track04. 王が来たりて-King's Coming-(3)
その日、小鈴は都心の公園をぶらぶらと一人歩いていた。思ったより仕事が順調に進み、夜の予定までぽっかりと時間が空いたのだが、特にやりたいことが思い付かず、気付けばここに足が向いていた。
街に繰り出していた高校生の頃、帰り際にこの公園に立寄り、近くの喫茶店で買ったドリンクを飲みながら散歩するのが当時のお決まりのコースだった。入口の方ではイベントが行われたりするので賑やかだが、木々が生い茂る公園の中まで入り込んでしまえば、そこまで人が多くは感じない。都心のエアポケットのようなこの場所が、小鈴は好きだった。
近くのベンチに腰掛けて、買ってきたドリンクを袋から出す。先月発売された新作のフレーバーだ。最近バタバタしていて、まだ飲めていなかった。ストローを一口吸うと甘さが口いっぱいに広がり、小鈴は満足気に息を吐いた。
左腕の時計に視線を落とすと午後四時を過ぎたところだ。暫くはここでゆっくりしていよう。ここのところ忙しい日が続いている。たまには贅沢に何もしないで過ごすのも良いだろう。
――ふと、周囲に人の気配を感じて、小鈴はゆっくりと目を開いた。どうやら気付かない内にうたた寝をしてしまっていたようだ。まだ微睡みの中にいたいと思いつつ、周囲を見回し――小鈴は一気に覚醒した。先程までは誰もいなかったはずなのに、十数人は人が集まっており、小鈴の隣のベンチや、周りの芝生に座っている。
小鈴は慌てて被っていたキャップの鍔を目深に引き下げた。横目で集まった人々を確認すると、学生が多いようだが、通りすがりらしき大人も何名かいる。何かイベントでも開かれるのだろうか、これ以上人が集まってくるようであれば、場所を変えた方が良いか――そう考えあぐねていた時、「あっ来たよ!」と声が上がった。
顔を上げた小鈴の視界に入ったのは――ニワトリと犬のかぶりものをした二人組がこちらに歩いてくる姿だった。一瞬大道芸人か何かかと思ったが、ニワトリの後ろを歩く犬がギターケースを担いでいる。そのまま二匹は小鈴のベンチの前方に陣取り、いそいそと準備を始めた。
「ねぇ、本当に来たね」
小鈴の背後から声が聞こえてくる。
「前は金曜日だったから、月曜日も来るか不安だったけど、来て良かったー」
「他の人達も噂を聞いて来たのかな? 何か人増えてるよね」
そんな会話が行われている間にも、また少しずつ人が増えてきたようだ。今更ここを離れるのも目立ちそうな気がして、小鈴はおとなしく座ったままでいた。
犬がアコースティックギターを軽く鳴らすと、ニワトリがそちらに顔を向けて、小さく頷く。二匹は小鈴を含む観衆達に向き直り、無言で礼をした。観衆達が拍手で応える。拍手が鳴り止むのを待たずに、犬が激しくギターを奏で始めた。一聴して何の曲かはわからないが、随分と弾き慣れている様子だ。
そして、前奏らしき部分が終わり、ニワトリが声を発したその瞬間――小鈴は息を呑んだ。
その喉から放たれる歌声には、圧倒的な華があった。勿論音程も正確で、歌の技術が低い訳でもないが、そのような要素を差し置いても聴く者の心を掴む力が、その歌声にはあった。
聴いていく内に、演奏曲は洋楽の有名なロックナンバーだということがわかった。二番まで歌い終わると犬がギターソロを掻き鳴らす。小鈴はそこまでギターに詳しくないが、いわゆるストリートで演奏されている伴奏のようなギターとは一線を画しているということは感じられる。
――この二人組は、何者?
あっという間に一曲が終わり、次の曲の演奏が始まる。目の前で繰り広げられているそれを目と耳に焼き付けながら、小鈴は笑みを浮かべていた。気付けば周囲は段々と日暮れてきていたが、折角のこの邂逅をもっと楽しんでいたかった。
最終的にその唐突なストリートライブが終わる頃には、聴衆の数も当初の倍以上になっていた。演奏を終えた二人組は、湧き上がる拍手の中で冒頭と同じく無言で深く一礼をして、手際良く片付けを始める。
「あっ、待って――」
彼らに声をかけようとした時、小鈴の携帯電話が鳴った。タイミングが悪い。仕事の電話を意味する着信音に少し苛立ちを感じつつ、バッグの中を探って電話を切る。そして振り返った時には、彼らは既に退散した後だった。
***
――その日から、小鈴の心の一部を、あの不思議な二人組――正確に言えばあの『ニワトリ』の歌声が占めるようになった。しかし、日々は忙しく過ぎていき、あの時間帯にあの公園を訪れることができないまま、今日に至っている。
恐らく声質からして男性だとは思うが、名前はおろか顔もわからない。ただ、ストリートで活動をしているということは、いつかは世に出てくるかも知れない。そんな淡い期待を抱きながら、小鈴は日々を過ごしていた。
「――はい、じゃあ最後のバンドですね! 準備できたかな?」
三条の声が響き、小鈴はふと意識を現実に戻した。次のバンドが最後か。前方を見下ろすと、四人のメンバーがスタンバイを終えていた。キーボードの黒髪ストレートの女子以外は皆男子だが、随分と堂々とした佇まいだ。先程の二バンドと比べると貫禄がある。ボーカルの男子は少し小柄で、中性的な顔立ちをしていた。
――そして、彼は無言で深く一礼する。
会場が一斉に静まり返った。
