9 助けられた
ベッドの上で何をするでもなく転がっていたら突然の轟音と共に部屋全体が揺れた。地震だろうか。
地震でこの地下室が崩れて死んでも別に構わないので、無視して壁際へ寝返りをうつ。
そのまま寝ようかと思ったが、どうも部屋の外の様子がおかしい。
ハッキリとは聞こえないが遠くから悲鳴や怒号のような声、大勢の足音、物が壊れる音。
それらはどんどん近づいてきた。
流石におかしいと思い、身を起こし外へ通じる扉を見詰める。すると、突然施錠魔術が解除され、乱暴に扉が開かれた。現れたのは見覚えの無い武装した男達。
研究所の人間は魅了魔術に惑わされない様、魔力を無効化する装備を身に着けて──前世で云う防護服に近い格好をして──いるので、今部屋に入ってきた男達は確実に外部の人間だろう。
──魅了魔術を利用したい勢力が私を捕まえに来たかな。まあ、どこに捕まろうと結局同じだろう。どうでもいい。
一人の男が私の前に歩み出てきて跪く。
「シャノン様ですね?」
「そうです」
「失礼します」
そう言って男は私を抱きかかえた。
「突然の無礼をお許しください。時間が無いので」
随分、紳士的な態度である。なにやらお上品な勢力に連れていかれるらしい。
そして、抱きかかえられたままあっという間に研究所から脱出した。外に出て、現在が夜だったのだと知った。
星明りよりも、燃え盛る研究所の方が明るかった。
□
何時間も移動した末にたどり着いた森の中の小屋。そこで私を待っていたのは深紅の髪と瞳の美丈夫だった。
「……シャーリー……! いや、シャノン……!」
突然抱きしめられた。
──うわあ、なんじゃこりゃ、すっげえイケメン。攻略対象達が霞むわ。
あまりの衝撃で逆に心は落ち着いていた。美丈夫の伏せた瞼から一筋の涙が零れた。イケメンは泣き方も静かで美しいんですねと冷静に観察する。
「で、どちら様で?」
「お前の父だ……!」
──は? 子持ちとは思えない若さですけど。じゃなくて、あれ? ヒロインの父親は確か隣国の高位貴族だけど、ヒロインが卒業するまでは何か事情があってヒロインとは接触できないんじゃなかったっけ?
その理由はゲームでも設定資料集でも明かされていないが、とにかく、私が叔母の家で散々な目にあっても学園で四面楚歌状態でも助けに来ない父親が何故私を助けたのか。逮捕された時点で卒業まではあと二年あった。時間の分からない地下室にいたとはいえ、二年も経過していないのは確実だ。
彼は懐から取り出した指輪を私に渡した。それは母の形見の指輪によく似ていた。
「これと対になる指輪をお前の母が持っていたはずだ。それは私が贈った物。これで父だと信じて貰えるか」
どうやら疑問が湧き出て言葉に詰まる私の表情を、父だと信じられない様子だと思ったらしい。
「確かに、母の形見そっくりです。それに、さっき母の名前を知ってたし……」
シャーリーとは私の母の名だ。
「ああ、名前だけでは無い、シャーリーの事なら何でも答えられるとも……!」
嬉しそうに表情を明るくする父。あんまりにも上品で輝かしい顔なので眩しくて目を逸らしてしまった。それを拒絶と判断した彼は非常に焦ったというか、この世の終わりの様な表情になる。
「すまない、散々放置しておいて何を今更と思うだろうが、私にも事情があるのだ。詳しくは落ち着いてから話す。だから今は何も聞かず、付いてきてくれ……どうか、どうか……」
あまりにも必死な懇願に申し訳なくなる。
「大丈夫です。行くところなんてないから、どこでも連れてってください」
「ああ、ありがとうシャノン……!」
周囲にいた私を助け出した人達の中には、再び静かに涙を零す父を見て涙ぐんでいる者もいた。離れ離れの親子がやっと邂逅できた感動シーンに見えるのかもしれない。
□
私は現在リスタニエルと隣国ヴアルイオの国境沿いの街にいる。ここはかつてヴアルイオの領土だったが、リスタニエルが守護神と契約する際、勝手に領土として結界内に組み込んだ地だ。
故にリスタニエルよりもヴアルイオの文化が根強い。住人は、結界で覆ってくれたリスタニエルに感謝する者、中央と文化が違い過ぎる為ヴアルイオに再び併合されたい者、半々だ。
この街に着いてからとずっと音が聞こえる。
ジリリリリリン、ジリリリリリン。
何か警告音の様なベルの音。父にも、私を助けてくれた──父に仕える騎士達──にも、街の人にも聞こえないという。
それでも聞こえるのだとしきりに首を傾げる私を、父は過酷な環境下でのストレスで体に不調をきたしていると判断し、申し訳なさそうにした後、瞳に静かな怒りを灯した。多分私をこんな目に合わせた奴に怒ってると思われる。
──事情があるとはいえほっといたのはお父さんですよー。
と、若干恨みがましく思う。
それはさておき、今夜は隣国へ向かう。研究所から脱出して二日の早さである。
父がリスタニエルに来たことを知られるのは不味いらしく、闇夜に紛れて国境の森から帰国するらしい。
リスタニエルの結界外の森は魔獣がうようよしている。当然だ。リスタニエル以外の国には結界なんてものはないのだ。
他国は常に魔獣の脅威に晒されながら生きている。だから、リスタニエルとは比べ物にならない程の軍事力を有している。魔物だけでなく悪意ある者を弾く効果もあるこの結界さえなければリスタニエルは容易に他国に侵略される。まあ、その前に魔獣が押し寄せて滅ぶだろうけど。
□
国境の森に入ると音は声に変わった。
警告警告。国境を越えました。契約主は速やかにリスタニエルにお戻りください。
──アナウンスかい! もしかしてこれ、結界が消えるまで脳内に響くの? 五月蠅すぎる。いや、そんなことよりも……。
本当に私は契約主だったのだ。
このまま私が隣国に一定期間いるとリスタニエルの結界は消滅する。
──リュカ、アリシア先生、テティさん、魔法協会の人達……。
私のせいで、死んでしまうのだろうか。
しかし、私はリスタニエルに居たら殺されてしまう。
自分の命か、彼らの命か。
私は──
警告警告。20日以内にお戻りにならなければ契約終了と見做します。
──20日、20日か……。
定期的にこの国境の森に来て、ほんの少しリスタニエルの国土に入れば契約は継続される可能性がある。でも、そう上手くはいかないかもしれない。
──けど、これに賭けてみようか。
20日後、ここで契約継続にならなければ──その場で自殺して王族を契約主にするか、ヴアルイオに戻ってのうのうと生きるか。その時になって判断しよう。
真剣な表情で悩んでいると、私を抱きかかえて馬を操る父が微笑んだ。
「大丈夫だ、お前が心配する事は何も無い」
「……」
「リスタニエルという国は地図から消える、しかしそれはその地に住む人間ごとではないという事だ」
「……え?」
何故。今すぐ問いただしたいが、詳しい事は後だと言われた。
仕方がない。いくら他国の人は戦闘力が高く、今回優秀な騎士を連れているとはいえ、大勢の魔獣に囲まれては只では済まない。こんな所で話し込んでは大変な事になる。早く森を抜けて安全な場所に行かなければいけないのだ。
 




