第二話
「――クビだ」
ロイドは静かに宣告した。
はっと息を呑んだリナが、大きな瞳をこぼれんばかりに見開く。両手で口を押さえ、カタカタと小刻みに震え出した。
「そんな……っ。なんでですか!?」
「なんでもクソもあるかぁぁぁぁっ!!!」
バンッとテーブルを叩きつけ、ロイドは鼻息荒くリナを睨みつけた。メルヴィンがまあまあと二人の間に割って入る。
「落ち着いてください、隊長。少し大げさすぎやしませんか?」
「お前はあの醜悪なシロモノを食べていないからそんなことが言えるんだっ」
メルヴィンにまで食ってかかると、ロイドは己を落ち着けようと深呼吸を繰り返した。
無理やり笑顔を作り、今日署名が済んだばかりの契約書を指で弾く。
「ほら、ここに明記されているだろう? 試用期間は三ヶ月、その間に相応しくないと見なされれば解雇もあり得る、と」
「で、でも……っ!」
リナは激しく身をよじった。
「薬草料理はそう即効性があるわけじゃありませんっ。試用期間があるのなら、どうか三ヶ月を私にください! 絶対に結果を出して、解雇を撤回させてみせます!」
「却下だ。効能以前の問題だ、お前の料理は食えたもんじゃない」
にべもなく切り捨てるロイドに見切りをつけ、リナはメルヴィンに向き直る。
メルヴィンがビクリと身を震わせた。
「副隊長さん。私、私の家には幼い弟妹がいっぱいいるんです……! 実家に仕送りするための職探しなんです。ここの前で働いていた食堂じゃあ、臨時の日雇いで大した稼ぎもなかったから、私は絶対に正職員にならなきゃいけないんです!」
涙ながらに訴えると、メルヴィンの瞳に同情の色が浮かんだ。リナの手を取り、感極まったように何度も頷く。
「リナさんは家族思いなかたなのですね。……わかりました。そうまでおっしゃるのならば、三ヶ月待ちましょう」
「やったぁ!!」
やっぱりチョロいですね、とほくそ笑んだ途端、黙って見ていたロイドが眉を跳ね上げた。
「お前、今『チョロい』って言ったな」
「い、言ってましぇん! しょら耳でしゅうっ!」
「思いっきり動揺してんじゃねぇか!?」
間髪入れずに突っ込みを入れて、ロイドはイライラと髪を掻きむしる。ひとつため息を吐くと、射抜くようにリナを睨み据えた。
「……いいか、リナ? お前は三ヶ月後にクビにする。俺が『撤回する』と言わない限り絶対に、だ」
「の、望むところです!」
バチバチと睨み合う二人を、メルヴィンが困ったように見比べた。
◇
「ぎゃうっ!」
「うぐぅっ!」
「今日もマズイ……」
食堂は阿鼻叫喚の有様だった。
リナの料理は酷いものだったが、さりとて他に食べるものなどない。
隊員達は涙を流しながら料理を口に詰め込んだ。
「何も泣きながら食べずとも……」
あきれて嘆息するメルヴィンを、隊員達がキッと強い眼差しで振り返った。
「だってお腹は減ってるんですよぅ!」
「食欲はあるんですっ。料理はひたすらにマズイけども!」
(……おや?)
