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第十話 交錯の思いにアンダーライン 3

「おい、こっちこっち。はやくしろって」

「急かすなよ。今行くから」

「ここが、体育館の裏口か?」


 か細いライトの明かりが揺れながら草むらの終わりを照らしていた。

 隣の堂野が周囲を警戒するように首を巡らす。薫は山下が持っているライトの明かりを頼りに建物の手前、コンクリートの地面の上に立った。とりあえず、ここまでくれば誰かに見つかることはないだろう。

 薫は入り口のドアを見て、ようやくほっと安堵する。


 泉田中学校の校舎の南、体育館の背後の雑木林に、薫たちは北の校門側から回り込んでいた。

 通常であれば、わざわざ裏口ではなく、正面の玄関から入るのだろうが、今回は状況が状況なだけに安全策を取ることにしたのだ。というのも、もしも有川が正面玄関で見張っていれば、薫たちと鉢合わせということになり、全ての計画が丸つぶれになってしまいかねない。

 多忙な有川が会場の正面玄関で見張るほど余裕があるとは思えないが、万が一、もしものことがある。

 念には念を。

 亮介は鋭い目つきでそう言っていた。彼は一度気を張ると瑣末なことでも注意を怠らない。


「中では今頃、席が客で埋まってるんだろうな」


 薫は館内を想像しながら呟いた。

 きっと有川は今頃会場となっているこの体育館内部で部員たちに最後の打ち合わせを行っているのだろう。

 計画では、薫たちはここでしばらく演劇が開始するまで待った後、演劇部員たちによって中に入れてもらえる手筈になっている。それまで、少し寒いがここで待機していければならなかった。


 薫はようやく着替えた服で、襟元を寄せながら、ドアの脇に座り込んだ。体の放熱を少しでも防ぐには、小さくなることが一番であると思われたが、大して意味があるように感じなかった。足首の辺りがすうすうするのだ。それだけでも、背筋の辺りぞくぞくとしてしまい、寒気が体中に伝播する。


