第八話 逆転のシナリオにアンダーライン 2
作者のヒロユキです。どうも。
昨日の続きです。
物語はそろそろ佳境に入っていく予定です。
亮介は驚いて彼女の名を呼ぶ。同時に膝に置いていた掌に力が籠もる。
制服の上にグレーのコートを羽織り、いつもの薄い笑いを浮かべた彼女は腕を組んでこちらを見つめている。
しかし、劇の開始時間前だというのにこんな場所になぜ彼女がいるのか、亮介には皆目分からなかった。隣の薫も同じ考えらしく、口を開けて怪訝そうに見ている。
「劇の準備の方はいいのか?」
亮介が質問した。
彼女はああ、そのことと軽く首を振る。
「万事問題ないわ。事前に綿密な計画を立てていたおかげで準備はスムーズに済んだの。私が指示した甲斐もあって皆無駄なく仕事ができ、リハーサルをする時間もたっぷりあったわ。おかげでこうして周囲を見回りにも来れたのよ」
言葉を切って眼鏡のフレームを指で押し上げる。
「そして、見回って正解だった。こうして、大事な宣伝要員が悠長にベンチでくつろいでいるんですもの」
「……悪かったな。こんな服でなければ、もう少しやる気もでるだろうにな」
不貞腐れたように薫が言い返した。そして、被っていた頭巾を払い除け、大きなため息をついた。
「何を言っているのよ? そのマッチ売りの少女だからこそ、意味があるのよ。それが、人々の心をキャッチするんだから」
「まあ、確かに街中ではいろいろ騒がれたよ。でも、俺は男だ。女の役は女子がやればいい」
薫がそう言うのも無理はない。亮介は思う。二年間一緒にいて、彼が自分の容姿を、男として周りから見られないことを思い悩んでいたことは、自分のことのように知っている。
ここ数ヶ月で、その悩みの克服に向けて大きく前進をしていたというのに、有川はまたしても、彼に自身が抱える闇と向き合わせるようなことさせた。全く余計なことをしてくれたものだ。
ふいに、いつも静かなはずの亮介の胸に熱い何かが湧き出し始める。
「そうね。否定はしないわ。でも、他の女の子たちは本番の打ち合わせがあるし、手が空いてる子がいなかったの。だから、止む無く小野村君に頼んだのよ。これ以上の適役はいないんだから仕方ないじゃない」
「適役だとしても、俺はしたいとは言ってないぞ!」
「何よ、今日だけのことじゃない。そんなに怒らなくても」
その冷たい言葉が何かを破った気がした。
薫の心中など知ったことか、そういうことなのか?
亮介は膝を叩いてすっくと立ち上がる。
「有川」
「何? 堂野君」
「そういう言い方はないんじゃないのか?」
「あら、気に障るようなことを言ったかしら?」
悪びれず、有川は言う。
「俺たちは『ボランティア』として、演劇部の手伝いをしてるんだぞ」
すると、彼女は今までその事実を失念していたようで、驚いたように頬に手を当てた。
「ああ、そうだったわね。罰を受けているのは山下君だけか」
しかし、亮介からはその台詞が演技のように見えてならない。
「この寒さの中、こんな服装で、しかも、女装でビラ配りをさせられている。薫の気持ちが分かるのか。有川が薫の立場だったら、どう思う?」
難詰するような口調に、薫が驚いて顔を上げた。
「亮介?」
「……」
勢いに気圧されたのか、そこで初めて、有川は口ごもった。眼鏡の奥の目が一瞬、怯えを表したのを見逃さない。うろたえている、と踏んだ亮介は一歩足を踏み出し、さらに言葉を続けた。
「それに対して、感謝の言葉の一つくらい、あってもいいんじゃないのか? どうなんだ!」
「……堂野君、あなたの言う通りね。二人とも、今日はご協力ありがとう。でもね、それはそれ、こんな場所でサボっている時間なんて、あなた達にはないの。ほら、さっさと持ち場に戻りなさい」
面倒くさくなったように彼女は手をひらひらとさせ、向こうに行けと合図をした。自分たちの反論などに付き合っている暇はないということだろうか。すぐに、公園の外に向かって歩き出そうとする。
どうやら、逃げるつもりだ。そう判断した亮介は彼女を呼び止めた。
「有川、まだ話は終わってないぞ!」
途端、彼女の背中がびくりと震えた。まるで、臆病な猫が物音に反応するようだ。
ゆっくりと振り返る。
「いつになくけんか腰ね。堂野君。あなたらしくないわ」
その表情は落ち着き払っている。
だが、亮介にはその裏側に隠れている感情まで見透かしていた。以前、彼女を廊下で見かけたときに感じた違和感の根源が彼女を動揺させているのだ。
「余裕ぶる振りもやめたらどうだ?」
静かに提案する。
「何のこと?」
「今回の劇を本番に導ことに関して、有川、あんたはかなり切羽詰っている」