メルヴィンは違和感を覚えて首をひねる。
考え込みながら無意識に手を伸ばし、毒々しい紫色のスープをひとくちすする。
「ふごぉ」
紙ナプキンで口元を押さえ、涙と一緒に飲み込んだ。隊員達がそれ見たことかと顔を輝かせる。
「今『ふごぉ』って悲鳴上げーたっ」
「涙目にもなってましたしぃ~」
「鼻水、鼻水っ」
元気いっぱいに囃し立てる彼らの頭に、順繰りにゲンコツが落とされた。
「痛ぇっ!?」
「いいからお前らはとっとと食って、ドラゴンの警戒に当たってこい」
苦々しく叱責すると、盆を持ったロイドがどっかりと席に座り込む。決死の表情で皿を掴み、鼻をつまんで一気にスープを流し込んだ。
「うぐぉ……っ。鼻をつまんでなお感じる、強烈なエグみと苦みッ!!」
「そして青臭いですよね……。薬草料理って、どれもこんなものなんでしょうか」
ため息をつきつつも、二人は励まし合いながらなんとか完食する。
食後の口直しに、と一気飲みしたお茶をブーッと噴出した。
「げほごほがほッ!?」
「ごふごふごふッ!!」
激しく咳き込む彼らの後ろから、リナがぴょっこりと顔を覗かせる。空になった二人のカップに、なみなみとお代わりを注いだ。
「特別調合の薬草茶です!」
「何してくれてんだ貴様はぁぁぁぁっ!?」
「ど、毒草茶の間違いでは……?」
滂沱の涙を流しながら突っ込む二人であった。
◇
「――このままでは埒が明かん。リナ。今日から俺は、時間の許す限りお前の料理を監督することに決めた」
ロイドが威圧感を込めてリナを見下ろすと、リナは不思議そうに瞬きしてから頷いた。
「了解いたしました。ロイドさんも料理の極意を学びたいってことでよろしいですね?」
「よろしくねぇわ。料理の極意なんてもんがあるのなら、俺は真っ先にお前に学ばせたい」
「間に合ってます!」
「間に合ってねぇから言ってんだよ!!」
ぎゃあぎゃあと言い合いながらも、リナは腕まくりして料理に取り掛かる。
手際よく薬草を洗って刻み、大鍋にぐらぐらと湯を沸かした。調味料棚から壺を取り、白い粉を豪快に湯に入れる。
「……それは?」
「お砂糖です。これを入れることによって、こちらに用意した魔力草の」
効能効果が高まります、とでも言うのだろうとロイドは予想した。
「エグみと苦みが引き立ちます」
「あああんッ!!?」
思わずチンピラのような声が出た。
頭の中が絶賛大混乱中のロイドに、リナはあっけらかんと笑いかける。
「薬草によって向いているのはお塩だったり、お酢だったりするんですけどね。ああ、形がなくなるまで煮ることで、鼻が曲がるほど臭う薬草もあるんですよ~」
「あるんですよ~、じゃないだろうがぁっ! それじゃ何か、お前はあえて薬草を不味くしてんのかっ!」
「あえて不味く、というよりは、薬草の特徴を生かしてあげてるんです」
リナは澄まし顔で答えると、お玉をぴっとロイドの鼻先に突き付けた。
「思い込みって案外馬鹿にならないんですよ? これは薬だって自覚しながら摂取すれば、その分効果も高まります」
「……そういうもんか?」
眉をひそめるロイドを軽やかに笑い、リナは次の薬草を用意する。無駄のない手さばきで、次々と料理を仕上げていった。
◇
食堂は今日も大盛況だ。
そこかしこから元気に悲鳴が響き渡る。
「だああぁ~っ! まずいっ!!」
「おいリナ! いくら健康に良かろうが、そろそろ隊員の精神も限界だぞ! もっとこいつらが食べたくなるような工夫をだな……」
苦虫を噛み潰したような顔のロイドから叱責され、リナは少しばかり考え込んだ。ややあってぽんと手を打つ。
十分ほど厨房にこもり、戻ってきた時には何やら大皿を手にしていた。皿には串に刺された赤い実が盛られており、実の表面についた焦げ目が何とも食欲をそそる。
リナは食堂中をぐるりと見回すと、大きく息を吸った。
「皆さぁぁぁんっ! 追加の料理をご用意しましたっ! 先着十名様だけですよ!」
「…………」
誰ひとり動こうとしない。ロイドもまた然りだ。
しかし、リナは余裕の笑みを浮かべた。全員に皿を見せつつウィンクする。
「いいんですかね~、在庫はここにある分しかないんですけどね~。――美肌効果バツグンの薬草焼きっ!」
