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track01. 夏鳥は銃弾を噛む-Summer Bird Bites the Bullet-(3)

 翌朝、夏野はMr.Loudのアルバムを聴きながら登校した。

 このバンドは大好きだったが、聴くとあの頃のことを思い出してしまう為、自然と遠ざけてしまっていた。

 昨夜も一晩中、空白の期間を埋めるかの如く、夏野はMr.Loudを聴き続けた。

 久々に聴いたそれは、変わらずギターが速く、歌もブルージーで、そして何故だか、当時聴いていた時よりも強く夏野の胸を打った。


 結局、昨日夏野は1曲歌いきることができなかった。

 久し振りに歌おうとしたからか、声が思うように出ない。ギターの彼も他人とのセッションに慣れていないのか、探り探りでテンポがぎこちなかった。

 それでも、2番を歌い終える頃には、夏野も少し勘を取り戻し、相手も慣れてきた。

 間奏のギターソロを弾く姿に、夏野は一瞬(たすく)を思い出しそうになり、慌ててその妄想を振り払う。ぐっと歯を食いしばって最後のサビに挑もうとした時――ギターの音が止まった。


 驚いた夏野が彼の方を見ると、彼はバツが悪そうに頭を掻いている。

 視線の先には数人の見物客と、警察官が立っていた。

「……やべ」

 彼はぼそりと呟き、慌てて荷物を片付けて、自転車にまたがった。


「――え、ちょっと」

「ごめん、許可取るの忘れてた。それ、今度返してね」


 そして彼は立ち去り――後には、ニワトリとなった夏野だけが残された。


 一体何だったんだ、あれは。

 ニワトリのまま警察から逃げるしかなかった、巻き込まれ事故としか言えない状況だったのに、夏野は楽しくて仕方なかった。


 高校の最寄り駅に電車が到着する。

 改札を出たところで、或る曲がリピートする。それは、昨日彼とセッションした曲――『Bite the Bullet』だった。


 夏野は一人、胸の中でほくそ笑む。

 中途半端とはいえ、あのセッションは間違いなく夏野の中の何かを変えた。

 昨晩も夏野はこの曲を聴いた。

 何度も何度も。感覚を確かめるように。

 既に遠くに消えたはずの、記憶を辿るように。

 曲の中でボーカリストが、何度も叫ぶように歌う。


 ――Bite the bullet, bite the bullet.


