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第八話 逆転のシナリオにアンダーライン 4

「あ、芦沢さん?」


 どうして?


「あなたたち、こんな場所にいたのね。街に居なかったから結構探し回ったのよ」


 彼女は手を後ろで組み、不敵な笑みを浮かべ、公園の中央に歩み寄る。そして、大きく円形に囲まれたレンガの土留めの上に座った。

 そこには暗闇でよく見えないが、見上げるほど大きな針葉樹が植えてある。


「どうして、芦沢さんが俺たちを探すんだ?」


 薫には理由が見当たらない。


「それは少し事情があるの。さっき堂野が言っていたように、私達吹奏楽部も演劇部からは多大なる迷惑を被ったわ」

「それは知ってる。でも、迷惑を被る前にどうして今回の劇の演奏を断わらなかったの?」


 すると、芦沢は苦労を溜め込んだかのようなため息を吐く。


「もちろん突然劇のBGMの演奏をしてくれなんて、最初は門前払いにしてやろうかと思ったわ。けれど、彼女も考えたわね。後輩の奥山さんに話を持ってこさせて、もし私が承諾しなければ、彼女はこっぴどく有川さんに叱られてしまうってわけよ」

「有川さんは、芦沢さんの情けに賭けようとしたってこと?」


 彼女に情けがあるように思えないけど。そう心中でこっそり思った薫だったが、芦沢にはすっかり見透かされたようだった。眉間に皺を寄せ、じとりと見つめてくる。


「小野村君、今、失礼なことを思ったでしょう?」

「いや、そうじゃなくて」


 気まずさに目を泳がせて言う。 


「そうじゃないってどういうことよ」

「ええと、ハハ……」


 芦沢は肩にかかった髪を払い除けて、公園のブランコの方を見る。


「わ、わたしだって、鬼じゃないのよ。あの子、有川さんに気に入られようと必死だったから、私が声を荒げて、すっかり肩落としちゃって、それで、ちょっと気の毒になって。言い過ぎたかなと。それで引き受けたのよ」

「ちょー意外だな」


 山下が面白がるように目を丸くした。


「ち、超意外で悪かったわね!」


 彼女は恥ずかしいのか、殴りかかるように山下に向かって腕を振り上げる。しかし、それは威嚇のようなもので、本気ではない。山下が「ひぃ」と、みっともない悲鳴を上げるとすぐに拳を下ろした。

 堂野が先を促した。


「それで?」

「まあ、そんなこんなで引き受けた仕事だから、最後まで全うするつもりだけれど……」


 彼女はそこで一度、言葉を止めて、


「でも、そんな無茶な仕事を押し付けてきた有川さんへの私の個人的な怒りが消えているわけじゃないわ。彼女には、それ相応の仕返しをしたいと思っているわけよ」

「……芦沢さんの仕返しか。有川ほどではないが、ただならぬ恐怖を感じるな」


 薫は後頭部辺りにひりひりとした痛みを感じた。彼女が吹奏楽部でとても恐れられている存在であることは以前から知っている。


「それで、あなた達に協力してもらいたたかったわけ」

「なるほどね」

「おう、あの芦沢がこんなやる気になるとはな。いいぜ、協力してやる」


 山下は自信満々にぽんと胸を叩くが、間髪入れず、芦沢に言い返される。


「残念だけど、山下君には期待していないわ。せめて作戦を邪魔しないように、可能な限りかしましい口を塞いでおいて」

「な、なんだよ、釣れねえな」


 勢いを削がれた彼は足元のゴミを蹴飛ばして、不満そうに言った。

 そんな彼はさておき、


「でも、芦沢さん本気なの?」


 薫は彼女に問いかけた。

 もちろん、彼女の考えていることは理解できる。同じ部を統括する部長という立場でありながら、有川はそれを蔑ろにした上で、指示に従えと、間接的に命令をしてきたのだ。彼女が激怒するのは最もなこと。

 しかし、「仕返しをする」という表現が出たのに薫は驚いた。なぜなら、その言葉の裏には如何ともしがたい、暗いじとじととした陰湿性が付随している。正々堂々というイメージのある芦沢と大きく食い違うものだったのだ。薫はそれが彼女の流儀に反している、と思ったのである。

