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第五話

「食べちゃ駄目ですーーーー!!!」


 必死の形相で叫ぶリナを見て、子ドラゴンはぴんとしっぽを立てた。嬉しげに瞳を輝かせる。


 どうやら、やっと構ってもらえたと勘違いしたらしい。ふんと鼻息を吐くと、リナとロイドが駆けてくるのを余裕たっぷりに待ち受ける。


 そうして二人が追いつくギリギリで、ゆうゆうと猪肉を口にした。


「あーーーーっ!?」


「しまった、間に合わなかったかっ」


 大慌ての二人はドラゴンの背後に回り、「すぐペッてしなさい、ペッて!!」と背中を叩く。どうやらドラゴンに対する恐怖心よりも、大人としての責任感が勝ってしまったらしい。


 メルヴィンも泡を食って駆けつけた。


「ロイド隊長! あああ大変です、わたわたわたしはなんてことをっ! じじじ実はそれはただの猪肉ではなくて――!」


『ぴぎ?』


 突如、ドラゴンが奇声を発する。

 こぼれんばかりに目を見開くと、猪肉をすべて吐き出した。


『ぴぎゃーーーーーっ!!?』


 ぴぎゃあぴぎゃあと鳴きながら、地団駄を踏むように地面を跳ね回る。恐慌をきたしている子ドラゴンを、リナとロイドは茫然として目で追った。


「……メルヴィン?」


 平坦な声でロイドが問い掛けると、メルヴィンは頭を抱え込む。


「じ、実は……。中に激辛薬草ダレを、これでもかと塗り込めてしまいまして……」


「はあああっ!?」


 目を吊り上げるロイドに、メルヴィンは「申し訳ありません!」と声を張り上げた。


「さっき勝手に薬草塩をかけられた意趣返しのつもりでして! 今日は無礼講ですし、お茶目ないたずらと笑って流していただけるかと」


「いや流せるかぁぁぁぁっ!!」


「もおロイドさんっ! 今はそれどころじゃないでしょう!? 幸いメルヴィンさんのお陰でお肉は吐いてくれたんです!」


 リナは小川に向かって全力で駆け出す。大きく手を振り、ドラゴンに向かって「こっち、こっちです!」と叫んだ。


「お水を飲んでください! 少しはマシになるはずですからっ!」


 しかし、ドラゴンは気付かない。


 縦横無尽に走り回り、焚き火や残りの料理を踏み潰していく。兵士達も大混乱で逃げ惑った。


「――おい、メルヴィン! 桶だ、手桶を持ってこい!」


「はっ、はい!」


 メルヴィンに命じてロイドもすぐさま駆け出した。


 一直線に小川に向かう彼を見て、リナもはっとしたように目を見開く。スカートを翻して合流してきた。


「ロイドさん! もしや()()ですね!?」


「ああ! 今こそ()()を使う時だ!!」


 じゃぶじゃぶと浅瀬に入り、沈めておいた大瓶を掴み取る。冷たい流水のお陰で、瓶はすっかり冷えていた。


 目を血走らせたメルヴィンも追いついてくる。


「ロイド隊長! 桶です!」


「よし、ドラゴンのところへ急ぐぞ!」


 大瓶と桶を抱き締め、三人は再び走り出した。



 ◇



 ドラゴンは力尽きたのか地面にへたり込んでいた。

 頭を抱え込み、きゅんきゅんと悲しげな鳴き声を上げている。


「――おいっ、そこのドラゴン坊主!!」


 危ないからと他の全員を下がらせて、ロイドが一人で子ドラゴンに呼び掛けた。


「ロイドさん、もっと優しくっ」


 すかさずリナから叱責され、ロイドは少しばかり考え込む。こほんと空咳して、今度は猫なで声を出した。


「おう、そこの坊主。優しい兄ちゃんが、口直しにうまいもんをご馳走してやろうな」


「ロイド隊長、怪しいです」


「誘拐犯かよ」


「秒で通報されるレベルだな」


 メルヴィン以下隊員から総突っ込みされ、ロイドはみるみる表情を険しくする。荒々しい足取りでドラゴンに歩み寄ると、すぐ側に木桶を置いた。


「ほら、これに注いでやるから飲んでみな。甘くて冷たくて、舌がとろけるほどうまいぞ」


『ぴっ!?』


 やっと顔を上げてくれたドラゴンが、大きな口をしっかり閉じて身をよじる。明確な拒絶の意思表示に、ロイドは慌てふためいた。


「な、なんでだ!? うまいと言ってるだろう!?」


「……多分、『舌がとろける』って表現が良くなかったんじゃないでしょうか」


 思いのほか近くからリナの声がして、ロイドははっと振り返る。青ざめたリナが、一心にドラゴンを見上げていた。


 全く気付かなかった己にロイドは内心で舌打ちする。ドラゴンに集中していたとはいえ、これでは軍人失格だ。


 平常心を失っていた己をようやく自覚して、ロイドは深呼吸を繰り返した。


(……よしっ)


