第六話
目覚めは爽快だった。
椅子で眠ってしまった割に、体もそう強ばっていない。これが薬草酒の効能というものか。
「ふあ……っ」
ロイドが大きく伸びをした途端、肩からばさりと何かが落ちた。どうやらリナが毛布を掛けてくれたらしい。
小さく笑って毛布を拾い上げ、窓のカーテンを全開にする。澄んだ朝の空気を胸いっぱいに吸い込んで、がりがりと荒っぽく頭を掻きむしった。
「……全く。疲れていたとはいえ、寝落ちするとは情けない。朝飯を食ったらリナにもちゃんと謝らんとな」
手早く身支度を整え、食堂へと急ぐ。
昨夜の夕食もつまみもとっくに消化してしまったようで、耐え難いほどの空腹を感じた。
景気のいい足音を立てて階段を下った先で、異様な人だかりができているのに気が付いた。ロイドが今まさに目指そうとしていた食堂だ。
ロイドは不審げに眉をひそめると、手近な兵士の肩を叩く。
「おい、何かあったのか?」
「あっ……! ロイド、隊長……」
全員が一斉に振り向いた。
その暗い瞳――まるで自分を非難するかのような眼差しに、ロイドは思わず後ずさる。
「な、なんだ?」
「ロイド隊長……」
「そりゃあ、オレらには口出しする権限なんかありませんけどね……」
「いくらなんでも薄情すぎるわ」
吐き捨てるように呟かれ、ロイドがむっと目を吊り上げた。
声を荒げて問い掛けようとするのに、今度は全員が視線を逸らしてしまう。どうやら誰も答える気はなさそうだ。
だんまりを決め込む彼らに舌打ちして、ロイドは無理やり食堂の中へと突き進んだ。
「…………は?」
そうして、愕然と目を見開く。
いつもならこの時間は朝食を取る連中で賑わっているはずなのに、今は人っ子ひとりいなかった。寂しいテーブルを走り抜け、つんのめるようにして厨房に入る。
「おいっ、リナ――!」
「リナならもういませんよ。昨日で試用期間が終わりだったんでしょう?」
食事当番らしき隊員達が、むっつりと鍋をかき混ぜていた。絶句するロイドを睨むように振り返る。
「確かにあいつの料理はまずいですけどね。あいつは、もうオレらの仲間だったのに。どうしてクビにしちまったんすかっ」
「リナがいなくなったって知って、皆食堂にすら入ってきてくれないんですよ。……あたしだって当番じゃなかったら、今日は食べる気にもなんないわ」
口々に責め立てられるが、ロイドは返す言葉も見つからない。
ぐらぐらと視界が揺れ、倒れ込みそうになる。
「――ロイド隊長っ!」
今度はメルヴィンが駆け込んできた。
普段温和な彼すら険しい顔をしていて、まるで殴りかかるようにロイドの胸ぐらを掴む。
「どうしてリナさんの解雇を撤回しなかったのです! リナさんはっ、リナさんはっ。別れが辛いからと置き手紙だけ残し、荷物をまとめて出ていってしまったんですよ!!」
ロイドは揺さぶられるがまま立ち尽くした。
抵抗する気力もなく、ばらばらになった思考を繋ぎ合わせて何とか言葉を絞り出す。
「……た、んだ……」
「何ですって!?」
血相を変えて詰め寄るメルヴィンを、泣き出しそうになりながら睨みつけた。
「――撤回するのをっ、すっかり忘れていたんだっ!!」
『…………』
一拍置いて「はあああ~!?」という絶叫が砦に響き渡った。
◇
リナは一人、とぼとぼと隣村に続く道を歩いていた。
夜が明ける前に砦を出発したにも関わらず、行きつ戻りつしているせいでまだ村に辿り着けていない。
背中に負った大荷物が肩に食い込んで、痛くて痛くてたまらなかった。
仕方なく足を止め、リナは大きくため息をつく。
「……仕方ありませんね。休憩しましょう!」
大木にもたれて座り込み、昨日のうちに焼いておいた薬草クッキーをいそいそと取り出した。一口かじり、ぱあっと顔を明るくする。
「おつまみ用の残りの木の実、試しに入れてみて大正解でしたね! 薬草の風味が引き立つっていうか、ぜひロイドさん達にも食べてもらいたいっていうか――……」
言葉が尻切れトンボに消えていく。
ぎゅっと俯き、膝を抱え込んだ。
(……私、意気地なしです……)
最初のうちは、気軽に聞けたのだ。
解雇撤回ですか、と尋ねるたび、ロイドは「んなわけあるか!」と応酬した。リナだって「負けません!」とむしろますますやる気を出したというのに。
(でも……)
だんだん、尋ねるのが怖くなった。
