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第四話 有川の思惑にアンダーライン 2

 廊下に出ると、どこからともなく誰かが駆け寄ってくる音が聞こえた。久美は振り返る。


「有川部長!」


 ようやく見つけたといった表情で、息を切らして名前を呼んだのは、後輩の奥山紗江おくやまさえだった。目の前で立ち止まり、廊下の壁に手を着くと、肩を上下させて苦しそうに呼吸している。


「さ、探しましたよ」

「あら、どうしたの?」


 久美は暢気だ。


「どうしたのじゃありません。よ、ようやく吹奏楽部の方から了承するという返事を頂きました」


 彼女は天井を、つまり音楽室の方を指差しながら、息を吸いつつ報告する。


「それは朗報ね。わたしが直談判する手間が省けたわ」

「でも、説得に二時間もかかりましたよ。大変だったんです」


 紗江は口を尖らせる。


芦沢あしざわさんはやっぱりご立腹だったかしら?」

「クリスマスイブに他のクラブの行事に付き合わされるなんて、言語道断だと咆えてました」

「ふふ、彼女らしいわね」

「らしいとからしくないとかいう問題じゃありません。私、胃が千切れそうでしたよ。先輩からあんな剣幕で怒鳴られたら、普通ショックのあまり引きこもりになります」


 いつも目上の人間に対して礼節を重んじる彼女が珍しく久美に対して怒りを露わにしているようだ。心なしか襟元も乱れている気がする。

 久美はさすがに芦沢千葉あしざわかずはの相手を後輩にやらせるには少々荷が重すぎたか、と反省した。


「はいはい、後から愚痴を聞いてあげるから。それより、どのくらい集まったの?」


 紗江はまだ何か言い足りなさそうだったが、渋々口を開く。


「……はい。強制はしないという自主参加で、なんとか、十名ほど」

「何とかなるって? それで劇のBGMは奏でられそう?」

「はい。楽譜をお渡ししたら、鬼の形相で譜面を睨んでましたが、すぐに準備を始めると言ってました」


 楽譜を潰すように掴み、皺を寄せた芦沢の顔が目に浮かびそうだ。心中でほくそ笑む。


「何もそんなに怒らなくてもねえ」

「いえ、怒りますよ、普通は」


 紗江の目が呆れたように細くなった。

 それを側め見てから、久美は廊下を歩き出す。すぐに彼女が後ろを追ってきて、こう質問した。


「あのう、吹奏楽部のことですが、少々知りたいことが」

「何かしら?」

「どうしていつも通り、CDでのBGMではなく、わざわざ吹奏楽部に依頼を?」

「何よ、その方が直に楽器の音が耳に入って、臨場感というか、雰囲気が出るじゃない。そのためよ」

「はあ、確かにそうですが」

「質問は終わり?」


 訊くと、紗江の眉はまだ不満そうに曲がっている。程なく口を開いた。


「そもそもどうして今回はこの中学校ではなく、街の泉田中学校で舞台を行うんですか?」


 久美はその質問に眼鏡の縁を持ち上げる。レンズに光が反射した。


「それはもちろん、こんな場所でやるよりも一般の人も向こうの生徒も大勢集まるでしょうが。いくら演劇が上手くても、それを人が見てくれないとやる意味はないわ」

「まあ、確かにそうですね。でも、どうやって、そこの校長さんにお話しを? よく場所を貸してくれましたね」


 確かに、彼女が疑問に思うのも無理はないと思った。普通、他校の生徒同士が仲良くなることはあっても、校長と懇意になり、場所を貸してくれることなど、訊いたことがないのだろう。


「実は去年の文化祭、あそこの校長先生、うちの演劇を見に来てたのよ」

「あ、私が居ない時ですね」


 そう、その当時は、今は部長をしている久美もまだ一年で、上級生がやっている劇を傍から眺めている程度だった。しかし、その頃からいつかは自分が部長となり、この演劇部を綺麗に指揮することを野心として抱いていた。それこそ、自分がこの部に対して成すべきことだと思っていたのだ。

 そして、文化祭の劇の最中、舞台の隅で座っているそんな久美に話しかけてきたのが、その校長先生だったのである。


『君は劇には出演しないのかね?』


 確か、こんな言葉だったと思う。

 そんなきっかけで、久美と泉田中学の校長との会話が始まった。久美が劇が好きなのだというと、校長も頷いた。話が弾み始めると、先輩たちが演劇をしているのを二人で眺めながら、これは演技が臭いとか、台詞が長すぎるとか、展開が冗長だの、久美はおよそ後輩にあるまじき辛口の批判を繰り広げた。


