第五話 亮介の不安にアンダーライン
数日後の日曜日。
人々の行き交う町の商店街にはポケットに手を突っ込みつつ歩く、クラスメイトの三人の少年たちの姿があった。
しかし、妙なのは全員が同じ年齢でありながら、そうとは思えないほどてんでばらばらの体格をしていることだ。一人の背丈は三人の中で一番大きく、一人はとても小さいため、三人組は不釣合いにでこぼことしている。まるでこれでは、携帯電話の受信棒のようだ。
すると、一番背の小さい少年が大きなため息を吐き、背中を丸めて小さくなった。ただでさえ小さい体がさらに縮こまる。
「なんだかなあ。山下に従ったせいだよな」
薫はそう言って、隣の少年の腰の辺りを小突いた。
「う、うるさいな。俺だって後から聞いたんだよ。街でチラシ配りだなんてな。劇場に居られないのかよ」
「何が彼女に一番近い切符だよ。須藤さんは劇場でヒロインを演じ、俺は寒空の下でビラ配りだ。これじゃあんまりだ」
「まあまあ。決まったことを今さらぐだぐだ言ったってしょうがないだろう?」
「それは、亮介の言う通りだけど」
薫は山下の横を歩いている亮介を見上げる。彼はいつだって冷静で、落ち着いて物事を見定めている。
しかし、彼の淡然とした態度は、薫の中のくすぶりまでをなくしてくれることはない。それに薫には彼女の傍にいられない以上にショックなことがあった。
「俺たちは本番の劇も見られないって、須藤さんそう言ってたぞ」
「あん? それはまたどういう意味だ?」
山下が眉をひそめる。やはり彼も初耳だったようだ。
「今回は有川の指示でチラシ配りってのを劇の開始ギリギリまで行う。それが終わって体育館に戻ってきても、舞台は本番中。邪魔になるから舞台裏には入れてもらえないんだって」
「……それでも、観客の席があるだろ?」
彼は言い返してくるが、薫は力なく否定した。
「それは観客用だから、俺たちは座らせてもらえないだろうって」
「な、なんだあそりゃ」
「有川が言ってたそうだ」
「何?」
「今回は間違いなく座席を満席にしてみせるって。つまり、本番は満席で座れないんだろうな」
それを聞いて、山下は意味が分かったようで、なるほど、と絶望の声を漏らした。
「一度決めたことは何が何でもやり通す、か」
堂野は、俳句を詠むように調子をつけて言う。そう。それが、あの有川のやり方で、彼女が学校で恐れられている大きな理由だった。
彼女は目的のためならば、どんな手段をとることも厭わない。
彼女が満席にすると宣言している以上、結果もそうなるに違いないことはほぼ確定だった。
「となると、残された劇鑑賞の道は立ち見ぐらいか?」
「どうだろうね。それを聞いたら、須藤さんはとても微妙な返事だったよ」
「何て言ってた?」
「立ち見だって邪魔になるかもしれないし、チラシ配りの人材は仕事が終わると受付の係と交替させられるかも、とか言ってたし」
「俺たちが受付の仕事をするのか!?」
驚嘆した山下に薫は自身もうんざりしながら説明した。
「今回はとにかく人手が足りないんだってさ。当日がクリスマスイブってだけあって、他のクラブに頼んでみても、予定がある人が多くて、ほとんど演劇部の人間だけで乗り切らないといけない。たまたまそこに手を貸している俺たちを、有川は散々使いまわすつもりなんだろうな」
言いながら、その儚き事実に大粒の涙でもこぼしてやろうかと思った。結局自分は好きな女の子の傍に行くことなど許されず、魔王の手によって引き離されている映像がくっきりと目に浮かんだ。その魔王が誰であるかは言うまでもない。そしてその魔王の手に誘った魔王の手下も目の前にいた。
そいつは、なぜか笑った。
いったい、今の話のどこに笑える要素があった? ああ?