だから期限が近付いても、ロイドをせっつくことができなかった。
せいぜい遠回しに「冬になったら……」と未来の話をしたりする程度。まあそれも、ロイドにあっさりと拒否されてしまったが。
昨夜だって、本当は解雇撤回をお願いするつもりでロイドの部屋を訪ねたのだ。それなのに関係ない話をすることしかできなかった己を思い出し、あまりの情けなさに視界が滲む。
「……っ。ああもう、やっぱり駄目です!!」
突然、リナが振り切るように立ち上がった。
乱暴に荷物を背負い、西方砦に向かって走り出す。
「ロイドさんに尋ねてみないとっ。解雇なら解雇で最後通牒を突きつけてもらわなければ、私が前に進めません!」
それに。
「置き手紙なんかじゃなくて、お別れの挨拶だってちゃんとしたいです! 昨日のは酔っ払い相手だから数に入りません! というかロイドさん、寝ちゃってましたし!」
大声で独り言を言いながらずんずん突き進む。
こうやって声に出して自分を鼓舞しないと、回れ右して逃げ出してしまいそうだったのだ。
「クッキーだって最後に食べてもらいたいですしっ。私、私はもう一度ロイドさんに――!」
刹那。
ざあっという聞き覚えのある音が上空から聞こえた。
リナをすっぽりと覆い隠すように、日が陰る――……
◇
「馬鹿ですか!? 阿呆ですか、間抜けですか!?」
「だああっ、もう言わんでくれ! 俺が誰よりもそう思ってんだよ!!」
「自覚のあるアホっすねー!!」
「救いようのない馬鹿野郎ですよー!!」
「ヘタレ~!!」
わあわあ騒ぎながら、国境警備隊総出で馬を駆る。
さり気なくメルヴィン以外の部下からもこき下ろされているが、今のロイドには言い返す資格がない。
きつく唇を噛み締めて目指すは、リナが以前に勤めていた隣村だ。
「本当にそこにいるんですかっ!?」
声を荒げるメルヴィンに、「知らん!」と短く怒鳴り返した。
「知らんが、そこしか心当たりがないんだぁぁぁっ!!」
「使えない、使えないですロイド隊長っ!!」
メルヴィンが大仰に苦悩する。とりあえず「馬の背でくねくねするなっ」と叱り飛ばしておいた。
(ええいクソッ!)
リナの故郷すらロイドは知らない。
だから本当に、そこに賭けるしかないのだ。
このままでは、もう二度とリナに会えないかもしれない。
二度とリナの料理が食べられないかもしれない。
焦燥感に胸が詰まり、ちっとも前に進んでいる気がしなかった。
疾走する馬の背で、風が目に沁みてたまらない。
「ああっ!? 見てください、ロイド隊長!!」
部下の叫び声にはっと意識を戻すと、森の上空に大きな鳥の姿が見えた。――否、鳥ではない。
砦で保護しているあの子より巨大な、それは――
「ドラゴン……!?」
◇
リナはぽかんと空を見上げる。
迷子ドラゴンとは違う、深い青緑色したドラゴンが探るようにリナを見返した。翼のはためきで起こった突風が、乱暴にリナの髪をかき乱す。
「……あ……」
もしかして。
はっと思い至り、大慌てでぶんぶん大きく手を振った。
「ドラゴンさんっ! もしやあなたは、迷子の息子さんをお探しですかっ!?」
ドラゴンがすうっと目を細める。
鋭い視線に怯みそうになりながらも、リナは懸命に声を張り上げた。
「もし、もしそうならっ。この先の西方砦で、迷子のドラゴンさんを保護してるんですっ! 私、私がご案内してあげます!」
『…………』
ドラゴンは上空にとどまったままリナを見下ろし続ける。
けれど、リナは目を逸らさなかった。
母子を再会させるためには、どうあっても彼女に信用してもらわねばならない。
震える声を励まして、リナは身振り手振りでしゃべり続ける。
迷子ドラゴンが蜂蜜ミルクを気に入ったこと、鼻の上を撫でられるのが好きなこと。
西方砦の隊員達ともすっかり仲良くなれたこと、時々いたずらしては隊長に叱られていること。
ドラゴンは静かに耳を傾けてくれた。
それに勇気づけられ、リナは熱っぽく演説を続ける。
「とってもいい子で可愛いです! 鳴き声だって愛らしくって――……きゃあっ!?」
突然、ドラゴンが急降下を始めた。
頭を抱え込んでうずくまるリナの側に、ふわりと着地する。
「…………っ」
目をまんまるにするリナを、優しい眼差しで覗き込んだ。小さく首を傾げる母ドラゴンに、リナも思わず笑みをこぼす。
母ドラゴンに向かってそっと手を伸ばした、その瞬間。