 頬を叩いてドラゴンに向き直る。


「なあ、おい。これはすごーく美味しい飲み物なんだ。お前のために用意したのだが、飲まないというのなら仕方がないな。俺が貰おう」


 ロイドの言葉に、リナが顔をほころばせた。

 足音を忍ばせて取って返すと、カップを二つ手にして戻ってくる。


 ロイドは小さく頷き、大瓶を傾けた。カップの縁までみるみる白い液体が満ちていく。隣村で仕入れた蜂蜜を少量の湯で溶かし、ミルクに混ぜたものだ。


 ドラゴンが興味を引かれたように、すんと鼻を鳴らした。

 しかしロイドもリナも彼を見ない。楽しげに笑い、カップをこちんと合わせる。


「――いただきますっ!」


 ごくごく、と喉を鳴らして飲み干した。

 食い入るような視線を感じるが、二人はあえて気付かない振りをする。ぷはぁ、と満足気に息を吐いた。


「よく冷えてて美味しいですね!」


「ああ。蜂蜜ミルクなんざ飲んだのは子供の時以来だが、うまいもんだな」


 二人揃ってうまい、うまいと連呼する。

 ドラゴンの耳がぴくぴく動き、喉がごくりと上下した。


 ロイドが再び大瓶に手を掛け、リナに笑いかける。


「お代わりいるか?」


「もちろんですっ。残りは全部、私が飲んでもいいですか!?」


『ぴぎっ!!』


 突然、ドラゴンがずいと顔を近付けた。


 反射的に叫びそうになりながらも、リナは必死で笑顔を作る。小首を傾げてドラゴンの顔を覗き込んだ。


「だって、ドラゴンさんは欲しくないんでしょう?」


『ぴぎぎっ!!』


「えー。もしやいるんですかぁー?」


『ぴぎ!!』


 リナが残念そうに肩をすくめると、すかさずロイドが蜂蜜ミルクを桶に満たした。ドラゴンは待ち切れない様子で桶に顔を突っ込む。


 ぴちゃぴちゃ、と必死でミルクを飲むのを確認し、リナとロイドは安堵の顔を見合わせた。メルヴィン以下の隊員達も恐る恐る寄ってくる。


 ドラゴンはそれにも気付かないほど蜂蜜ミルクに夢中になっていた。瞬く間に飲み干してしまうと、『ぴぎ?』とあざとく首を傾げる。


 ロイドが笑いながらドラゴンの首を撫でた。


「これしかねぇよ。……けどな、お前がもう砦を襲わないと約束するなら、時々こうしてご馳走してやる」


『ぐるぐる』


 喉を鳴らして何度も頷く。


 ロイドがほっとして体を離すと、今度はリナがドラゴンに手を伸ばした。怖々と撫でて、「可愛いです」と頬をゆるめる。


 隊員達も我も我もと群がった。ドラゴンに嫌がる素振りはなく、むしろたくさん構ってもらってご満悦な様子だ。飛ばずにぱたぱたと翼だけ動かす。


「いやぁ、これにて一件落着ですね」


 にこにこと微笑むメルヴィンを、ロイドはジト目で睨みつけた。


「激辛薬草ダレの件については後で覚えておけよ。……リナ、どうかしたか?」


 ロイドに声を掛けられ、俯いていたリナがはっと顔を上げる。眉を曇らせ、ドラゴンへと視線を移した。


「……おかしい、です。これだけ大騒ぎしたのに、お母さんドラゴンが一切姿を見せないだなんて」


「あっ……!」


 ロイドとメルヴィンも目を見開いた。


 いろいろあって失念していたが、母ドラゴンが助けに来ないのは確かに不自然だろう。

 ドラゴンにじゃれつく部下をいったん引き剥がし、ロイドは慎重にドラゴンに向き合った。


「おい、坊主。お前の親はどこにいるんだ?」


『ぴぎー?』


「お前を置いて出て行っちまったのか?」


『ぴぎっぴぎっ』


 最初の質問には「わからない」というように首をひねり、二つ目の質問にははっきりと首を横に振った。

 困り果てるロイドの横から、今度はメルヴィンが手を挙げる。


「ここはあなたのおうちですか?」


『ぴぎっぴぎっ』


「違うのですね。では、おうちへの帰り道はわかりますか?」


『ぴぃー?』


