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第九話 癒しの歌声にアンダーライン 2

「あの、変なことですけど、聞いて貰いたいことがあるんです」

「おや、何かな?」

「私の友達のことなんです」

「なるほど、君の……」


 老人は目を細めて、それに当てはまる人物に即座に察しをつけた。話の流れから考えて、子供にでも出来る推測だ。

 友達、か。

 その人物にはあえて言及せず、老人は続けた。


「そのご友人がどうかしたのかね」


 聞いてもらえると安心したのか、彼女は膝を抱えてほっと息を吐く。


「ええ。その子のことなんですけど、性格にちょっと強引なとこがあって、周りに敵を作ってしまい易いタイプというか、怖がられてて」

「ほお」

「あ、でも私との間ではそんなことはないんですよ。対等の友達として付き合ってるんです。根は悪い人じゃないから」

「ふむ、そうだな。君のような子の友達なのだ、悪い人間とは思えない」


 すると、彼女は寂しげに目を伏せる。


「でも、最近彼女、どうにも変で、何か皆に隠しているみたいなんです。自分だけで何でもやろうとして、頑張りすぎているようで、それで、そう、そう思うんです。それが片や、周りから見ると、露骨に嫌がらせをされているみたいで。彼女、皆から孤立していて……」


 混乱しながら話しているのか、少女の言葉はどうにもぎこちない。脳内の迷路をぐるぐると巡っているような話し方だ。

 だが、老人には一つだけ明確に分かることがある。


「君は、彼女を助けたいと思っているのかな?」

「え?」

「そういうことなのだろう?」


 問われて、彼女が小さく、自信なさげに頷く。

 つまり、少なくとも意思はあるということだ。

 しかしそれならば、解決策はいくらでもあるはずで、彼女が自分にわざわざ相談を持ちかける理由はないと思われる。老人は原因を推量した。

 ということは、問題の解決に向かう途中で、行き詰まったということか。


「それが上手くいかないのかな?」


 すると、案の定彼女は頷いた。


「はい。他の友達からアドバイスされて、直接話をしろって。でも、今の私には彼女を説得できる自信がなくて。私の気持ちがきちんと伝わるのかどうか。不安で」


 なるほど。

 老人は鼻の頭を擦った。

 彼も長き人生で幾度も経験していることではあるが、人間関係というものはつくづく厄介なものである。きっと彼女は友人との関係に亀裂を入れたくないばかりにしり込みし、ジレンマの渦中にいるのだろう。

 何か得ようと前進すれば、その何かを失うかもしれない。

 進めば後戻りできない恐怖の前で立ちすくみ、右往左往してしまう迷子の気持ちだ。生きていれば誰もが経験するであろう苦しみで、そして、そこからは容易に逃げられない。


 しかし、これは同時に喜ばしいとも言える。彼女にこれほど心配されているという『友人』は本当に恵まれているのだ。

 放っておいてもじきに解決の日は訪れるだろうが、せっかく彼女が自分に期待をしてくれているのだ。それに応えないというのは、老人の流儀に反した。

 さて、この思春期の少女に、この老いぼれが与えるべき助言を、どれ、探してみるか。

 額に皺を寄せ、さらに指で摘む。

 何か、名案は……。


「……して、わしの勝手な推測だが、そのお友達はこの劇場に来る、来ているのではないのかな?」


 あくまで自然にそう訊ねる。


「あ、はい。そうです」


 やはりな。老人は微笑んだ。


「だとすれば、一つ良い方法がある。わしから君に教えてやれると思うよ」

「本当ですか?」


 少女の目に希望の光が灯った。


「それは、何ですか?」

「君が彼女のことをどう思っておるかを、言葉ではなく、演技で表せばいいのではないかな?」

「え?」


 面食らった彼女の肩から、コートがずるりと落ちる。

 老人には彼女の気持ちは分からないでもない。そんな回りくどいことをする人間など、この世界にそういるとは思えない。

 だが、彼女が直接的な交渉に自信がないというのであれば、これも一つの案だ。


「友達ならば、当然主役である君の演技に注目するはずだ。ならば、物語に出てくる歌姫の力を借りて、彼女に他人への思いやりを思い出させてあげればいい」

「思い出させる、ですか?」

「そうだ。この歌姫の歌には人を癒す力があるのだろう? 君の気持ちが歌に宿ってそのご友人に届くかもしれないぞ」


 まるで、半分夢を見ているような焦点の合わない瞳で、彼女は繰り返す。


「私の、気持ちが、歌に宿って……」


 老人はつづけた。


「演劇の本質とはそういうものであるのだと、私は思うよ」

「……」

「自らの想いを、自らの考えを、余す事無くその身を持って表現する。何よりも、誰かにそれを伝えるために、共感を抱かせるために」


 老人の弾んだ声は自身が感じる以上に若々しく響いている。


「あふれ出しそうな幸福を、爆発しそうな怒りを、流されそうな悲しみを、朝の湖のような静けさを、氷壁のような冷酷さを。役者はその演技をもって、はじけ飛ぶ想像の火花を体で具現化する。台詞も動きも音楽も、感じる全てはメッセージだ」


 少女の顔が老人と共に夜空の向こうを見つめた。そこに広がる遠い宇宙はどこまでも際限なく広がっていて、それが芸術の持つ無限性とリンクしているようだった。


「そして、それを見て、観客たちは何かを思うはずだ。自らに何が出来るのかを、何をすべきなのかを。何を重んじ、何を捨て、何を愛し、何を憎むかを。これが完成していない演劇、それは断じて演劇ではない。ただの独りよがりな道化の真似事に過ぎん」

「……」


 老人はそこですっと息を吸う。


「だから、君が友人に何かを伝えたいのならば、その一つの方法として演劇を用いることは、何も不自然なことではない。いや、むしろ、それこそが演劇だと断言してもいい」

「は、はあ」

「ハハ、少し熱っぽ過ぎる台詞だったかな」


 唐突な演説に気圧されたのか、少女はぐったりとしたように頷いている。これには、やりすぎてしまったたかと老人も苦笑してしまった。軽く咳払いをする。


「……さて、老体に冬の寒さはちと厳しすぎる。そろそろお邪魔させていただくことにするよ」


 そして、頃合いを見計らい、腰を上げると体育館へのドアを開いた。


「あ……」

「それではな、本番での君の演技、楽しみにしているよ」

「あ、ありがとうございます」


 半身を屋内に入れながら立ち上がってお辞儀をした少女を振り返る。


「礼には及ばん。待ち人が早く来ればよいな」

「はい……そうですね」

「それから、そのご友人には、よろしく言っておいてくれ」

「あ、はい……」

「ふふ、青春とは、げに美しきこと、かな」


 老人は不思議そうな顔をした彼女に気がつかれないように呟いて、そのままドアを閉めた。

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