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第十話 交錯の思いにアンダーライン 4

 吹奏楽部部長、芦沢千葉は、薫たちとの入念な打ち合わせの後、会場となる体育館の部隊の横、吹奏楽部の演奏位置にいた。

 赤い絨毯が敷かれたその一区画には、部員それぞれが演奏する楽器が並べられており、その手前に彼女の立つ指揮者台がある。

 劇の最終調整のため暗くなった体育館内で、彼女は譜面台を覗き込んでいるところだった。


「これくらいの明かりがあれば、本番中、演奏に差し支えないわね」


 そう言って、次に部員たちの顔を見回している。


「皆、オーケー?」


 彼らは千葉の周りに弧を描くように座っており、すぐに彼らは口々に了解の言葉を返した。

 それを聞いた彼女は、今背後を振り返り、体育館の二階部分である細い通路からの照明に小さく頷いた。明度、良好のサインである。

 光の向こうに見えた照明係の少女は不安げに見ていたが、千葉の顔を見て、すぐにほこんだ。

 おそらく、上手くいっているか心配だったのだろう。千葉は自分が周囲でどんな風に恐れられているのか、知らないわけではない。見たところ、千葉の後輩らしき彼女の様子は、演劇部とは言え、その噂話を聞いていたに違いなかった。丁寧に会釈をし、通路を走っていく。


 しばらくして、会場に再び明かりが灯り、観客の騒音が戻ってきた。上演時間まではもうまもなく、と言ったところだろうか。

 しかしそれにしても、本番中に生の演奏をさせるとは、有川も中々面白いことをするものだ。

 千葉は改めてそう思いながら、どっさりと台の横の椅子に腰掛けた。

 おそらく、臨場感溢れる演奏によって、場の雰囲気をさらに盛り上げようという、列記とした目論見があるのだろう。それにもちろん、従来のCDによる演奏でも充分に演出効果は期待できるのだが、現在進行形で行われている劇に対し、的確で即座に対応が出来る生の演奏はそれ以上に劇の完成度を上げることが出来る。彼女はそれを見込んでいたのだ。


 しかし。

 そのせいで、吹奏楽部が大きな迷惑を被ったことを、千葉は忘れていなかった。

 不服ながら、この仕事を引き受けてしまったことが、今は甘すぎる判断だったと後悔している。

 まさか、合同練習中も、あの有川からいろいろと事細かに指示をだされるとは思っても見なかった。胸中でため息をつく。


 演奏にかけては、こちらの方が何枚も上手なはずなのに、彼女はそれでも信頼が置けなかったらしい。指揮者の千葉を差し置き、音が雑だの、テンポが遅いだの、逐一指摘していったのだ。

 そのせいで、何度もやり直しをさせられるし、おまけに、途中から演奏曲を二つも増やされるという有様だった。こんなもの無理だとつき返そうとすると、『吹奏楽部もこの程度か』とやんわりと示し、ほくそ笑んでくるし(それで意地になった千葉も悪いが)。


 それに、千葉は吹奏楽部の体裁のことも気に掛かっていた。

 演劇部と並び、二大文化部と称され、勢力も部員数も拮抗している吹奏楽部が、今回のことでまるで無抵抗に頭を垂れ、演劇部の軍門に降ったのではないか、と周りから見られている可能性がある。あまり話が広まれば大きなイメージダウンとなり、後に新入部生の減少にも繋がりかねない出来事なのだ。