「リナーーーーーッ!!!」
「ロイドさんっ?」
突然の絶叫に驚き、弾かれたように振り返る。必死の形相のロイドが、単騎で駆けてくるところだった。
リナは慌ててドラゴンに向き直り、「あ、あれが今言った隊長さんですっ。顔は怖いけどいい人なんですっ」と弁解する。ロイドにはしかめっ面を向け、ぶんぶん首を振って合図を送った。
しかし、ロイドには通じない。
リナ達に追いつくなり、転がるように馬から降りてリナを背中に庇った。
「おい母ドラゴン、こいつに手出しするのは許さんぞ! お前の息子ならば無事だ、安心するがいい! 毎日大量の木の実と果物と蜂蜜ミルクと雑草を平らげて、駄目だと叱っても壁登りする程度には元気だぞっ」
「…………」
そう。
最近の子ドラゴンは空を飛ばす、砦の壁登りするのにハマっている。
そして雑草は全然全く気に入っていない。
リナは笑いをこらえてロイドの腕を叩いた。
ロイドがはっとリナを見下ろす。
大丈夫、と頷きかけて、改めて母ドラゴンに歩み寄った。
「息子さんのところにご案内しますね? どうぞ、私達に付いてきて――……」
「リナさぁぁぁぁぁんっ!!!」
「ロイド隊長早すぎるっすー!!!」
「ぎゃあああ親ドラゴンでけぇぇぇぇ!!!」
「…………」
度重なる妨害になかなか話が進まず、げんなりと肩を落とすリナであった。
◇
『ぴぎ~!』
『ぶい、ぶい、ぶぶぶぶ』
大喜びで母ドラゴンに駆け寄る子ドラゴンを、母ドラゴンは迷うことなく踏んづけた。べちゃ、と転んだ我が子に向かって、何事か切々と言い聞かせている。
リナがぷっと噴き出した。
「あはは、怒られちゃってますね~」
「何を言っているのやらさっぱりだ……」
不機嫌そうにこぼしつつも、ロイドの顔は笑っている。隊員達もほっとしていたり、寂しそうな顔をしていたり。
それでも全員が親子の再会を喜んでいた。
ようやくお説教が終わったのか、母ドラゴンがてくてくとこちらに歩いてくる。
『ぴぴぴぴ』
「ああ、これはご丁寧に。ですが迷子を保護するなど当然のこと、どうぞお気になさらないでください」
メルヴィンがにこやかにお辞儀した。
お前はドラゴン語がわかるのかよ、とからかっている間に、ドラゴン親子はあっさりと飛び去ってしまう。あれだけ懐いてくれた子ドラゴンも、振り返りもしてくれない。
「……なんか、こう。寂しくもあるな……」
遠くなっていく緑色をしんみりと見送っていると、リナがくすりと笑った。
「そうですねぇ。でも、良かったじゃないですか」
「まあな」
晴れ晴れとした気持ちで伸びをした途端、背後から剣呑な気配を感じた。ロイドはぎくりとして振り返る。
メルヴィン以下、隊員全員がロイドを睨みつけていた。
その瞳は「早く解雇撤回せんか」「ちゃんとリナに謝らんか」「土下座して許しを請わんか」と言っている……ような気がする。
ロイドは顔を引きつらせると、隊員達から視線を引き剥がした。
決まり悪く頬を掻き、そっとリナの腕を引く。
「ロイドさん?」
「ああ、その……、なんだ……」
隊員達からの視線をビシバシと感じる。
背中に冷や汗をかきつつ、ロイドは無理に笑顔を作った。リナがますます不思議そうな顔になる。
「その、だな……。今さら何だと、思われるかもしれんが……。俺は、そのぅ……」
気恥ずかしさにみるみる頬が熱くなった。伝えるべきことははっきりしているのに、喉が詰まって言葉にならない。
(ああ、クソッ! 一言、一言で構わないんだ!)
今の正直な気持ちをリナに伝えたい。
その一心でロイドは気持ちを奮い立たせた。
「――リナッ! 俺は一生、お前のまずい料理を食いたい!!」
『…………』
背後の隊員達がバタバタと倒れる音がした。
リナもまた大きな瞳を見開いていて、ロイドは大慌てで彼女の肩を引っ掴む。
「違っ、そうじゃなくて、だな! つまりは俺は、お前のまずい料理の虜になってしまったという意味でっ。お前のまずい料理を食わなければ夜も明けない、ということでっ!」
早口で言い募るうちに、ますますわけが分からなくなってくる。
ぽかんとするリナを大混乱のまま抱き寄せた。
「――だからどうか、お前の一生を俺にくれ!!」
「…………」
リナが完全に固まった。
凍りついた彼女の瞳を見て、ロイドはやっと我に返る。
(……ってこれも違うだろぉぉぉぉ!?)
