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第十話 交錯の思いにアンダーライン 2

「あ、やっと戻ってきたわね!」


 奥山紗江は、音響室に入ってきた少年を険しい目で睨みつけた。


「さっきから会場にいないと思ったらどこに行ってたのよ!」

「……ああ、悪い悪い。ちょっと捕まっててさ」


 その少年、馬場浩太はドアそ閉めつつ、うそ臭い半笑いで返す。


「捕まってた?」

「そ、そう、こっちの学校で知り合いを見つけてさ。話し込んでたんだよ」

「もしかして、今までずっと?」

「ああ、うん。それが、話の長い奴でさあ……」


 おそらくずっと外にいただろう。彼は寒そうにポケットに手を突っ込み、大きな肩を縮ませていた。

 それを見て、紗江は呆れる。

 まったく、大事なときだというのに、この男ときたら。


「話なら劇が終わった後でもできるじゃない!」


 そう一喝してからふんとそっぽを向いた。

 彼が持つ底なしに能天気な気質は、いつでも紗江を不機嫌にさせる。糸の切れた凧ではないのだから、もう少し、背筋を伸ばしてちゃんと生きるべきだろうと思うのだ。

 でなければ、いつか必ず、取り返しのつかない大失敗をしてしまうに違いない。


 紗江はそれを昔から肝に銘じて生きてきた。浮ついた行動や軽はずみな発言をせず、自分のすることに全て責任を負う。それくらい普段から自身を省み、律しなければ、思わぬところで道を踏み外してしまいかねない。

 特に、彼のように三歩歩けば道をはずれ、あっちへふらふらこっちへふらふらしているようでは、先が思いやられるのだ。こんな調子では将来ろくな大人にならないだろう。

 だからこそ、ダメダメな彼に、紗江は注意をしたくなる。


「だいたい、そんな暇があるなら台本を読み直して道具の出し入れのタイミングをもう一度覚えなおしなさいよ! あんただけよ、有川部長から十回以上も注意されたのは」

「ああ、そうだっけか? まあ、ぶらついてたのは謝るよ」


 浩太は罪悪感の感じられない軽い口調である。


「何よ、その投げやりな謝罪は」

「それより、部長はいないのか?」


 彼の視線が狭い室内を見渡す。そこは、舞台裏の階段を上り、短い通路の先に設けてある機材室だ。体育館内をぐるりと回るキャットウォークに繋がっており、舞台を真横上方から見ることが出来る。

 大抵、この音響室に入るのはナレーション役の有川と紗江くらいで、後の部員は真下の舞台裏で待機しているのだが、そこにいるはずの有川の姿はない。


「それが、さっきからどこかに行っちゃったみたいなのよ」


 それを聞いて浩太は何か逡巡したようで、目を泳がせる。


「……そうか、戻ってこないのか」

「あんた、何か知ってるの?」


 すると、彼は図星を衝かれたように、口元を引きつらせた。


「いや、べ、別に知らないって。俺は友達とずっと話してたし」


 不審な挙動に何かよからぬ隠し事の気配を紗江は感じないでもなかったが、


「そう、まあいいわ」


 とりあえずそのまま流した。

 劇が終わったらとっちめてやればいいし。そう考えたのだ。


「今はそれより、劇の準備にぬかりがないかどうかチェックしておいて。失敗なんてしたら許さないんだから」

「ああ」

「じゃあ、早く行って」

「う、うん」


 しかし、浩太は返事をした後、その場に立ったまま、動かない。きっと遠くから見れば間抜けな顔をした銅像のようだろう。


 こいつ、ちゃんと話を聞いているの?

