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track03. 秋の少女は英雄を待つ-Autumn Girl Is Waiting for Her Hero-(2)

「――バンド?」

 目の前に座る夏野は、チョコバナナクレープにかぶりつきながら頷いた。彼は小さい頃から甘いものに目がなく、亜季が友達から教わったスイーツ店の話をすると、いつも満更でもなさそうについてくる。今日の店は最近開拓した場所で、夏野と来るのは初めてだった。


「あぁ、まだ俺入れて三人しかいないけど――ちょっと色々あってさ、組むことになった」

「そうなんだ。同級生なの?」

「いや、ギターが後輩で、ドラムが先輩。二人ともすごく楽器上手いんだけど、なんか変わってるっていうか……面白いんだよなぁ」

 夏野が表情を綻ばせる。その笑顔にまた過去の彼の片鱗を見て、亜季はまだ顔も知らないその二人に深く感謝した。

「そう……よかったね」

 思わず心からの言葉が漏れる。その言葉に、夏野の表情が一瞬止まり、そして――彼は頷いた。

「うん――ありがとう、亜季」

「え?」

「亜季には、心配かけたから。まだ全然先は見えないけど――でも」

 夏野が亜季の瞳を見据える。そこには、かつての彼の面影が宿っていた。

「――俺、もう一回歌うことにする」


 その決意の声に思わず涙腺が緩みそうになり、亜季は慌てて席を立つ。

「じゃあ今日はお祝いだね。私が飲み物ごちそうしてあげるよ」

「えっマジで? じゃあコーラ!」

「いつもじゃん。本当好きだね」

 カウンターで注文の品を待ちながら、瞼の熱を冷ます。落ち着いてきたところで席の夏野を見ると、誰からか電話がかかってきたようだ。コーラとアイスコーヒーを持って席に戻ると、夏野は短い電話を終えて溜め息を吐いた。

「誰から?」

「ギターの後輩から。ベーシスト探してるんだけど、いなかったって。来月の学内公演、どうすっかな」

「え? 来月ライブするの?」

 亜季から受け取ったコーラを飲みながら、夏野がうーんと唸る。

「三人でもできなくはないけど……できればもう一人欲しいんだよなぁ」


 夏野が中学の頃組んでいたバンドは、四人だった。亜季には、テレビで演奏しているミュージシャンを見ても、ギターとベースの違いがいまいちわからなかったが、以前夏野にそう話した時、熱くベースの必要性を語られたことがある。曰く、ベースは弦楽器でありながらリズム楽器であり、存在があるとなしとでは大違いだと。

 悩む夏野を見ながら、亜季は自分の中でちくちくと何かが疼くのを感じていた。彼がまた歌おうとようやく決意したのに、それをメンバーが見付からないという理由で反故になどさせたくない。


 ――もう一度、夏野の歌を聴きたい。そして、沢山の人に、聴いてほしい。


「――ねぇ」

 亜季の声に、夏野が顔を上げた。

「私に手伝えること、ある? ベースが弾けそうな人を探せばいいの?」

 勿論そんな当てなど全くない。それでも、目の前の彼の為に何かをしたかった。夏野はうーん……と考え込む仕草をしていたが――途端に、何か思い付いたかのように、「あ」と声を上げる。

「亜季、今やってる部活って何曜だっけ?」

「え? バレーは火曜と木曜だけど……何かあった?」

 といっても、友達の付き合いで入っているだけだ。ガチガチの体育会系ではなく、ゆるい雰囲気が気に入っていて、一応練習には出ているというレベルだった。

 亜季の返答に、夏野は暫し黙り込んだ後――姿勢を改めて座り直す。彼は真剣な面持ちで、亜季を見つめ、口を開いた。


「――亜季、お願いがあるんだけど」



 ***

 


 それが、先週の金曜日の話だ。

 亜季は目の前の青年を見上げたまま、スタジオの入り口に立っていた。

 夏野が「冬島さん」と呼んだ上級生は、筋肉質で背が高く、バンドマンというよりもスポーツ選手の様だ。しかし、無造作に肩まで伸びた黒髪はそれらしく、休日は洋ロックバンドのTシャツを着ていそうだと、亜季は何となく思った。

「こんにちは、高梨亜季です」

 名乗ってお辞儀をしたものの、冬島はじっと亜季を見たまま動かない。その外見も相まって、かなりの圧を感じる。


「――冬島さん?」

 夏野の声に、冬島がようやく反応を見せる。彼ははーっと大きく息を吐いて言った。

「おい、夏野。お前――まさか、彼女連れてきたんじゃねぇだろうな」

「亜季は彼女じゃなくて、幼馴染みですよ」

 亜季が口を開くよりも先に、夏野があっさりと訂正する。事実そうなのだが、即答しなくても。

 それを聞いて、冬島が小さく「幼馴染みか……」と呟き、まじまじと亜季の顔を見つめ直してきた。何だか不思議な人だ。亜季が見つめ返すと、不意に視線を逸らし、夏野に問いかける。