『えええっ!?』
女性兵士一同が息を呑んだ。
恐る恐る顔を見合わせる彼女達から目を逸らし、リナは小さく独りごちる。
「そう。これは薬草にしては珍しく即効性が高い、トゥルトゥルの実……。これを食べて一晩眠れば、あら素敵。お肌がしっとりモチモチに」
「あたし食べるッ!!」
「ちょっとぉ!? ずるいわよッ!」
「あたしもあたしもーーー!!!」
目を血走らせた女性達がどっと殺到し、リナは胸を膨らませてふんぞり返った。
ドヤァ、と言いたげなその顔に、ロイドはとてもイラッとした。
◇
「今日は男性陣が喜びそうな薬草料理をご用意しました!」
「いらねぇよ」
「結構です」
出鼻をくじくように、ロイドとメルヴィンが速攻で首を横に振る。
しかしリナにめげる様子はない。皿に載った黒々とした一枚の葉――巨大で肉厚で、この上なくまずそうなそれを高々と掲げる。
「こちらは先着一名様です! これを規定量として、目安は一日一回です。欲しいかた~!?」
『…………』
食堂にいる全員が、沈黙をもって回答とした。
無言で今日のノルマ、つまりはリナ特製料理を堪能する。
リナはコホンと空咳すると、しずしずと前に出た。昨晩トゥルトゥルの実を紹介した時と同じく、大きく息を吸い込む。
「こちらのコンブ草はなんと!――育毛効果があるのです!!」
『ぬあぁにぃぃぃぃッ!!?』
食堂に野太い声が木霊した。
微かに眉をひそめるロイドをよそに、頭頂部の寂しい男達が我先にと駆け出していく。
男達に詰め寄られ、リナの姿が完全に見えなくなってしまった。
ロイドは嫌そうにため息をつく。
「メルヴィン。悪いが止めてきてくれるか。怪我人でも出たらシャレになら――……は?」
ぽかんとして言葉を止めた。
隣に座っていたはずのメルヴィンが、忽然と姿を消していたからだ。
手洗いにでも立ったのだろうかと首をひねりつつ、ロイドは仕方なく席から離れてリナの元へと向かう。
殺気立った男達が円陣を組み、ジャンケン勝負をしている真っ最中だった。
「ジャンッケンッ」
『ポォォォーーーーンッ!!!』
「あいッこでッ」
『うんどりゃああああーーーーッ!!!』
(……まあ、掴み合いの喧嘩をしてるわけでもなし、別に放っておいても構わんか)
ひとまずリナだけは救出しておくかと距離を詰めかけたところで、ロイドはぎょっとして立ち尽くす。
「ふふ。どうやらわたしの勝ちのようですね」
メルヴィンが爽やかな笑顔で髪をかき上げていたのだ。
ジャンケンに負けた男達が、ギリィッと悔しげに奥歯を噛み締める。
「くっ、なんで副隊長なんだよっ!」
「フサフサな色男の分際で、一体どういうつもりなんすかぁっ」
口角泡を飛ばして訴える部下達を無視して、メルヴィンはリナに歩み寄った。迷う素振りもなくコンブ草を鷲掴みにする。
「お、おいメルヴィン!? お前は一体何をっ」
ロイドが驚愕に目を見開くが、メルヴィンは構わず大口を開けた。今にもコンブ草にかぶりつこうとする彼を、ロイドが大慌てで止める。
「正気か、メルヴィン!? 腹でも壊したらどうするつもりだ! 育毛剤は、お前には全く必要ないだろうっ」
その瞬間、メルヴィンが憤怒の表情を浮かべた。
「必要ない!? そんなもの、ですって!?」
普段温厚な彼からは考えられない強い口調に、ロイドはたじたじとなる。周囲の兵も、リナもぽかんと口を開けた。
「隊長は、隊長はご自分のお父上がフサフサだからそんな余裕をかませるのですっ。わたしの家系の男子は皆、まばゆいほどのツルツルばかり! 今のうちに対策することの何が悪いと言うのです!?」
「副隊長……!」
「そうだったんすねっ!」
「わかります、その辛いお気持ちっ」
何故か周囲の男達も、男泣きに泣き出した。
疎外感に遠い目をするロイドを押し退け、リナが得たりとばかりに頷く。
「トゥルトゥルの実もコンブ草も、実家から持ってきた分しかないんですけど。……私が正職員になれば、もちろん薬草畑で栽培するつもりですからね?」
まあ、もちろんロイドさんがいいっておっしゃるならですけどぉ。
チラッチラッと視線を送ってくるリナに、ロイドはやはりとてもイラッとした。