 そうだった。俺は、この歌詞が好きだった。


 バンドで歌う時に『銃弾を噛め』という歌詞の意味がわからず、歌詞カードの訳を見て、『やるしかない』という意味だと知った。

 それ以来、洋楽の歌詞カードも読むようになった。意味を知らずに聴いていた時より、深く音楽を楽しめる気がした。

 好きな曲を聴きながらだといつもと変わらないはずの通学風景も色付いて見えて、夏野は小さく微笑んだ。


 教室のドアを開けると、クラスの女子達と会話していた亜季が振り向く。


「なっちゃん、おはよう」

「おはよう」


 返事もそこそこに席に着くと、亜季が近寄ってきた。


「なっちゃん、昨日何してたの? カラオケ楽しかったよ」

「あー」


 ……謎のストリートミュージシャンとニワトリの覆面を被って警察官から逃げてきた、なんて言ったら、このクールな幼馴染みは目を丸くするだろう。


「――内緒」


 軽く笑って夏野がそう返すと、亜季は不思議そうに首を傾げた。


「……なにそれ。でも――」


 亜季が嬉しそうに微笑む。


「なっちゃん、なんだか楽しそうね」


 その日の日中は昨日の小さな事件などなかったかのように、平穏に過ぎていった。

 そう――放課後、或る男が夏野の教室を訪れるまでは。


「ねぇ、君が夏野クン?」


 教室の入り口に立つ男を見て、夏野は絶句した。

 クラスメートの女子達から黄色い声が上がる。

 夏野と立ち話をしていた亜季が、驚いたように耳打ちをする。


「……なっちゃん、鬼崎(きさき)さんと知り合い?」


 この学校で鬼崎達哉のことを知らない者など、いないだろう。

 夏野と歳は一つしか変わらないはずなのに、随分と雰囲気が大人びている――というよりも、存在が際立っている。

 この高校の校則は特に身だしなみについては緩く、ほとんどの生徒が私服で、明るい髪色をしている者も少なくはなかったが、それでも鬼崎の長い金髪は目を惹いた。

 光を含んできらきらと(なび)くその髪は、人形のように整った顔と相まって、より彼の異質さを引き立てていた。


「――いや、知らね」


 夏野は鞄を持って反対側のドアから出ようとしたが、そこにまた鬼崎がやってくる。


「何、僕のこと無視する気?」


 鬼崎の整えられた眉毛が歪んでいた。機嫌の悪さが思いきり顔に出るタイプのようだ。

「ちょっと忙しいんで」と鬼崎の横をすり抜けようとした時――


「昨日歌ってたでしょ」


 投げ付けられた言葉に、夏野は目を見開く。


「……何のことですか」

「警察に追いかけられてなかった?」


 鬼崎の顔を見ると、彼は勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。


「――ちょっと二人で話そうよ」



 ***



 夏野は鬼崎に連れられ、校庭の端のスタジオにいた。

 軽音楽部の部室が別館にあることは知っていたが、中に入ったのは初めてだ。

 2室ある奥のスタジオに案内され、夏野と鬼崎は向かい合って座った。


 楽器に囲まれるスタジオ独特の空気感が中学時代の記憶を想起させ、夏野の憂鬱はより深まった。

 昨日の出来事だけでは、まだ当時のトラウマを払拭することはできなかった。


 いや、それだけではない。夏野は鬼崎が苦手だった。

 きちんと話すのは先程の会話が初めてだったが、上級生だからか、それとも彼特有のものなのか――自分が上の立場であるかのような横柄な振舞いが、そのネガティブ感情を加速させる。

 そんな中、鬼崎が口を開いた。


「ちなみに、僕のことは?」

「……勿論知ってますけど」

「ふぅん、サイン要る?」

「いや、いいです」


 あっそ、とまた鬼崎の眉毛がひん曲がる。

 面倒だな、と正直に夏野は思った。

 機嫌(きげん)を取ろうにも、夏野は彼の曲をあまり知らない。


 そう、鬼崎は既に名のあるミュージシャンだった。

 2年ほど前に女性ボーカリストとユニットを組み、『King & Queen』という音楽ユニットのリーダー兼作詞・作曲者として、世に出ている。

 クラスメート達の噂では、高校入学前にどこかのレコード会社のコンテストで結果を出していたらしく、弱冠高校生でありながら多彩な楽曲を発表する鬼崎は、そのビジュアルも相まって一気に話題になった。

 勿論地毛ではなく染めているはずだが、その金髪と長い睫毛に彩られた美しい顔は正に異国のQueen=お(きさき)様のようだった。


 そして、夏野が鬼崎のことを苦手な理由も、彼の活動に起因していた。

 あの文化祭の日、佑達によって演奏された曲の一つがKing & Queenの作品だった。楽曲自体が悪いわけではないと頭ではわかっていつつも、あれ以来夏野はまともに鬼崎の作品を聴けなかった。

 そんなことを鬼崎が知る由もなく、彼は話を続けた。


「まぁそんなことはいいんだけど、夏野クンうちの軽音楽部に入らない?」

「やめときます」

「何で」

「――色々と忙しいんで」

「帰宅部なのに?」


 畳み掛けるように問いを投げ付けられ、夏野は溜め息を吐く。

 訊きたいことは山程あった。そもそも何故こんな展開になっているのか、全く接点のないはずの夏野のことを鬼崎が何故知っているのか。

 しかし、それを差し置いても、夏野はあまり鬼崎と会話をしたくなかった。

 答えようとしない夏野を見て、鬼崎はふんと鼻を鳴らす。


「――ま、僕としても、君自体に興味持ってるわけじゃないんだけど。ただ、君に入ってもらわないと困るんだよね」

「どういう意味ですか?」


「今年の新入生でどうしても入部してほしい人がいてさ、そしたら彼、君のファンだって言うんだ」


 想定外の単語が飛び出し、夏野は目を丸くした。


「――は……?」


 鬼崎はいかにも面白くなさそうな顔をしている。


「そのギタリスト、高校生にしてはかなり上手いんだよ。それで、丁度King & Queenの方でも上手いギターがいればレコーディングとかで使えるからラッキーと思ってたら、君と同じバンドじゃないと入らないって言い出してさ」


 夏野は話の展開に付いていくのがやっとだ。

 鬼崎は何の話をしているのだろう。

 鬼崎と違って音楽活動などしていない自分に、何故ファンがいるのか?


「だから、とりあえず夏野クンが入部してくれないと困るんだよ。――入るよね? 警察の話、されたくないでしょ?」


 その時、背後でスタジオのドアが開く音がした。

 鬼崎の表情がぱっと明るく変わる。


「あ、ほら、確保したよ。君の探してたボーカリスト」


 夏野が振り返ると、そこにはギターを背負った明るい茶髪の青年が立っていた。

 こちらを見下ろすその目付きはお世辞にも良いとは言えず、どう見ても『ファン』のものとは思えない。

 期せずして、夏野と青年は睨み合う形となった。


「じゃ、あとはよろしく」


 素知らぬ顔で鬼崎が出て行くその間も夏野はぶすっとしたまま目の前の青年を見上げていた。

 ドアが閉じた瞬間、彼は夏野の視線を(かわ)し、背中のギターを下ろして椅子にまたがり、そして――きつめの眼差しをふっと緩めた。

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