 注意をしようと再び口を開く。


「馬場く――」


 しかし、それは彼も同時だった。


「あのな、奥山」

「……な、なによ」

「お前は、どう思う? 部長のこと」

「どう思うって……」


 思わず、言葉を失う。


「正直な気持ちが知りたいんだ」


 いったいどういうつもりなのか。

 紗江は戸惑う。彼が今までこんな質問の仕方をしてきたことはなかった。

 しかし、とても真剣な瞳に、微動だにしない体はただならぬ気迫を伝えてくる。

 単なる冗談ではないと感じつつ、紗江は精一杯嫌味に聞こえるように答えを返した。


「……馬場君の数千倍は頼りになる、尊敬すべき先輩よ」


 が、こう言ったにも関わらず、浩太は表情を崩さなかった。


「それは、今でも変わらないのか?」


 確認するようにゆっくりと、彼は訊ねる。


「さっきから、何が言いたいの?」

「こう言っちゃあなんだが、今の部長がみんなからよく見られてないのは知ってるだろ?」

「……!」

「その部長の一番近くにいるお前は、今回のことをどう思ってるのかと気になってさ」


 あまりにもストレートな彼の言葉に紗江は返答に窮する。

 もちろん、彼が言うように今の部の空気が悪いことは充分に理解していた。部長の有川の様子が強硬なものに変わり、それまでの厳しくも平和だった演劇部が、今や独裁国家の相貌を呈している。

 その変貌ぶりに、部員たちが不平を言わないはずがないのである。

 しかし、それを理解したうえで、紗江は毅然としたまま答えた。


「わたしは……部長のことだから、きちんとした考えがあってのことだと思うわ。だから、別に普段通りに接してるわよ」

「……無理、してないか?」

「何で?」

「奥山は、部長が間違ってるって思ったことはないのか?」


 ついに核心に触れる問いかけが浩太の口から出た。紗江は彼を見つめ返す。

 重苦しい沈黙。そして、ややあって、紗江はふうっと息を吐き出すように言った。


「……さあね」


 これには不思議そうにして、彼は眉をひそめる。


「おい、さあって……」

「私が思っているのは、有川部長なら、多少失敗したからって、そう簡単にへこたれる人じゃないってこと。たとえ、今は周りから嫌な目で見られてても、後からきちんと理解し合えると思うわ」


 これには意外だったのか、浩太は視線を外さないまま、ぽかんと口を開ける。


「何よ、その目は」

「……いや、奥山は立派だなって思って」

「馬場君の数千倍はね」


 彼を小ばかにするように笑ってやった。


「でも、馬場君にしてはずいぶん真面目な質問をしてきたわね」


 すると、浩太は恥ずかしそうに鼻の頭を掻く。


「いや、ある人の言葉を聞いてさ。今回の事に関して、俺は少々無関心、いや、避け過ぎたのかもしれないって思ってさ。考え直してみたんだ」


 そこで一度、自身に納得するように頷き、


「それでもしかすると、奥山が部長と部員の皆との間で、板ばさみになってるのかもしれないって思ったりしたんだけど。どうやら杞憂だったみたいだな」


 白い歯を見せてへらへらと笑う。


 しかし、聞いた紗江は内心で驚いていた。彼が言ったことは間違いなく真実だったからである。

 有川の態度が独裁的なものになってからというもの、正直、その真下にいる紗江は周りからの攻撃を受けていた。直接的な攻撃はないものの、部員達から忌避の眼差しで見られていることを自覚している。それはまるで目に見えない棘の柵に囲まれたような感じで、決して気持ちのいいものではない。

 彼はそれに近いことを察し、心配してくれていたらしい。


『馬場君のくせに、まるっきりダメダメの能無しってわけじゃないのね』


 紗江は自分を気遣ってくれた彼のことを胸中で感謝しつつ、


「ふん、あんたは人の心配より、自分の心配をしなさいよ。ほら、さっさと準備を始める!」


 と指でドアの向こうを指す。


「へいへい、ったく、本当に俺の周りにはおっかない女ばっかだなあ」

「何か言った? 馬場君」

「い、いえ、何も。滅相もございません」


 そして、まるで尻を叩かれたように出口に小走りに向かう彼を見て、紗江は思わず、笑みがこぼれてしまう。


「ふふふ、ばーか」


 彼の足音が部屋から遠ざかっていった。

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