、0と見ていいだろう。軽症者はもう1、2人ふえるかもしれないが、それでも大事には至らないはずだ。
このままであれば今日の夜には連絡室は廃止になるだろうな。そのような見通しは正しいものだろうとの思いが強くなった。
その時、警報音が部屋中に鳴り響いた。
私のミスによって『小説家になろう』で第10報の投稿がなされていませんでした。大変申し訳ございません。