「そしたらあれか? むちゃくちゃ凄腕のベーシストとかか?」

「えっと――」


 夏野が説明しようとしたところで、スタジオのドアが開いた。

 振り返ると明るい茶髪が目に飛び込んでくる。彼はこちらに気付くと「おつかれさまです」と挨拶してきた。

「春原、おつかれ」

 夏野の方を向いて会釈をした後、春原は手に持っていた書類を亜季に差し出す。

「高梨さん、これどうぞ」

 受け取って開くと、それは楽譜だった。

「複雑な所は他に影響が出ない程度にシンプルにしたので、そこまで難しくないと思います」

「お、さすが春原、仕事が早いな」

 夏野がニコニコと褒めると、春原は「……いえ、大したことでは」とモゴモゴ返す。亜季はそのやり取りを見ながら、本当に春原は夏野のことを慕っているんだなと思った。


 亜季は先週の金曜日に春原に会っている。夏野が電話で春原を呼び出したら、ものの十分もしない内にやってきた。明るい茶髪と鋭い眼差しに少し気圧されたが、夏野が亜季のことを紹介すると礼儀正しく挨拶してくれた。

「高梨さんはピアノをやっていたんですね」

 甘いものが苦手なのか、ウーロン茶だけ持って戻ってきた春原の言葉に夏野が頷く。

「そ。だから、『シンベ』やってもらおうかと思って」

 先程も夏野に言われたが、亜季には聞き慣れない言葉だ。

 要はシンセサイザーでベースパートを弾くということらしい。まさかベーシストを探すのではなく、自分がベーシストになるとは思いもしなかった。正直自信があるかと言われると、ない。それでも、亜季に夏野のお願いを断るという選択肢はなかった。


「最近はピアノ弾いているんですか?」

「正直、家にピアノはあるけどほとんど弾いてないかな。習ってたの小学生の時だから」

「わかりました、楽譜は読めますか?」

「難しいのはきついけど、読めると思う」

 春原は表情を変えずに頷く。

「大丈夫です。曲にもよるけど、シンベは基本単音なんで」


 そして鞄の中から楽譜を取り出し、机の上に広げた。

 ――それを見て亜季は「え」と思わず声を上げる。

 その楽譜は亜季が知っているものとは明らかに違った。ピアノを弾いていた時に見慣れていた楽譜は、五線譜の上に音符が載っているものだった。しかし、春原が持っているそれは、線が五本より多く、また音符ではなく数字が書かれている。

「これはTAB譜っていって、俺のギターの譜面です。線の数は弦の数を表しているので、ベースのTAB譜は四本線。あと、線上に書かれている数字は指で押さえるフレット数を表していて――」

 説明が一向に頭に入ってこず、黙りこくる亜季の顔色に気付いたのか、「春原、ストップ」と夏野が止めに入った。

「ごめん、多分亜季それだと弾けないと思う。今回はベースじゃなくてあくまでシンセだから、ピアノの譜面に起こさないと」

 その言葉に、春原が止まる。

「……それもそうですね、高梨さんすみません」

「いえ、なんだかこちらこそごめんなさい」


 最終的に亜季が演奏する予定のベースパートは、春原が全て五線譜に書き換えることとなった。その完成作が、今亜季の手に渡った楽譜である。弾きやすくアレンジをしてもらっているということもあり、今見た限りでは練習すれば何とかなりそうだ。春原には頭が上がらない。

「春原くん、本当にありがとう。シンベの練習頑張ります」

 亜季が改めて春原に礼を言ったところで、冬島が「あー、シンベってことか」と言いながらドラムセットの前に腰かけた。

「それならそれで、さっさと練習しようぜ。時間ねぇし」

「そうですね、亜季こっち来て」

 夏野がスタジオの端にあるシンセサイザーの電源を入れる。教わるがままに番号を登録し、鍵盤を叩くと確かにベース音が出た。

「今楽譜渡されたばっかだし、いきなりは難しいから、亜季は自分のペースで練習してて。来週皆で合わせる練習をしよう」

「わかった」


 夏野と会話している間にも、春原の方からはギターの音が鳴り、冬島の方からはドラムを叩く音がする。間近で楽器の音を聴くのは久し振りだ。少しずつ、しかし確実に、亜季は自分の心拍数が上がっていくのを感じていた。

 ――まさか、自分が演奏する側になるなんて、思いもしなかったが。

 持ち場に戻った夏野が、マイクを手に持つ。


「じゃあ冬島さん、春原、一曲目ひとまず通しでやる感じで」

「はい」

「オッケー。1、2、3、4」

 冬島がドラムスティックでカウントを取った次の瞬間――音の渦が生まれた。

 思わず亜季は目を見張る。

 中学の頃に夏野が組んでいたバンドとは、明らかに違う。ビリビリと肌を突き刺すように届くのは、明確に意志を持った音達だ。夏野の言う通り、冬島も春原も只者ではない。


 ――この音に、夏野の歌が乗ったら?


 亜季は自分の練習も忘れて、夏野を見た。マイクを持った夏野が顔を上げる。

 その表情は――間違いなく、以前の夏野そのものだった。

 夏野が今まさに歌おうと、マイクの前で口を開く――その瞬間を、きっと、亜季はこの先何度でも思い出すだろう。

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