いっその事、知らないままでいた方が楽だったのに -Silvio-Ⅲ【自覚】①
「溜まりに溜まった書類、今日こそ片付けてもらいますからね!」
そう意気込んで執務室へ乗り込んで来たアンジェロを上手く撒いてやって来たのは、ロガール城内にある書庫。
ここ暫くは脱走に失敗する日が続いていた為、今日こそはと前後左右、一応上下にアンジェロの気配がない事を確認して扉を押し開けた。
籠った空気に古い本の匂いが混ざり、何とも言えない息苦しさを覚えて窓を開ければ、爽やかな風が吹き抜けて行く。
陽当たりも良く昼寝をするには最高の場所だと本来の目的とは別の事を考えながら、そろそろ行動に移ろうとした直後、シルヴィオの視界にページをはためかせて存在を懸命に主張する本が入った。
ほぼ利用者のいない書庫で本が出しっぱなしになっていること自体珍しく、何気なくその本を手に取ると、この世界では目にする事のない文字の羅列が並んでいて、すぐさまこの本の本当の持ち主と、ここに置き去りにして行った人物を思い浮かべた。
これは、元々三代目勇者が持っていたもので、恐らく以前、ここで出会った医療団員の青年が置いて行ったのだろう。
(置いて行ったのか忘れて行ったのかは判断できないが)
パラパラと捲り奇妙な文字を流し見て、一番最後のページに辿り着いた所で手が止まる。
―――あなたを傷つけてごめんなさい、セシリヤ。
酷く形の歪んだ文字で書かれた一文は、アイリが見様見真似で書いたのだろう。
あの青年からこれを受け取った時には、何が書いてあるのか差して興味も無かった為に気が付かなったけれど、この一文を見る限り、アイリはセシリヤに対して何か特別謝罪しなければならない事があったのかもしれない……、と思ったが、山ほどある事に気が付いて苦笑する。
相当な迷惑をかけていた為、それについての謝罪かとノートを閉じた所で、ふと思い直し、もう一度同じページを開いた。
……あのアイリが、何の意味もなくこのノートをこの世界に残して行くだろうか?
いつでも肌身離さずに持っていたノートには、恐らくジョエルに関する事も沢山書かれていたはずだ。
結ばれる事は決して無かったが (そもそもジョエルにその気がまったくなかったのだ)、アイリならば思い出としてこのノートを持って行くのではないか。
しかし、現にノートはここに存在しているのだ。
最後のページに書かれたセシリヤへの謝罪をもう一度、声に出して読んで見る。
―――あなたを傷つけてごめんなさい、セシリヤ。
もしかすると、これはアイリが帰るまでの間に散々迷惑をかけたことに対する謝罪ではなく、このノートの中に何かセシリヤを傷つけてしまうような事が書かれているのではないか。
勿論セシリヤに対しての誹謗中傷とも考えたが、それならばわざわざ謝罪を書く必要などないし、持って帰ればいいだけの話だ。
何かアイリは伝えたいことがあって、このノートを置いて行ったのではないだろうか。
しかし、およそ二十年の間、誰もこれを見つけることが出来なかった。
よほど伝えづらい事で隠すように置いて行ったのかも知れないと、もう一度最初に戻ってページを捲り、文字の羅列を追ってみる。
意味の解らない文字と記号ばかりで理解は出来ないが、後半のページに行くに連れて何度も書き直した痕跡があり、最後に何か文様のようなものが三つ描かれていることに気がついた。
ただのいたずら描きにも見えるが、シルヴィオにはそうは思えなかった。
三つの内の一つは、自分の良く知っているものだったからだ。
「……これ……、」
すぐさま何を意味しているのか考えようとした瞬間、突然何者かに襟を掴まれ床に引き倒された。
抵抗を試みたが、ご丁寧に身体を拘束する魔術を三重に掛けられていて、流石にこれはシルヴィオでもすぐには撥ね退けられない。
魔術をかけ、拘束した身体を引き摺っている人物へ視線を寄越せば、
「アンジェロ、首締まるっ! 首締まってるって! ちょっ、待って放して!」
「放したらまた逃げるでしょう」
「いや、魔術を三重にもかけられたら流石に逃げられないから! って言うか、よく三重とか掛けられるよね!」
気配を察知させずに近づき、重ね掛けは二重が限度と言われている魔術を三重にかけて見せた事に感心する一方で、容赦なく襟を掴んで身体を引き摺って行くアンジェロに放せと懇願し、漸く解放されたシルヴィオが一息つくと、恨めしそうに顔を見上げて抗議の声を上げた。
「襟掴んで引きずるとか、あり得ないでしょ! 僕、これでも一応団長だよ? 君の上司!」
「ええ、そんなんでも一応団長で、自分の上司ですね。良く知ってますよ」
今回は相当お怒りらしく、言葉の端々にたんまりとイヤミが含まれていて、メンタルの強さが自慢のシルヴィオの心にも少々傷がついた。
とりあえず掛けられている魔術を解いてもらい立ち上がると、逃げられる事を警戒しているのかアンジェロが進行方向を塞ぐように立ち、両手を上げて逃げないと言う意思を示せば、彼は安心したのか深いため息を吐き出し頭を抱えて見せる。
「アンジェロさぁ、もうちょっと僕に敬意を払っても良くない? 扱い酷すぎて泣きそうだよ!」
「払えるならとっくに払ってますよ。団長のどこに払えばいいんですか。仕事はサボるわ女性関係はだらしないわで、払いたくてもマイナス要因が多すぎて払えないんですよ! 知ってますか団長、今月に入って団長の件で自分に泣きついてきた女性の数!」
「うーん、三人?」
「十三人です!」
そんなにいただろうかと首を捻ったが、そんなことはどうでもいいと言わんばかりにアンジェロに腕を引かれ強引に歩かされ、男に腕を組まれる趣味はないと呟けば、襟の方が良かったかと問われ、首を横に振ると渋々ついて行く。
入団した頃のアンジェロは、もっと可愛げがあったのに、とすっかり立場の強くなった姿に苦笑してしまう。
それだけ有望な人材が育っているのだと考えれば、仮に自分が第二騎士団からいなくなったとしても問題は無いだろうと頭の片隅で考えながら、ノートを抱え直し、口うるさくお説教を垂れているアンジェロと共に執務室へ向かったのだった。
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