 けれど、芦沢は即答した。


「本気よ。当たり前じゃない。小野村君は、悔しくないの? こんな風に有川さんに利用されるだけされて」


 芯のある声に圧迫され、薫は首を振る。


「そ、そりゃあ、悔しくないなんてことは、ないけどさ」

「だったら、男らしく頷きなさい。ちゃんと胸張って、有川さんにがつんと言ってやればいいのよ」

「う、うん」


 反対にがつんと言い返されそうだが、頷いた。

 すると、芦沢は土留めの上から立ち上がり、ベンチの方へ歩いてくる。そして、腰に手を当て、薫の顔を覗き込むとこう言った。


「それに、あの子に言いたいことがあるんでしょ」

「あ、あの子?」

「須藤さんに決まってるじゃない。好きなんでしょ?」


 目が点になり、呆然と、腕が垂れた。


「……芦沢さんも知ってたの?」

「当たり前じゃない」


 そのあまりにもあっけらかんとした様子に、もしかすると、この辺り一帯の一般常識なのだろうかと錯覚しそうになる。


「ちなみに、誰から聞いたの?」


 なんとか気を持ち直すと、薫は切迫した危機感を感じつつ、訊いた。この情報がどこから漏れているのか、その詳細を掴み、迅速に封じ込まなければ、遅かれ早かれ君恵の耳にも届いてしまうことだろうう。そうなれば大問題だ。

 しかし、彼女はそ知らぬ素振りである。


「それじゃあ、情報を渡しましょう」

「あのう、質問、したんだけど」

「さあ、出番よ」


 彼女は右を向いて、人を呼んだ。目を向けると、再び公園の外の闇の中から、体つきのいい少年がのそのそと歩いてくる。


「演劇部の馬場じゃないか。どうしたんだ?」

「どうしたもこうしたも、芦沢さんに呼び出されまして」


 頭を掻きながら、馬場少年は体格に似合わぬおどおどっぷりで芦沢の後ろに立った。


「お前、泉田中学校に居なくていいのか?」

「山下先輩、よくぞ心配してくれました。そう、僕はこんな場所にいるべきではない!」

「ごもっともだけれど、私はあなたに用があるの」


 有無を言わせない芦沢の淡然とした口調に抵抗の意思もなく、馬場はすぐさま降参する。


「はい、僕が間違っていました」

「じゃあ、劇の台本を出しなさい」

「こちらにございます」


 すると、彼は着ていたブレザーの懐から、冊子を取り出す。その表紙に銘打たれた題名は当然、見覚えのあるものだった。


「……聖夜の歌姫……」


 薫がつぶやく。


「堂野君、これが情報よ」


 ほら、と芦沢は彼に手渡した。


「俺にどうしろと?」

「あなた、本をよく読むそうね」

「まあ、それなりに」

「一ヶ月に三十冊とか、一日に一冊の計算ね」


 すると、肩をすくめ、堂野はうんざりするように首を振る。


「それはまた妙なゴシップだな。別に毎日一冊、規則正しく読んでいるわけじゃない」

「うん? それはどういうこと?」

「調子がよければ二、三冊は読める時だってある」

「……」


 あまりのことに一瞬場が硬直するが、芦沢が気を取り直すように咳を一つしてからつづけた。


「まあ、それだけの本を読破しているのなら、物語を書くことぐらい、お手の物よね?」


 彼女の強い眼光がぶれることなく堂野に向けられ、何かを理解したかのように彼はぺろりと舌を出した。


「……つまり、劇の台本を書き換えろと?」

「ええ、結末を書き換えて欲しいの。彼女が驚くようなものにね」


 事も無げに彼女は言う。


「まさかそれで仕返しをするのか?」

「そうよ。面白いでしょう?」


 なんだそれは、と山下が首を傾げた。


「回りくどい話だな。単純に劇の進行を邪魔する、なんていうのじゃ悪いのか?」


 すると、彼女は不機嫌に眉を吊り上げた。彼を威嚇するように荒々しく腕組みをし、睨みつける。


「いかにも無鉄砲な山下君が考えそうな駄案ね。あなた理解してる? 今回はボランティア演劇をやっているのよ。お客さんにまで不快な思いをさせるわけにはいかないし、そんなことをすれば単なる謝罪だけじゃすまないと思うわよ」

「芦沢さんの言う通りだ。申し訳ないが、山下は作戦に口出ししないでくれ」


 堂野からも強めに釘を刺され、彼はしゅんとベンチに座り込む。そのまま、べたりと前屈したと思うと不貞腐れて寝た振りを始めた。当然のことながら薫たちはそんな彼に突っ込みを入れるような愚かなマネはしない。


「演劇馬鹿で、完ぺき主義の有川さんが一番ショックなのは、自分が作り上げた劇が思い描く筋書きとは違う方向に進んでしまうことよ」

「確かにその通りだな。単なる嫌がらせじゃあ、彼女は屁にも思わないだろう」

「だからこそ、堂野君に劇の内容を書き換えてほしい。もちろんめちゃくちゃ話にするんじゃなく、新しい結末を用意して欲しいの。皆があっと驚くような、ね」

「うん、それは了解だ」


 しかし、と堂野は顎に手を当てる。


「それを書いたとして、どうやって本番で実行するんだ?」


 すると、ご心配なくと彼女は背後を振り返る。


「それは、この馬場君を通じて、部長と奥山さん以外の人間には伝えておくわ。事前に伝え聞いた話では、演劇部内の人間も、今の有川さんにいい感情を持ってない。仕返しになると思ったら彼らも力を貸してくれると見て間違いないわ。でしょ? 馬場君」