『いつかは、絶対私がこの部の部長になって見せます』


 そうして、こう高らかに宣言すると、校長は白い歯を見せ手を叩いて喜んだ。


『若い者はそのくらい威勢がいいほうがいい』


 そして、別れ際にはこうも言った。


『もしも、本当に君が部長になったのなら、是非うちの中学に舞台をしに来てくれないか?』

『そちらの学校にですが』


 久美はさすがに驚嘆の声を出した。


『もしも、その気があればだが。わしは君が部長になった演劇部の舞台を間近で見て見たいのだよ。そして、うちの生徒たちにもね。と言っても、君が部長になれれば、だがな』

『な、なります。絶対に!』

『ふふ、ではがんばりたまえよ。未来の部長君』


 そう言って、彼は帰っていった。

 そして、時が流れ、一年後の現在。久美は立派に演劇部の部長として活躍していた。

 泉田中学の校長はその話を忘れずに覚えていたようで、その事実を知ると、つい数ヶ月前に連絡があったのだ。ボランティアでいいなら、クリスマスにうちの体育館を使って舞台をしないか、と。

 そして、部員が劇をする機会が増えるなら、と久美は二つ返事でオーケーしたのだ。


「へえ、そんなことがあったんですね」


 話を聞いて、紗江は目を丸くしている。関心したように、久美をまじまじと見つめた。


「やっぱり、昔から部長は部長だったんですね」

「何よそれ」

「そのまんまの意味ですけど? で、だから今回は力を入れている、と?」

「やっぱり大勢の人に見てもらうからね」

「はあ」


 しかし、紗江は未だに消化不良の難しい顔をしている。おそらく、大勢の人に見てもらうという理由を差し引いても、久美の熱の入りようには不審感があるのだろう。

 なにしろ、たった今、半強制的に吹奏楽部に頼みごとをしてきたばかりなのだ。いくら久美でも普段なら他のクラブを自分の都合に巻き込むようなことはしない。

 いつでも暇な帰宅部の少年を無理やり劇に参加させたことはあるが、その程度である。


 紗江の眉間に皺が深くなっていた。

 久美はそんな彼女をちらちらと見ながら、どこまで話すべきかと逡巡したが、いずれは全て分かることなのだ。素直に話しておくべきだろう。


「……他にも、理由があるわ」

「他にもですか?」

「今回の劇で、観客が大勢入り、好評だったなら、今度はもっと大きな場所、大きなホールを貸しきって劇をやらせてくれるって」

「へ? そ、それって、すごいじゃないですか!」


 彼女は興奮を抑えきれないのか、その場でばたばたと足踏みをした。


「何でも、その校長の弟さんがね、大きな会社の社長さんらしくて。その会社の経営の中でイベントに使うホールの会場提供の仕事もしてるっていうのよ。だから、その弟さんに頼んで、そこを使わせてくれるって」

「は、はあ」


 夢見心地の彼女は曖昧な返事だ。


「やっぱりそういった場所で劇をすることには大きな意味があると思うの。設備が整っているし、実際の演劇に近い状態だとも思う。皆でやればいい経験になるわ。演劇部の部長ならそんな場所を貸しきって劇を出来るなら本願成就よ」


 野望の持つ執念というか、そんなものを感じさせる久美の声に紗江は目を瞬かせた。


「それで今回はこんなに無茶をやってるんですね」

「もちろんよ。出来ることはとことんやらなきゃ」


 すると、廊下の向こうからまたしても、久美に駆け寄ってくる体格のいい少年が現れた。どたばたと盛大な足音を立てている。久美は顔をしかめた。


「有川部長ー!」

「あれ、馬場君?」


 なにやら、数十枚のコピー紙の束を持っている。紗江が有川の後ろに隠れた。きっとそれはガサツな彼を少しでも自分の視界に入れたくないためなのだろう。


「どうしたの?」

「どうしたのじゃないですよ。ほら、言われてたこと、裁縫部に注文してきました」


 彼が持っているのは演劇部が毎度、裁縫部に衣装の発注する際の注文表の束だった。


「これ、裁縫部に無理言って作ってもらいましたよ」

「ご苦労、ご苦労」

「ご苦労じゃないっすよ。俺、部長さんに門前払いにされかけたんですから、文化祭も終わったばかりなのに、そんな無理な注文請け合ってられるかって、寝耳に水だって」

「そんなに怒ってた?」


 げに不思議なことじゃ、そういわんばかりに久美は首を傾げてみせた。もちろん、そう思っている振りである。


「当たり前ですよ。俺の立場も考えてください。いくら部長から頼まれたことと言っても、俺は向こうの部長の前ではただの後輩ですからね」

「ふうん」

「説得に一時間もかかりました。お前はともかくそのでかい図体を削って来いという理不尽この上ない要求も突きつけられましたよ」


 それを聞いて、背後の紗江がくっくと笑っている。すると、彼が持っている注文表の一部が見えたのか、彼女が指差す。


「うん? 馬場君、それ何?」

「この衣装のことか?」


 見ると、ペンで簡単に描かれた衣装のデザインの上に「マッチ売りの少女」と名前がつけられている。もちろん、今回の劇には登場しないキャラクターだ。


「部長、これは?」

「ふふふ、それは今回の秘密兵器よ」


 久美はそう言って不敵な笑みを浮かべた。

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