 近いうちに何かしら対策を立てなければならないかもしれない。


「ったく、虚仮にしてくれるじゃないの」


 しかし、そこで千葉はくすりと笑みをこぼす。

 まあ、辛酸をなめるのはここまで。今に見てなさいよ、目に物をみせてやるんだから。

 先ほど堂野たちと計画した有川への反撃は、ぬかりなく打ち合わせを済ませ、今はもう、準備万端と座っているのだ。


 私がやられっぱなしだと思ったら、大間違いよ。

 そうほくそ笑んでいると、舞台裏から見覚えのある人間が顔を出した。駆け足でこちらに向かってくる。


「どうだった?」


 と聞くと、その少年、馬場浩太は頭をさげながら、周りに聞かれないように声を潜める。


「皆、協力してくれるそうです。面白そうだからって。それに責任は全部堂野先輩が取ってくれると聞いて、俄然、やる気を出したみたいです」

「そう、それはよかった。部長や奥山さんには伝わってないでしょうね?」


 先ほど、会場に戻ってきていた有川の姿を思い出しながら念を押すと、彼はすぐに首を振り、激しく反応する。


「ま、まさか、そんなはずないじゃないですか」

「そう、ならいいんだけど」

「はい」


 そこで千葉があることを思い出す。


「あ、それから、須藤さんにもしゃべってないでしょうね?」


 これは今回の計画で、主役の彼女を驚かせるためと堂野が提案したことで、そのために実は最後のシーンで小野村薫が劇中に登場することになっているのである。

 しかし、彼は単に彼女を驚かせるためだけと言っていたが、その役目を小野村にやらせるということは、間違いなく彼への別の意図があってのことに違いないと千葉は思っていた。

 すると、馬場は不安そうに目を伏せる。


「それが、さっきからいないみたいなんですよ」

「はあ、いない?」

「はい……」

「主役でしょうが!」


 思わず素っ頓狂な声を出してしまう。すると彼は、俺に言われても、と微かにぼやいた後で、


「どこにいったのかは分かりませんでしたが、でも、おかげで伝達はすぐに終わりました」


 と報告した。


「……」


 千葉は落ち着きなく、目を観客の向こうに動かす。

 何か、あったのかしら。

 千葉の中で数週間前の記憶が蘇る。


「あの、芦沢先輩?」

「……分かったわ。とりあえず、彼女のことは置いておいて、後は実行だけよ。あなたは自分の役を全うしなさい」

「はい!」


 馬場はびしりと敬礼をし、戻っていったのだが、それから千葉はしばらくの間、なんとなく釈然としない気持ちのままだった。


 腕組みをして落ち着きなくずっと客席を眺めたり、部員たちに何度も点検をさせ、席に座っていた。

 時折、これから演奏すべき曲を鼻歌で口ずさみながら、話し声で雑然とした会場の天井に見つめ、そして、数日前、彼女が真剣な表情で自分に頭を下げてきたときのことを思い出していた。

 あの子、とても必死だったわね。

 そんな回想をしていたときだった。


「あのう、芦沢さん?」


 聞き覚えのある声に、千葉は顔を上げる。背後に、今回の演劇で主役を演じるはずの少女が立っていた。


「須藤さんじゃない。あなたどこに行ってたの!?」

「えっと、ちょっと外に……へへ」


 彼女は罰が悪そうに舌を出し、誰かの物なのか、肩に羽織っているコートを寄せた。その下は綾坂中の制服である。

 それを見て、ぎょっとした。


「ちょっとって、服、着替えてもないじゃないの! 本番まで時間がどれくらいだと思ってるわけ?」

「ああ、人を待ってて、それで遅れちゃって……その人、結局来なかったんだけど」


 寂しげな表情を見せた彼女に、何か直感のようなものが千葉の脳裏をよぎった。


「もしかして、それは小野村君のことだったり?」

「え、どうしてそれを?」


 どうやら、図星だ。


「まさか、本当に当たってるとは……」


 この二人、やっぱり両想いなわけ?


