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第一話

 西方砦は疲弊していた。



 ――ぐるけぇー、ぐるけぇー



 甲高い叫び声が夕闇の中を響き渡る。

 翼をはためかせた巨大な生物が、空中をくるくると回転しながら喉を震わせていた。最後に軽やかに一回転すると、ようやく満足したのか砦から飛び去っていく。


 その後ろ姿を見送るなり、砦の兵士達が次々と地に倒れ伏した。そのまま皆ピクリとも動かない。


 唯一立ったままだった男が、ため息交じりで長剣を払った。荒々しく鞘に戻すと、目を吊り上げて屍達を大喝する。


「おい、しっかりしろ。ここで寝るな、まずはメシだ。補給しないことには回復のしようがないんだぞ」


 男の叱責にも、誰ひとり顔を上げようとしない。

 長々と伸びたまま呻き声だけが漏れ聞こえてくる。


「なにも、いりません隊長……」


「もういっそ永遠の眠りにつきたい……」


「うちにかえりたいよぅ……」


 部下達の泣き言に、男はあきれ果てて天を仰いだ。

 山の向こうに夕陽が沈み、赤と黒の境界線がくっきりと見える。この上なく美しい光景のはずなのに、今はそれを鑑賞する余裕がない。


(ああ、クソッ。何故、俺の任期中にこんな羽目に……!)


 男もまた、自らの境遇を呪うのだった。



 ◇



「本当に行くのかい、リナ。西方砦は連日ドラゴンに襲われて酷い有様らしいって、もっぱらの噂なんだよ?」


 エプロンの裾を握り締め、年配の女が心配そうに眉を下げる。しかしリナと呼ばれた少女は、亜麻色の髪をふわりと揺らして微笑んだ。


「はい、だからこそです。彼らはきっと、私の助けを必要としているはずですから」


 きっぱりと言い切ると、リナは大荷物を背に担ぐ。エプロンの女に向き直り、深々と頭を下げた。


「それじゃ、おばさん。一ヶ月弱お世話になりました」


「はいよ、またいつでも戻ってきていいからね? この村には医者なんかいないんだから、アンタが来てくれて本当に助かったんだ」


 名残惜しげに見送る女に笑顔で手を振って、リナは意気揚々と歩き出す。

 西方砦に向かう道は整備不足で、雑草が元気にはびこっていた。もしや貴重な薬草が交じってやしないかと慎重に歩を進める。


 しかし、気付けば足が勝手にスキップし始めていた。胸がどきどきと高鳴るのを止められない。


(ああ、楽しみです……!)


