第十話 交錯の思いにアンダーライン 1
凍てつく冬の道を苛立ちまぎれに歩きながら、有川久美ははっと左右を見渡した。
いったいあれからどのくらいの時間が経ったのだろう。気がつけば坂道を下り、耳障りなほど騒がしい街の雑踏の中に、紛れこんでいたらしい。
久美は舌打ちをする。私としたことが、感情を抑えられないままに、こんな場所まで来てしまったの?
歩行者用の青い信号が点滅を始め、それにあわせるように、目の前に先ほど言い合いをした堂野亮介の表情が、浮かんでは消える。
私が間違っていると言った彼。本当の私は違うと言った彼。
久美は俯いたまま歩いていく。
そんなこと、出来るわけないじゃない。
「……出来るわけ、ないじゃない」
思わず、声に出ていた。驚いて、立ち止まる。
無意識に言葉が漏れてしまうほどに、私は動揺しているというの? 迷いが、生じ始めているの?
なんで。どうして。
混乱の兆しが、まるでドミノ倒しのように押し寄せる。
今までの久美の経験では、こんなことは一度もなかった。
いつでも誰に対しても冷静で、城を攻め落とすがごとくまくしたて、自分のペースに乗せるのが上手かった。そして弱点を見せた相手をここぞとばかりに攻撃し、自分の思うがままに場を操る。
それが、今回は上手くいかなかった。
自分は、女々しくもあの場所から逃げたのだ。あの、堂野亮介から。
こんなことって、屈辱だわ。
いつもは自分の企てのために、そこに向かう道筋を速やかに見つけ出し、邪魔になるものを片っ端から排除する。そのためには、多少強引な手も使う。なにより、行動をしている自分には迷いがないし、目的のためだと思えば、雑多な感情などないがしろにできた。
それが、自分。
満足な結果を得るために、全てを自分で操作する。
なのに、なんなのよ。
このどうにもならない気持ちは。
人ごみでごった返した交差点を横断歩道で渡って、学校の方へ方向転換をした。余計なことでタイムロスをしてしまったために、早急に学校に戻らなくてはいけない。
足を運ぶ速度が上がる。ふいに大きなプレゼントの箱を持った人とぶつかりそうになり、咄嗟に避けると、道の脇、小さなくぼみに足を取られ、電柱にぶつかりそうになった。
何、してるのかしら。
皆を驚かせてやろうと思っていた。
私が、私が全てをやって、完璧に作り上げて、その上で、皆をあっと驚かせてやろうと思っていた。
大きなホールでの演劇なんて、私たちみたいなところの学校じゃ、中々出来ないのよ。
そして、なによりも。
久美はあの老人に、自分の演劇を認めてもらいたかった。
『君が部長になった演劇部の舞台を間近で見てみたい』
そう生まれて初めて言ってくれた、あの老人に。
だから、そのためには、久美の指示で全員の足並みをそろえてもらう必要があった。邪魔な意思を排除する必要があった。全てが上手くいくようにあらゆる手段を講じる必要があった。
それが、やり過ぎですって。
感謝されて当然のことをしたのに。
私の気持ちも知らないくせして。
しかし、久美は驚いていることがあった。
余裕がないって、ばれてた。私でも、気がついていないことだった。
「どうして……?」
すると、久美には今までの敵意に満ちた感情が消えていくようだった。代わりに、不可思議なぬくもりが胸に宿るのが分かる。
私が優しいって、そんなこと言われたの、初めて。
堂野君は、私のことを……。
しかし、久美は即座に首を振る。
「こんなことで、迷っててどうするのよ。本番は待ってくれないわ」
そうだ。今自分がするべきことは、どうすることも出来ない過去の出来事をうじうじと悩むことではない。
劇の開幕まではもはや、寄り道の時間は残されていなかった。今頃、舞台では自分の姿が見えないことで混乱が広がっているだろう。
急がなければ。
久美の足が駆け足になった。