いっその事、知らないままでいた方が楽だったのに -Silvio-Ⅲ【自覚】③
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第一騎士団兵舎の前にある桜の木は、見事な花を咲かせていた。
季節は疾うに過ぎていると言うのにも関わらず狂い咲き、艶やかで幻想的な景色はシルヴィオに溜息を吐かせるばかりだった。
その溜息の中には、すぐ傍で騒ぎ立てている数名に向けているものもあるのだが、それを抜きにすれば純粋な感嘆の溜息だった。
花見の席に普段から見知った顔が揃い、羽目を外している事に呆れながら、グラスを傾ける。
引っ切り無しに酒を飲むアルマンとエレイン、それをしらけた顔で見ているラディム、レオンの隣で控えめに酒を注ぐクレア、ディーノに酒を勧めるアンジェロ。
それから、少し離れた場所で一人、桜の花を見上げるセシリヤがいる。
まさかこんな所にセシリヤがいるとは思っていなかったシルヴィオは、何度試みても失敗して来た彼女との接触が今ならば出来るのではないかと、隙を突いてさり気なく彼女に近付いた。
夜風に拐われて散る桜の花びらを髪に滑らせながら、ただぼんやりと花を眺めているセシリヤの隣に腰を降ろすと、彼女の空いていた手にグラスを持たせて酒を注いだ。
強引なシルヴィオの行動に困惑しつつも、素直にいただきますと口をつける彼女を見ながら、同じように自らのグラスに酒を注いでボトルを置く。
注がれた酒に舞っていた桜の花びらが落ち、小さく波紋を描きながらグラスの中を揺蕩っていた。
「みんな、楽しそうだねぇ」
視線は騒ぎ立てる彼らに向けたまま勢い良く酒を煽り、空になったグラスを置くと、シルヴィオは横になってセシリヤの膝元に頭を預けた。
唐突な行動に多少驚きはしていたものの、彼女は拒絶する事なくシルヴィオの頭に軽く手を添えて少しだけ足を崩し、さり気なく高さを調節してくれる。
彼女のその小さな気遣いが、この上なく、嬉しかった。
「ねえ……、昔さ、孤児院を騙った邪教団を掃討した事、覚えてる?」
シルヴィオの問いかけにセシリヤは否定も肯定もせず、ただ黙って曖昧な笑みを浮かべているだけだ。
ジョエルと同じそれは、遠回しに聞くなと言っているようなものだ。
普通の人間ならば、空気を読んでそれ以上踏み込んだりはしないのだが、シルヴィオは当事者であった事から容易くそこに踏み込む事が出来る。
「あの時、僕は君に助けてもらったんだよ?」
「シルヴィオ団長……、酔っていらっしゃるんですか?」
質問に質問で返すセシリヤには答えず、どうなのかと返答を求めれば、彼女は小さな溜息を吐いて飲みすぎですよと呟いた。
「祭壇に縛り付けられてた子供が僕だ。君があの時助けてくれなかったら、きっと今、ここにはいなかった」
シラを切るつもりなのだろうが、逃がすつもりはないとばかりに更に具体的な話を出すと、彼女の瞳が僅かに動揺し、そしてゆっくりとシルヴィオの顔を捉えた。
「驚かすつもりはなかったんだけど……。君がこの話をして欲しくないなら、もうしないよ。ただ、あの時のお礼を言いたくて」
なかなか機会に恵まれなくて遅くなったけど、と続ければ、セシリヤは観念したように瞳を閉じた。
「……そうでしたか。でも、あれは四十年以上も前の話です。もしそうだとしたのなら、シルヴィオ団長、貴方は何故……、」
言いかけたその先の言葉を飲み込んだ彼女は、唇を噛んで押し黙る。
自分も他人の事は言えないとばかりに。
確かに、不老である彼女の口からそれを言わせるのは酷だろう。
言いたいことはだいたいわかるよと、シルヴィオは明るく答えてセシリヤを見上げた。
「本当に偶然が重なってね。どうやら、どこぞの邪神様と契約を交わしちゃったみたい」
手袋の下にある契約の印を見せながら、儀式の最中、血の飛沫を浴びたことで契約が成立してしまい、制約に従って生きて来た結果だよと続ければ、セシリヤの顔はみるみるうちに曇り始めて行く。
別に恨み言を言ったつもりはないし、本当に感謝していたからこそ話したのに、彼女にそんな顔をさせてしまっては本末転倒だ。
「私のせい、ですね……」
「いやいや、寧ろ感謝してるくらいだよ。こうやって君にまた会えて、あの時のお礼が言えるんだし。それにこう言っちゃなんだけど、この姿を保ってる分だけ、それなりにイイ思いも沢山して来たしね」
具体的に何がとは言えないけれど、泣き喚く女性にいつも頭を下げ宥めすかしているアンジェロを見て察して欲しいと言えば、セシリヤは少し困ったような顔をして、けれど、最後には笑ってくれた。
その顔が見たかったんだと心の中でほっと溜息を吐いて、
「改めて、あの時はありがとう。いつかこの恩は返して見せるから、気長に待っててよ。これ以降、この話には触れないし、秘密にしておくね」
そう言って頷いた彼女の艶やかな唇に指先で触れ、じっとその顔を見つめれば、心の奥底に眠っていた"何か"が、さざ波のように揺れた気がした。
幼い頃、セシリヤを始めて見た時に感じたなんとも奇妙な感覚によく似ていて、けれどそれがどう言う意味を持つのかまでは理解できないまま、ここまで来てしまった。
恩人である彼女を、その他大勢と同じように扱いたくはないと思っているのに、どう言う訳だか無性に手を出して見たくなる。
衝動に突き動かされるまま身体を起こすと、逃げられないようにセシリヤの頬に手を添えた。
真っ直ぐに捕えた視線を逸らさない彼女は、シルヴィオを拒む事なくじっと成り行きに身を委ねているようにも思える。
周囲の騒ぐ声も、今だけは聞こえない。
セシリヤと二人きりの世界であるかのように錯覚しているのは、多分、酒のせいだ。
そして、この奇妙な感情も。
吸い寄せられるかの様に距離を縮める唇は、ほんの少しの間を空けたまま、別の何かに重なる事を阻止された。