 うす明かりの中で堂野が歩いてきたのが分かった。薫の隣で、壁に寄りかかる。

 しばらくして、彼が訊いた。


「声の調子は、大丈夫か?」

「……ああ。申し分ないよ。当分使ってなかったけど、問題はないと思う」


 薫は喉の辺りを摩りながら答える。


「そうか、文化祭の時みたいなことになってしまうと、と心配したんだが。なにしろ、今回は誰も助けられないからな」

「亮介、任せとけって。前みたいに調子が悪ければ気付くから」


 苦笑いしながら、薫は友人に親指を立てた。

 だが、正直笑い事ではない。文化祭本番で背筋に悪寒の走った失敗を薫は今でもはっきりと覚えている。

 声真似の力を使いすぎ、喉に負担をかけていたことに気付かないまま本番を向かえ、クライマックスのシーンで声が出なくなってしまったのだ。

 あの時は機転を利かせた堂野によって、君恵が代わりに声を出してくれたが、それがなければ劇は大失敗に終わっていただろう。


 すると、ライトの紐をくるくるといじっていた山下が屈みこんだ。


「試しに何か真似をしてみたらどうだ? この作戦じゃ、薫のその力が重要なんだからよ」


 言われて、薫は山下を一瞥し、


「試しに何か真似をしてみたらどうだ? この作戦じゃ、薫のその力が重要なんだからよ」


 と全く同じ声で鸚鵡返しをしてやった。

 すると山下が顔をしかめ、堂野が笑った。


「その様子だったら心配はないな。本番は一発勝負だ。台詞を噛まないようにだけ、気をつけてくれ」

「了解だよ。これでも一度は舞台を経験してる。本番の緊張には少しは慣れてるつもりだ」


 堂野が信頼の眼差しで薫の肩をぽんと叩いたのに対し、山下はまねされたことが不快だったのか、ライトの紐いじりに戻っていた。


 クリスマスイブの夜は音もなく静かだが、確実に、ずんずんと深まっていく。

 こんな場所にいても、今頃、人々は浮かれ気分の只中にいるのだろうと想像すると、不思議と心が浮き足立つ思いだった。

 そして、意識もせずに彼女の表情が思い浮かぶ。


「須藤さん……」


 彼女は今、劇の準備をしているのだろうか。幕が上がるのを、今か今かと待っているだろうか。

 作戦の本番を待つ緊張と、彼女を思う気持ちが同時に胸に押し寄せ、心臓が強く拍動していた。


 今度こそ、絶対に、彼女に思いを打ち明けるのだ。薫はそう決意している。


 文化祭の後のような、不甲斐ない結果になるなど、もう嫌だった。そう、友人の期待にこたえるためにも、自分はやり遂げなくてはならない。

 それを思い出して薫は顔を上げる。


「亮介、ありがとうな」


 短くも、心のこもった感謝の言葉だった。


「何がだ?」

「今回の作戦。ラストシーンを書き換えるとき、わざわざ俺にチャンスをくれたんだろ?」

「……さあ、何のことやら。たまたま思いついた話がそうなっただけだ」

「嘘つけ、それで俺が出てくる必要はないだろう?」

「だから偶然だよ」


 あくまでしらを切る親友に、薫はもうこれ以上追及しないことにした。しつこい追求は野暮というものだ。胸の内でまたもう一度だけ感謝を告げ、制服の下に隠し持ったプレゼントをぎゅっと力を込めて掴む。


「薫」


 すると、短く、彼が呼ぶ。


「どうした?」

「人を喜ばせたいって思う気持ちは、どんな感じだ?」

「人を喜ばせる?」


 薫は首を傾げる。堂野は薫が懐に抱えている君恵へのプレゼントを見ていた。


「演劇だって一緒だろ。人を喜ばせたい。人を感動させたい。自分の思いを伝える場なんだって、有川は言っていた」

「へえ、そうなんだ」


 彼女がそんなことを語る場面など、薫には想像がつかなくて、感心するようにため息をついた。

 彼女と亮介は放課後によく話をしていたようだが、劇について語り合うほどだったとは、意外だった。

 堂野は目を細めて闇を睨む。


「俺はこの作戦を単なる嫌がらせなんかにはしたくない。彼女に俺の思いを理解してもらうための手段にしたいんだ」


 そう語る親友の表情は薄暗がりでよく確認できないが、どうも薄っすら赤みが増している気がした。


「でも、そんなこと、俺は自分からしたことないから、不安で。薫に気持ちを伝えるってどういうことか、聞きたくてさ」


 ふーん、と薫はなぜか妙に嬉しくなる気持ちを抑えながら、現時点での答えを返す。


「別に、不安でいいんじゃないか?」

「え?」


 すると、驚きで彼は呆気にとられたようだ。あまり見せない意表を衝かれた顔で、口を開けている。


「いいって?」


 聞かれて、薫は彼女へのプレゼントを選ぶときのあのどうしようもない、馬鹿みたいに空回りをする気持ちを思い出す。

 それはどこか、からだの芯を温める暖炉の火のようで、それでいて何度も同じ道を行きつ戻りつする迷子の気持ちだった。掴みようがなくて、うざったい、ふわふわふらふらした綱渡り師の心地を、薫は感じている。

 

 でも、それは今の自分に欠かすことのできない、宝物であることに気がついていた。


「俺も偉そうに言えないけど、堂野の中にある大事な気持ちは、きっと大事になればなるほど、言い辛いものなんだよ。だから、苦しくなる。上手く伝えられるか不安で、困る。でもさ、俺はそれで良いと思う」

「それで、いいのか?」

「ああ、きっとその気持ちに慣れてしまうよりも、うだうだしたり、怖くなったり、迷ってる自分を感じてる方が、その分、相手のことを強く思える気がするんだ。おそらくそれって、嘘偽りのない、裸のまんまの自分だから、大丈夫。それで一番上手くいくと思う」

「薫……分かったよ」


 堂野は満足そうに頷く。


「そうか、そういうもの、なんだよな」

「だと、思うよ」


 すると、彼は気合を入れるように、一度だけ両手をぱちんと合わせてこう言った。


「よし、薫は須藤さん。俺は有川だ。それぞれの方法でぶつかるぞ。充分、ベストを尽くそう!」

「ああ!」


 薫はにやにやしながら、立ち上がり、同じくにやにやした彼の拳と拳をつき合わせる。

 背後の扉がノックされ、静かに開いた。

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