「……?」


 千葉は不思議そうにしている彼女に首をぶんぶんと振ってごまかす。


「そ、そんなことよりも、早く行きなさいよ。私と話をしてる時間なんてないでしょう?」

「そ、そうなんだけど」


 すると、彼女の視線が床に向き、どこかもじもじとした様子になる。千葉は顎に手を当て怪しんだ。以前から大人しそうな子だとは思っていたが、これは何か言いたいことでもあるのだろうか。


「どうしたのよ?」


 訊ねると、やはりおどおどと答える。


「……私、芦沢さんにどうしても話したいことがあって」

「何? 聞いてあげるから、ほら、早く言いなさい」


 つい、ぶっきらぼうになりながらも、千葉は続きを促す。


「実は、この前のことの、答えが一つ出たの」

「この前の、こと?」

「私が、久美ちゃんにきちんと考えを伝えるっていう話」

「ああ」


 千葉はすぐに合点がいく。ついいましがた、考えていたことだったからだ。


「答えが出たって?」

「うん」


 彼女が胸に手を当てる。


「私はね、私なりの方法で、久美ちゃんに思いを伝えることにしたよ」

「……あなたなりの、方法で?」


 てっきり、有川と腹を割って話す踏ん切りがついたのかと思っていたが、それはどうやら勘違いだったようだ。


「そう。私は、やっぱり臆病だから、久美ちゃんと腰を据えて話し合うのはちょっとまだ無理」

「……」

「でもね、それとは違う方法でも、久美ちゃんに伝えられるって知ったんだ。だからね、それを試してみようと思って」

「ふうん、なるほど」

「どう、かな?」

「それが、あなたの出した答えってことよね」


 別の方法で、か。

 千葉は安心する。

 それがどんなものであるのか、聞く必要はないだろう。彼女が一つ、自身の結論を導き出せたこと、それが聞けただけでも充分な気がしていたのだ。


「いいんじゃないかしら」

「え?」

「あなたが、『選んだ』んでしょ? なら、私はそれでいいと思う」


 この返答にどれほどの意味があるとも、千葉は思っていない。なぜなら、そもそもこれは彼女と有川の問題であって、二人の関係をどうするのかは、彼女が決めることなのだ。

 はっきり言って、千葉が口を出すことではない。


 それに、これからその有川にイタズラを仕掛けようとしている立場であるため、言葉の端に後ろめたさも滲んでいないわけでもない。

 それでも、彼女は丁寧にお辞儀をしてくれる。


「ありがとう」

「い、いいのよ」

「……ねえ、千葉・・ちゃん」

「え、千葉ちゃん?」


 突然呼び名が変わったことに驚く。


「それって、私のこと?」

「うん、そうだけど」


 千葉が驚いたのも無理はない。

 いままで、名前で自分を読んでくれる友人など、家族以外、周りには誰一人いなかったのだ。そのため、まるで彼女がぐっと目の前に寄ってきたようで、胸がどきりとした。


「あれ、いけなかった?」

「え、いや、別に、いいわよ。あなたの好きに呼べば?」


 動揺が態度に現れていたのか、彼女が微笑む。


「ふふ、ありがとう」


 それが妙に気恥ずかしくなり、手持ち無沙汰に千葉は時計を見て、舞台裏の入り口を指差した。


「ほ、ほら、早くいかないと、劇に遅れるわよ!」

「あ、そうだね。うん」


 ようやく行ってくれるのか。

 ほっと胸を撫で下ろす。


「じゃあ、主役、頑張りなさいよ」

「千葉ちゃんも、頑張ってね。それじゃ」


 そう言って、彼女は手を振り、駆け出す。と、あることを思い出し、千葉は呼び止めた。


「須藤さん!」


 大事なことを言い忘れていた。


「え?」

「小野村君、劇を見に来るわよ!」

「本当?」


 すると、ふっと彼女の顔が安堵に緩んだ。それはまるで、真冬に咲いた向日葵のようで、彼女の周囲に穏やかな陽光が差し込んだかのようだった。

 千葉は笑顔で頷く。

 堂野との約束では、彼が来ることは彼女に知らせてはならないのだが、これくらいならいいだろう。


「ええ、だから、思う存分演技に集中しなさい」

「は、はい!」


 緊張と喜びの入り混じった顔で頭を下げ、彼女は舞台裏に駆けて行くのを千葉は見送った。

 これで、万事オーケーね。

 上演開始のベルが鳴ったのは、それからすぐのことだった。

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