「私が? 何よ。私はいつだって冷静沈着よ。それで虎視眈々と準備を行ってきた。現に今だって、きちんと劇の用意を済ませ、余裕を持ってこうして見回りに来ている」
有川は腰に手を当てて、頷きながら話す。しかし、言いながらも僅かに声が上ずっているのを言葉の端に感じる。図星だな。
「違う、逆だよ」
こちらの反撃の番だった。
「逆?」
「有川は、今回の劇を間違いなく成功させるために、それだけに心血を注ぎすぎたんだ。だから、俺たちを含めて数多の生徒や部に大きな迷惑をかけてる」
「そ、それが何よ。私のやり方はいつだってそうじゃない? それが――」
亮介の声がかぶさる。
「そうだな。いつもの有川なら、やりかねないことだ。だけど、今回はいつもより酷い」
「酷いって何よ」
「一切を持って、他人への配慮が皆無だ。血も涙もないとは言わないが、あんまりにもやることが極端すぎる。聞いてるぞ、山下からもいろいろとな」
「いろいろと、ねえ」
「練習場所を確保するために、あれこれ難癖をつけてバスケ部に体育館を譲らせたり、文化祭の時から立て続けに裁縫部に衣装を作らせたり、吹奏楽部も突然にイブに呼び出されて激怒してるそうじゃないか。自分の部員に対しても、彼らの意見に全く耳を貸さず、一方的に押し付けるみたいだって。どうなんだ?」
そう問いかけて、彼女の次の反応を待つ。これで彼女が「やり過ぎだった」と過ちを認めてくれるのであれば、話は丸く収まるだろう。今の彼女が先ほど見せたように動揺しているのであれば、素直になってくれるに違いない。
亮介はそう確信していた。
しかし、結果は違った。
「別に、私は普段からそういう感じでしょ。血も涙もない女よ」
彼女は、無感情に言い放つ。
本気で、そう言っているのか。
「嘘だ」
思わず、言っていた。
「何それ、だだをこねる子供みたいね」
「有川は、そんな人間じゃないだろう?」
「あなたが私の何を知っているの?」
「もしも、有川がそんな人間なら、無理やりにでも俺と薫を演劇部に入れてるはずだろ!」
「な!」
有川が顔色を失う。
そうだ、そうなのだ。
彼女からは文化祭の頃からずっと、演劇部に入らないかという勧誘を受けていた。受け続けていた。
副部長にならないか。
副部長になってくれたら、助かる。
いろいろと待遇するわ、と。
二日に一度は必ずそうやって、亮介の元に来る。ほとんど欠かさず。
最初は面倒で、興味もなく、話に適当に相槌を打って帰ってもらっていた。演劇部の副部長になるよりは今まで通り薫と帰り道を歩いたり、本を読んでいるほうが楽しい。そう思っていたからだ。だが、何度も諦めずに亮介に会いに来る彼女を見て、不安になっていた。
彼女はさながらチーターのように、狙いを定めたら一直線、断わり続けてもその内、亮介にとって拒否できない交渉材料を持って向かってくるに違いないという懸念があったのだ。
しかし、意外にもいつまで経ってもそんな事態には至らなかった。彼女は強く迫らず、従来のように、無理強いをすることもない。ただ、亮介と一緒に演劇部をやりたいという、一つの確かな理由で問いかけてくるのだ。
イブの演劇の準備が始まってからは来なくなってしまったが、彼女の熱心な気持ちは水に浸した布のように少ずつ亮介に伝わっていた。硬化していた心は紐解かれ、彼女と話をするのがいつの間にか、一つの楽しみにもなっていた。
そして、彼女とは演劇部だけではない、他愛もない日々の出来事も話すようにもなった。
亮介は自分と友人としての、ごく普通関係を築きたいという彼女の思いがあることに気付いたのである。
そんな優しい歩み寄りの気持ちがあることを知っていたから。
だから、だから。
彼女のことが心配だった。
「有川は違う。もっと他人への優しさを持ってる。俺と話をしてくれた有川はそんな奴じゃなかった」
「さあ、どうかしらね?」
「今回、周囲からどんな視線を見られているのか気付いてるか? かなり反感を買ってるぞ。皆から敵意の目で見られてる」
今度は苛立ち始めたようで有川の声が強まり、むきになり始めた。
「だから?」
「有川、あんたは目的のために切羽詰るあまり、目の前の物以外、見えていなかったんだ。盲目になっていたんだよ」
「……」
「こんなやり方は間違ってる。これまでの行動を振り返ってそう思わないか?」
亮介は身体をぴくりとも動かさず、前方の少女をしかと見つめた。その目の色は怒りを映さず、ただ、彼女からの肯定を待っている。
それは、彼の中の優しさであり、彼女に対する特別な歩み寄りだった。
しかし、有川は彼との視線を断ち切って、またしてもきびすを返す。
「堂野君、余計なお世話よ。一度決めたことだもの。前言撤回は私の辞書にはないわ」
そう言い放ったきり、彼女は止まる事無く歩き出し、公園の外の闇の中へ消えていった。