 凶悪なドラゴンに襲われているという、国境沿いの西方砦。

 兵士達は連日の襲撃にくたびれ果て、もはや青息吐息の状態だとか。剣士は剣を振るう余力もなく、魔道士は魔力切れにあえいでいるらしい。


 そこまで考え、リナは唇をほころばせる。


 ――そんな、大混乱の極限状態であるならば。


「きっと、ものすっごく人手不足に違いないですよね! 私は夢の正職員になれて、兵士さん達は私の手料理で元気になれる。まさに一挙両得というやつです!」



 ◇



「……は? 求職者? こんな状況下でか?」


 国境警備隊、西方砦の隊長であるロイドは大いに首をひねった。

 報告に来た副隊長のメルヴィンも、曖昧な表情で首肯する。


「ええ。……といっても兵士志願者ではなく、厨房を担当したいんだとか。年は十八、リナという名の女性です」


「ふむ。まあ、有り難い話ではあるな。このドラゴン騒ぎで一体何人の一般職員が退職したことか。特に料理は隊員の持ち回りにも限界がある。……どれも大味ばかりだしな」


 肉は焼いただけ、野菜は塩で煮込んだだけ。


 ここ最近の味気ない食事を思い出し、ロイドはげんなりと肩を落とした。

 しかし、これで久々に美味い料理にありつけるかもしれない。しかめていた顔をほころばせると、勢いをつけて執務机から立ち上った。


 背後にメルヴィンを従えて、大股で廊下を突き進む。


「経歴に不審な点は?」


「特には。薬草栽培が盛んな村の出身で、ちょうど就職先を探していたそうなんです。薬草を使った健康的な料理がお得意らしいですよ」


「――ほう!!」


 それは正直助かる。


 度重なる襲撃に、隊員達は日に日にやつれていった。

 それだけでなく、最近では些細な口論から小競り合いまで頻発する始末。皆疲れすぎて気が短くなっているのだ。


 メルヴィンも後ろから声を弾ませる。


「美味しい薬草料理で、隊員達の気力体力が回復するといいですね」


「そうだな。この砦がまとな状態に戻れば、副隊長であるお前がこんな雑務まで引き受ける必要もなくなるしな」


 目を細めて揶揄するロイドに、メルヴィンは「採用だって重要なお仕事なんですよ?」と澄まし顔で答えた。小さく笑い合い、来客用の部屋の前に立つ。


 コンコン、と二度ノックして、質素な扉をゆっくりと開いた。



 ◇



 のんびりと寛いでいたリナは、ノックの音を聞きつけてすぐさま立ち上がる。


 じっと目を凝らして待ち受けていると、長身の男が二人一緒に入室してきた。

 どちらも二十代半ばといったところで、一人は黒髪で筋骨隆々とした体躯。もう一人は色素の薄い茶髪に、ほっそりしたたおやかな外見。


 リナはほうっと息を吐いた。

 二人に向かってお辞儀をしつつ、頭の中で素早く計算する。


(黒髪さんは強面でお厳しそう。茶髪さんは優しくチョロそう。……つまり、狙うべきは茶髪さんですね!)


 失礼な人物評は胸にしまい込み、にこにこと二人に歩み寄った。


「はじめまして、リナと申します。薬草師の父に鍛えられ、自分の腕を活かせる職場を求めて旅をしていました」


「そうか。まあまずは座ってくれ」


 椅子をすすめられ、粗末なテーブルを挟んで向かい合う。


 黒髪の強面は隊長のロイド、チョロそうな茶髪は副隊長のメルヴィンと名乗った。副隊長の方が代表して、勤務条件や給与について説明してくれる。


 厨房担当は軒並み退職したため、リナが一人で料理の采配を振ることになるそうだ。ただし、当番の隊員達も助太刀するので、手足として好きに使ってくれて構わない。


 メルヴィンの説明に熱心に耳を傾けながら、リナはテーブル上の書類を覗き込んだ。ちゃんと「正職員契約書」と明記してあり、リナは喜びのままこっそり足踏みする。


 標的と定めたメルヴィンを優先に、にこにこと愛想を振りまいた。


「――とまあ、ざっとこんな感じですね。ロイド隊長からは何かありますか?」


 メルヴィンから促され、むっつりと目を閉じていたロイドが腕組みを解く。テーブルから身を乗り出し、強面の顔をぐっとリナに近付けた。


(わわっ?)


