第三話 二人の帰り道にアンダーライン 1
作者のヒロユキです。
今回は君恵の視点で書いてます。
前作では、彼女の視点のパートが少なかったので、今回は多めに書けたら、と思っています。
教室では担任教師からのテスト勉強に対する事前の心構えなる退屈な説明が繰り広げられていた。
生徒がだらけきった本日の最後を締めくくるホームルームで、単調な男性教師の声だけに張りがある。
しかし、その声の張りとは裏腹に、言っていることはごく普通の少し下をいく水準の説明で、英単語を覚えろとか、ノートをまとめろとか、間違えた問題の総復習しろ、などなどその程度だった。生徒にとっては、いまさらあんたに言われるまでもない、だから、僕らは机の上でスライムになっているんだ、というムード満載である。
そんな中、窓際に座った須藤君恵も、退屈にあくびをしていた。耳にかかった柔らかな髪を掻き揚げ、もう一度、黒板に目を向ける。そこには「公式」やら、「練習問題」などの文字が並び始め、退屈な説明にさらに補足が付くという悪夢のような局面を迎えていた。
教師はぶつぶつと独り言のように、数学の説明を始めるが、多くの生徒は一様に、教師の指し棒ではなく、時計の針を凝視している。
と、そこでお待ちかねのチャイムが鳴った。机に突っ伏し、とろとろのプリンよろしくだらけていた生徒たちが途端に背筋を伸ばす。先生、早く終わりましょう、と無言の圧力を投げかけているのだ。
君恵も同じ気分だった。なにしろ今日はずいぶんと疲れている。どういった理由なのかは知らないが、体育が二時間続けてあり、その間、たっぷりとバスケットボールをさせられたのだ。
正直、へとへとなのである。
教師がチョークを置く。
「じゃあ、今日はここまでで」
すると、教師がそういい終わらないうちに、号令の係が前後左右からせっつかれ、立ち上がり、
「起立、礼!」
と、すばやく号令をかけた。
こういうときの生徒たちの連携プレーは正確で迅速だった。
うわあ、早い。
そう思いながらも、君恵も遅れないように立って座った。
お前ら、と眼鏡の教師は説教の口を開きかけたが、すでに生徒達は和気藹々《わきあいあい》の放課後空間にすっぽりと埋没している。口を挟む余地はないと悟ったか、そそくさと退散していった。
君恵は横を向く。
「ねえねえ、美香ちゃん。私、今日部活ないから一緒に帰ろうよ」
隣の友人に声をそうかけた。
しかし、彼女は目の前で両手を合わせて頭を下げる。
「ごめん、君恵。今日は委員会の仕事があるんだ」
「え、そうだったの?」
「うん、今朝言われてさ。会議の予定が入ってたんだ」
「そう……」
君恵はがっかりして肩を落とす。せっかく今日はゆっくりとおしゃべりの帰り道を堪能できるとおもっていたのに。が、仕方のないことだ。
すると、彼女は背後を振り返る。
「じゃあ、久美ちゃんと一緒に帰ったら?」
教室の隅で、後輩となにやら話しこんでいる少女を指差した。
彼女の名前は有川久美。君恵が所属している演劇部の部長を勤めていて、頭の回転も早く、リーダー役にぴったりのしっかり人類だった。今日も凛々しく眼鏡のフレームが光っている。
「あ、でも……」
君恵は額に皺を寄せて、言葉を濁らす。
「何?」
「久美ちゃん、最近忙しいんだ。ほら、前に言ったでしょ? クリスマスの演劇部の舞台のこと。その準備でいろいろと走り回ってるみたいなの」
「へえ、久美ちゃんも相変わらず大変なんだ」
彼女がそう言ったそばから、有川久美は数人を教室を出て行ってしまった。打ち合わせでもあるのだろう。
ね、と君恵は彼女に目で合図する。
「あの調子だから、一緒に帰る余裕ないんだ。手伝おうかって言っても、久美ちゃん全部一人でやりたがるし」
「あの子の性格だし、それに部長だからねえ。すべてのことに責任を持つことは大切だとは思うけど。でも、がんばりすぎるのもね」
「うん。私もそう思う。けど、今回はいつも以上にがんばってるんだ」
「いつも以上に?」
それを疑問に思ったのか、彼女が聞き返してくるが、同時に教室の外から彼女をを呼ぶ声がした。
「美香、早くしないと委員会始まるよ!」
数名の生徒が入り口付近で彼女を手招きしている。時間が差し迫っているらしい。
「あ、ごめん。忘れてた」
彼女は立ち上がり、手を振る。
「いまいくー!」
そして、くるりと君恵に向き直り、
「じゃあね。明日は一緒に帰れると思うから」
それだけ言って、荷物を持ち、小走りで去っていった。
すると君恵はぽつりと取り残される。誰か代わりの人間に声をかけようかと思うが、右も左もすでに自分たちの放課後の目的のために動いているようだ。
こうなれば仕方がない。
君恵は帰る支度を始めた。いつもならば、演劇部の練習があるのだけれど、今日はたまたま休みなのである。
しかし、君恵は教科書をカバンに入れながら思いとどまる。このまま帰るのはなんとなく忍びない。久美もがんばっているのだ。
やっぱり練習してから帰ろうかな。いつもの空いた教室で誰かが練習しているかもしれない。
そう考え、よし、と机の中の台本を掴んだ。それはクリスマスに上演することになっている舞台の台本だった。
「今回は、せっかく久美ちゃんが指名してくれた役だし」
小さく、君恵は微笑む。
『聖夜の歌姫』
そう大きく銘打たれた劇で、君恵はその劇中でヒロインを演じることになっている。その役は突然に決まった。
文化祭が終わったある日、突然久美に肩を叩かれ、その役に抜擢されたのである。予想外ではあったが、とてもうれしかった。
また《・・》チャンスをもらえたのである。
というのも、一ヶ月前の文化祭で上演された白雪姫は、本来であれば君恵が演じるはずだったものが、急遽降板せざるを得なくなったという事情があるのだ。
君恵は今は元通りになっている足を触った。
あのときは交通事故で足の骨を折ってしまい、止む無く降板したのである。
現在はようやく普通に歩けるようになるまで回復していたが、やはり、その劇のことが心残りではないと言えば嘘になる。
おそらく久美は役をやり通せなかったそんな君恵を不憫に思ったのだろう。その決定に、周りの皆も賛成してくれ、異論を唱えたものはいなかった。
だからこそ、君恵にとっては、
「今回こそ、しっかりやり切らなくちゃ!」
ということなのである。