「ハハ、有川らしいぜ」
「山下、笑えないぞ! 何が悲しくて、クリスマスイブに須藤さんの劇も見れず、寒空の下で受付なんてしなくちゃいけないんだよ!」
「そうだな。深刻だな。これじゃあ小野村が須藤さんにアタックするチャンスが劇の後片付けの後しかないな」
突如彼の口から飛び出した、思いよらぬ言葉に薫はたじろぐ。
「おい、いつから告白することが前提になってるんだよ」
「なんだ、しないのか? そのために今日は戦略会議をしてるんだろう?」
「……彼女へのプレゼントを買いに来ただけだ」
薫は自分のポケットに入っている財布を触った。そこには薫が溜めている金額中、最大限に引き出せるだけの金額が入っている。
「それはもはや告白という選択を選び取ったに等しい」
山下は人差し指を立てる。
「何で?」
「須藤さんの気持ちを考えてみろよ。なんと言ってもクリスマスイブ、前回の文化祭の劇を救ってくれた小野村君から、クリスマスプレゼントをもらう。そんなことがあれば、その先を想像して期待するってもんだろう?」
「告白、なんて。俺がそんな大それたことが出来ると思ってるのか?」
「まあ、そうだよな。小野村君、彼女からご褒美のキスをされても、それでも告白できなかったんだもんな」
山下は頭の後ろで腕を組み、口笛を吹くかのごとく、さらりと言う。しかし、その一言は薫の胸に突き刺さった。
「お前、なんだ、その憎たらしいほどの情報収集能力は!」
「ふっふっふ。小野村君、なめちゃあ困るな。いまや全国に散らばり構築された俺の信頼安全情報ネットワークは、ホワイトハウスの今日の昼食メニューでさえ容易に把握できるんだぜ」
「じゃあ、ちなみに聞いておこう。大統領の今日の昼食は?」
「無論、味噌カツ弁当だ」
「……山下、お前のおかげで日本の未来は明るいよ」
「ありがとうな。今後も平和主義、山下党をよろしく!」
「今日の目的は俺らのだらだらゆるゆる弁を思う存分発揮することではなかったはずだ」
山下がそう言い出したのは、それから数十分後だった。
商店街の片隅で比較的静かに営まれている小さなファストフード店に入り、コーヒーを啜っている薫たちがいた。若者達が集う店には珍しく、穏やかなクラシックがBGMに流れている。
カップに砂糖を入れ、山下はかちゃかちゃとスプーンで混ぜている。
「来るべき作戦決行日に向けて、戦地の下見を兼ね、この薫戦闘員にしかるべき武器を品定めに来たのだったな?」
「にやにやと迂遠な表現をするのはよせ、気分が悪くなる。繰り返すが、ただ須藤さんへのクリスマスプレゼントを買いに来ただけだ」
フライドポテトにソースをつけながら、薫は手で払う仕草をした。
「とりあえず、泉田中学校はこの商店街の近くにあるらしい。向こうに公園があってそこを通り抜けて、交差点を直進をした先だ」
山下が言う。それに頷きつつ、堂野が話した。
「有川のことだから、ビラを配る場所はもうあらかた目星をつけてるだろう。俺の予想だが、人通りが多い、この商店街から駅に向かう通りを重点的にビラを配るんじゃないかな」
「ビラ配りか……。なあ、山下、有川に頼めないのか? どうにか劇場での道具の運搬の仕事をさせてくれないか、とか」
「無理だと。とりつくしまなし」
彼は器用に片目だけ開けて、薫を見た。
「何で?」
「さあな。特に薫は絶対にビラ配りの仕事で固定だそうだ」
「な、なんだよそれ。こっちは手伝ってあげてるのに融通が利かないな。その上、何だか俺の役目が最初から決まってたみたいだし」
薫、そのことだが、と堂野が顔を上げる。真剣な表情で顎の下で手を組んだ。どうやら彼には最初から考えがあったようだ。
「おそらく、有川は最初からなんらかの理由で山下に今回の劇の準備を手伝わせ、その付属品として俺たちを巻き込むことが計算にあったようだ」
「な、計算済み?」
「山下なら、大方俺たちに声をかけると考えてたんだよ。もしそうでなければ、自分から頼みに来てただろうな。山下の奴だけじゃ不安だからとかなんとか。理由つけてな」
「は? 何の恨みでだ?」
すると、彼は間を置き、窓の向こうの行き交う人々の方に視線を向けた。今年も終わりに近づき、新年を迎える準備をしているのか、人々は皆一様に急がしそうで、早足に見える。
彼が言う。
「俺たちは良くも悪くも、文化祭の件で有川に目を付けられてんだよ。有川は自らの目的のためにはありとあらゆる手段を講じる。薫だって前に同じようなこと言ってたろ?」
「う、うん」
彼女が周囲の反応を歯牙にもかけず、自ら決めた方法を貫き通すことは自分だけでなく、多くの生徒が知る事実だ。
「有川、また何か企んでる?」
「この劇を行う上で、何か裏の目的のようなものがあるのかもしれない」
山下が、ずずと冷えたコーヒーを飲みかけて止めた。意味ありげにカップをおく。
「それなら、なんとなく聞いてることがある」
「何だ?」
薫が興味を示すと、彼は今回の劇場がどうして泉田中学で行われるのか、有川とそこの校長との仲、それから先、今回の劇が好評であれば、さらに大きな劇場で劇をさせてくれるという約束をそこの校長としているらしい、という話をした。
「なるほどな」
「彼女には次なる野望があるってことだ」
すると、その話を聞いた堂野の目が急に険しくなる。そうか、それであんなに、と呟いた。
「どうかしたか?」
「実は、この前彼女に会った」
「は? いつ?」
唐突に彼が言うので薫は面食らう。
「この前の、図書室の蔵本整理の日だ」
「何か話したのか?」
「何て言ってた?」
山下も気になるのか、口にスプーンをくわえて顔を近づける。
「いや。俺は遠くから見ただけだ。だから会ったではなくて、見かけたという表現が正しいな」
「何か気になることが?」
すると、急に堂野は黙り込む。彼らしくないその釈然としない態度に薫は疑念を感じた。
「どうしたんだよ?」
「彼女はいつも通り、いや、いつも以上に頑張ってたんだ」
「それが? 普通だろ? 目的があるんだし」
「違う。俺は感じたんだよ。今回の劇に彼女が全力を傾け過ぎてるっていうか、その情熱が強すぎるというか。ともかく、それらを総合して考えた結果、彼女は一生懸命すぎなんだ。一片の配慮なく他を無視して、何から何まで自分でコントロールしようとしている」
「……」
「そういう目的があったとすれば、そこまでしているのも納得がいくが……」
薫には彼が何を言おうとしているのかが分からない。
そして、この言葉に続く彼の台詞がさらに彼らしくないものだった。
「どうにも俺は、彼女のことが心配だ」
薫は思わずアンダーラインを引いてしまった。