 すると、彼は半ば肯定を強要されたかのようにしきりに頷く。


「ああ、はい。今回はみんな部長の指示に従うのを本心では嫌がっていたようです」

「なら問題ないわね。でもそれはつまり、馬場君は責任重大であることを示すわ。失敗なんてしたら、有川さんから何をされるかしらね」


 芦沢の言葉に馬場はまるで死の宣告をされた病院のように一気に表情が青ざめ、胸の前で手を組んだ。 


「嗚呼、神様。僕は明日の朝陽をこの目で拝むことができるのでしょうか、どうか哀れな子羊をこの不可避の窮地からお救いください。アーメン」

「ふふふ、そんなに心配しなくても大丈夫。全ての責任は私がとるつもりよ。失敗しても、私がきちんと彼女に説明するわ。これは私の個人的な恨みだもの」


 しかし、そこで、薫の真横ですぐさま反応した少年がいた。彼は台本を掌に打ち付けると、短くも鋭い、逆接の一言を放った。


「いや」

「何? 堂野君」

「責任は俺に取らせてくれ」


 彼女は戸惑いで眉をへの字に曲げた。薫も同じ気持ちで凛然たる面持ちの彼を見上げる。まさか、恰好つけようとしているのか、とも思ったが、彼の引き締まった頬には余裕ぶった気配はない。

 断固たる意思に基づいて、彼は全てを引き受けようと提案しているのだ。


「な、何でよ。この作戦は私が提案したのよ」

「そうだ。でも、芦沢さん。君は吹奏楽部の部長だ。君が責任を取ることを厭わなくても、そのことで、吹奏楽部に悪影響が生じる可能性がある。仕返しを怒った有川は何をするか分からないぞ」

「でも、堂野君が?」


 彼は自身の胸に手を当てながら話す。


「俺は帰宅部だし、別に失うものも特にないと思う。それに……」

「それに、何だ?」


 いても立ってもいられず、薫が訊いた。彼が何を思って、何のためにそうするのか、真相を知りたかった。今の自信を喪失した薫にはとてもそんなマネは出来ない。

 しかも、あの有川だぞ。

 それをいとも容易く口にする理由は、いったい。


 堂野は薫と目を合わせると、おもむろに口を開く。


「何より、有川のためを思ってのことだ」

「有川の、ために?」

「そうだ、彼女は本当はこんなことをする人間じゃない。今回の劇だって、何より演劇部のためにやってきたんだ。そして、それを少しやり過ぎた、ただそれだけだ。俺は彼女に間違っていたことを教えてやりたいと思う。いつもの彼女が一番いいと思うから、正しい方向へ体を向けてやりたい。そう思うから、だから、今回の作戦の首謀者は俺。それで問題ない」

「亮介、マジだな?」


 ふっと肩の力を抜いて、薫が確認する。


「ああ」

「……そうか」


 彼女のために、か。


 薫は胸を掴まれたような、そんな強い衝撃に軽い虚脱感を覚えていた。亮介は有川のことを思って、いつもよりも大胆なことに挑もうとしている。あの、いつも物静かな彼が、だ。


 でも、一方で自分はどうだ? 

 君恵のために、彼女を喜ばせるために、何かをしようとしているのか?


 いいや。


 後ろ向きの不安に囚われて、逃げ出して、またしても自分の檻の中に閉じこもろうとしていただけだ。弱虫で、自分が嫌いで、自分が出来ることも、しない。しようとしていない。


 薫は歯を食いしばった。

 それで、いいわけがないだろ。


 あの文化祭で、薫は自分にも出来ることを確認したのではなかったのか。

 だとすれば、ここで踏みとどまるべきではない。

 君恵になんとしても想いを伝えるのだ。


「そうか、分かった。俺も協力する」


 薫は、決意の顔で親友を見上げた。


「薫……」

「小野村君?」

「小野村、先輩……」

「おお、ついに目覚めたか小野村!」


 全員の驚きの視線を浴びながら、そして、高らかに宣言する。


「あの有川が間違っていたことを思い知らせてやろう!」

「そうだな、そうこなくっちゃな。よし、一致団結だ」


 亮介が拳を宙に突き上げ、すぐに全員が、くすくすと笑いながらそれに習った。


「よし、逆転のシナリオはここからだ!」

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