心の中で大絶叫した。
これではまるで、プロポーズのようではないか。
誓って自分にそんなつもりはなく、あくまで解雇を撤回したいだけだったのに。
辺りに痛いほどの沈黙が満ちる。
ロイドもリナもメルヴィンも、そして他の隊員達も誰ひとり口を開こうとしない。
永遠にも感じられるほど長い時間が過ぎてから、リナがようやく身じろぎした。深く俯いているせいで表情は窺えないが、きつく唇を引き結んでいるのだけは見えた。
ロイドの胸を絶望が支配する。
付き合ってもいない男から、最低な口説き文句での突然のプロポーズ。リナが気持ち悪がるのも当然だった。
(終わっ、た……)
穴があったら入りたい。
全速力でこの場から逃げ出してしまいたい。
打ちひしがれるロイドに、不意に温かな手が触れた。冷え切った指先をリナが包み込んでくれたのだ。
「リ――……」
「ロイド、さん……」
リナの瞳から透明な雫がこぼれ落ちる。
震える指で涙を払うと、リナは美しく微笑んだ。
「嬉しい、です。私、私……っ」
「リナ……!」
ロイドの頬がカッと熱くなる。
力の限り彼女を抱き締めようとしたその瞬間、リナがぴょんと飛び跳ねた。
ロイドの伸ばした腕を置いてけぼりに、わーいわーいとそこら中を駆け回る。
「やりましたぁっ! 西方砦の厨房係に終身雇用っ! お父さんお母さん、リナはとうとう正職員になれましたよーーー!!!」
小躍りするリナに、辛うじて立っていた残りの隊員達がずっこけた。もちろんロイドも崩れ落ちた。
床に伸びている国境警備隊の面々を見下ろし、リナが嬉しげに手を叩く。
「さ、それじゃあ早速昼食の準備をしなくては! 皆さん、たっくさん召し上がってくださいね!」
◇
こうして、西方砦に平和が戻った。
ただしその日常は、ドラゴン騒動が起こる前とは少しばかり変わっている。
『ぴぎゃっ』
『ぶい、ぶい』
砦の近所に縄張り替えをした、ドラゴン親子が毎日のように遊びに来るのだ。
蜂蜜ミルクに舌鼓を打ち、壁登りをしてはしゃぎ、隊員に撫でられながら昼寝を楽しむ。お陰で西方砦は近隣の村から「ドラゴン砦」と呼ばれるようになってしまった。
そして、西方砦改めドラゴン砦の食堂では、今日も賑やかな悲鳴が響き渡る。
「まずっ!」
「苦っ!」
「辛っ!」
『お代わりっ!!』
「はいはい、まだまだありますよ~!」
鍋とお玉を手に、リナがテーブルの間をちょこまかと動き回る。
背後を通り過ぎようとした彼女を、ロイドが手を伸ばして捕まえた。無言で空っぽの皿を差し出す。
リナは笑みをこぼすと、たっぷりとお代わりをよそってくれた。
「はい、どうぞ!」
「ああ。……今日もまずいな」
むっつりとスプーンを使うロイドに、「だって、それがお好きなんでしょう?」といたずらっぽく告げる。ロイドの耳元に唇を寄せ、何事かこしょこしょと囁きかける。
途端にロイドがどかんと真っ赤になった。
「んな……っ!?」
「あはは。さっ、次は蜂蜜ミルクを用意しようかな~!」
弾むような足取りで厨房に戻ってしまう。
興味津々の視線を向けてくるメルヴィンを睨みつけ、ロイドは荒々しくスープを飲み込んだ。
(たくっ、あいつは……!)
『不束者ですか、どうぞ末永くお願いします!』
(本当は全部わかってんじゃねぇか!?)
じたばたと身悶えして頭を抱え込む。
ロイドが頭を悩ませている間にも、隊員達の元気な悲鳴は続いていた。
◇
西方の国境沿いに位置するドラゴン砦。
厨房担当である薬草師リナの料理は、控えめに言ってとてもまずい。食べた者は例外なく悶え苦しむことになる。
――けれど、栄養と愛情は満点なのだ。
――了――
お読みいただきありがとうございました!
かなり趣味に走ってしまった気もしますが、楽しく書けたので良しとします。
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