ボーカリストが顔を上げ、マイクが彼の呼吸の音を拾う。その瞬間、小鈴の中でぴりっと、感覚が爆ぜる音がした。
――まさか
小鈴の予感は、彼の歌声が発せられた瞬間、確信に変わる。
アカペラで歌い上げる彼の声は――小鈴の記憶に刻み込まれた『あの歌声』と一致した。
その歌い終わりに畳み掛けるようにギター、ドラム、キーボードが鳴り響く。しかし、決してその歌声はそれらに塗り潰されることはなかった。各楽器の音量が抑えられている訳ではないが、声量が全く劣っていない。
演奏曲は聴き覚えがない。歌詞が英語なので洋楽だと思われるが、歌も演奏も厚く、聴いていて興味が削がれることがない。少なくとも演奏レベルはこれまでのバンドと比べられるものではないだろう。全てが圧倒的だった。ギターもドラムも、恐らくキーボードで奏でられているベース音も揺るぎがなかった。
そのまま一曲目が終わり、間髪入れず二曲目になだれ込む。小鈴にも聴き覚えのあるメロディーで、数年前に日本のハードロックバンドがリリースした曲だった。歌も演奏も急ピッチで音程も高く、高校生にはかなり技術的に厳しい曲のように思うが、彼らはものともしない。
元『ニワトリ』の彼がハイトーンのサビを歌うと、室内の空気がビリビリと揺れた。その陰で長髪の筋肉系ドラマーはかなりの音数を叩き出しており、キーボードの女子も淡々と演奏している。間奏になると元『犬』と思しき明るい茶髪のギタリストがフロントに出てきて、猛スピードでギターを弾き倒した。小鈴の前方に座っていた男子高校生達が顔を見合わせる。アコースティックギターの時も薄々と感じていたが、エレキギターを聴くとその技術力の高さがよくわかった。
そのまま最後のサビも全力で四人は突っ走り、ラストはボーカルの高音のシャウトと三人の演奏が絡み合って終わった。
四人が立ち上がり、深く礼をするまで、ステージ以外の時は止まっていた。彼らの顔が上がった瞬間――室内は割れんばかりの拍手に包まれる。小鈴も教室の端で手を叩きながら――マスクの下で、一人笑みを浮かべた。
――やっと、見付けた。
「いやー、すごいすごい!! すごすぎて最早ひいちゃう!!」
三条がハイテンションでまくし立てる。
「えっと、バンド名は――」
ここで、ボーカルの彼が「あっ」と口を開けた。演奏中のどこか鬼気迫るような印象から、一気に人間味のある表情に変わる。
「すみません、言い忘れました。『LAST BULLETS』です」
「そっ、おつかれさま! いやー冬島は置いといて、春原くんのギターは本当にすごいね! 初めて聴いた時も度肝を抜かれたけど、プロみたいだよ。それからシンベの高梨さんも新人って聞いてたけどよくこの超絶テク集団についていってたねー。そして何といってもボーカルの……」
「――夏野クン」
三条の言葉を遮り、鬼崎のマイク音声が室内に響いた。
教室中の視線が鬼崎に集まる。勿論、小鈴も鬼崎を見た。
彼は悠然とセンターの通路を前方まで降りていく。そして、鬼崎はボーカル――夏野の前で足を止めた。ぼそぼそと何かを話しているが、マイクを通していないので客席まで聞こえてこない。夏野の表情が一瞬虚を突かれたように揺らぎ、そして――不敵な笑みへと変貌を遂げた。
夏野の合図で他のメンバー含めLAST BULLETSが客席に戻る中、鬼崎は一人キーボードに向かっていく。
――あぁ、そういうことか。
ざわめく会場の中で、一人小鈴は合点がいった。
――丁度良い。
私も、『そんな気分』だった。
「本日お越し頂いた皆さん、ありがとうございました」
鬼崎がマイクスタンドに差したマイクを通して挨拶をする。
「元々予定はしていなかったんですが、折角なので――」
小鈴は眼鏡を外し、机に置いた。
マスクももう要らない。邪魔なだけだ。
「最後に、『本物』の演奏を聴いて頂きます」
鬼崎は芝居がかった仕草で、こちらに手を伸ばした。
「――おいで、小鈴」
その導きに従って、小鈴は立ち上がる。一瞬後に、会場中がざわめきと歓声に包まれた。
前方までゆっくりと降りていくが、教室中の視線が自分に突き刺さっているのがわかる。背後で「こらー! 写真撮影禁止!!」と三条の声が響いた。彼女は鬼崎に何も知らされていなかっただろうに、さすがの対応だ。
仕事の時、小鈴は仮面を着ける。その仮面の名前は、自然と自分の中から出てきたものだ。『山口小鈴』になる前の自分――いや、もしかしたら、『山口小鈴』の方が、仮面だったのかも知れない。
夏野の横を通り過ぎる時、ふと彼に視線を向けると、彼も呆気に取られたようにこちらを見ていた。小鈴が小さく笑みを返すと、少し頬が赤くなる。近くで見てみると年相応で、小鈴からすると可愛らしくさえ思えた。これがあの『ニワトリ』か。
――良いものを聴かせてもらったお礼をしなければ。
小鈴はステージのマイクを手に取った。
瞬間――もう一人の自分に、スイッチが切り替わる。
小鈴は妖艶な笑みを浮かべて、口を開いた。
「皆さんこんにちは。King & Queenのボーカル、『王小鈴』です」
あの日少女が決断したのは
過去の自分との訣別だった
いつしか少女は彼の地に立つ
王者の仮面を纏ったままで
track04. 王が来たりて-King's Coming-