「リナさん。その……、君の得意料理は何だろうか? 早速今晩食べてみたいのだが」


 恥ずかしそうに視線を下げる大男に、リナは思わず笑顔になった。さっとテーブルから離れると、部屋の片隅に置いていた荷物から大きな葉っぱの束を取り出した。


「これ、ここに来る途中で自生しているのを見つけたんです。滋養強壮に効果てきめんな薬草なんですよ」


 声を弾ませて説明しながら、他にも様々な植物を披露する。


 魔力回復を促す薬草、食欲を増進させる薬草、安眠効果のある薬草……。


 青々とした美しいものから、毒々しい赤斑点の花まで色々ある。ロイドもメルヴィンも興味津々で薬草を観察した。


「これを全て道中で見つけたのか?」


 小首を傾げるロイドに、リナは笑顔でかぶりを振る。


「いいえ、ほとんどは実家で栽培して乾燥させたものなんです。正職員として長く勤めるなら、ぜひこの砦にも薬草畑を作りたいんですけど……」


 上目遣いに訴えると、メルヴィンが嬉しげに手を打った。


「それは良い考えですね。砦の裏手にちょうどいい場所がありますよ」


 面接はつつがなく終わり、最後にリナが雇用契約書に署名する。大きくて元気いっぱいな文字だと、ロイドとメルヴィンが朗らかに笑った。


 リナは胸を撫で下ろす。

 家族のために就職先を見つけるという夢が叶い、全ては順調だった。


 ――そう、この時までは。



 ◇



「うおお、なんって良い匂いなんだ……!」


「爽やかで、すっげぇ美味そう……」


「綺麗な色の野菜スープ……。魔力草を煮込んであるのね。久しぶりに魔力が充実しそうだわ!」


 食堂に勢揃いした兵士達が、楽しげに笑いさざめきながら自身の皿に目を落とす。

 額に浮いた汗を拭ったリナは、嬉しくなって皆を見回した。


「今日から厨房を担当するリナと申します。お代わりもありますから、たっくさん召し上がってくださいね!」


『おおっ』


 全員が仲良く唱和して、待ち切れない様子でスプーンやフォークに手を伸ばす。


 正職員になって初の献立は、パンに野菜スープ、魚介の煮込み、鶏肉のロースト。

 どれもふんだんに薬草を使っていて、パン生地にも薬草を練り込むという手の込みようだ。


 栄養満点の食事に、兵士達は舌鼓を打――……


「ぐほぉうっ!?」

「ゲフゥッ!!」

「ぎょええっ!?」


 たなかった。

 食堂中に悲痛な声が響き渡る。


 リナはきょとんと首を傾げると、鍋とお玉を持ってテーブルを回り出した。悶絶する兵士の顔を覗き込みつつ、皿にスープを追加していく。


「全部食べなきゃ元気になれませんよー? 美味しいお食事は健康と幸福の源なんですからね」


 口を押さえて苦しんでいた男女が、リナの言葉にはっと顔を上げた。血相を変えて我先にと喚き立てる。


「いやカケラも美味くねぇわっ!!」

「幸福どころか不幸のドン底だよっ!!」

「心臓が止まるかと思ったじゃないっ!!」


 殺気立った彼らに取り囲まれ、リナは目を丸くした。お玉でもじもじと鍋をかき回す。


「こ、これはもしや……。噂に聞く、新人イビリというやつでしょうか……?」


「――新人イビリだと!?」


 鋭い声音にリナ達は一斉に振り返った。

 食堂の入口で、肩を怒らせたロイドが憤怒の形相を浮かべている。後ろのメルヴィンも眉をひそめていた。


 ロイドが荒々しくリナに歩み寄ってくる。


「大丈夫か? すまない、普段はこんなことをする奴らではないのだが」


「彼らは今、普通の心持ちではないのですよ。後でよくよく言い聞かせておきますからね」


 代わる代わる優しい言葉をかけてくれるロイドとメルヴィンに、リナははにかんで頷いた。


「き、気にしてませんから大丈夫です。どうしてかわからないんですけど、最初は皆さんこういう反応をなさるんですよね」


「隊長、副隊長っ! とんだ濡れ衣です、オレ達はマトモです正常なんですっ」


「あたし達を疑う前に、まずはこの料理を食べてみてくださいっ」


 リナを押し退けた兵士達が、必死になって弁解する。

 その酷い言い草に顔をしかめつつも、ロイドはしぶしぶリナからお玉を受け取った。緑色のスープをズッとすする。


「…………!!」


「え、ロイド隊長?」


 唖然とするメルヴィンの目の前で、ロイドがゆっくりと傾いだ。そのままずってんどうと倒れてしまう。


「ロイド隊長ーーーー!!!」


「ほれ見たことかぁーーーー!!!」

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