「…………」


 場に沈黙が満ちた。


「……つまり、これは」


 呻くロイドの台詞を、ぽんと手を打ったリナが引き継いだ。


「間違いありません。このドラゴンさんは――迷子さんですねっ!」



 ◇



 当然ながら、ロイドに迷子ドラゴンの親探しをした経験などない。


 頭痛がするほど頭を悩ませながらも、ロイドは今できる精一杯のことをした。

 親が見つかるまで子ドラゴンを保護することを国に願い出て、特別予算を編成してもらい、近隣の村人達にはミルクと蜂蜜の増産をお願いした。


 しかし、肝心の親探しについては難航している。

 リナの出身地のように人里近くに縄張りがあるならともかく、ドラゴンの生態は未だ謎に包まれているのだ。


「ロイドさんは充分頑張りましたよ。後は無闇に動かず、お母さんドラゴンがお迎えに来てくれるのを待ちましょう? これぞ迷子の鉄則です」


 くたびれ果てて椅子に座り込むロイドを、リナが明るくねぎらってくれる。


 夕食後に一人でロイドの自室を訪ねてきた彼女は、その手に薬草酒を携えていた。そういえばご馳走してもらう約束だったかと、ロイドは霞がかった頭でぼんやり考える。


 野外パーティからおよそひと月、今はようやく一通りの処理が終わったところだ。


 座っているだけのロイドをよそに、リナはてきぱきとグラスを用意する。からりと煎った木の実を皿に盛り、晩酌の支度が整った。


「はい、それじゃあお疲れ様でしたっ!」


 緑色の液体が満ちた美しいグラスを合わせ、恐る恐る酒をすする。薬臭いような独特の苦味を感じて、ロイドは低く呻いた。


「お口に合いませんでしたか?」


「いや……。変わった味だが、悪くはない……」


 ほうっと息を吐いて、ちびちびと飲む。

 疲れ切っていた体がじんわり温もり、久しぶりに体から力が抜けた。木の実にも手を伸ばしてぽりぽりと噛む。


「うん、うまい」


「良かった! 飲みかけの瓶は置いていきますから、毎晩寝る前に少しだけ飲むといいですよ。ぐっすり眠って目覚めもすっきりです」


 鼻高々で教えてくれる彼女にこっそり失笑した。

 どうやら気付かれてしまったようで、リナが小さく首を傾げる。


「ああ、いや。薬草酒に頼らんでも、お前が来てからは毎日そんなもんだと思ってな。……お前の薬草料理は、父親に習ったんだったか?」


「そうです。私、これでも子供の頃は体が弱くって。だからあの薬草料理は、父の愛情の産物、かな」


 照れ笑いして、リナは楽しそうに語り出した。


 子供の頃は薬草料理が大嫌いだったこと。

 けれどそのお陰で健康になれたこと。

 自分も父のように、この薬草料理で一人でも多くの人を元気にしたいこと。


「うちの村には父がいるから大丈夫なので、私はよそに行くことにしたんです。……それに、最初に話しましたけど私の家は子だくさんの大家族で……。正職員になって仕送りすれば、両親にこれまでの恩返しができるかなーって」


 まあ、父も母も「仕送りなんか貰わなくてもうちは充分やっていける!」って怒るんですけどね。


 へら、と笑うリナにつられてロイドも噴き出した。

 体がぽかぽかして、楽しくて楽しくてたまらない。


 会話が弾み、気付けば時刻は深夜を回っていた。

 そろそろ帰さなければと思うのに、ロイドは椅子から立ち上がれなかった。瞼がどんどん重くなる。


「わっ、ロイドさん!? 寝るならちゃんとベッドに――……!」


 リナが何やら喚いているが、ロイドは構わずテーブルに突っ伏した。心地よい眠気に体を委ねる。


 意識を手放す瞬間、か細い声が聞こえた気がした。


「すごく楽し、かったです……。ありが……う………た……」

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